第五部
5-1 家族
十月も半ばに差し掛かったある日の日曜日。
母親が家に遊びにきた。この人はいつだって唐突だ。前日に突然明日そっち行くからよろしくねーと言われても困る。
その日は仕事で夜まで家にいないと伝えても卯月ちゃんと遊んでるから大丈夫ようふふ〜と言われてそのまま電話を切られてしまった。何が大丈夫なのかもうよく分からない。
いつも通りに残業をこなして夜の九時過ぎに帰宅すると、部屋から女二人が談笑する声が聞こえてきた。
「あら〜、大ちゃんおかえりなさい〜」
母親がにこやかに出迎えてくれる。
「ま、まだいたのか……もう帰ってるもんだと思ってた……」
「世界で一番愛してる息子の顔も見ないで帰れるもんですか」
冗談なのか本気なのか、この人は昔からこういうことを恥ずかしげもなく言ってのける。聞いている方は恥ずかしくて仕方ない。
「お、親子仲、いいんですね」
見ろ、卯月も反応に困ったような顔をしてるじゃないか。
「普通だ。そんなことより二人でやけに盛り上がってたけど、何を話してたんだ?」
この二人に共通の話題があるようには見えないが。
「うふふ〜、大ちゃんのことよ〜」
ありやがった、共通の話題。
「……俺の、何の話でそんなに盛り上がるんだ」
「それは秘密〜、ねー、うーちゃん」
母親が卯月に同意を求める。というか、いつのまにかうーちゃん呼びになっていた。友達か。
「まあ、ちょっと、本人の前で言葉にするのは
卯月のニヤけた顔はいつだって最高にムカつく。
とりあえず、ろくでもないことを話していたのは間違いないらしい。
「さて、愛する息子の顔も見たことだし、そろそろ帰ろっかな〜。じゃあ、またね、うーちゃん」
母親が立ち上がり、卯月に向けてひらひらと手を振った。マジで何をしに来たんだ、この人は。
「あ、はい、ありがとうございました。今日は楽しかったです、叔母さ……け、けーちゃん」
卯月が母親に頭を下げる。
けーちゃんとは、母・恵子の愛称だ。
「……姪にけーちゃん呼びさせてるの、マジでどうかと思うぞ」
「だっておばさんって呼ばれると、母さんのガラスのハートが傷ついちゃうし……」
ガラスはガラスでも傷にめちゃくちゃ強いゴリラガラスだろうがよ。
呆れた顔をしてると、母親が唐突に俺の手を引いてきた。
「何だよ」
「大ちゃん、母さんをお見送りして」
語尾にハートがついてそうなくらい甘えた声で懇願してきた。きつい。俺の心がもう結構きつい。
「分かったよ……」
仕事で疲れていてツッコミを入れる気力も抗う気力もないので、大人しく言われるがままにする。
母親に手を引かれるがままに部屋を出る。
「てか、今日どうやって帰るんだよ? 流石に家まで送る元気はないぞ」
実家までは車でも二時間はかかる距離だ。
「お父さんがもうすぐ迎えに来てくれるから大丈ブイ!」
ああ、いい歳した母親のウインクとダブルピースって、こんなにも心が辛くなるもんなんだな。
「じゃあ俺戻るから。腹減ったし」
「大ちゃんのいけず。お父さんが来るまで一緒にいてくれないとやだ」
子供か。父親は何でこの人と結婚したんだろう。不思議に思って昔聞いたことがある。顔がいいからと即答だった。俺の両親は揃って割とろくでもない。
「……分かったよ」
「ねぇ大ちゃん」
ため息混じりに返事をすると、母親は急にマジトーンで話し始めた。
「何」
「うーちゃん、お家に戻りたくないんだって」
うーちゃんって言われると一瞬誰のことだか分からなくなる。
「だろうな」
「でも、うーちゃんの家族は戻ってきてほしいんだってさ。どうする?」
言葉の意味を理解するのに、少し時間がかかった。
理解してから、最初に感じたのは憤りだった。
「……勝手すぎるだろ、あいつを家から追い出しておいて」
「そうね。私も同じことをあの子の父親に言ってやったわ。……でも、大ちゃんももう知ってるんでしょ? あの子の本当のお母さんのこと」
「……ああ」
「私もついこの間、電話でその話を聞かされてね……正直信じられないと思ったけど……」
「…………」
「家族として、一からやり直したいんだって。どうする?」
どうすると言われても。
そもそも、俺に決定権があるような話でもない。
卯月自身と、家族とで決める話だろう。
「その話は卯月にしてるのか?」
「それはまだ」
「そもそも、どうして俺じゃなくて母さんに話がいってるんだよ」
「あくまで相談、だったんでしょうね。どうすればいいか分からないって感じだったし。あなたにこの話をしてるのは私の独断」
「…………」
俺は卯月が独り立ちするまでは見守らなければならないと思っていた。最初は責任感だった。突然押し付けられたこととはいえ、保護者の代わりを務めなければと、そう考えていた。
けど、今は少し違っていて。
ただ純粋にあいつのことが大切になった。
その根源は何だろう。恋愛感情ではない。家族愛とも少し違う気がする。
分からない。誰かを大切だと思う、その理由を考える考えること自体がそもそも……。
そうじゃない、今はそんなことはどうでもいい。
家族とは大切なものだ。一般的にはそう言われている。
そんな家族の絆を取り戻す機会が来た。素晴らしいことだ。これから家族仲良く暮らして、めでたしめでたし。
もっとも、あいつがそれを望むとは思えないが。
「卯月と、家族とで話し合って決めればいい」
「けど、うーちゃんにそれをさせるのって酷じゃないかしら?」
ごもっともだ。いきなり嫌ってる家族と話し合えなんて言ってもあいつが応じるわけもない。
「……ひとまず、俺が向こうの家族と話してくるよ」
「さすが私の子ね、しごでき〜」
褒め言葉のつもりなのだろうが、一ミリも褒められた気がしないのは何故だろうか。
そんな話をしているうちに見覚えのある車が家の前に止まり、母親はじゃあまたね〜と能天気な声で別れの挨拶をしてその車に乗り込んでいった。
入れ替わりで父親が車から降り、こちらに歩いてくる。
「大輔」
この人は昔から寡黙な人だった。
「母さんな、この前、女子大生と間違えられてたんだ」
そして、いつもボソッとどうでもいいことを言うのだった。
「……そりゃ良かったな」
「ああ」
父親は満足そうに頷くと車に戻り、そのまま帰っていった。最後の情報マジでいらなかったな。おそらく俺の嫁は可愛いだろうと自慢したかったのだろう。息子に。
ともあれ、やることができてしまった。
明日にでも向こうの家にお邪魔する日程を調整しようか。
どんな話し合いになるだろうか。考えると憂鬱になり、無意識にため息を吐く自分がいた。
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