第四部

4-1 三角関係

 十月になり、卯月との共同生活も三カ月目に突入した。だからと言って、俺たちの間で何かが変わるわけでもなかったが。


 変わったことと言えば。


「おネエ〜、明日皐月と遊びに行こうよ〜、ね、ね?」


 卯月の妹の皐月ちゃんがよく遊びに来るようになった。夕食までここで食べることすらある。両親の許可は得ているらしい。

 こうなったのは俺と伊織さんが話をした後くらいからだが、因果関係は今のところ不明だ。

 皐月ちゃんは夕食を終えて床に転がっている卯月の体をゆさゆさと揺すってじゃれていた。


「やだ、めんどい」


 卯月は皐月ちゃんには割と塩対応だ。それでも皐月ちゃんはめげない。


「何か用事あるの?」


「ないけど、めんどい」


「えぇー……じゃあ」


 皐月ちゃんの視線がこちらに向く。


「お兄さん、皐月と遊びに行きませんか?」


 予想外のお誘いだった。

 明日は仕事も休みで予定もないが、この子と二人で遊びに行くビジョンが全く見えないので困惑する。


「別にいいけど、俺と遊んで楽しいか?」


「じゃあ楽しくなるようにエスコートしてくださいよー」


 無茶振りだ。

 女子高生と楽しく遊べるスポットなど俺が知るわけもない。知ってたらそれはそれで問題な気もする。


「せめて行きたい場所を指定してくれ。車で行ける距離なら連れてくから」


「うーん……あっ! 皐月、水族館に行きたい!」


「水族館ね……」


 スマホで最寄りの水族館を検索するが、車でも片道一時間半かかる距離だった。しかも最終入館が夕方の四時半なので、皐月ちゃんの学校が終わってから向かっていてはとても間に合いそうもない。


「無理だな」


 スマホの画面を皐月ちゃんに向けて営業時間を見せると、彼女は名案が浮かんだとばかりに手を叩いた。


「じゃあ明日学校を休みます!」


「却下だ」


 娘にそんな不良行為をさせては叔父さんと伊織さんに申し訳が立たない。


「皐月、あんま大輔を困らせるんじゃないよ」


 妹のわがままを見かねたのか、卯月が苦言を呈する。


「だって水族館行きたかったんだもん」


「また今度な」


 頬を膨らませる皐月ちゃんの頭に手を置き、なだめる。


「約束ですよ?」


「ああ。今度溜まってる有給を消化するときにでもな」


「やった! ね、そのときはおネエも一緒に行こうよ!」


「はいはい、気が向いたらね」


 卯月がだるそうに返事をする。

 そんな話をしたのが数日前のことだったが、タイムリーにも上司から有給を消化しろとのお達しが来たことにより、また今度の約束は予想よりも早く果たされることになった。




◇◆◇




 水族館に行く約束をした日、朝早くに皐月ちゃんを迎えに行った。

 皐月ちゃんが家を出て来るとき、伊織さんも一緒だったので一度車から降りて挨拶をする。


「ごめんなさいね。最近は卯月だけじゃなく、皐月の面倒まで見させちゃって」


「いえ、俺も休みの日は暇ですから」


「……今日は卯月は一緒じゃないの?」


「あいつは体調不良です」


「……そう」


 伊織さんが力なく笑う。この場に卯月がいないことに対して彼女がどういう感情を抱いているのか、俺には読み取れなかった。


「じゃあ、皐月をよろしくね。皐月も、あまりわがまま言って大輔くんを困らせないようにね」


「はーい、行ってきまーす」


 皐月ちゃんが伊織さんに手を振り、助手席に乗り込む。

 俺も一礼して車に乗り、その場を後にした。




◇◆◇




「残念だったろ、卯月が来れなくて」


 水族館に向かう道中、何の気なしにそんな話題を振った。


「え? あー、でも予想の範囲内だったので、平気です」


「予想?」


「この日だったら、おネエの一番生理が重い日にぶつかると予想してましたから」


 皐月ちゃんがあっけらかんと笑う。


「…………」


 えーと、今のは突っ込むところだろうか?

 それとも笑うところか? いや、少なくとも笑うところではないな?


「えーと、卯月から皐月ちゃんに連絡あったのかな? その、生理で行けなくなったとかって」


 少なくとも俺は卯月からは体調が悪いとしか言われていなかった。


「え? 連絡なんか来てないですよー。皐月がおネエの生理周期を把握してるだけですってー」


 皐月ちゃんが照れ臭そうに笑う。

 この子ちょっと怖すぎるんだけど。


「そ、それは一体何のために?」


「……お兄さん今、皐月のことを変態だと思いましたね?」


 メチャクチャそう思ったというか、そう思わない方が無理がある。


「……まあ、多少は」


「心外ですー! おネエの生理周期を把握することによって体調悪そうな日とかに構ってちゃんしないようにしようっていう皐月なりの気遣いなんですー!」


 だとしても度が過ぎている気もするが。


「そ、そうか、悪かった」


「お兄さんも同居しているのなら、おネエの生理周期くらい把握するべきです」


「それ把握してたらメチャクチャ気持ち悪いからな」


「ええ!? それじゃあ、お兄さんは皐月のことをメチャクチャ気持ち悪いって言うんですか!?」


 皐月ちゃんがショックを受け、涙目になる。


「……まあ、そうだな」


 事実その通りなので、そのまま肯定した。

 前々から薄々思ってたけど、この子はちょっと卯月への愛情が重すぎる。


「心外ですー! 皐月は純粋におネエのことが心配なだけですー!」


 純粋ってどういう意味だったろうか。


「さてはそうやって心理的ダメージを与えて、ライバルである皐月を蹴落とすつもりですね……」


「ライバルって何の」


「それはもちろん恋のライバルです」


「誰をめぐって?」


「おネエ」


 頭が痛くなってきた。

 まず何から言うべきか。


「……姉妹なんだよな?」


「でも、血は繋がってません。知りませんでしたか?」


 そういう問題ではない。というか、本当は二人は異父姉妹で血が繋がっていることを俺は知っている。


「……俺は卯月を恋愛対象としては見ていない。だからライバルじゃない」


「でも、多分おネエはお兄さんのこと好きになってますよ。だからライバルです」


「何を根拠に」


「おネエがお兄さんを見るときの目は、皐月がおネエのことを考えているときの目と同じです。つまり恋する乙女の目です」


「主観的すぎるだろ!」


「いいですか、お兄さん。今、皐月たちは三角関係なんです。皐月はおネエが好きで、おネエはお兄さんが好きで、お兄さんは……あれ!? このまま三角にしようとすると、お兄さんは皐月のことが好きってことになります!? お兄さん、皐月のことが好きだったんですか!?」


 薄々そうじゃないかとは思っていたが、たった今確信した。

 この子、アホの子だ。


「俺に好きな奴はいない。だから三角関係にもならない。この話はおしまいだ」


「好きな人がいない……? 哺乳類なのにですか……?」


 この子は哺乳類を何だと思ってるんだ。


「そんなの嘘です。ここ最近、たくさんの女子高生たちと出会ってるのに欲情しない成人男性がいるはずありません!」


「成人男性への風評被害、半端無いな」


 そんなこんな、楽しい(?)恋バナ(?)をしているうちに目的地の水族館へとたどり着いた。

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