3-7 藍男くん

 優ちゃんに事の経緯を話す。伊月さんのこと、伊織さんのこと、そのどちらと卯月の血が繋がっていたのか、その二人から卯月はどう思われていたのかを。

 卯月に申し訳ないと思いつつも、結局全部を話してしまった。


「……俺はこれから、どうすればいいんだろう」


「……あなたがどうこうする話でもないと思います。それに、卯月に聞かせる話でもない。少なくとも今は。私はそう思います」


「……そうか、そうだよな。でも、子供は親と暮らすべきじゃないのか?」


「一般論ですね。それは互いに望むのなら、そうでしょう。けれど、今一番大事なのは、卯月がどうしたいかではありませんか?」


 ……そう、なのだろうか。

 家族が家族に戻ることの方が大事じゃないか? それこそ、一般論で綺麗事なのかもしれないが。


 卯月の家の、親子関係の溝は深い。ともすれば血の繋がり以上に。今更、第三者がどうにかできるものじゃない。それは分かっている。


「……けど、あいつだけが真実を知らないままでいるなんて、そんなの残酷じゃないか」


「この場合、真実を知らせる方がよっぽど残酷です」


「…………」


 それはきっと、その通りだ。何も言い返せない。ここまで話して、ようやくこれからの行動指針が立った。と言っても、これまでと変わらず過ごすというだけだが。


「……キミに話せて良かった、と思う。誰にも話せず抱えたままだったら、卯月にいつも通りに接することができなかったろうから」


「いえ、私が強引に聞いただけですので。……大輔さん、卯月のことを大切に思ってるんですね」


「……どうなんだろうな」


「そうじゃなければ、そんなに頭を悩ませませんよ」


 そうなのだろうか。

 俺は卯月が、伊月さんの娘だから大切だとそう思っていたけど。

 そうじゃなかった。いや、初めはそうだったのかもしれないけど、今の俺は卯月が卯月だから大切なのだと、心の底からそう思えるように変わったのだと思う。


 それがどういう意味での大切なのかは、まだ自分でもよく分かってはいないが。


「……それはそうと、卯月のことですが、今日は帰りが遅くなるかもしれません」


 思い出したように優ちゃんが手を叩く。


「追試でか?」


「それもありますが、クラスの男子が卯月に勉強を教えると言っていたので。あれはきっと卯月に気がありますね」


「…………へぇ」


 結構なことだ。

 彼氏でも出来れば、あいつが家にいる時間が減って静かになるだろう。清々する。

 そう思うのに、原因不明のもやもやが心にわだかまるのを感じた。


「相手が気になりますか?」


「別に。卯月に対して過保護な優ちゃんが口を出さないなら、悪い相手でもないんだろう」


「そうですね、頭もいいし顔も悪くありませんし……ああ、性格はちょっとアレですが」


「そこ一番大事じゃねぇ!? え!? 何!? どんな奴!?」


「め、メチャクチャ食いついてくるじゃないですか」


 優ちゃんがちょっと引いていた。


「いや、だってあいつ放っといたら変な男に引っかかりそうだし!? 優ちゃんはそれでもいいのか!?」


「よ、良くはないですが、恋愛については自主性も大事かなと」


「ダメだ。やっぱり卯月に男はまだ早い」


「どっちが過保護なんだか……」


 優ちゃんが呆れたようにボヤく。


「……では、こっそり卯月の様子を見に行くことにしましょう。卯月の居場所を確認しますから、少し待っててください」


 優ちゃんがスマホを操作する。卯月にメッセージを送っているのだろうか。


「……いつもの喫茶店で、その男子と勉強をしているようです。行きますか?」


「ああ。どんな奴が相手なのか、顔だけでも見ておかないとな……保護者代わりとして……」


 そう、保護者代わりとしてだ。

 それ以外に卯月の交際を心配するのに、どんな理由があろうか。




◇◆◇




 歩くこと二十分と少し、例の喫茶店へとたどり着く。

 店に入ると、卯月の友達の店員に出迎えられる。この子はたしか、佳織ちゃんだ。


「いらっしゃいませー。あら、変わった組み合わせですね」


 俺と優ちゃんの姿を見て、意外そうな表情を浮かべる。


「……佳織、静かに。卯月に気づかれたくないの。さっきメッセージ送ったでしょう?」


「あ、そ、そだったね、ごめん。では、お好きな席へどうぞ」


 佳織ちゃんが小声で俺たちを店内に案内した。

 卯月は……いた。遠くて相手の顔まではよく分からないが、確かに男子の制服を着た奴と一緒にノートを広げていた。


 俺と優ちゃんは、卯月たちの席から一番離れた席に座ることにした。


「……こんなに離れたら、あいつらが何を話してるか分からなくないか?」


「……大輔さんは様子見ではなく、盗み聞きがしたかったんですか?」


「う、い、いや、そういうわけでは……」


「ご安心ください。ここにこういうものがあります」


 優ちゃんが鞄の中からトランシーバーを二つ取り出した。……何故この子はこんなものを持ち歩いているのだろう。


「佳織に頼んで、これと同じ周波数に合わせたものを卯月たちのテーブルにセッティング済みです」


「……うわ」


「え!? こ、ここでそんなドン引きます!?」


 優ちゃんが珍しく取り乱していた。


「いや、だってガチの盗聴くさいから……」


「そんなことを言っている場合ですか、大輔さん。私たちが守ってあげないと、卯月があのチャラ男に食べられちゃいますよ」


「相手はチャラ男なのか? あいつはチャラ男に勉強を教わるほどダメなのか?」


「彼は勉強のできるチャラ男なんです。……多分」


 クラスメイトだろ。何故そこで自信なさげになる。

 ……何か雲行きが怪しくなってきた。


「……彼は、なんて名前なんだ?」


「…………あ、藍男あいおくんです」


 優ちゃんが返事をすると、離れた席にいる藍男くんがテーブルに頭を強打していた。まるで優ちゃんの素っ頓狂な返しを聞いてずっこけたかのようだ。その拍子に藍男くんのウィッグがズレて、赤い髪がチラ見えしていた。どう見ても藍子だった。


 不審に思ってテーブルの裏に手を這わせると、何か四角いものが貼り付いていた。おそらくトランシーバーで、こちらのやり取りも向こうに聴こえているのだろう。


 ……なるほど、そういう茶番か。

 面白い、どうせ暇だし付き合ってやろうじゃないか。


『……優ちゃんって、嘘下手すぎるよね』


 トランシーバーのイヤホンを耳につけると、卯月のそんなボヤきが聴こえてきた。なるほど、おまえもグルかこの野郎。


 優ちゃんは「私はなんてバカ……愚かなの……」などとブツブツ呟きながらテーブルに突っ伏していた。


『あ、バカ! これ向こうに聴こえてんだぞ!』


 藍男くんのツッコミまでばっちり耳に入っている。


『いや違うし! これ向こうの席の話が聞こえてたとかじゃなくて、ただの世間話だから! 藍男くんの方がバカ……ブフォッ、藍男くんて! 咄嗟にしても、藍男くんてことある!?』


 卯月は藍男くんにツボったらしく、爆笑していた。

 ……俺は今いったい何に付き合わされているのだろう。


「……優ちゃん、この茶番で俺をどうしたかったんだ?」


「しっ! 静かに……藍男が卯月に何か言おうとしています!」


「え、これ続けんの!?」

『これ続けんのかよ!?』


 向こうで藍男くんが俺と全く同じリアクションをしていた。卯月たちのグループで一番の常識人は、実はあいつなのかもしれない……。


『あ、あー……う、卯月ちゃんってさぁ、可愛いよね。彼氏とかいんの?』


 ……頑張れ、藍男。俺も頑張るからさ。


『えー? いるように見えるー? そんなのいないよー。あ、藍男……ぶふっ……あ、藍男くんみたいな人が彼氏だったら、良かったのになー』


 卯月が満更でもなさげに答える。というシーンだったのだろうが、藍男くんの名前を呼ぶときに吹き出してしまっていた。


『えっ、じゃあ俺、卯月ちゃんの彼氏に立候補しちゃおっかなー』


 おまえは頑張ってるよ、藍男……。


「これはまずいです、大輔さん。このままでは卯月が藍男の魔手に……どうしましょう……」


 優ちゃんが狼狽えた素振りを見せる。

 まずいのはおまえの頭だと言ってやりたい。


「いや、これもう俺にどうして欲しいんだよ……逆に聞きたいよ……」


『えー、どうしよっかなー、卯月ぃ、好きな人いるしぃ』


 おまえはおまえで、どうしてそんなギャルみたいな話し方なんだ。真逆のキャラだろうが。


『へぇ、どんな奴だよ』


『えっとねぇ、いつも口うるさくって、鈍感で、クソ社畜で、童貞で、将来ハゲそうで……それに何よりも……』


 おかしい。好きな人の話のはずなのに、悪口しか聞こえてこないぞ。


『貧乳が好きな人』


 ……好きな人の何よりの特徴としてそれを挙げるのは、どうなんだ?


「……なんと。卯月は、大輔さんのことが好きと言ってますね」


 優ちゃんが白々しく驚いた演技をする。そろそろキレても許されるだろうか。


「いや、今ので俺に繋がるのおかしいだろ!? この台本作った奴から悪意しか感じないんだけど!?」


『はは、悪意しか感じないってよ』


『あのハゲ、私の台本にケチつけやがって……』


 聞こえてんだよ。ていうか卯月おまえの台本かよ。我慢の限界に達して、俺は卯月たちの席へ向かった。


「おまえたちは何がしたい」


「あー、やー、私が男といたら大輔どういう反応すんのかなーって思って」


「おまえら下手なんだよ! やるならもっと上手くやれ!」


「それは優が悪いな」


 藍男くんが外したウィッグを指先でクルクルと回しながら答える。


「首謀者は」


 俺が追求すると、二人は離れた席でテーブルに突っ伏している優ちゃんを指差した。

 優ちゃん……キミはもうちょっと、その、なんていうか、まともな人だと思っていたのに……。


「目的は」


「言ったじゃん。大輔の反応が見たかっただけだよ」


 卯月が悪びれもせずに言う。

 疲れがドッとやってきて、俺は肩を落とした。


「俺の反応を見てどうしたかったんだよ……」


「……ちょっとは私のこと心配してくれるかなって」


「んなことしないでも、俺はいつでもおまえのことが心配だよ」


 主に心配しているのは、おまえの頭のことだが。


「えっ、うひひ、そんな面と向かって言われると、照れる」


 ……まあ、子供の遊びに本気で怒るのも大人げないし、卯月は俺の考えなど露知らずに嬉しそうだし、良しとしておこうか。

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