3-6 優ちゃんの身の上話
とにかく酔いたくて仕方がなかった。
帰りの道中、コンビニでストロング系の酎ハイを数本買い、それを飲みながら帰った。
卯月の学校と同じ制服の一団とすれ違う。そうか、もう下校時間か。俺も、もう帰らないと。卯月を一人にしたくない、そう思った。
俺はあいつのこと、どう思ってるんだろうか。
大切な人の、大切な子供だと思っていた。でも違った。何もかもが違った。違う。違うことなんてなくって、そんなの関係なくって……。
思考がまとまらない。少し飲み過ぎたかもしれない。
公園のベンチが目に入る。少し休もうと考え、どっかりと腰をかけて天を仰いだ。
心は曇っていたが、空はいい天気だった。
そのまま目を瞑り、公園で遊ぶ子供たちの笑い声や小鳥のさえずりに耳を傾ける。心が癒されるような気がする。気がするだけかもしれないが。
俺は手に持っていた酎ハイの缶を空けると、それからゆっくりと眠りに落ちていった。
◇◆◇
意識が覚醒して目を開けると、見覚えのある顔が俺を見下ろしていた。
「お目覚めですか」
優ちゃんだった。優ちゃんだったというか、後頭部に当たっている感触と彼女の顔の位置からして、膝枕をされているらしい。第三者からは大の男が小学生に膝枕をさせてるように見えるかもしれない。いや、彼女は制服だ。ということは小学生に見えることはないからセーフだ。何がセーフなものか。どっちにしろ通報されかねない。
「どわぁっ! な、何で!?」
慌てて身を起こすと、鈍い頭痛と吐き気に襲われた。あからさまに飲み過ぎたせいだろう。
「水を」
優ちゃんがペットボトルを差し出してくる。わざわざ買ってきてくれたのか、蓋の空いてない新しいものだった。
「……ありがとう」
一言お礼を言って、水を口に含む。アルコールで乾いた体に染みるようだった。
「……俺はどれくらい寝てた?」
「私がここで眠りこけるあなたを発見したのは、一時間ほど前でしょうか」
「……それはお恥ずかしいところを。というか、何故に膝枕を?」
「それはその……罰ゲームです。発見したときには藍子もいたんですけど、ジャンケンに負けた方が大輔さんに膝枕をと言い出して」
優ちゃんが気恥ずかしそうに目を逸らす。
俺への膝枕は罰ゲーム扱いなのか……。
「その罰ゲームを発案した当人は?」
「バイトがあるからと、その水だけ置いて行ってしまいました」
相変わらず自由な奴だ。
「途中で藍子がいなくなったんなら、律儀に膝枕しなくても良かったんじゃないか?」
「……それもそうでしたね、気がつきませんでした」
しっかりしているようで、意外と抜けている子だった。
「……知ってる人に見られないかと、冷や冷やしました」
「ああ、優ちゃんは彼氏がいるんだっけ?」
「ええ。この現場を見られたら殺されるかもしれません」
それで自分の彼女を殺そうとするだなんて、よほど束縛の激しい彼氏なのだろうか……。
「大輔さんが」
「って、俺がかよ!? 何で!?」
「知り合い以外には容赦のない人なので……」
優ちゃん、それで俺を殺そうとしてくるなら、そいつ絶対ヤバい男だよ。
「……大輔さんの目も覚めたようなので、私はこれで失礼します」
「……ごめん、ありがとうな。このことは卯月には言わないでおいてくれると助かる……って、そういや卯月は? 帰り一緒じゃなかったのか?」
「卯月は追試で居残りです」
「…………」
あいつ、あんだけ試験勉強してたのにダメだったのか……。
「お酒はほどほどに。……あなたに何かあったら、悲しむ人がいるから」
「ああ、膝枕までしてくれて介抱してくれた子とかな」
ほんの軽口のつもりだったが、優ちゃんは真っ白な目で俺を見下ろしていた。
「まだ目が覚めていないのか、あるいは酔いが醒めていないんですね」
ため息まじりに呆れられる。
「じょ、冗談です」
「私はそういった冗談は好みません」
「……本当、すみませんでした」
「……まだ目が覚めていないようなので、もう少しだけここにいます」
優ちゃんが再び俺の隣に座った。
気まずすぎる。そのまま立ち去ってくれた方がどんなに気が楽だったか。どうして俺は余計なことを言っちまったんだろう。
「どうしてこんな時間からお酒を? 休みの日はいつもそうなんですか?」
「……いや、今日はたまたま知り合いの酒飲みに捕まってね」
「……ここはあなたの家からは少し遠いですよね。どちらかと言えば、卯月の実家の方に近い」
相変わらず勘の鋭い子だった。
彼女になら相談してもいいのかもしれないと血迷ったことを考えるが、すぐにその思考を振り払う。相談したところでどうなる。そもそも相談できるような内容でもないし、相手はしっかりしてるように見えても卯月と同じ歳の子供だぞ。
「……そうだな、あいつん家に行ってた」
それ自体は隠すようなことでもないので、正直に打ち明けた。
「卯月の母親と、何か話したんですね。それはお酒でも飲まないと話せないようなことだった」
「ああ。でもそれ以上は詮索してくれるな。他人に話せるような内容でもない」
「……そうですか」
それきり話題もなく、互いに無言になる。
いよいよ場の空気に耐えられなくなり、俺が立ち上がろうとするのと同時に優ちゃんが口を開いた。
「……大輔さん、ご両親はお元気ですか」
「……え? あ、ああ、そうだな」
突然何の話かと、少し戸惑う。
「そうですか。良いことだと思います」
「何でいきなり親の話を?」
「私の家のこと、聞いてくれますか?」
「……別に構わないけど、何で俺に」
「人には、身の上話を誰かに聞いてもらいたいときがあるものです」
そんなものだろうか。
いや、聡い彼女のことだ。何か思惑があるのだろう。それが何なのかまでは分からなかったが、俺もこれから何か用事があるわけでもないので話に乗ることにした。それに何より、こんな落ち着いた風に育った彼女の生い立ちには少しだけ興味があった。
「分かった、聞くよ」
「ありがとうございます。……私の家は片親です。今は父と兄と私の三人暮らしです」
「昔はお母さんがいました。けれど、家を出ていって、それから間もなく自殺してしまった」
序盤から壮絶だった。
「私のせいでした。私が中学に上がるのと同時にいじめられて、学校にも行かなくなって、そのことで両親が喧嘩をするようになって」
……それは、優ちゃんのせいではないのでは。
そう思ったが、そんなことはこれまで何度も言われているであろうと考え、口には出さないでおいた。
「今でも、たまに考えるんです。あのとき私が強ければ。イジメに負けていなければ。お母さんは家を出なかったかもしれないし、死ななかったかもしれない。お母さんを殺したのは、私だと」
「……それは違うだろ。そんなの、いじめた奴が悪いに決まってるし、そもそもそれで親が喧嘩をするのがおかしいだろ」
流石に黙っていられなくなり、口を出してしまった。
こんな浅い、薄っぺらい言葉が彼女に届くわけもないのに。
「……いじめる方が悪い。子供の不登校で喧嘩する親が悪い。正論です。でも、そんな正論、何の意味もないんです。それで現実が正論通りになるわけでもないんですから」
「…………」
それは、その通りだ。
自分の発言が浅はかだったと反省する。
「私は自分を罰したかった。……いえ、つらい現実から逃げたかっただけかもしれません。一度、首を吊って死のうとしました」
「……だけど、ギリギリのところで手を差し伸べてくれた人がいて」
「その手を取ろうかと迷う私の手を強引に掴んで、引っ張り上げてくれた人がいて」
「だから今こうして、生きています」
「その人に出会い、あの日生きることを選んだから……その人の仲間たちに出会い、藍子と佳織に出会い、卯月に出会い、あなたに出会った」
「人の縁とは、そうやって繋がっていくものなんです」
そう言って優ちゃんは、優しく微笑んだ。
「人の縁、ね。……で、何で俺にその話を?」
「打算です」
先ほどと同じ質問に対して、今度は別の答えが返ってきた。
「打算?」
「私が自己開示をすることで、あなたも話しやすくなるでしょう?」
「……そうまでして、俺が卯月の家で何を話したのか知りたかったのか」
「はい」
「……どうして、そこまでして」
「あなたが、あの日の私と同じに苦しんでるように見えたから」
「…………」
そんな素振りを見せてしまっていたのだろうか。
いや、きっと彼女が特別に鋭いだけだ。
いじめられてきて、それから親が喧嘩して家を出て死んで、だから彼女は人の感情に対して人一倍敏感なのかもしれない。
「……けど、キミにとって俺は他人だろ?」
「……私は、私の目の届く範囲にいる人たちのことを他人だとは思いません」
「……傲慢だな」
「ええ。それに綺麗事だと自覚してます」
「…………」
傲慢で、綺麗事だと自覚しながらもそれを貫こうとする。彼女は未熟だ。理想を夢見がちな子供だ。だけどそれ故に、眩しく見えた。
大人になったら、社会に出たらそんなこと言えなくなる。みんな自分のことだけで手一杯で、他人のことなんて気にする余裕がなくなる。俺だって、きっとそうなってる。
「……仮に私にとってあなたが他人だったとしても、卯月にとっては違う」
「……卯月にとって?」
「私にとって卯月は大切な友達です。その卯月にとって、あなたは大切な人です。だから、私もあなたのことは大切にしたい。……それではダメですか」
そこまで言われては、もうどうしようもない。
俺も観念することにした。
「……分かった。話せる範囲で話すよ。俺も、一人で抱えるには、少ししんどかったしな」
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