3-2 身体測定とエレクチオン
八月下旬、金曜の夜だった。
「ちょっとお話が」
夕食後、卯月が改まってそんなことを言い出した。
表情は真剣そのものだった。何か大切なことを言おうとしていることを感じ取り、スマホを操作する手を止めて卯月に向き直った。
「どうした」
もしかしたら母親――伊月さんのことで何か思い出して、そのことを聞こうとしてるのかもしれない。何を言われても動じないよう、心の準備を整える。
「……言いにくいことなんだけど」
「ああ」
「……私、実はお勉強が苦手なわけで」
「見れば分かる」
「何だとこの野郎、見た目はどこからどう見ても文学少女だろうが」
卯月が不満顔になる。どこからどう見てもアホにしか見えないし、話の流れも見えなかった。
「俺に勉強教えろって言われても無理だぞ。高校のときの内容なんて覚えてない」
「誰も大輔にそんな期待はしてないよ」
鼻で笑われた。なんてムカつく奴だ。
「で、言いにくいことって?」
「えと、明日友達と期末試験前の勉強会をするんだけど、この部屋を使ってもいいかなーって」
「何人だ?」
「一人だよ。イコちゃん。分かる?」
「ああ、あの赤い髪の」
一人ならまあ、この狭い部屋でもスペース的には問題ないか。
「……やっぱダメ?」
「好きに使ってくれ。あんまり大人数だと狭いかなって思っただけだ」
「やったぜ!」
卯月がガッツポーズをとる。
「……にしても、おまえたちのグループの中で一番勉強出来なさそうな二人で集まって意味あるのか?」
「イコちゃん、ああ見えて頭いいんだよ。たしか前回の試験で学年二位とかだったかな。授業もサボるか寝てるかなのにすげーよね」
「……それは、なんというか、頼もしいな」
人は見かけによらないとはこのことか。見かけ通りに頭が悪いのも目の前にいるが。
「で、言いにくいことってのは?」
肝心のそれをまだ聞いていない。
「え? だから、友達呼んでもいいかって……」
「うん? それが言いにくいことなのか?」
「だって、ここは私の家じゃないから……」
卯月が目を伏せる。
そういうことか。普段は傍若無人に振る舞っているくせに、相変わらずよく分からないところで気を遣う奴だった。
返事に悩む。その通りだと言えば突き放してしまうように思えたし、それは違うと言うのは卯月の気持ちを無視しているような気がした。
「……ここはおまえの家だ。だから友達を呼ぶくらいのことでそんな気を遣わなくていい」
悩んだ。悩んだが、ここは自分の家じゃないなんて、そんな気持ちは無視してしまってもいいだろうという考えに至った。
「え、こんな狭い部屋が私の家っていうのはやだ」
……やっぱこいつに気を遣うのやめよう、何もかも無駄だから。
「気持ちだけもらっとくね」
卯月がはにかんだ笑みを浮かべる。殴りたい、この笑顔。
「うるせぇ、俺の気持ちを返せ」
「やだ。もうもらったもんね」
これ以上は何を言っても不毛に感じ、ため息をつく。
なんていうか、こう、もう少し可愛げみたいなものがあってもいいんじゃないだろうか、俺の従姉妹は。
「……風呂入ってくる」
俺が立ち上がると、卯月が背中に引っ付いてきた。
「怒った?」
「呆れただけだ。邪魔だから離れろ」
「やだ、おんぶして」
意味が分からない。
「なんでだよ」
「いいこと言ってくれたお礼におっぱい当ててあげようかなって」
「ないものは当たらないだろ」
「あるわ!? ちょっとはあるわ!? 泣くぞ!?」
しまった、ちょっと苛立ってたせいでストレートに言い過ぎた。
「そ、そうだな、ちょっとはあるもんな。すまん、今のは俺が悪かった」
「許せねぇよ……いいか、動くなよ、この野郎……」
何を考えたのか、卯月がより体を密着させてくる。
「何してんの、おまえ」
「あ、あ、ああ、当ててんだよぉ! 分かるだろ!? 背中に感じるだろ、二つのたわわな感触を!?」
お互い服を着ているせいもあるのだろうが、全く何も感じなかった。どうしようこれ、なんて言うのが正解だ?
「あー、すげーあたってるわ」
「……嘘だね。本当だったらもっと童貞くさいリアクションするはずだし」
はっ倒すぞ、この野郎。
「ちょっと待ってて、今ブラ外すから」
「おまえがちょっと待て、バカ野郎」
度を過ぎたことをしようとしたため、卯月の頭を握り潰す勢いで掴んで止めた。
「ひぎぃぃぃ!? 頭割れる!! 割れちゃうのぉ!!」
「おまえ何しようとしてんだ」
「ブラ外した方が感触伝わりやすいかなって」
「何でそれを俺に伝えたいんだよ……」
「おまえがよぉ! 私に乳がないってバカにすっからだろぉ!?」
涙目だった。たしかにその件については俺も少し、いや、かなり悪かったと反省する。
「悪かった。でもバカにしたつもりはないんだ。ほら、みんな違ってみんないいって言うだろ?」
「余計バカにされてる気がすんだけどぉ!? どうせ男とか乳のある女にはこの気持ちは分からねぇよぉ! 私の味方は優ちゃんだけだよぉ!」
こいつが優ちゃんのことをやたら好きなのってそういう意味もあるのか……。
「とりあえず冷静になろうな。メチャクチャ恥ずかしいことしようとしてるって分かってるか?」
「うぅ……それはそう……」
良かった、平静を取り戻してくれたようだ。
「でもこのままじゃ収まりがつかねぇよぉ! どうにかしておまえに私にも乳があることを分からせてやりてぇよぉ!」
魂の叫びだった。
ご近所さんに聞こえてたらどうしよう。
「……分かった、今からおまえの身体測定をしてやる。偶然にもこんなものがある」
小物入れからメジャーを取り出す。引越しの時に家電のサイズを測るために使ったものだ。
「これでおまえにも胸があることを証明しよう」
我ながら正気を疑う発言だった。
最近、卯月のアホが俺にも伝染してきている気がする。
このことを優ちゃんにでも言いふらされたらどうする? 社会的に死ぬぞ?
「天才かよ……」
だが、こいつはアホなので、俺のアホみたいな提案に目をキラキラとさせながら感心していた。
「秘密の身体測定だ。このことは誰にも言うなよ」
卯月が友達に言いふらされないようにし、俺が社会的に死ぬリスクをなくするための言葉だったが、余計に変態くさくなってしまった。
「成人男性が女子高生の胸囲を測ったって知れ渡ったらやばいもんね……私も路頭に迷いたくないから内緒にするよ……」
それが分からないほどアホではなかったらしい。
そうだ、俺が社会的に死ねばこいつも路頭に迷うのだ。一蓮托生というやつだ。
「ぬ、脱いだほうがいい?」
卯月が上着に手をかけたので、慌てて止める。
「脱がんでいい! 着てた方がかさ増しできて、ちょっとお得だろ!?」
「あ、そっかぁ」
あっさり納得した。やっぱりアホだ、こいつ。
今まさに胸囲を測ろうとしている俺もアホだが。
どうしてこうなった。
「……測るぞ」
卯月が両腕を水平に伸ばす。
背中に手を回し、正面へとメジャーを引いていく。
当然ながら正確な測り方など知らないので、測る場所は勘だ。目算で一番高いところを測る。というか、こうやって真っ正面から見ている時点で胸があることは確認できているので、果たしてこの行為に意味はあるのかと疑問を抱く。
手が卯月の胸に触れないように、細心の注意を払う。俺は何をやっているんだ。こんなところを誰かに見られたら言い逃れができない。お医者さんごっことでも言えば許されるだろうか。否、許されるわけがない。
「な、七十六センチだ。やったな、おまえの胸の存在が確認できたぞ」
「マジ!? めっちゃ成長してるじゃん!?」
おそらく下着の詰め物の分で増えてるのだろうが、無邪気に喜んでるので黙っていることにした。
「ちょっとアンダーも測ってみてよ」
アンダー……?
尻のことだろうか。
そのままメジャーを尻に回すと、何故か頭を引っ叩かれた。
「誰がケツを測れって言った!? おまえの趣味か!? ケツフェチなのか!? それとも暗におまえって胸がない割にケツはでかいよなって言ってんのか!? ブン殴るぞ!?」
もう殴られている。
「いや、アンダーって言うからこっちかなと……」
「あっ……かっこ察しかっことじ……もしかしてアンダーバストってご存知ない?」
心底バカにしたような目だった。
こ、こいつ、下手に出てればいい気になりやがって……。
「……これで満足しただろ。もう俺は知らん。変なことやらせやがって」
「身体測定は大輔の案じゃん」
うるせぇ。何も言い返せねぇ。
「でも、ドキドキだったね」
卯月が照れ臭そうに笑う。
「悪い意味でな」
「またまたぁ。現役じぇいけーの胸囲を測れるなんてラッキーじゃん?」
相手がおまえじゃなければなと喉まで出たが我慢した。不用意な発言は自分の首を絞めると学習したからだ。
「お返しに大輔のちんちんのサイズも測ったげよーか?」
卯月のこの発言はただの冗談だと理解している。
だが、やられっぱなしも癪だ。やり返すならここだと俺の直感が告げていた。
「あー、そういや最近測ってなかったな。じゃあ、お言葉に甘えてお願いしてもいいか? 自分でやったら正確に測るの難しいんだよ」
本当は測ったことなどないが、測ることがまるで普通であるかのように印象付けるため
「え? ……は!? じょ、冗談だったんだけど!? え!? 冗談だよね!?」
「大マジだ」
腰のベルトに手をかける。
「ぎゃー!? おまわりさん、おまわりさーん!?」
「何を慌ててる? 測ってくれるんだろ?」
「何のために測るんだよ!? 測る意味が分からないんだけど!?」
それは俺にも分からない。
「はは、今は分からなくても仕方ないさ。おまえも大人になれば分かるよ」
それっぽいことを言って笑って誤魔化して、ベルトを外す。
「おぎゃー!? だ、騙されん! 騙されんぞ!? どうせハッタリなんでしょ!? そうじゃないなら、ちんちんの大きさを測る明確な意味を教えてよ!?」
「……コンドームにもサイズがある。そういうことだ」
苦し紛れの思いつきだったが、思いのほか信憑性が高いなと自分でも思った。ちなみにコンドームにサイズがあるのかは知らない。
「お、お、おまえ!? じゃ、じゃあそれはつまり、エ、
「その通りだ。じゃなきゃ意味がないだろ」
自分で始めておいて何だが、この話の着地点が見えない……。俺はこれからどうすればいいんだろうか。やはり卯月のアホが伝染してしまっている……。
「はい! 名探偵の卯月ちゃんは気がつきました!」
「何に」
「大輔、使う相手いないじゃん。つまりこれはハッタリだね」
メチャクチャ痛いところを突かれた。
「将来使うかもしれないだろ!? 俺に一生相手がいないって決めつけるなよ!?」
「いないよ。この田舎だと出会いもなさそうだし」
そこまで断言されるとムカつくを通り越して悲しくなってくる。
「……ずっとこの町にいる気はないし、この町でもないことはないだろ」
「部下に手を出すとか? お店に可愛いお姉ちゃんいたもんね」
「それはない」
職場恋愛は何かと面倒だし、そもそも赤坂は既に相手がいるので論外だ。
冷静に考えると、職場恋愛は絶対したくない俺に今後出会いはあるのだろうか。そもそも相手が欲しいとも思っていないので、それはそれで構わないが。
「ふーん、そっか、そうなんだ、そうだよね」
卯月は納得したように、あるいは満足したように微笑んで、うんうんと頷いた。
何かもう、やり返そうっていうこと自体がアホらしく思えてきた。こいつと同じ土俵に上がった時点で、それはもう負けなのだ。
「……もういいや。分かってると思うけど、全部冗談だからな」
「うん。でも優ちゃんには
「マジでやめてくれ」
こうして今日もまた卯月との下らない一日が終わっていく。下らないと思う一方で、それを楽しいと思う自分もいた。こんな日々がずっと続いていけばいい。
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