第三部

3-1 悪魔の証明

 少しだけ月日が流れ、八月も半ばになり卯月の夏休みが終わった。

 炊飯器など必要なものを買い揃え、卯月の料理のレパートリーも少しだけ増えた。と言っても工程がカレーとほぼ同じな肉じゃがとシチューだが。


「おまえ本当に高校生だったんだな」


 朝食を終えて高校の制服に着替えた卯月を見て、思わずそんな感想が漏れた。


「朝から失礼な野郎だな。ふふん、どうよ卯月ちゃんの制服姿は? 萌える?」


「大きくなったんだなぁと感動はした」


「孫を見守るお爺ちゃん目線じゃん…… 。ま、いいや、いってきまーす」


「気をつけてな」


 家を出る卯月を見送って、俺も仕事に出る支度を整えた。

 同居生活が始まってから二週間と少し。二人で過ごす日々が日常になりつつあった。

 この調子であと一年半、卯月が高校を卒業するまでの間、何事もなく無事に過ごせればいい。




◇◆◇




 仕事を終え、尿意を催したままに帰宅した俺は直行でトイレに駆け込んだ。

 トイレのドアを開くと、下を脱いだ状態で便座に座る卯月とご対面をした。


「おぎゃーーーっ!?」


 卯月が涙目で悲鳴をあげ、トイレのドアを思いっきり閉める。


「おまえふざけんなよ!? 何いきなり盛大に開け放ってくれちゃってるわけ!? 変態!? 変態なの!?」


 ドア越しに非難の声を飛ばしてくる。


「いや、鍵くらいかけとけよ!? 俺も不注意だったかもしれないけど!」


「家に一人でいるときに鍵なんかかけねぇーよ!」


「今度からかけとけ!」


 水を流す音が聞こえてきて、卯月がトイレから出てくる。何か言いたげだったが、俺の尿意も限界だったため入れ替わりでトイレに駆け込んだ。


「って、ちょ!? そ、そんなすぐに入らないでよ!? におってたらどうする!? それともそういう趣味なの!? 卯月ちゃんのおしっこの匂いたまんねぇーって思ってるの!?」


 そんな発想が出てくるのが恐ろしすぎる。


「別に臭ってないし、そんな特殊性癖は持ち合わせていないから安心しろ」


「陰部を見られるわ、おしっこの匂いを嗅がれるわ……もうお嫁に行けねぇよぉ……」


「見てないし嗅いでないから、安心してとついでいいぞ」


 用を足してトイレから出ると、何故か卯月がもじもじと恥じらっていた。


「じゃ、じゃあ……責任とって、大輔がもらってよ」


「何の責任もないから断る」


「あんだろぉ!? お年頃の女の子のあそこを見て、何の責任もないわけねぇだろぉがよぉ!?」


「マジで見てねぇんだよ! 変態じゃあるまいし、あの一瞬でそんなマジマジとおまえの下半身を観察するか!」


「でも女子高生が入ってるトイレのドアを開けた時点で変態だと思うんだよね。確定で」


 そこを突かれると致命傷である。


「……落ち着け、それはおまえがトイレに入っていると分かっているのに開けた場合だろ? 今回のは事故だ」


「証拠は?」


「……しょ、証拠とは?」


「私がトイレに入ってることを知らなかったって証拠はあるんですかー!?」


 こいつ、悪魔の証明を要求してきやがった!

 そんな証拠など出せるはずがない。


「……分かった、トイレのドアを開けてしまったことは俺が悪かった。すまん」


「じゃあ変態であることを認めるんだな!? 私のおしっこの匂いを嗅いで興奮していたと白状するんだな!?」


 嗅いでないし興奮していないし、それは認めない。


「それは否定する。うっかりトイレは開けたが、俺は変態じゃないから、おまえの下半身はマジで見ていない」


「はー!? 証拠はあるんですかー!?」


「……証拠は、俺には今おまえが穿いている下着の色が分からないことだ。何なら今、おまえの下着の色を言ってみてもいい。外れると思うから」


 我ながら苦し紛れ過ぎた。

 こんなもの適当な色を言えば外れる可能性の方が高いし、そもそも証明になっていない。


「たしかにそうだね……じゃあ言ってみてよ」


 だが卯月はアホだった。

 初めてこいつがアホで良かったと思うと同時に、こいつの将来が不安になった。

 ていうか、俺は何をしているんだ。相手のパンツの色を言うなんて、それこそ変態の所業である。しかし、やむを得まい。


 ありがちな白とかピンクはリスキーだ。

 絶対に当たらないであろうキャラクター物でも言ってみるか? いや、それはあまりに不自然過ぎて、いかにこいつがアホとはいえ、話の流れがおかしいことに気がつく可能性がある。


 ここは黒でいこう。

 このアホがそんな大人っぽい色を持っているはずがない。


「ずばり……黒だ。どうだ?」


 俺がそう言うと、卯月の顔が一気に赤くなった。


「……やっぱり、見てたんじゃん」


 顔を背けて、何やらごにょごにょと言っている。


「は?」


「……黒、なんだけど……今穿いてるの」


「はーーーっっっ!?」


 そ、そんなバカな。

 外そうとして、ずばり言い当ててしまった。何がずばり……黒だ、だよ。メチャクチャ変態っぽいじゃねぇか。


 い、いや、まだこいつが嘘をついているという可能性もある。本当は黒じゃないのに、俺を動揺させようと嘘を言っているに違いない。


 しかしそれを確認する術は俺にはない。

 証拠に今穿いているパンツを見せろなどと言った日には本物の変態である。


「な、なんで黒なんだ?」


 混乱のあまり、訳の分からない質問をしてしまっていた。


「私が黒を穿いてたら何か問題でもあるんか!? この変態野郎が!」


「うぐっ……」


 変態呼ばわりはムカつくが、何も言い返せない。

 この状況だけ見れば俺は変態に違いないのだ。


「お、おまえが今本当に黒を穿いているという証拠はあるのか?」


 証拠を出せとまでは言えないので、これが精一杯だった。こう言えば卯月も証拠は出せない。せめてもの相打ち狙いである。


「……み、見せろってこと?」


 流石の卯月も引いていた。


「そうは言っていない。でも、おまえだって証拠は出せないだろ」


「だ、出せらぁ!」


 俺の言葉を煽りと受け取ったのか、卯月が勢いでスカートをたくし上げようとしたので、慌ててその手を掴む。


「出さんでいい!」


「証拠を求めてきたのはおまえだろぉ!? そこまで言うなら出してやんよぉ!」


「恥じらいとかないのか、おまえには!」


「は、恥ずかしいに決まってんじゃん!? でもゆっくりスカートたくし上げた方が何かえっちぃじゃん!?」


「わ、分かった、俺が悪かったから! もう俺が変態でいいから! だからやめろ! な!?」


「やだ。見せる。何そのハイハイ俺が悪かったですよみたいなの。納得いかない」


 意地を張るポイントが絶対おかしい。

 何だこいつは。やはり頭がおかしいのか? それとも俺にパンツを見せたくて仕方がないのか?


「一回冷静になろう、な? おまえ、おかしいこと言ってるからな? そうだ、第三者の意見を取り入れよう。友達に聞いてるといい。絶対やめろって言われるから。な?」


 俺も俺で錯乱しておかしいことを言っている。

 この経緯を卯月の友達に説明しようものなら、間違いなく炎上する。


「分かった、優ちゃんに聞いてみる」


 卯月がスマホを取り出し操作する。


「いや、やっぱ今のなしだ。それもおかしい」


「もう電話繋がっちゃった。もしもしポリスメン?」


 電話出るの早すぎるよ優ちゃん。ポリスメンって何だ。洒落にならない。


「大輔がパンツ見せろって言うんだけど、どうしたらいいかな?」


「言ってねぇぇぇっっっ!」


「優ちゃんが電話代われって」


 胃が痛い。

 恐る恐る卯月からスマホを受け取り、電話を代わる。


「言ってないからな!?」


『……まず、経緯の説明をお願いします』


 冷ややかな声だった。絶対誤解してる。

 かいつまんで、事の経緯を優ちゃんに話した。


『……そうですね、大輔さんが悪いかと』


 俺が説明を終えると、優ちゃんが先ほど同様に冷ややかな声でそう言った。

 予想はしていたが、優ちゃんは俺の味方にはなってくれないようだ。


「ト、トイレを開けたのは事故なんだよ。いや、それでも悪いことしたとは思うけどさ……」


『だとしても、そこから見てない証拠にパンツの色を言うという流れが不可解です。変態的かと』


 グサッ!


『その後に、下着が黒という証拠はあるのか、証拠は出せないだろという流れで手打ちに持っていこうとしたのも卑劣かと』


 グサグサッ!

 滅多刺しだった。しかし全部その通りなので、返す言葉もなかった。


「……俺が悪かったです、すみませんでした」


 これ以上何を言っても不利になるだけな気がしたので、素直に謝罪をした。


『あなたがそんなことを言ったら、卯月なら下着を見せようとするであろうことくらい予測してください』


「はい……分かりました……」


 内心ではそんなもん予測できるかチクショウと思いながらも、頷いておいた。しかも何故か敬語になってしまっていた。何だか上司に説教をされているときに似ている。


『……本当に分かってますか?』


 この詰め方、すごい上司チック。

 この子は将来きっとキャリアウーマンになること間違いなしである。


「わ、分かってます、今後気をつけます」


『なら、いいです。……相手が大輔さんだからなんですよ、卯月がそんなことまでしようとしたのは』


 言葉の意味が理解できなかった。


「……それはどういう意味でしょうか」


『……すみません、今のは分からなくていいです。口が滑りました。卯月に代わってください』


 分からず終いだったが、言われた通りに卯月に電話を戻した。

 それから卯月は優ちゃんと少しだけ話をして電話を切った。


「優ちゃん、パンツ見せなくてもいいってさ!」


 このアホは優ちゃんの言葉は素直に聞き入れるようだった。

 その分かりきった結論を得るために、俺の心は滅多刺しにされたのである。いや、今回の件に関しては大部分俺が悪いので、仕方のないことではあるのだが。


 こうして俺は心の傷と引き換えに、卯月のパンツを見ずに済んだのだった。

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