2-7 託されたもの
卯月が家に来てからは初めて仕事で家を空ける日だった。
「とりあえずこれで昼飯と晩飯はどうにかしてくれ。帰りは多分九時過ぎにはなるから」
二千円を卯月に手渡す。これだけあれば足りるだろう。
「朝は九時前に出て、夜は九時過ぎに帰ってくるの?」
「ああ、それがどうかしたか」
「……社畜?」
これくらいは普通だと思うが。
「おまえもいずれそうなるからな」
「やだなぁ。一生働かないで生きていきたいよ」
できることなら俺だってそうしたい。
「昨日寝る前にも言ったけど、夕方になったら叔父さんがおまえを迎えに来るからな」
「……うん」
昨日の夜、卯月のスマホ契約のことで叔父さんから返事が来た。出来るだけ早い方がいいだろうと、今日都合を付けてくれたらしい。
卯月は叔父さんに自分は放棄されたと言っていたが、本当にそうなのだろうか。……家を出された時点で当人からしてみればそう考えても仕方ないだろうが、本当に卯月のことをどうでもいいと思っているのなら、今回の件だってもっと後回しにされていたはずだ。
けれど、当の卯月が父親から見捨てられてると考えてる以上、この件に関して他人の俺がどうこう考えても仕方のないことではある。
「顔合わせんの嫌だろ。……大丈夫か?」
「スマホのためを思えば余裕だよ」
強がりなのか本心なのか、卯月はそう言って笑ってみせた。
「そうか。じゃあ行ってくる」
「うん、いってらっしゃい」
誰かに見送られて仕事に出るのは初めてのことで、何だか照れ臭かった。
◇◆◇
仕事はいつも通りに暇だった。
昼を過ぎたが何も売れていない。契約の変更業務や、問い合わせが何件か。平日なんてこんなものだ。いや、これがいつも通りなのは非常にまずいことではあるのだが。
「店長ー、暇っすー」
入社三ヶ月目の新人までボヤく有様だった。
赤坂あかり。前職はアパレルだったらしく口は良く回るが、致命的にサボり癖のある奴だった。
「暇だなぁ。勉強でもするかぁ」
「え、それは嫌です」
「もうすぐおまえの誤案内が原因によるクレームのお客坂が来店される」
嘘だが。
「あたし裏で勉強してきますねー! お客様には赤坂は今日は休みって言っといてくださーい!」
「後で何の勉強したかきっちり確認するからサボるなよ」
「分かってますってー」
それから数十分後、年配の男性客が肩を怒らせながらズカズカと店に入ってきた。ああ、やべぇやつだなこれ。
「赤坂って人いる?」
あからさまに怒っていらっしゃる。あいつ何かやらかしたな。後でしばく。
「申し訳ありません。赤坂はただいま席を外しております。お客様、いかがなさいましたか?」
「聞いてた料金と全然違う請求が来てるんだけど」
「……申し訳ありません。店長の甲賀と申します。私が責任を持ってご対応致します。恐れ入りますが、先日赤坂がお渡しした見積書はお持ちでしょうか?」
「そんなもん持ってきてないよ。そっちで調べてよ」
料金クレームを言うならそれくらい持ってこいよとも思うが、こちらに落ち度があるのであればひとまずはその要望を飲むしかない。
「かしこまりました。確認に少々お時間をいただきます。お客様のご契約状況から確認を致しますので、こちらにお客様のご情報のご記入をお願い致します」
お客様は渋々といった様子でペンを取った。
業務用の端末から顧客情報を照会する。
一ヶ月前に機種変。前回利用機種はガラケー。データは無制限プラン。あいつやりやがった。ガラケーからの機種変更の場合には低価格、データ低容量の専用プランがある。完全に誤登録だった。
「……確認が取れました。おそらくですが、当初赤坂がお客様にご案内差し上げていた料金は――」
最初に案内していた料金プランの確認、高額請求になってしまった原因の説明とお詫び、こちらでプランの修正と多く金額をいただいてしまった金額分を返金調整する旨をお伝えしてご納得いただいた。
「ありがとなぁ、兄ちゃん。もう解約してやるつもりだったけど、兄ちゃんの対応が気に入ったから今度は兄ちゃん指名で来るよ。名刺ちょうだいよ」
「勿体ないお言葉です。この度はご迷惑をおかけし、誠に申し訳ありませんでした」
名刺をお渡しし、お客様が退店されるまで深々と頭を下げて見送った。
背中に視線を感じ振り返ると、赤坂が裏口のドアから顔だけ出してこちらを見ていた。
「さすが店長っす。リスペクトっす」
この女、殴っても許されないだろうか。
「話は聞いてたか?」
「……はい、すみませんでした」
俺に対して少しは申し訳ない気持ちもあるのか、珍しくしおらしくなっていた。
「今回は誤登録が原因だ。誰かに登録のチェックはしてもらったか?」
「あのときはたしか、皆さん忙しそうにしてたから……」
「それでもチェックはしてもらえ。他の奴に聞きにくかったら俺のとこに来てもいいから。対応しててもそれくらいはできる」
「……はい、分かりました」
「赤坂はまだ三ヶ月目だ。ミスはしてもいい。いや、良くはないけど、したことは仕方ない。でも同じミスはしないこと。分かったな」
「……ありがとうございます。店長って優しいっすよね」
それはどうだろう。ただ単に甘いだけなのかもしれない。俺が新人のときはミスしたらもっと厳しく叱責されたものだった。当時はしんどい思いもしたが、それがあるからこその今なわけで、時には厳しく叱ることも優しさなのかもしれないとも思う。
◇◆◇
夕方を過ぎたころ、叔父さんからこれから向かうと連絡があり、程なくして二人は店に来た。
「いらっしゃいませ。ご無沙汰しています」
叔父さんに頭を下げる。
年齢以上に老けたな、というのが第一印象だった。
卯月は父親といることが嫌なのか気まずいのか、仏頂面で横を向いていた。
「……立派になったね、大輔くん。今日はよろしく頼むよ」
「……いえ。お忙しい中お時間を割いていただき、ありがとうございます。でも、うちで良かったんですか? 卯月から聞きましたけど、叔父さんが使ってる携帯会社は別のところなんでしょう? 家族で同じ会社にまとめた方が安いですよ」
「……こんなのと家族じゃない」
卯月が横を向いたまま、ぽつりと呟く。
空気が重い。重すぎる。
「い、いや、君には迷惑をかけているからね。せめてものと言うのもアレだが、これも成績になるんだろう?」
叔父さんが引きつった笑みを浮かべながら言う。
正直言って、このクソ暇な平日に新規が一本出ると助かるのは事実だ。
「で、ではご厚意に甘えさせていただきます。機種は何にしましょうか?」
「卯月に任せるよ。……私は必要なときだけ書類にサインをするから、あとは二人で決めてもらってもいいかな?」
「分かりました」
叔父さんが空いている席へと腰をかける。
さて、どうしたもんか。このまま俺が案内してもいいんだが、新人に経験を積ませたいのもある。身内が相手なら失注のリスクもないし。
「案内する奴呼んでくるから待ってろ」
「え? 大輔が選んでくれるんじゃないの?」
「あのカウンターの中で暇そうにしてる奴に変わる」
「やだ、なんかあの人陽キャっぽい。怖い」
コミュ障全開だった。
こいつ、俺や友達に対しては普通に話すのに、知らない人間が相手だと途端にダメになるんだな。
「……大輔がいい」
不安そうな目をしていた。
考えてみれば、嫌いな父親と一緒にいて疲弊しただろうから、この場では少し甘えさせてやっても良いのかもしれない。
「分かったよ。お客様、ご希望の機種は?」
「一番いいのを頼む」
こいつ、いつも微妙に古いネットスラングを使うんだよな……本当に高校生か……?
「じゃあ、この機種の1
「これ買う人って、そんなに何を保存すんの? ハメ撮り?」
せめて普通に動画と言え。
「さぁな。買った奴は未だに見たことがないし、在庫もない」
「在庫ないんじゃダメじゃん。ねね、店員さんのおすすめは?」
「おまえ元々使ってた機種は?」
「あいぽんの12」
いい機種使ってやがる。割と金に余裕がある家なのだろう。
「写真は撮るか?」
「んー、ゲームのスクショしか撮らないかな」
ガチ陰キャだった。
「それなら――」
一つ一つ利用環境をヒアリングし、機種を選定していく。父親の隣にいた先ほどまでとは打って変わり、卯月は楽しそうにしていた。俺は多少なりともこいつの心の拠り所になれているのだろうか。だったら、いいなと思う。
機種が決まり、それから叔父さんを交えて契約内容を煮詰めていく。契約名義は卯月に、支払いは父親のクレカに。契約プランも決めて、登録業務からは経験を積ませるため赤坂に変わり、俺は少し離れた席で事務作業をすることにした。
「こんにちはー、赤坂と申しまーす。お二人は店長の家族ですか? 妹さん?」
「彼女です」
卯月がしれっと答える。
あのアホ、このパソコン投げつけてやろうか。
しかしまあ、赤坂も叔父さんもあんな分かりやすい嘘を信じるほどアホではないだろう。
「彼女!? 店長の!?」
「彼女!? 大輔くんの!?」
二人ともアホだった。
「ええ、毎晩一緒の布団で寝ています」
それは事実だが、とても語弊がある。
「て、てんちょー! け、警察! 警察を呼んでください! いんこー! いんこーが発生しています!」
テンパった赤坂が奇声をあげる。
それ警察呼んだら、逮捕されるの俺なんじゃねぇかな。いや百パーセント無実なんだけど。
店内に他の客がいなくて助かった。いや助かってない。誤解を解くために現場に急行する。
「こいつはただの従姉妹だ!」
「怒鳴るところが怪しー。店長、私が仕事でミスしたときもそんなに怒鳴らないじゃないっすか」
赤坂が白い目を向けてくる。この野郎、クレームを処理してやった恩をもう忘れてやがる。いや、今はこの恩知らずのことはどうでもいい。
「叔父さんも! こんなの信じないでくださいよ!」
「いやぁ、でも大輔くんになら娘を任せられるよ」
何言ってんだこのハゲ。むしるぞ。
「やったじゃん。親公認だよ大輔」
頭が痛い。この場には俺以外アホしかいないのか?
「……とにかく、契約を進めろ。赤坂、おまえただでさえ登録遅いんだから、無駄口を叩くんじゃない」
「彼女ちゃーん、彼氏さんがパワハラしてくるよぉー」
赤坂がヨヨヨと卯月に泣きつく。
これ以上この茶番に付き合っていられるか。席に戻り、作業を再開した。
およそ一時間後、契約業務は無事に終了し、卯月はスマホを手に入れた。
「さて、これで私は用済みかな。……卯月、大輔くんの家まで送ろうか?」
「いらない。自分で帰る」
父娘のコミュニケーション、終了。
娘に拒絶されてトボトボと退店する叔父さんに店外までついて行き、お見送りをする。
「……改めてだが、卯月を頼むよ、大輔くん」
叔父さんが力なく笑う。
「はい。……あの、一つだけ、よろしいですか」
「何だい?」
「……卯月の母親のこと、伊月さんのことで……」
「…………」
「……俺を恨んでませんか」
それだけが気がかりだった。
恨んでいないわけがない。分かっていても聞かずにはいられなかった。どんな答えが返ってきても、俺にはそれを受け止める責任があるのだから。
「あれは、事故だった。仕方のないことだった」
そう呟いた叔父さんは、ひどく辛そうな顔をしていた。
卯月は、もう叔父さんが伊月さんのことを忘れてしまっていると言っていた。忘れているわけがない。こんな表情をする人が、伊月さんを、卯月をどうでもいいだなんて思っているはずがない。
「……すみませんでした。俺が……」
「大輔くん。そのことで自分を責めるのはやめなさい。……伊月は、君のことを守ったんだろう?」
「……はい」
「そんな君が、今は卯月のことを守ってくれている。それにはきっと意味がある」
「……意味、ですか」
「伊月はきっと、卯月にとっていつか君が必要になると思って君のことを守ったんじゃないかな」
……そうなのだろうか。
あんな咄嗟の間に?
そんなことはありえないと思う。
「……事実はどうあれ、そう考えることで少しは救われるだろう? 君も、私も」
「……そう、かもしれませんね」
「私はどうしようもない父親だ。伊月を失ってから、仕事に逃げてまともに卯月と向き合おうとしてこなかった。……そんな私がこんなことを言う資格はないのかもしれないが……どうか私の代わりに卯月を守ってやってほしい」
「……分かりました」
改めて叔父さんに頭を下げ、それから叔父さんの車が見えなくなるまでそのまま頭を下げ続けた。
託されたものは、きっと重い。
伊月さんを死なせてしまった責任と同じか、それ以上に。
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