2-6 二人の時間
卯月が作ったカレーは意外にも普通に美味かった。こいつのことだから余計な隠し味を入れるかと心配したが、杞憂だったようだ。
余ったカレーはタッパーに移して冷蔵庫に入れ、それから食器を洗う。
「そんなの私がやるのに」
背中越しに不服そうな声が聞こえてくる。
「飯作ってくれたろ。役割分担だ」
「い、居候としての面目が……」
こいつがそんな気を遣おうとしてくるなんて少し意外だった。
「そんなこと気にしなくていい。今日は疲れたろ、休んでろ」
「……うん、ありがと」
そうは言うものの、卯月は俺の後ろから一向に動こうとはしなかった。
「昔ね、よくこうやってお母さんが洗い物してる後ろにくっついてた気がする」
「……そうか」
鍋にこびりついたカレーと格闘しながら卯月の話を聞く。
「……ちょっと抱きついてみてもいい?」
「邪魔だからやめてくれ」
「じゃあ、洗い物終わるまでずっとちんちんの歌を歌ってるね」
「何がじゃあなのか分からんけど、おまえの小遣いが消えるだけだぞ」
「そうだったぁぁぁ!」
やはりこいつはアホなのかもしれない。
「ひどいよ大輔……それは魂の殺人だよ……」
おまえの魂はちんちんの歌なのか……。
「えい」
魂を殺された腹いせなのか、問答無用で抱きついてきた。振り払うのも面倒なので好きにさせてやることにする。
「ありがとね」
「何が」
「あんな態度しちゃったのに、私のこと見捨てないでくれた」
「……当たり前だろ。別に礼を言われるようなことじゃない」
「……それはやっぱり、私がお母さんの子供だから?」
返答に窮する。
それはやはり否定できない。
――でも、今だけは卯月の前では演じてください。卯月が卯月だから大切なんだっていうあなたを。
優ちゃんの言葉を思い出す。
多分それが正解なんだと思う。家から追い出されて傷心している卯月を、これ以上傷つけないための優しい嘘だ。
それでも卯月を騙すことになると思うと、少し心が痛むのを感じた。
「ごめん、困るよね。返事しなくていいよ。それに、今はそれでもいいかなって思ってるんだ」
俺の返事を待たずに、卯月が話を続けてきた。
「……それは、どうして」
「私以外にもお母さんのことを大事に思ってくれている人がいてくれて、嬉しいから」
「…………」
この感情はきっと、罪悪感だ。
つい最近まで伊月さんや卯月のことを忘れていた俺に、そんなことを言われる資格はないと思った。
「もう世界で私以外、みんなお母さんのことなんて忘れてしまっていると思ってた」
「……お父さんも、もうお母さんのこと忘れちゃってて」
「そのお母さんが産んだ私のことすらも、こうやって放棄した」
「……私、何のために生まれてきたのか分かんなくなっちゃった」
「だって、唯一私のことをちゃんと愛してくれていたお母さんが、もういないんだもん」
「……だけどね、大輔は今でもお母さんのことを大切に思ってくれていたから」
「……そういう人がいるなら、私、生まれてきても良かったんだって思えて」
淡々としていた卯月の声が徐々に震えていく。
「……なんかさ、許されたような、気がして」
「ごめんね、何言ってるかわかんないよね……自分でも分かんないや……」
洗い物をしながら、ずっと黙って卯月の言葉を聞いていた。水を止め、振り返ろうとするが卯月にがっちりホールドされていて身動きが取れなかった。
「……私が泣き止むまで、このままでいてくれる?」
「……ああ」
きっと泣き顔を見られたくないのだろう。
つくづく似た者同士だ、俺とこいつは。
「……大輔」
「どうした」
「……頭、撫でて」
「それはちょっと、振り返らないと無理だ」
「やだ。気合いで撫でて」
「肩が外れる」
「……じゃあ、電気消して。今の顔、絶対ぐちゃぐちゃだから見られたくないもん」
「分かったよ。しょうがない奴だな」
卯月を背中に貼り付けたまま照明のリモコンを置いてあるベッドまで移動し、消灯する。
「……見えてない? 大丈夫?」
「ああ、顔は見えてないから安心しろ」
「……うん、じゃあこっち」
ぐいっと引っ張られ、ベッドに座らせられる。それから俺の右隣に卯月がちょこんと腰をかけた。
「それでは思う存分どうぞ」
肩に重みを感じた。頭を乗っけてきたのだろう。
「その言い方だと、俺がおまえのことを撫でたいみたいに聞こえるだろ」
「いーじゃん。別に誰が聞いてるわけでもないし」
「……まあ、そうだけどな」
「大輔は私のこと撫でるの、嫌い?」
「それについて好きとか嫌いとかで考えたことがない」
言いながら、ゆっくりと優しく頭を撫でてやった。
さらさらとした髪の感触が心地いい。
……撫でることが好きか嫌いかで言えば、好きなんだろうなと思う。
「……私は好きだよ。撫でられるの」
「……それは知ってる」
「すごく落ち着くし、気持ちよくて……眠たくなってきちゃう」
「寝たかったら寝てもいいぞ」
「……んー、それは、なんか勿体ないかも」
そんなことを言っていたが、ものの数分で寝息を立て始めた。今日一日疲れただろうし、仕方がないだろう。
それから卯月が目を覚ますまでの約一時間、すっと優しく頭を撫で続けてやった。
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