2-4 えぐるようにして卯月にチュー

「……そろそろ時間なので、私は一度失礼します」


「家まで送るよ」


「いえ、まだ帰りませんので。時間っていうのは」


 優ちゃんがそこまで言ったところで店の入り口が開き、見覚えのある顔が入ってきた。卯月だった。目が合う。


「ぎゃぁぁぁぁっ!」


 卯月は化け物を見たかのような悲鳴をあげ、慌てて外へと駆け出していった。


「家にいる兄に連絡して、卯月を呼んでおいたんです。ちょっと待っててください」


 あの反応を見るに、俺がいることは黙っていたのだろう。


 優ちゃんがゆっくりと歩いて、外へと出ていった。

 待つこと五分。卯月を捕獲した優ちゃんが戻ってきた。


「うう……優ちゃん、足速すぎ……」


 卯月はしくしくと泣きながら俺の前まで連行されてきた。


「卯月、私から大輔さんに話すべきことは話したわ。だから、あなたも大輔さんと二人でもう一度ちゃんと話して」


「やだ」


 優ちゃんの言葉に卯月がプイッと横を向いて反抗の意を示す。


「あなたがそんなだから、彼に子供としてしか見られないの」


「うぐっ……」


 優ちゃんの言葉がよほど効いたのか、卯月が短い呻き声をあげてその場でよろめいた。


「優ちゃんって、たまに言葉が鋭利だよね……ジャックナイフだよね……」


「それほどでもないわ」


 それだけ言って、優ちゃんは自分の分のコーヒーを持ってカウンター席へと移動していった。

 二人取り残され、気まずい空気が流れた。


「……とりあえず、座れよ」


「……ん」


 卯月は何故か対面にではなく、俺の隣に座ってきた。


「いや、何でこっちに座るんだよ!」


「だってこっちにコーヒー二つ並んでんじゃん!? 私の分かと思うじゃん!?」


「ああ、そういう……」


 それならコーヒーだけ持って対面に座ればいいのではとも思ったが、真正面から顔を合わせるよりも気楽ではある。傍から見たらどういう風に見えるのかは知らないが、気にするような相手もいないし構わないだろう。


「……ごめん」


 先に謝罪の言葉を口にしたのは卯月の方だった。


「……いや、俺の方こそ、ごめんな」


「大輔、悪くないよ。……私が勝手に期待して、勝手にがっかりしただけで……私ってメンヘラなんだよね……ごめん……」


 自虐的なことを言う卯月に対して、どんな言葉をかければいいのか分からなかった。


「……そんな風に自分を責めるな。今回のことでおまえに非はないよ」


「ないこと、ないよ」


「じゃあおまえも悪かったし、俺も悪かった」


「……違う、悪いのは私だけだ」


 変なところで意固地な奴だった。


「おまえさ、これからずっとそんなこと考えながら俺の家に住むのか? それはあまりにしんどくないか?」


「…………」


 何の反応も示さない。

 今のこいつには何を言っても届かない気がした。

 必要なのは言葉ではなく、行動だ。

 かと言って、こんな場所で何ができる。

 ちらりとカウンター席の方を見ると、卯月の友達の三人がめっちゃこっちをガン見していた。優ちゃんと目が合うと、彼女は何を思ったのかグッと親指を立ててきた。意味が分からない。さすが卯月の友達なだけはある。


「……ちょっと待っててくれ」


 一度席を外し、彼女らのところに向かう。


「調子はいかがですか、大輔さん」


 優ちゃんが無表情で訊いてくる。


「あの、あんまり見られてると気が散るんだけど」


「お困りのようですね。……藍子、紙とペンを」


「はいよ」


 話を聞け。

 優ちゃんが数枚のメモ紙に筆を走らせる。

 そしてそれを裏返して、俺に手渡してきた。


「大輔さん、これを」


「……これは?」


「お助けアイテムです。困ったらこの四枚のメモを見てください」


「今まさに困っている」


「でほ、お試しに一枚どうぞ」


 言われた通りに一番上のメモ紙を一枚裏返すと『えぐるようにして卯月にチュー』と書かれていた。


「…………」


 反応に困る。

 何、この……え、何……?

 ついさっきまであんなに真面目で、大人の風格を醸し出していた優ちゃんがこれを書いたのか?


「大輔さん。必要なのは言葉ではありません、行動です」


 奇しくも先ほどの俺の思考と同じことを言う。


「……俺がここで本当にあいつにキスしたらどう思う?」


「そうですね……軽蔑するかと」


 理不尽極まりなかった。


「じゃあこんなもん書くなよ!? こっちは今結構真剣なんだけど!?」


「失礼しました。少し肩の力が抜ければと思いまして」


 ……彼女なりに俺をリラックスさせようという試みだったらしい。

 それならそれで、有効活用してやろうかと思う。この紙自体を話のネタにすればいい。残った三枚のメモ紙を持ち、俺は卯月の元へと戻った。


「悪い、待たせた」


 隣に座り、テーブルに裏返したままのメモ紙を一枚ずつ右から順番に展開する。


「……これ、何?」


 卯月が自分の目の前に置かれた謎の紙に反応を示す。


「優ちゃんから渡された。お助けアイテムらしい」


「優ちゃんが……」


 卯月が一番右のメモ紙をめくると、そこには『トークテーマ お互いの一番好きなところ』と書かれていた。


 俺にはあの子が分からない。大人なのか子供なのか……。


「まあ、こんなもん渡されたぞってだけだ。別にこれに従って話さなくてもいい」


「……一番好きなところ」


 俺の声が聴こえているのかいないのか、卯月はじっとこちらを見つめて考え始めた。それに釣られて、俺もそのトークテーマに沿って思考を巡らせてしまう。

 ……何だか優ちゃんの手のひらの上みたいで、少し癪な気もするが。


 こいつの好きなところ。何だろうか。そもそもあるか?

 ……あるな。強いて挙げるとするならば、だが。


「……何だかんだ言いながら、私のことちゃんと構ってくれるところ」


 卯月がぽつりと呟く。

 何だこれ。面と向かって言われると、何ていうかメチャクチャ照れる。


「そうか。じゃあこれからもちゃんと構ってやる」


「……大輔の、私の好きなところは?」


 ほんの少しだけ、その目に期待の光のようなものが宿っているように見えた。


「俺はおまえの構ってちゃんなところが好きだよ。可愛い奴だと思う」


 卯月が頬を赤らめてうつむく。

 こいつのこの反応も、もう何度も見たけど。

 その度に、可愛い奴だなと思う。

 ……昨日、可愛いを連呼させられたせいで、自己暗示にかかってるだけかもしれないが。


「……そんなこと言われたら、もっと構ってちゃんになっちゃうじゃん」


「おまえがそうしたいなら、そうすればいい」


「私、自分のそういうところ、嫌いなんだよ?」


「そうか。でも俺は好きだ」


「〜〜〜〜っ……」


 卯月が声にならない声をあげ、何とも言えない空気が場を包み込んだ。

 ここだけ切り抜かれたら俺が愛の告白をしているようにも見えそうだ。


「つ、次のトークテーマを!」


 この空気に耐えきれなくなったのか、卯月が二枚目、真ん中のメモ紙をめくる。


『手を繋いで、次の一枚をめくる』


「……手」


 卯月が手を伸ばしてくる。

 少し迷ったが、その手を握った。

 空いている片手で卯月が最後のメモを表にした。


『はい、これでもう仲直り』


「うー、優ちゃんにこうまでされたら……もう仲直りするしかないじゃんねぇ……」


 卯月が照れ臭そうに笑う。

 一方で、俺は空恐ろしいものを感じた。

 あの子は、一体どこまで俺たちの行動を読んだ?

 俺か卯月がこの三枚を、この順番でめくることまで想定していたのか?


 紙をめくる順番が一つでも違っていたら、ここまでスムーズに話は進まなかったはずだ。


「……優ちゃんって、何者だ?」


「優ちゃんはねぇ、私の親友で、完璧超人」


 彼女について語る卯月は自分のことでもないのに、どこか誇らしげだった。


「そうか、完璧超人なのか。それなら納得だな。……いや、それで納得できるわけないだろ」


「んー、この紙のこと? 何で私たちがこの順番でめくるか分かったのかが不思議?」


「ああ」


「それはきっとメンタリズムだね」


 そんなバカな。

 にしても、こいつメンタリストネタ好きだな。


「そんなに気になるなら、本人に聞いてみればいいじゃん」


 卯月が立ち上がり、繋いだままだった俺の手を引いていく。


「そういえば、おまえさ」


「ん? 何?」


「変な丁寧語じゃなくなってるな」


「変なって何だ、この野郎。……言われてみれば、無意識だったかも。直した方がいい?」


「いや、そのままでいいよ」


 少しだけ、二人の距離が縮まったような気がした。

 それから優ちゃんに手品のタネについて聞くと、俺の予想外の返答をしてきた。


「ああ、メンタリズムですよ」


「ほらぁ」


 何故か卯月がドヤる。


「というのは冗談です。運が良かっただけですよ」


「優ちゃん!? 私渾身のドヤ顔しちゃったんだけど!?」


「……運が良かったで片付けるには、出来すぎている」


 俺の疑問に対して、優ちゃんは少し困ったように苦笑した。


「少し工夫はしましたけど、わざわざタネを説明するようなことじゃないですよ」


「やっぱタネあんの!? 知りたい知りたい!」


 卯月が興味津々といった様子で食いついた。


「ええと……メンタリズムとまでは言わないけど、心理学のちょっとした応用。大輔さんは三枚持って行って、上から順番に卯月の前に置いたでしょう? あれを使って卯月の反応を得たいのなら、自分では紙をめくらずに、卯月の目の前に置くはずだから」


 うんうんと卯月が頷く。

 そこまで人の行動を読めるのは、心理学ってだけじゃない気もするが。彼女の観察眼によるところが大きい気がする。


「あとは簡単。人間、自分の目の前にいくつか選択肢を置かれたら、右から選んでいく確率が高いから。卯月は右利きだから、なおのこと。心理学的にこれを何効果っていうのかは忘れたけど」


「でも、こいつが絶対右を選ぶって保証はないだろ? こいつバカだから突飛なことするし」


「ねぇ、本人目の前にして、どストレートな悪口やめて?」


「最初に左さえ選ばれなければいいんですよ。左は利き手から一番遠いから、まず選ばないでしょう? 一番スムーズなのは右から順番にいくことですけど、別に最初が真ん中でも着地は同じです」


 そういうもの……か?


「俺が君の思う通りの順番で紙を置かない可能性は?」


 例えば上から順場に置いていくのではなく、下から順番にとか、そもそも紙を左側から並べていく可能性だってあったはずだ。


「あなたは律儀で、真面目そうですから。そういう人がわざわざ下の紙から選ぶことはしないでしょう。それに加えて卯月はあなたの右側に座っていましたから、目の前に紙を並べるとしたら、卯月のいる右側から、自分の座っている左側へと順番に置いていくのが自然です」


 自然……自然なのか……?

 それも心理学的な知見によるものなのか、感覚的なものなのか、俺には分からない。


「小難しいことを色々言いましたけど、最初に言った通り運が良かっただけです」


 そこまで考えていたのであれば、それはもう運ではない。それこそ卯月の言うメンタリズムそのものじゃないか。


 改めて、この子だけは敵に回さないようにしようと心に誓った。

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