第二部

2-1 陰キャカースト

 翌朝、卯月の荷物が届いた。

 少し大きめの段ボール一箱分。衣類がメインで、あとは学校で使う教科書などが入っていたようだ。


「私の服って、仕舞う場所あります?」


「ん」


 朝食のトーストを頬張りながら、部屋の隅のクローゼットを指で差す。


 卯月はクローゼットを開けると、こちらに振り向いた。


「うわ、服少なっ! おまえ、さては陰キャか!?」


 俺は仕事以外で外に出ることがほぼないため、私服と呼べるものは三つか四つしか持ってない。服を選ぶのが面倒なので、何か用事があって休日に出かける際にもスーツを着ることが多い。


 家を出るときに母親が買ってくれた衣類収納ケースのスペースも余りまくっているため、卯月の服も入れられるだろう。


「おまえの方こそ届いた服少なくないか? そんな段ボール一箱で収まるとか、陰キャか?」


 朝から陰キャ同士が陰キャ煽りをし合う。

 おそろしく不毛な時間だった。


「私はもう脱・陰キャしたもんね。友達だっているし」


「友達がいる陰キャだっているだろ。だからそれは脱・陰キャの証明にはならない」


「う、うるせぇー! じゃあおまえ友達いるんか!?」


「……いないが」


 学生時代の友人とは、もう何年も連絡を取っていない。

 ……今友達がいるのかどうかと言われると、いないと言う他なかった。


「じゃあ仮に私が陰キャのままだったとしても! 友達がいる分、陰キャカーストとして私の方が上じゃないですか!?」


 陰キャカーストって何だ。

 陰キャの中で序列をつける、あまりにも悲しすぎる身分制度だった。


「分かった分かった、おまえが上で、俺が下な」


「なんかその、はいはい大人の対応してやりますよみたいな言い方ムカつきますね……」


 ジト目で睨まれる。


「おまえよりは大人だからな」


「じゃあおまえキスしたことあるんか!?」


「あるぞ」


「そりゃないよなぁ! 勝った! 私はもう…………え、あんの!?」


 反応おそっ!


「だ、誰とっ!?」


「高校のときの彼女と」


 何やかんやあって、それ以上の関係にはならなかったが。


「陰キャなのに!?」


「ああ」


 卯月は大層ショックを受けたようで、その場で四つん這いになって落ち込んだ。


「負けた……ちくしょう……!」


 勝ち負けの話でもない気がするが。


「おまえさっき、自分はもうしたことがあるって言いかけてなかったか?」


「はい、この話はおしまいです」


 卯月が立ち上がり、衣類の収納を始めた。

 はぐらかされた。

 どうでもいいっちゃどうでもいいが、少し気になることも事実だった。こいつアホだから、悪い男に簡単に騙されそうだし。それは保護者代わりの者としては見過ごせない。


 かと言って、相手が誰なのかと問いつめるのもデリカシーがなさすぎる気がする。俺はさっきこいつにそれをやられたが。


「変な男に引っ掛かるなよ」


「唐突ですね。何でですか?」


「別に。心配になっただけだ」


「あ、心配してくれるんですか?」


 不機嫌そうだった卯月の顔がほころぶ。


「伊月さんには世話になったからな。おまえはその伊月さんの子供だし、ちゃんと面倒見なきゃって思う」


 ありのままを伝えただけだったが、卯月は見る見るうちにまた不機嫌そうな顔に戻っていった。


「……そうですか」


「……何だよ」


「何でもありません」


「言いたいことがあるならはっきり言え」


「別にありません」


「……そうかよ」


 それきり、お互い何も話すことなく無言になった。

 何だってんだよ。俺何かまずいこと言ったか?


「着替えますので」


 自分の服の収納を終えた卯月が、つっけんどんに言う。暗に出てけと言われたことを理解して、黙って部屋から退散した。


 待つこと数分。

 部屋のドアが開き、着替えを済ませた卯月がそのまま外へ出ようと俺の横を通り過ぎていった。


「どこ行くんだよ」


「どこだっていいじゃないですか」


「おまえさっきからおかしいぞ。俺に言いたいことがあるなら言えって」


「ありません」


「待てって」


 そのまま出ていこうとするので、肩を掴んで引き止めた。


「離してよ!」


 卯月が俺の手を振り払う。


「……どこに行くかくらい、教えてくれ。心配になる」


 これ以上物理的に引き止めるのは無理だと判断し、どうにかそれだけを聞き出そうとする。


「それは、私がお母さんの子供だからですか」


「そうだ」


「……っ! バーカ!」


 小学生レベルの罵倒を残して、卯月はそのまま走り去っていった。


 卯月が何に怒ったのか、俺にはまったく理解できなかった。


 ……あまり過保護になりすぎるのも良くないのかもしれない。あいつももう高校生なわけで、いちいちどこに行くかなんて聞く方が間違いだったか。


 腹でも減れば帰ってくるだろうと考え、俺はベッドに横になった。




◇◆◇




 夕方の六時を過ぎたが、卯月はまだ戻ってきていなかった。


 鞄から業務用のパソコンを引っ張り出して仕事の資料作りなどをしていたが、卯月のことが気になり、まったく集中できなかった。


 あいつは未だにスマホも持っていないわけで、連絡のつけようもない。


 ……もしも、このまま帰ってこなかったとしたら?

 最悪の想像が脳裏をよぎる。

 あいつに何かあったら、俺は伊月さんに顔向けができない。


 あいつが行きそうな場所。

 実家……には戻らないか。

 だとすると、友達の家か?


 ……昨日の喫茶店に行ってみるか。

 そこに卯月がいなかったとしても、何かしらの情報は得られるかもしれない。


 着替えを済ませて、家を出ようかというときに呼び鈴が鳴った。


 卯月が戻ってきたのかもしれないと玄関のドアを開けると、そこには本人ではなく、その友達が一人で立っていた。昨日卯月と一緒にカレーを作ってくれた優ちゃんだった。


「こんばんは。突然の訪問で、すみません」


 優ちゃんがぺこりと頭を下げる。


「あ、ああ、いや、いいんだけど、卯月は今――」


「卯月は私の家にいます」


 優ちゃんが俺の言葉を遮る。


「そうか、それならとりあえず安心だ」


「……どうして、あなたは今もまだこんなところにいるの」


 俺の顔を見上げて、真っ直ぐに睨みつけてくる。

 敬語ではなくなっていた。言葉からは明確な怒りと敵意を感じた。


 突然のことに、言葉の意味を咀嚼するのに少し時間がかかった。


「……今から探しに行くところだった」


「遅すぎます」


「あいつももう高校生だし、過保護になりすぎるのもどうかって思ったんだ」


「……卯月は、あなたに心配してほしいと思ってるんですよ」


 その物言いに、大人げなくも少しカチンときた。

 卯月から何を聞いたか知らないが、あいつは俺の心配だっていう言葉も振り払って出ていったんだぞ。


 一つ深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。


「……悪かった。心配してるってのは、本人に伝えたつもりだったんだけど」


「それは聞きました」


「じゃあ、俺の言い方に問題があったってことか?」


「あなたは、卯月のことを見ていない」


「……もう少し、分かりやすく教えてくれると助かる」


 遠回しな言葉に苛立ちを隠しきれていないのが自分でも分かった。


「私はあなたに言いましたよね。卯月のことをよろしくお願いしますと」


「ああ」


「……ところで、卯月のお母さんの名前は、伊月さんというんですか?」


「……そうだ」


 話の脈絡が見えないが、頷いておく。


「……私が卯月から聞いたのは、あなたが卯月のことを伊月さんの子供だから心配していると言っていたと」


「その通りだ」


 何も否定する要素がなかったので、素直に肯定した。


「ここまで言ってもまだ気づかないんですか」


「……世話になった人の子供を心配することの、何が悪い?」


「私はあなたに、“伊月さんの子供をよろしくお願いします”と言ったわけじゃない」


 今度こそ言葉の意味が分からなかった。

 それはイコール卯月のことじゃないのか。


「とんちに付き合う趣味はない」


 頭が過熱し、目の前の相手が年下の女の子であるということを忘れる。もしかすると、彼女も俺と同じ状態なのかもしれない。


「とんちではないわ。大切なことよ。少なくとも卯月にとっては」


 大切なこと。その言葉に、急速に頭の熱が引いていくのを感じた。

 俺はきっと、その大切な何かを見落とした。だから今こうなっているのだろう。


「……ごめん、少し熱くなりすぎた。あいつが何を大切にしているのか、教えてほしい」


「それは、何故ですか?」


 こちらの目を見据えてくる。

 一切の嘘を許さない、そんな目だった。


「これから、あいつと生きていくのに必要だと思うから」


 俺の言葉に、優ちゃんの表情がようやく少し和らいだように見えた。


「……私の方こそ、すみませんでした。少し長くなるかもしれませんので、お邪魔してもよろしいですか?」


「あー、お茶でも出したいけど、もてなせる用意のある家じゃないから……昨日の喫茶店に行かないか? ……さっき、喧嘩腰みたいになったお詫びにさ……何かおごらせてほしい」


 俺がしどろもどろになってるのが可笑しかったのか、優ちゃんがくすりと笑った。


「では、お言葉に甘えることにします。……でも、喧嘩腰だったのは私が先でしたので、あまりお気になさらないでください」


 しっかりとした、良い子だった。

 それに、友達のことなら年上の男が相手でも物怖じしない。

 年下の女の子に抱く気持ちとしてはおかしいのかもしれないが、かっこいい子だなと思った。

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