1-13 もっかい
今日は本当に疲れた。仕事よりも疲れた。きっとよく眠れるだろう。着替えを済ませて部屋に戻ると、卯月がちょこんと体育座りでベッドの上に座っていた。
「先に寝ててもよかったんだぞ」
「寝てたら襲われそうだし」
「どちらかと言うと、今日襲われたのは俺の方なんだけどな……」
ため息を吐きながら卯月の隣に腰をかける。
「また舐めてあげましょっか?」
「もうああいうのやめろ」
少し強めに咎めると、卯月はムッとした顔をした。
「何故ですか?」
「ふざけ半分でも、いつか一線を越える」
「あー、私って可愛いですからねぇ、我慢できなくなっちゃいます?」
「そうだな。おまえは可愛いよ。認める」
素直に肯定すると卯月は目を丸くして、それからニヤケ顔になり、困惑したように眉を八の字にし、最後に頭から湯気を出しそうなほどに顔を赤くした。
「何だその面白すぎる反応は」
「いや男の人に面と向かって可愛いとか言われたの、初なんで……」
「おまえ、いっつも自分のこと可愛い可愛い言ってるくせに、変なところで初々しいのな……」
「あれは、その、虚勢みたいなものです。私、本当は自分が可愛くなんかないって、知ってるから」
「普通に可愛い方だと思うけどな。むしろめっちゃ可愛い。可愛すぎる」
どんな反応をするのかと興味が湧き、可愛いを連呼してみる。
「や、やめろぉ! 私なんて周りの友達に比べると芋いし! 全然イケてないし!」
「今日会った中だと、おまえが一番可愛かったぞ」
「うぎゃあぁぁぁっっっ!!」
卯月が奇声をあげてベットから飛び降り、床を転げ回った。しまった、反応が面白かったとはいえ、ついついからかいすぎた。
ゴロゴロと転がった卯月が勢いよくベッドの角に脛を打ちつけ、「グォドォォォ……」と可愛げのない呻き声をあげた。
今後、こいつに可愛いって言うのはやめておこう……。
「おまえ私を殺す気か!?」
ぶつけた箇所を両手で押さえながら、涙目で猛抗議してきた。
「いや、今のは自業自得だろ……。可愛いって言ったのは嘘だから安心しろ」
「しかも上げて落とすの!? おまえ本当に人間か!?」
「また寝るとき頭撫でてやるから落ち着けって」
「いらねぇーーーよ! 今のは流石に傷つきました! 身も心も傷つきました! 大輔のせいです、あーあ!」
卯月が拗ねたようにプイッとそっぽを向く。
「わ、悪かった。調子に乗りすぎた。許してほしい」
「ん? 今なんでもするって言いましたね?」
言ってない。脛を強打したせいで頭がおかしくなったんだろうか。
「じゃ、じゃあ……も、もっかい、可愛いって言ってください」
何がじゃあなのか意味不明だ。
「え、嫌だ。おまえ発狂して転がるし」
「さ、さっきのは心の準備ができてなかったからです!」
「何で心の準備をしてまで可愛いって言われたいんだよ……ちょっと引くぞ……」
「うるせぇー! おまえにこの十年間、誰からも愛されずに生きてきた女の気持ちが分かるんかぁ!?」
血の涙を流していた。
「と、友達とか皐月ちゃんには愛されてるように見えたが」
「それとこれとは別なんだよぉ! いいから可愛いって言えよぉ!」
「そ、そういうもんか? ……か、可愛いぞ、卯月」
さっきまでの威勢はどこへやら、途端に卯月は顔を真っ赤にしてうつむいた。
「な、名前を添えないでください……心の準備をしてなかったら即死でした……」
注文の多い奴だった。
「もういいか」
「も、もっかい」
「いや、もういいだろ!? こっちも結構照れんだよ!」
「全然足りないです。私のクソよわ自己肯定感を高めるために、十年分の可愛いを所望します」
「何だそのクソよわ自己肯定感って」
「私、あんまり自分のこと好きじゃないんで……」
卯月の表情が曇る。
意外だった。普段は自己肯定感の塊みたいな言動をしているくせに。
……これも保護者代わりとしての務め、か。
「分かった。……そんなとこにいないで、こっち来い」
床に転がっている卯月を手招きで呼び寄せる。おずおずとベッドの上に乗っかってきて、俺の隣に座った。
「十年分って、あと十回くらいか?」
「え? 十回で足りるんですか? そんなんじゃ私の自己肯定感死にますよ? ええんか?」
め、面倒くせぇー!
女ってみんなこうなのか? それともこいつが特殊なだけか?
……ああ、でも。
伊月さんなら、同じことを言いそうだな。あの人はちょっと面倒くさいところもあって、でもそんなところも含めて俺は彼女のことが好きだったんだ。
俺は観念した。
「……じゃあ、おまえが満足するまで言ってやる」
「やったぜ。……こ、心の準備をするので、ちょいお待ちを」
卯月がスーハースーハーと深呼吸をする。
「ど、どんとこい」
覚悟を決めた顔で真っ直ぐにこちらを見てくる。顔はまだほんの少し赤かった。
「可愛いぞ」
「…………はぃ」
卯月は消え入りそうな声で返事をし、恥ずかしいのか先ほどと同じように顔をうつむかせた。
「……大輔、もっかい」
「……可愛い」
「…………はぅ」
それから何度も何度も「もっかい」とせがまれ、可愛いを言わされ続けた。
人間不思議なもので、ずっと同じ言葉を繰り返していると、本当にそう思うようになってくる。
こいつはそういうのじゃなくて、妹とか娘みたいなものなんだからと自分に言い聞かせ、どうにか自我を保つことに成功したのだった。
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