1-11 あなたの娘はこんなに頭のおかしい子に育ちましたよ

 気持ちの整理もままならないまま家に帰る。

 ドアを開けると、そこにはパンツ一丁の卯月がいた。どうやら風呂上がりだったらしい。


「お、おま、おまっ、ノックくらいしろよ!?」


 卯月が慌てふためきながら布団の中に隠れた。


「……ああ、悪かった」


 上の空のまま、床に座る。


「いや、出てこうよ!? 何で居座るの!? 目の前で着替えろと!? やっぱり私のことを性的な目で見てるの!?」


「あ、ああ、悪い」


 フラフラと立ち上がり、部屋を出た。

 数分後、ドア越しにもう入ってもいいと声が聞こえてきたので再び部屋に戻った。

 卯月の顔を見れる気分ではなかったため、そのままうつ伏せでベッドに倒れ込んだ。


「えっち」


 頭上から卯月の声がするが、言葉の内容は頭に入ってこなかった。


「ああ」


「変態」


「ああ」


「……? クソアラサークソ童貞」


「ああ」


「……私の裸を見ましたね?」


「ああ」


「乳首が綺麗なピンク色だなって思いましたね?」


「ああ」


「うわーん! やっぱりあの一瞬でめっちゃガン見されたんだぁ! もうお嫁に行けねぇー!」


「ああ」


「……てい」


「ぐぁっ」


 卯月が全身でのしかかってきたらしい。背中に重みと、耳元に吐息を感じる。


「……重い」


「おまえそれ、女に言っちゃいけない言葉ベストスリーに入るやつだからな」


「ああ」


「あーあーしか言えないんですか? 赤ちゃんなんですか?」


「……おまえ、さ」


「はい、何でしょう」


「大きくなったよな」


 伊月さん。

 あなたの娘は、こんなに大きくなりましたよ。

 ……卯月の成長した姿、見たかっただろうなぁ。

 伊月さんと、卯月と、お腹にいた妹と。みんなが笑って過ごしている、有り得たかもしれないそんな未来を幻視した。目頭が熱くなるのを感じる。


「それは主に胸がですか。セクハラですか」


「……胸は小さいままだろ」


「おいコラ、それも女に言っちゃいけない言葉ベストスリーに入りますからね。だからモテないんですよ、大輔は」


「……そうだな。ちなみにあと一つは?」


「…………教えてあげません」


 何だその謎の間は。


「思いつかなかっただけだろ」


 卯月とこんなバカみたいなやり取りをする資格も、本来なら俺にはない。そう考えると声が震えてしまった。


「違うし」


 それからお互い無言のまま、気まずい時間だけが流れた。


「……泣いてるんですか?」


「……泣いてない」


「嘘ですね。声ぶれぶれですよ」


「…………」


「うちのママンに、私のことで何か言われましたか?」


「……卯月のことをよろしく頼みますと」


「うわー、絶対心こもってねぇー」


「俺もそう思う」


「それで泣いちゃったの?」


「泣いてねぇっつってんだろ」


「じゃあこっち見てくださいよ」


「……断る」


 泣き顔を見られたくないし、そもそもまともに卯月の顔を見れる気がしない。


「……大輔」


「……なんだ」


「……私、昔の記憶があまりないんです。お母さんが死んじゃったときのことも、よく覚えてません」


 心臓を鷲掴みにされたかのように胸が痛んだ。

 まさかこのタイミングで卯月からその話が出てくるとは思いもしていなかった。

 そうか、おまえも。

 おまえも俺と同じで、記憶を閉ざすことで自分の心を守ったのか。


「でもね、大輔と一緒にいたら、ほんのちょっとだけど昔のこと思い出しました」


「……何を」


 動悸がする。

 人殺しめ、おまえが気づかなかったからお母さんは死んだんだ、おまえが死ねば良かったのにと、そう言われるんじゃないかと思った。


「わ、私の、初恋」


 顔を見なくても、照れていることが声から分かった。

 そんなに照れるくらいなら言わなきゃいいのに。


 ――――卯月はねぇ、大輔くんのことが好きみたい。


 伊月さんの言葉を思い出す。

 当時は聞き流していたが、本当のことだったのか。


「そうか」


「うわー、興味なさげー」


「……ないこともない」


「……私、今まで恋愛感情って分からなかったんです。人のこと好きになったことがないからって、そう思ってました。……でも、本当は違いました」


「……ああ」


「何でか分からないけど、忘れてただけだったんです。……でも、それを思い出せたから」


「…………」


「……す、好きな人には、泣いていてほしくない、です」


 思考が追いつかない。

 ……今、告白されたのか?


「あ、あー! ち、違う! たんま! 今のなし! 好きな人じゃねぇ! す、好きだった人には! です!」


 即座に訂正された。


「あーっと……つまり、初恋の相手が俺だったと?」


「調子に乗るなよ。私がまだ無垢でピゥワだったころの話だからな」


「あ、そ」


「……もうちょいドギマギしてもいいんじゃないですかね。せっかく可愛い女の子が、こんなにも可愛いことを言ったのに」


 不服そうな声だった。


「仕方ないだろ。おまえのことは妹みたいな感じでしか見れない」


 昔のことを思い出した今となっては、なおのことそうだ。


「あーそれ、それです、女に言っちゃいけない言葉ベストスリーの最後一個」


「絶対今付け足しただろ」


「うるせぇー! 勝負しろ!」


「何の勝負だよ」


「えーっと……あ、そ、そうだ! い、今から五分間、大輔の耳を、な、舐めます」


 何言ってんだこいつ。正気か? いや、もともと狂気じみてる奴ではあるが……。


「それが何の勝負になるんだよ……」


「耐えられたら大輔の勝ち。耐えられずにギブしたら私のことを女として見てないという暴言を泣いて謝ってもらいます」


 伊月さん。

 あなたの娘はこんなに頭のおかしい子に育ちましたよ。


「ちょっと待て、意味が分からなさすぎる」


「妹みたいな女に耳を舐められても何も感じねぇーだろぉ!? そういうことだよぉ!」


 どういうことだ。少なくとも不快ではあると思うが。


「はい、よーいスタート」


 こうして訳も分からぬままに謎の勝負が始まってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る