1-10 俺が死ねば良かったのに
時間も時間だったため、皐月ちゃんを家まで送り届けることになった。一時とはいえ実家に戻ることに抵抗があるのか、卯月は来なかった。
二人きりの車内、特に話すこともないので互いに無言だったが、不意に皐月ちゃんが口を開いた。
「おネエは……」
言葉の続きを待つが、それだけ言ったきり黙ってしまう。
どうしたもんか。声色から重苦しさを察知し、こちらから続きを促して良いものか迷う。
「……お兄さんは、おネエのママのことを知っているんですか?」
言いにくいことだったのか、話題を転換してきた。
それはどっちの? という疑問が一瞬浮かんだが、わざわざ“卯月の”母親と言うからには生みの親のことなのだろう。
「何となくは。……最後に会ったのが十年も前で、記憶があまりないんだ」
よく笑っていて、優しくて、可愛げのある人だったような気がする。
「……それって、変じゃないです?」
「何が」
「お兄さん、今何歳ですか?」
「二十六だ」
「だとすると、当時高校生ですよね。子供のころならまだしも、高校生のころの記憶って、そんなすぐになくなるものですか?」
「…………」
言われてみれば、それはそうだ。
高校時代のことはまだ覚えている。それなのに、この町での出来事だけがぽっかりと記憶から抜け落ちている。
頭痛がした。
俺はこの町に引っ越してきたとき、当時のことなど何も思い出さなかった。昔来たことがある気はしたが、何のために来たのかまでは思い出せなかった。
卯月のことも、再会するまですっかり忘れていた。
もうずっと親戚付き合いがなかったから。……そんな理由で、存在ごと忘れてしまうものか?
「お兄さん?」
「……悪い、考えごとをしていた」
「……そうですか」
それきり話すこともなく、ナビが示す道を進んでいった。ほどなくして皐月ちゃんの家に着き、ついでに卯月の親に挨拶と今回の経緯の説明をと考え、一緒に車を降りた。
家の外観を眺める。
この場所を、知っている。
当然だ。昔遊びに来たことがある。
でもそれだけじゃない。
また頭痛がして、心臓の鼓動が早まるのを感じた。
俺が死ねばよかったんだ。
俺が守らなきゃいけなかった。
頭の中で声がした。俺の声だ。
ここで俺は、幼い卯月に泣いて謝った。
卯月は何も分からず、きょとんとしていた。
「…………」
思い出した。
卯月の母親は、俺のせいで死んだんだ。
何で今まで忘れていられた。こんな大事なことを何で忘れて生きてこれた。大馬鹿か、俺は。
「……お兄さん? 入りますよ?」
「……ああ」
皐月ちゃんの後ろについて家に入ると、今のこの家の母親に出迎えられた。皐月ちゃんがあらかじめ俺に送られると連絡していたため、訝しがられることはなかった。
「どうもすみません、うちの娘がこんな遅くまで厄介になって」
ニコニコと会釈をしてくる。
「いえ、こちらの手違いもありましたので。こちらこそ申し訳ありませんでした」
「皐月、せめて一言残してから行きなさい。時間も時間だから心配したわ」
母親が皐月ちゃんを咎めるが、声色に棘はなかった。
俺がいる手前なのか、元々皐月ちゃんに優しいのかは分からないが。
「娘には今後そちらにご迷惑をおかけすることのないよう、言いつけておきますので」
「……そうですか。分かりました」
もう一人の娘を預かっていることに対しては一切触れようとしてこない態度に違和感を覚えるが、ここはこちらも何も言わないのが大人の対応だろう。
人様の家のことに口出しをできるような身でもない。
「……卯月は元気でやってますので、そちらもご心配なく」
大人になりきれなかった。
「ええ。卯月のこと、よろしくお願いします」
俺の言葉に、母親は表情を崩すこともなくそう言って会釈をした。
これが本当の大人の対応か。
「……はい。では、失礼します」
こちらも頭を下げ、家を出た。
◇◆◇
いったん家に車を置き、すぐには帰らずにそこから徒歩で当時の事故現場にやってきた。
歩いて三十分ほど。やや距離のある場所だったが、ゆっくりと考えながら移動をしたかったため、徒歩を選んだ。
一つ思い出すと、連鎖的に様々な記憶が呼び起こされた。
この町で卯月と遊んだこと。
卯月の母親である伊月さんのこと。
目の前で伊月さんが死んだこと。
◇◆◇
夕飯の買い出しに付き合って、その帰り道に伊月さんと他愛もないことを話していた。
「卯月はねぇ、大輔くんのことが好きみたい。大輔くんが帰った後には次いつ来るの? ってそればっか! 私の娘の初恋よ、初恋? きゃー! 責任とりなさいよ、もー!」
バシバシと肩を叩いてくる。大阪のおばちゃんか、この人は。
「五歳児に好かれても嬉しくありませんて」
「あら、卯月はもう六歳になったのよ。立派なレィディよ?」
「五歳も六歳もあまり変わらないでしょ……」
「そんなことないわよ。それに、もうすぐお姉ちゃんになるんだから」
伊月さんは妊娠中だった。
自分の膨らんだお腹を愛おしげに撫でる。
「次も女の子でしたっけ?」
「ええ、そうよ。我が子の名前、絶賛募集中。何かない?」
「それは俺には荷が重すぎます」
苦笑して、二人で横断歩道を渡る。
唐突にものすごい力で突き飛ばされて尻餅を突いた。直後に車が突っ込んできて、鈍い音がした。伊月さんの体が宙を舞う。駆け寄る。動かない。伊月さんが動かない。周囲の人間が何か叫んでいたが、何を言ってるのか分からない。何も分からなかった。
次に気がついたときには病院だった。
「な、なんで、なんで、なんで、なんで伊月さんが……お、俺が、お、俺が、俺、俺が気づかなかったから……お、俺が……」
うなだれて、壊れた機械のように俺が俺がと繰り返していた。
俺が、俺が、俺が、俺が、俺が――――
――――俺が死ねば良かったのに。
◇◆◇
思い出せたのはそこまでだ。
それからの記憶は、ブツ切りしたみたいに途切れ途切れになっている。
しばらく学校を休んだ。
カウンセリングを受けた気がする。
どうして忘れてしまったのかは分からない。自己防衛のために自分で記憶を消したのかもしれない。そんなことがあるのか。あっていいものか。ふざけるな。
俺はこれから、どんな顔してあいつに会えばいいんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます