1-9 この姉にしてこの妹あり

 夜の七時過ぎ。食事を終え、卯月は風呂に入る準備をするために着替えが入ったリュックを漁っていたが、何故か青ざめて固まっていた。


「どうした」


「……やべぇ、今日荷物届くと思って一日分の着替えしか入れてなかった」


 一大事だった。というか、浅はかだった。


「そういや、荷物きてないな」


「どどどどうしよう!?」


「もう一日我慢して同じの着るしかないだろ」


「やだよ、ばっちぃじゃん!? いかに私がお人形のように可愛いといっても、体からは色んな老廃物が出てるんですよ!?」


 お人形のように可愛いかどうかはさて置いて、確かに酷な提案をしてしまったかもしれない。


「じゃあ俺のシャツでも使うか?」


「私に裸ワイシャツをしろってことですか!? 同居成人男性からの性的な視線に一晩耐えろと!? 男の人っていつもそうですね!」


 ビンタすんぞ、この野郎。


「裸じゃなくても中にTシャツ着りゃいいし、そもそもこの家におまえのことを性的に見る奴はいないから安心しろ」


「……パンツは」


「うん?」


「Tシャツはいいとして、下はどうすればいいんですか! パンツが届くまでノーパンで過ごせと!?」


 卯月が涙目で抗議してくる。


「あー」


 俺としてはこいつがパンツを穿いていようが穿いてなかろうがどうでも良いが、たしかに当人にとっては大問題だろう。


「どんまい」


 少し考えたがこれといった解決策が浮かばなかったため、ねぎらいの言葉だけをかけた。


「どんまい、じゃねぇーんだよ!?」


「嫌ならもう一日我慢して今のパンツ穿いてろ」


 話が振り出しに戻った。


「俺のパンツ使うか? くらいの気遣いはないんですかね、この男は……」


 その提案は気遣いではなくキ●ガイじみていると思う。


「ああああああ……何か代わり……代わりになるものは……こ、これは!?」


 卯月がリュックから一枚のメモ紙を発見する。


「大輔、ここにテレフォンを!」


 俺にそのメモを突きつけてきた。


『070-XXXX-XXXX おネエへ 新しいスマホ手に入れたら一番に連絡してね♥ さつき』


「おネエ……妹か? ……あれ、おまえに妹なんていたっけか?」


 昔こいつの家に遊びに行っていたとき、他に子供がいた記憶はない。


「そのへんの事情は説明するのめんどいからパスしますが、妹に連絡して実家にある私のパンツをゲットだぜ! 我ながら名案!」


 それはいいが、こいつのパンツ取りにいくためにまた車を出させられるんだろうな……。

 やれやれと思いながらメモに記載されている番号に電話をかけ、そのまま卯月にスマホを手渡した。


「もしもし、皐月さつき? うん、うん、大丈夫。あ、これは私の番号じゃなくって、今一緒に住んでる人の……そう、彼女いない歴イコール年齢で、いつも私のことを性的な目で見ている従兄弟の携帯からかけてるんだけど」


 いきなり歪んだ情報を流すんじゃねぇ。


「うん、居候する対価として体を要求されたりしてるけど、お姉ちゃんは元気でやってるから心配しないで」


 卯月からスマホを取り上げる。


「あっ、何するんですか!?」


「おまえふざけんなよ。……あー、もしもし、今お姉さんが言ったことは事実無根で――」


『へ、変態っ! おネエにヒドいことしないで!』


 初見の女の子に初手で変態呼ばわりされ、流石に少しだけ心にダメージを負った。吐血しそうだ。


「い、一回落ち着こうか、えーと、皐月ちゃん?」


『何が望みなの!? どうすればおネエを解放してくれるの!?』


 落ち着く様子はまるでなかった。

 俺、子供の相手苦手なんだよな……電話口の妹が何歳なのか分からんけど。


「あー、電話した用件はな、お姉さんのパンツが欲しいんだよ」


『……っっっ!?』


 電話口でも相手が絶句したのが分かった。

 やべぇ、今のはミスった! これじゃマジでただの変態じゃねぇか!


「うわー、引くわー……」


 卯月が冷めた目で俺を見ていた。元はと言えばこいつが悪いのに。絶対許さねぇ。


「いや待て落ち着け! 今のは違う! 厳密には違くないが違う!」


『……分かりました、今からパンツを持っていきます……それでおネエにもうヒドいことしないって約束して……』


 皐月ちゃんは涙声だった。

 え、何これ、俺が悪いのか?

 俺メチャクチャひどい奴みたいになってねぇ?


「あ、いや、こっちから取りに行くから」


 返事をする前に電話を切られてしまった。


「…………」


 展開について行けず、放心してしまった。


「皐月はなんと?」


「……今からパンツ持ってくるってよ」


「作戦成功じゃないですか」


 卯月は何故かドヤ顔だった。


「おまえのパンツのために、俺は何か大切なものをたくさん失った気がするんだけど」


「大輔、大輔」


「今変なこと言ったらチョップするからな」


「大輔の大切なものなら、ここにいますよ」


 卯月が自分のことを指差した。

 俺はその脳天に少し強めのチョップをお見舞いした。




◇◆◇




 待つこと二十分ほど。

 家の呼び鈴が鳴った。おそらく皐月ちゃんが到着したのだろう。


「……俺は会いたくない。おまえ出ろ」


「あ、尿意が! 大輔、あとは任せました!」


 卯月がトイレに駆け込み、閉じこもった。


「おい、ふざけんな! おまえそれ絶対悪意のある尿意だろ!」


「悪意のある尿意はパワーワードすぎるでしょ」


 卯月はトイレの中から返事をするが、出てこようとする気配は一向にない。その間にも呼び鈴が連打されているので、俺は頭を掻きむしりながら玄関のドアを開けた。


 急いでここまで走って来たのだろうか、汗だくで肩で息をしている女の子が立っていた。


「……あー、皐月ちゃんかな? はじめまして、俺は君の従兄弟の甲賀こうが――」


「お、おネエは……ぶ、無事なんですか……?」


 自己紹介すらさせてもらえなかった。

 皐月ちゃんは震えた声で姉の身を案じていた。


「皐月ぃ! お姉ちゃんはここだよぉ! 監禁されてるよぉ! お助けぇー!」


 卯月がトイレの中から悲鳴をあげる。どうやらこれがやりたかったらしい。あいつ後でマジでグーで殴る。

 こんなやりとりが外部に漏れたら通報間違いなしである。皐月ちゃんの手を引いて家の中に引き込み、慌てて玄関のドアを閉めた。しかしそれが悪手だったようで、皐月ちゃんの表情がみるみる恐怖に染まっていった。


 いや、まあ、確かにいきなり家の中に引っ張り込まれたら怖いかもしれないけど、俺は仮にも君の従兄弟であるわけで、何もそんな犯罪者を見るような目で見なくても良くないですか?


「まず落ち着こうか」


 自分にも相手にも言い聞かせるように言う。


「大輔やめてぇ! 私にはエロ同人みたいに乱暴してもいいけど、皐月にだけは手を出さないでぇ!」


 トイレの中でバカが叫んでいる。


「うるせぇ! おまえちょっと黙ってろ!」


 俺の怒声に皐月ちゃんがビクッと身を震わせた。

 何かもうどうしよう、これ勘違いだっていう弁明が不可能なところまで来てないか?


「や、やっぱりそうやっておネエに乱暴を……」


「してないから!」


 何か、何かないのか。

 この混沌とした状況を打破する、神の一手。


 ……あった、一つだけ。

 だが、それでいいのか甲賀大輔こうがだいすけ

 大切なものを失おうとしていないか?

 いや、もうこれ以上失うものなどない。


「皐月ちゃん、落ち着いて聞いてくれ」


「な、なんですか」


「俺は女に興味がない」


「……ど、どういうことですか?」


「……実は、男が好きなんだ」


「はぇっっっ!?」


 皐月ちゃんはあからさまに動揺していた。

 しかし、少しだけ俺への警戒心が薄れたようにも見える。

 作戦は成功だ。何か失ったような気もするが。


「だ、騙されるな皐月ぃ! そいつは昨日、私のことを抱きしめてちょっと勃起していたぞ!」


 卯月がトイレから飛び出してきた。やはり俺は卯月こいつを強めに殴っても許されると思う。


「してねぇーよ!」


「お、おネエ閉じ込められてたんじゃ……? さ、皐月は何を信じればいいの……?」


「大輔は実はバイなんだよ。皐月はお姉ちゃんのことだけ信じてればいいんだよ」


 卯月が皐月ちゃんを抱き寄せる。


「うん……分かった……皐月、おネエのことだけ信じるね」


 マジかよ、それでいいのか。

 この姉にしてこの妹ありである。


「バイの大輔お兄さん」


「はい」


 皐月ちゃんが俺を呼ぶときに事実無根の二つ名がついていたが、もう訂正するのもアホらしいのでそのまま返事をする。


「皐月はそういうのに偏見ないから安心してください」


 ありがとうございます。


「それと、約束のものです……」


 皐月ちゃんがモジモジと恥じらいながら、握りしめていたものを手渡してくる。

 薄ピンクのパンツだった。


「おネエのパンツはもう全部まとめて送っちゃってたからこれは皐月のなんだけど……これで許してください……」


 女の子にパンツを渡されて許しを請われる俺。

 何だこの状況は。もう意味が分からない。


「成人男性、女子高生のパンツを手に持ち鼻の下を伸ばす」


 怒りと困惑を鎮めるために、ふざけたことを抜かす卯月の顔面にパンツを投げつけてやった。


 その後、皐月ちゃんへの様々な誤解を解くのに二時間を要した。

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