1-8 カレーにジャムを入れようとするな
卯月と友達との話は尽きず、何だかんだで家に帰って来たのが夕方の四時過ぎだった。
我が家の台所は三人立つには狭く、今回は卯月と優ちゃんの二人に夕飯の支度をお任せすることとなった。
「ピーラーがないのね。……皮を剥くのは私がやるから、ちょっと待ってて」
優ちゃんの言葉に卯月は不服そうだった。
「皮剥きくらいできるよ! 多分!」
「危ないからダメ。この包丁、手入れされてないし。その後の野菜を切るところからお願いするから待ってて」
あの、その、何かすみません。
そうか、自炊するとなるとそういうのもどうにかしないとダメなのか……。
上手なもので、優ちゃんはするすると包丁でジャガイモの皮を剥いていった。
「優ちゃんって嫁度が高いよね」
卯月がそれを見ながら感心したように言う。
嫁度って何だ。
「練習すれば卯月もこれくらい出来るようになるわ」
「マジ? 私も嫁度高めれる?」
「ええ」
「だってさ、大輔。期待してて待っててね」
卯月がこちらに向けてウインクをしてきたので、気づかないフリをしてテレビの電源をつけた。
「卯月は大輔さんのことが好きなの?」
いきなり何を言ってるんですか、優ちゃん。
「いんや、全然まったく」
好かれてなくても別に構わないが、一方的にフラれたみたいでそれはそれで何かムカついた。
「でも大輔は私のことが好きみたいでさぁ、昨日も抱きつかれて大変だったよ」
「おい、あることないこと言うのやめろ」
「……どのへんがあることで、どのへんがないことなんです?」
……優ちゃん、まずは包丁を置こうか。笑顔が何か怖い。
抱きついたのは事実だが、好意はない。……あれ、これをそのまま言うと俺ヤバい奴にならないか? かと言って黙っているのもまずい気がした。詰んでる。
「……そこに至るまでに、卯月も何かしたんでしょうけど」
察しの良い子だった。
それでも俺を見る目がちょっと冷たい気がする。
昨日のあれは俺の子供じみた行動が悪かったので、何も言い返せないが。
卯月め、何てことをしやがる。
これで彼女から俺への第一印象は女子高生に抱きついた男として刻まれてしまったじゃないか。
その後はこちらに話を振られることもなく、つつがなくカレー作りは進んでいった。野菜と肉が炒められると、食欲をそそるいい匂いがしてくる。
「隠し味にジャム入れてみていい?」
「ダメ。そういうのは慣れてから」
卯月の無謀な提案を優ちゃんが一蹴する。頼もしい。
だが慣れてからでも、カレーにジャムを入れるのは勘弁してほしい。
「じゃあ、あとはこれを二十分煮込んで……卯月、見ててくれる?」
「合点承知の助」
今日日、その言葉はなかなか聞かない。
そんなことを考えていると、優ちゃんが俺の隣にちょこんと座ってきた。
「……ありがとう、色々としてくれて」
先ほど白い目で見られた件もあり何て声をかけるか迷ったが、ひとまずはお礼を言っておくことにする。
「いえ、そんな大したことは。……大輔さんは、卯月のことをどう思っていますか?」
卯月に聞こえないようにと、小声で聞いてくる。
どうと言われても、別にどうとも。……それは友達への受け答えとしてあまりに薄情すぎるか?
「……いきなり家を追い出されて、大変そうだなとは思う」
悩んだ挙句に、そんな当たり障りのない回答をした。
「……卯月は、ちょっと変わってるところもあるけど、根はとても良い子です」
今のところ、あまり良い子の部分に触れられていない気がするが、とりあえず頷いておく。
「私が言うのも筋違いではありますが、卯月のことをどうかよろしくお願いします」
優ちゃんが頭を下げる。
ああ、本当にこの子は、卯月のことが大切なんだな。
俺とは違って、卯月は良い友達に恵まれている。
「それは、はい、こちらこそ。……俺からもお願いするよ。卯月とこれからも仲良くしてやってほしい」
「はい、もちろんです」
優ちゃんが微笑む。
「大輔、優ちゃんに手ェ出したら殺すぞ」
俺たち二人が仲良さげに話してるのが気に入らなかったのか、卯月が包丁を握り締めながらプルプル震えていた。
「うるせぇ、んなことしないから安心して鍋見てろ」
目の前の彼女は精神面は年齢以上に成熟してそうだが、見た目は小学生の五年生か六年生である。手を出したらあらゆる意味でHANZAIである。
俺たちのやり取りを見ていた優ちゃんがくすりと笑った。
「大輔さんは、私がお付き合いしてる人に少し似ていますね」
「……へぇ、どんなところが?」
彼氏いるんですか、相手はどんな奴ですか、もしかしなくてもロリコンですかと様々な疑問が湧き起こったが、その全てに蓋をして冷静に返事をした。
「口は悪いのに、優しいところです」
「……君に、俺の優しいところを見せた覚えはないけどな」
「卯月を見れば分かります。昨日会ったばかりというお話なのに、あの子はもうあなたのことを信頼しきってる」
「……そうかぁ?」
あんまり信頼されてるような気はしていないが。
「そうですよ」
優ちゃんはそれだけ言うと立ち上がり、鍋の様子を見に行った。
「ねぇ優ちゃん、やっぱジャム――」
「ダメ」
どんだけカレーにジャムを入れたいんだ、あのアホは。
その後、優ちゃんのおかげで無事カレーは完成し、自分の家の夕飯を作るために帰らなければという優ちゃんを車で送り届けることになった。一秒でも長く一緒にいたいのか、卯月もついてきた。後部座席で二人仲良く談笑している。
「大輔と二人きりだと危ないからね。優ちゃんも抱きつかれるよ」
こいつ後で殴る。
「そんなこと言って、卯月は私に大輔さんを取られそうで嫌なんじゃない?」
「ち、違わい! てか優ちゃん彼氏いるじゃん!?」
「そうね。でも今は遠距離で寂しいから……」
「そ、それは解釈違い! 解釈違いです! 優ちゃんからそんなビッチな言葉は聞きたくないよぉ!」
「冗談よ」
俺のことを話のネタにするのはやめてほしいが、仲が良さそうで何よりである。……早くこいつにスマホを買ってやらんとな。今夜あたり、叔父さんと打ち合わせるか。
家に戻ってから、二人でカレーを食った。米がレンジでチンするタイプのパックご飯だったことに卯月は不満そうだった。
手料理なんてものを食べたのは数年ぶりで、不覚にも少しだけ感動してしまう。
「大輔、私に何か言うことがあるのでは?」
「鼻毛出てんぞ」
嘘だが。
「マジで!?」
卯月が洗面所へと駆け出していく。
すぐにバタバタと足音を立てて戻ってきた。
「出てねぇーじゃねぇーか!」
「すまん、見間違いだった」
「スプーンで目ん玉くりぬいてやろうか?」
カレーが目に染みそうだ。
「……あー、作ってくれて、ありがとな」
素直に感謝するのが何だか小っ恥ずかしかったので、明後日の方向を見ながらそう言った。
「そう、それ。最初から素直にそう言えば良いのだよ」
「美味い」
「そうでしょうとも」
「さすが優ちゃんだな」
「優ちゃんは私の嫁だからね」
卯月が誇らしげに胸を張る。
「……少し意外だな。優ちゃんじゃなくて自分を褒めろって言うかと思った」
「はぇ? あー、でも、だって」
卯月が口元に指を当てて、少しだけ考える素振りをする。
「自分のことよりも、友達が褒められる方が嬉しいじゃん?」
「そういうもんか」
俺には分からない感覚だったが、卯月がそう言うのならそれで良しとしておこう。
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