1-6 人生に彩りを

 いつもなら休日は昼過ぎまで惰眠を貪るものだが、八時前には目が覚めた。原因は明確で、卯月が俺の腕に絡み付いてきていて、それが窮屈だったらしい。


 どうしたものかと思案する。

 気持ち良さそうに寝ているアホづらを見ると、無理矢理引き剥がして起こすのも可哀想に思えた。かと言って、このままくっつかれてるのも良くない。何が良くないかと言うと、このアホの胸元に付属している小さくとも柔らかい部分が腕に当たっている。誠に遺憾ながら、そんなことをされると否が応でもこいつが女であるということを意識させられてしまう。


 ていうか、これ俺悪くないよな?

 一方的に押し付けられてるだけだよな?

 だというのに、何だこの理不尽な罪悪感は。


 そういや、こいつ学校は?

 いや、今は夏休み中か。


「……朝だぞ」


 驚かせないように、そっと声をかけてみるが反応はなかった。やむを得ず卯月の体から力ずくで腕を剥がしたが、それでも起きる気配はない。最初からこうしておけばよかった。


 起き上がり、朝食の支度をする。

 と言っても、食パンを二枚トーストするだけだが。

 一人だと栄養バランスなど気にせず生きてきたが、これからはそうもいかなくなるかもしれない。俺のレパートリーは米を焼くか麺を茹でるかしかないので、卯月の料理スキルに期待しよう。昨日、飯を作るとか言ってた気がする。言った割には寝てるが。


 パンが焼ける頃合いを見計らって電気ケトルでお湯を沸かし、インスタントコーヒーを作る。

 トースターが電子音を鳴らして、自らの仕事の完了を知らせてくる。卯月はその音で目を覚ましたようで、もそもそとベッドの上で体を起こした。


「起きたか」


 脚を折り畳んで壁に立てかけていた食事用のテーブルを展開しながら卯月に声をかける。


「……おはようございます」


 寝ぼけ眼だった。

 朝は弱いのかもしれない。何となくイメージ通りではある。こいつが朝からキビキビ動く姿は想像がつかない。


「いい匂い。ブルーマウンテンですか?」


「398円のインスタントだ」


「道理で安っぽい匂いだと思いました。今度、本場のコーヒーってやつをご馳走しますよ」


「そうかよ」


 適当に相槌を打ちながらパンを皿に移し、テーブルへと載せる。パンを咀嚼し、コーヒーで流し込む。もう何年も続けてきた自動的な食事だった。


「して、私の朝ご飯はどこに? できればライスが良いのですが」


「起きてくるか分からなかったから作ってない。あとこの家に米はない」


「米がない!?」


「いちいち炊くのが面倒くせぇから炊飯器もない」


「炊飯器もない!?」


 卯月の表情が絶望に染まった。


「おまえそれでも日本人か!?」


「宇宙人みたいなおまえには言われたくない」


「買いましょうよ、炊飯器!」


「……まあ、今後おまえが自分で飯作るってんなら、あった方がいいのかもな」


「おまかせあれ。これから米の研ぎ方から勉強していきますので」


 今なんか、聞きたくないことを聞かされた気がする。


「……米、研いだことないのか?」


 恐る恐る質問してみる。

 そんなことないよな。

 だって、おまえ昨日、この家に住ませてもらう代わりに自分が飯を作るって豪語してたもんな?


「中学の調理実習で盛大にぶち撒けて、周りから白い目で見られたのが最後の米研ぎの記憶ですね。……忌まわしい記憶です」


 卯月がチッと舌打ちをする。

 舌打ちをしたいのはこっちだ。


「米研ぎ以外の料理の経験は?」


「……あれはそう、小学校の調理実習でじゃがいもを――」


「調理実習はいい」


「…………」


 何故黙る。


「……ないのか?」


「……ないですね」


 こいつは、これでよく自分がご飯を作りますなどと言ったものだ。


「でも何とかなると思うんですよね。大蛇丸の人が料理して酒飲んで優勝してる動画とかよく見るし」


 あまりにも無謀で無策で向こう見ずな女だった。


「……まあ、俺もおまえも料理はおいおい覚えていけばいい……のか?」


「大丈夫ですって。これでもかつては神童と呼ばれた女ですよ?」


「そうなのか?」


「嘘ですけど」


 こいつはたまにこうやってケロッと益体もない嘘をつきやがる。殴っても許される気がした。


「大輔、大輔」


「何だよ」


 出た、名前を二回呼ぶやつ。今度は何だと思いながらコーヒーを啜る。


「生きてて楽しいですか?」


 コーヒーを噴き出しそうになった。

 日常会話でその話題を選ぶのって、どういう心理状況なんだ?


「別に楽しくはない」


「ですよね。トーストに何もつけないで食べる人は人生を楽しんでないって、メンタリストが言ってました」


 絶対言ってない。


「何でもかんでもメンタリストが言ってたって言えば許されると思うなよ」


「じゃあ、ひ●ゆきがトーストに何もつけない奴はバカって言ってました」


 じゃあって何だ。


「大輔。午後から空いてますか? あ、それとも仕事でした?」


「いや、今日は休みで予定もない」


「それは良かったです。ジャムでも買いにいきませんか? 人生にいろどりをつけましょう」


 ジャムを買うだけで人生が彩られるなら、そんなに楽なことはない。こいつはまだ社会の理不尽さを、荒波を知らないからそんなことが気軽に言えるのだ。


 ……いや、この考えはダメだなとすぐに思い直してため息を吐く。こんなものはただの老害的な思考だ。俺はまだ若い。世間一般的には、多分まだ若いはずだ。


「今ため息つきやがったな、この野郎」


 ジト目で睨まれた。


「俺自身に向けてのため息だから気にするな」


「言っている意味がよく分かりませんが……まあ良しとしましょう。では、午後からはお買い物タイムということで」


「ああ」


 人生に彩りを。

 考えたこともなかった。

 俺にはやりたいことも、辿り着きたい場所もない。だから適当に生きて、適当に死ねばいい。それが俺の人生観だ。


 もしかすると、こいつと生きていくことで、二人でジャムを買いに行くことで、何かが変わるのかもしれない。

 これは期待でもなく不安でもない。ただ漠然と、そうなるのかもしれないなと考えた。

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