1-4 こいつが人の名前を二回呼ぶときは大抵ろくでもない
「じゃあ風呂に入ってくるからな。大人しく待ってろ」
卯月の頭にポンと手を乗せる。
「まるで子供扱いですね」
不服そうだった。
「子供だろ」
「私は今年で十六です」
「そうか、俺は二十六だ」
「いや、別にお互いの年齢を確認したいとかではなく、私は私がもう立派なレィディであるということをアッピールしたんですが、このクソアラサー」
「立派なレディはクソとか言わないからな」
「お背中流しましょうかしら、ダディ?」
誰がダディだ。
これ以上付き合ってたら日付けが変わってしまう。無視して風呂場に向かおうとしたが、呼び止められた。
「大輔、大輔」
「何だよ」
先ほどのコンビニの件からすると、こいつが人の名前を二回呼ぶときは大抵ろくでもないことを言おうと考えているときだろう。
「……子供のころの約束、覚えてますか? 昔まだ大輔がよくうちに来てたころの」
「何かしたっけか?」
「……お、お、大人になったら、わ、私のこと、お、お嫁さんにしてくれるっていう」
もじもじと、顔を真っ赤にしながら、何かとんでもないことを言い出した。
何と返事をするべきか、最適解を求めて脳がフル回転を始める。
いや、そんな約束はしてない。してないはずだ。……してないよな、俺?
……あの頃の記憶があまりないから確信が持てない。おそらくだが、これは
嘘だと決めつけて適当にあしらって、それがもしも真実だった場合、俺はあらゆる意味で最低の男になる。
「わ、私……もう……け、結婚できる歳に……なったよ?」
結論を出す間も無く卯月が追い討ちをかけてくる。
潤んだ瞳に上目遣い。計算だ。嘘じゃないにしても、こいつは百パーセント計算でやっている。動揺なんてしてやるものか。
えーと、日本人女性の婚姻可能年齢は二〇二一年の現行法ではたしかに十六歳であるわけだが、二〇二二年には十八歳に引き上げられるはずで……いや、そんなことは今関係ない。
そもそも従姉妹と結婚ってできるんだっけか? いや、そもそもこいつと結婚ということ自体がありえないわけで、いやいや、もしも、仮に万が一、卯月がそんな約束を一途に想い続けて生きてきたというのならそれを無下にすることもできないわけで、いやいやいや――
って俺メチャクチャ動揺してるじゃねーか!
「……ふふん、私の勝ちですね、大輔」
先ほどまでの乙女な表情から一転して、卯月がいつものクソガキの顔になる。
「……やっぱり嘘だったか」
ムカつきよりも安堵が勝ったが、それはそれでまたムカついてきた。何を安心しているんだ俺は。
「今、私との結婚について多少なりとも意識しましたよね? それはつまり、私のことを子供ではなく女として見ているという何よりの動かぬ証拠!」
ビシッと人差し指を突きつけてくる。
「アホか! 女にあんな顔であんなこと言われりゃ誰だって――」
そこまで言ってから、しまったと思う。
案の定、卯月がほくそ笑んだ。
「語るに落ちたな、アホめ! 今、女って言ったよなぁ!?」
こんのクソガキ。
少し分からせてやる必要があるようだ。
「何だおまえ、俺に女として見られたいのか? 俺に気があるのか?」
「は? いや、別にそういうわけでは。ただ子供扱いにムカついただけですが?」
卯月がムッとした顔をする。
「そうか。でもな、俺の方はもうその気になったぞ」
卯月の華奢な体を抱き寄せる。
「ひょわ!? い、いきなりなんですか!? ビーストモードですか!? せ、性欲を持て余してるんですか!?」
突然のことに混乱したのか素っ頓狂な悲鳴をあげ、よく分からないことを言い始めた。
……何をしてるんだ、俺は子供相手にムキになって。
何か猛烈に恥ずかしくなってきた。
これは違う、こいつの体に触れてるからとかではなく、自分の子供じみた行動が恥ずかしいだけだ。
ていうか、こいつも嫌ならもっと暴れるなりして抵抗しろよ。俺の予定ではそうなるはずだった。それで仕返しだバカめと笑って終わるはずだった。何でじっとしてるんだよ。
「……んなわけないだろ。仕返しにからかってみただけだ」
これ以上は居た堪れない気持ちになり、卯月の体を解放した。
「……大輔の方こそ、子供じゃないですか」
卯月は目を逸らし、耳まで真っ赤にしながら俺を非難した。
返す言葉もない。からかうにしても少しやりすぎたと反省する。
「……悪かった」
「セクハラです」
返す言葉もないPart2。
「……申し訳ない」
「しかも、ちょっと勃起してましたよね?」
「してねーよ!」
流石にそれには言い返した。
「何か硬いものが下腹部に当たってました……」
……してないよな?
自分の体を見下ろすと、ベルトの金具が目に入った。
「当たってたのはこれだ、これ!」
自分のベルトを指差して猛抗議すると、卯月は両手で自分の顔を覆って目隠しをした。
「いやです! そんな風に自分のちんちんをアピールしないでください! 大輔があまりにも可愛い私に欲情してしまったのは致し方ないにしても! そんなに勃起アピールをしないでください!」
「おまえ分かってて言ってんだろ!? ベルトの金具だって分かってんだろ!?」
「……うへへ、バレました?」
こいつ殴りたい。
もういい、今日のところは俺の負けだ。
敗因はムキになったことだ。これからはこいつが何をしてきても絶対冷静に対応してやる。
「……今度こそ風呂入ってくる」
「風呂場で私の体の感触を思い出してシコらないでくださいね」
「おまえでそれをするくらいなら死を選ぶわ、バカ」
しかし、結婚の話を出されたときは流石に焦った。あのときの表情は本物に見えた。卯月はバカだが、その演技力は侮れない。
「おまえ、演技は上手いのな。将来はそっちに進んだらどうだ?」
「はえ? 何のことですか?」
「結婚の話のときだよ。マジで恥じらってるのかと思った」
「…………あれは、その、一応」
そのときのことを思い出したのか、卯月がまた顔を赤く染めた。そうだ、その顔だ。
「嘘でもあんなこと言うの、本当に恥ずかしかったから……です……」
何だそれ。つまり演技じゃなかったと?
……まずい。今、ほんの一瞬、こいつのことを可愛いかもと思っちまった。顔が熱くなるのを感じ、咄嗟に背を向けた。
「……そうかよ、じゃあ大人しく待ってろよ」
それだけ言い残し、バスタオルと着替えを持って逃げるように早足で風呂場へと駆け込んだ。
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