1-3 スマホは保険証のみでは新規契約できない

 飯を食い終わり、後は風呂に入って寝るだけとなった。

 しかし、今後こいつと暮らしていく上ではそれが一番の問題だった。着替えのスペース、風呂に入る順番、寝る場所……俺が床で寝ることになるんだろうな、きっと。


「風呂、どっちが先に入る」


「お先にどうぞ。私めは居候の立場ですので」


「分かった。そういえば、着替えはあるのか?」


「とりあえず今日と明日分は持ってきました。明日か明後日に、家から荷物届くと思いますんで」


 卯月が背負ってきて、今は部屋の隅に置かれているリュックサックを指差す。


「あ、やば」


 しまったと言わんばかりに片手を口に当てる。


「どうした」


「私がお風呂に入ってる間にリュックの中身を漁って、あまつさえ私の下着を頭にかぶったりしたらダメですからね?」


 メッ! と俺に向けて人差し指を立ててくる。

 真横に折ってやろうか、その人差し指。

 いかん、頭に上った血を下ろせ、冷静になれ。


「卯月」


 ふぅ、と一つため息を吐いてから彼女の名前を呼んだ。


「はい」


「おまえこそ俺のパンツかぶるなよ」


 渾身の切り返しをしてやったぜと思ったのも束の間、卯月の返しは俺の予想をさらに斜め上にいくものだった。


「……それは考えてませんでしたが、メチャクチャそそられる提案ですね……自分の衝動を抑えられないかもしれません……」


「提案してねーんだよ! マジでやめろ!」


「冗談です」


 フフッと笑う。

 接客業をやってそれなりに長いからある程度は人の考えを読み取れるつもりだが、こいつだけはマジで分からん。

 おそらくはここに来たばかりでまだ猫を被ってるのもあるんだろうが、宇宙人と話してる気分になる。


「とりあえず着替えは、玄関のところでするか。それでいいか?」


 俺の提案に卯月は無言で頷いた。


 我が家の構造は玄関とユニットバスが隣接していて、ドアを一つ挟んでこの六畳間となっている。鍵もないドアを隔ててだが、一応は着替えのスペースは確保できることになる。


「部屋の中とか勝手に漁るなよ」


「あまりに暇だったら漁るかもしれません」


「テレビでも見てろ」


「テレビ、あんまり興味ないんですよねぇ……パソコン……はないか……スマホ、ありません?」


「おまえみたいな危険人物にそんなもん貸せるか」


「えー、エロサイトの履歴とか見ないから安心してくださいよ」


 俺も男なのでそういうものも無くはないが、それ以上に個人情報の塊であるスマホを他人に貸すという行為に抵抗を覚える。


「おまえ、自分のスマホは?」


「ママンに没収されました。これは私が契約したものだからって。ひどくね?」


 そこまでするのか、こいつの母親は。

 流石に同情しないでもない。


「……おまえ、免許証……はないよな、パスポートかマイナンバーカード持ってるか?」


「ないけど、なんでですか?」


「スマホの契約に必要なんだよ。おまえの名義で持てば、おまえの親だって文句ないだろ」


「買ってくれんの!? マジ!?」


 今まで見てきた中で、一番目を輝かせた瞬間だった。


「でも公的な書類がないと無理だ」


「保険証ならあるよ!?」


「じゃああとは住民票か」


「保険証だけじゃダメなの!?」


 今まで見てきた中で、一番ショックを受けた顔だった。


「……どっちにしても未成年の新規契約だから親の同意と同伴もいるな、面倒くせーからやっぱなし」


 卯月は両手で頭を抱えて苦悶の唸り声をあげたが、それから間もなく名案が浮かんだとばかりに両手を叩いた。そして俺にそっと抱きついてきた。


「今日から大輔が私のパパだよ。パパ大好き」


「誤解しか生まない言動やめろ!」


 抱きついてきた卯月を振り払う。


「ケチ。携帯店員の職権で書類くらいパパッと捏造してよ」


「バレたら俺がクビになっておまえも道連れで路頭に迷うぞ」


「う……それはちょっと、かなり困る……」


「スマホは諦めろ」


「っ! やだやだ! スマホないと死んじゃう! 友達にも連絡できないし、ツイッターで三十秒に一回つぶやかないと動悸がするし、ウマ的な娘たちも私の帰りを待ってるんだよぉ!」


 重度のスマホ依存症だった。

 泣きついてきた。ていうか激突してきた挙句にガチ泣きしてきた。どうせ今脱ぐところだったから構わないが、ワイシャツを涙と鼻水でめっちゃ濡らされた。


 流石に少しばかり可哀想だと思い、どうにかする手段に思考を巡らせる。……俺の名義で契約して卯月に持たせるか? いや、それはコンプラ的にアウトだし、卯月の親に黙ってそれをやってバレたときもアウトだ。やはり何にせよ、こいつが未成年である以上は親は通さないといけない。


 時間を確認する。

 ……二十三時過ぎか。

 社会的な常識からは外れる時間だし、明日に回してもいいんだが……このままこいつに泣かれ続けても、その、何だ、困る。


「おまえの親、この時間起きてるか」


「え? ……うん、多分、お父さんは今ごろ一人で酒かっくらってると思うけど」


「そうか。父親の番号分かるか?」


「……分かんない」


 そりゃそうか、俺だって家族の番号なんて頭に入ってない。母親にメッセージを送り、卯月の父親の番号を教えてくれと頼んだ。

 すると何故かメッセージではなく電話が鳴った。


『ちょっと大ちゃん! 今ゲームでハイスコア出そうだったのに〜!』


 この人もこの人で、なかなかにスマホ依存症だった。


「わ、悪い。ちょっと至急なんだけど、卯月の父親の番号教えてくれるか?」


『……ふぅん、いいけど、どうして?』


「一応大事な娘を預かる身なんだから挨拶するべきだろ。無事にうちに着きましたってのも伝えておきたいし」


『あら、らしくないこと言うのね〜。それならもうお母さんからさっき連絡しておいたわよ〜?』


「俺からもするべきだろ。いいから教えてくれよ」


『大ちゃん立派になったわね〜。お母さん嬉しいわ〜、ヨヨヨ〜』


「茶番はいいから」


『……分かりました。お母さんからも、卯月ちゃんのお父さんに大ちゃんの番号から電話行くって伝えておくから。三分後に電話すること。いい?』


「……ありがとう、助かる」


 電話を切る。

 一部始終を聞いていた卯月が期待と不安が入り混じった目で俺を見上げていた。


「……スマホの件はどうにかしてやる。だからもう泣くな」


「マジ!? ど、どうしよう……私、お礼なんて何も……体で払うくらいしか……」


「いらねぇ」


「ちっ、ちょっとはドギマギしろよ……ラブコメ主人公みたいな環境にいるくせに……」


 何か小声でぶつくさ言ってる。どうにかしてやるの、やめようかな。


「………………ありがと」


 こちらから全力で目を逸らして、今にも消え入りそうな声だったが、一応お礼の言葉は聞こえてきたので良しとする。


 素直じゃない奴。……俺も人のことは言えないが。

 案外、似た者同士なのかもしれない。


 そうこうしている内に三分経ったので、母親から送られてきた番号に電話をする。緊張はない。仕事と同じだ。俺は人と話すことは好きではないが、慣れている。


 卯月の父親は三コールで電話に出た。


『……久しぶりだね、大輔くん。この度は我が家の問題で君に迷惑をかけることになって、本当に申し訳ない』


 聞き覚えのある声だった。

 それはそうだ。十年ほど前までは、まだ親戚付き合いが続いていたころは、この人の家にもよく遊びに行っていた。


「お久しぶりです、叔父さん。全く迷惑じゃないと言えば嘘になりますが、それはもうお気になさらずに」


 自分ではもっと冷静に話せると思っていたが、いざ相手の声を聞くと頭に血が上るのを感じた。……卯月の泣き顔を見た後だからだろうか。


『君は相変わらず正直に物を言うね。……私に何か言いたいことがあるんだろう?』


 あんた、この子の父親ならこんなことにならないように出来なかったのか。そんな言葉が喉まで出たが、唾と一緒にしてどうにか飲み込んだ。


「まずは、娘さんを預からせていただくにあたってご挨拶をと思いまして」


『……そうか、こちらこそよろしく頼む。君のお母さんから聞いているかと思うが、卯月の養育費は毎月二十五日に君の口座に振り込む。額は――』


 ひどく事務的な話を進める。

 こんなものは親戚同士の会話ではない。

 子供を預ける人間と、預かる人間の間での確認事項のすり合わせだ。仕事の契約業務に似ている。


「――ええ、ええ、分かりました。……ああ、それともう一つ大事なことが」


『何だい?』


「卯月さんのスマホですが、それを彼女に返すわけにはいかないんですか?」


『……それは無理だ。妻がもう解約して、本体も売ってしまって家にはない』


 そこまでするのか。卯月が家を出たのは今日の話だよな? それより前にスマホを没収してたとしても、行動が異常に早すぎる。

 母親はよほど卯月のことが憎かったと見える。


 あんたはそれを黙って見てただけかよ。卯月こいつはちょっと重度だとしても、この年頃の子供にとってスマホがどんだけ大事なのか、そんなことも分かんねーのかよ。


 ……ここでそんな怒りをぶち撒けてもどうにもならない。

 一つ深呼吸して、冷静さを取り戻す。


「分かりました。では、卯月さんに新しいスマホを持たせようかと考えているんですが、それは構いませんね? 私も仕事柄帰りが遅くなることが多くて、連絡できないと何かと不便なので」


『ああ、それは。……こちらからもよろしく頼む』


「ありがとうございます。つきまして、卯月さんは未成年なので、契約にあたっては保護者の同意と同伴が必要となります。お忙しい中恐縮ではありますが、お時間のご都合をつけていただきたいのですが」


『それは……そうだな、私は日中時間を取るのが難しいから妻に……いや、それはダメだな……分かった、どうにかしよう』


 妻に伝えておこうとでも言われたら今度こそ怒鳴るところだったが、叔父さんも流石にそこまで考えなしではなかったらしい。


「……ありがとうございます。必要な書類に関しては追って連絡いたしますので。……ええ、ええ、では、失礼いたします。夜分遅くに申し訳ありませんでした」


 電話を切る。

 ……疲れた。下手なクレーム処理よりも疲れた。

 いや、違う、今はそんなことよりも、目の前のこいつの心情を思えば、疲れ果ててる場合ではない。


「…………ごめ――」


「あー、おまえの親って最悪な」


 卯月が謝罪の言葉を言い終えるよりも早く、家族に対しての悪口を言ってやった。


「……え?」


 呆気に取られたように、卯月がポカンと口を開ける。


「今の電話だけでも分かった。母親はサイコパスっぽいし、父親は頼りない」


 普通なら、良識で考えれば、こんなこと言ってはいけないことに決まっている。でも言ってやった。だって、こいつが育ってきた環境はきっと普通じゃない。


 その証拠に、こいつは自分の親をボロクソ言われたっていうのに。


「本当それなー」


 未だ涙を流しながらも、どこか満足げに笑ったのだから。

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