I'll stay with you. -1
「かなわないなぁ まったく」
俺はビリヤードで勝った。ポーカーで勝った。
「今日はジョシュの驕りだな」
目の前の男にそう言う。彼の名前はジョシュ。彼は 俺のことを何も知らない。
あいつは上手いことやっていた。大学の法科に進むんだと。その頃には全てを知ったビルに、俺は頼むと頭を下げた。なんとか金を届ける。どうかあいつの望みを叶えてやってほしい。
ビルは俺の肩に手を置いて、心配するな と言ってくれた。
「金は心配ない。贅沢はさせてやれんが、それなりのことは出来るよ」
俺は心から感謝した。俺の作れる金なんて高が知れてたが、ビルはそれも一緒に送ってくれた。小遣いを少しでも送ってやりたかった。遊んでほしかったんだ、普通の学生のように。
あいつは頑張っていた。人の世話になるだけじゃダメだと、勉強を頑張り、バイトを頑張り、そしてそれでも明るく笑っていた。
本当に屈託なく笑うその笑顔は、陽の光が舞うようだった。立派な男になったんだなぁ……
ビルのモーテルはいつもあったかかった。
「いつでも来ていいんだよ」
「あんたから金は取らないよ」
そう言ってくれるビルは、父を知らないこの俺にとって、まるで親父のようだった。
たまに訪れるあいつと被らない時を見計らって、俺はビルを手伝った。狩りの合間、合間の小さな時間だったけど、それは俺の孤独を埋めてくれた。ビルはこのモーテルを愛していた。小さな心遣いは、いつも心を癒してくれる。人の温もりを感じるコーヒーとパン。何よりもそれは美味かった。
ビルは突然倒れた。俺は慌てて、悲鳴のように人を呼んだ。ビルは俺の手を握って、「ジョシュを頼む」
そう呟いた。
「分かってる。これからは俺が守っていく。誓うよ」
俺はそう答えた。
ジョシュに努めて冷静に連絡をした。学校も緊急の連絡先も、全てこの頭に入っている。あいつはすぐに帰ってきた。普通じゃなかった。お前は独りじゃないんだと そう言ってやりたい。呆然とすべてを失くした哀しみにお前を溺れさせていたくは無かった。
お前はビルによくしていたよ。ビルが語るお前は、いつもほのぼのと明るくて、お前のことをビルはいつも考えてくれてたんだよ。
「食べなきゃだめだ」
「おっさんはあんたのその姿、見たくはないだろうよ」
「おい。たまには出かけようぜ」
どんなに俺が鬱陶しかっただろう。分かってたよ。分かってた。でもな、それじゃダメなんだ。俺の誓いも、ビルの願いも、お前に届かないだろ? 届かなくてもいいよ。でも、歩きだしてほしいんだ。
「あんた、客だろ! 金払ったら出てくんじゃないか! いいから俺に構うなよ!」
そうだよな。お前の言う通りだ。けれど放ってなんぞおけるか。
お前が後ろに吹っ飛んでった時、俺は自分を殴ったような気がした。どうしてお前を殴れるんだろう。
「大丈夫か」
お前を引き起こしながら、(絶対に助けてやるからな)そう、もう一度誓ったんだ。お前が俺をその目に認めてくれた時、俺はすごく嬉しかったよ。
お前がここを閉めないことは分かっていた。そして、その選択で苦しむことも。
お前の苦悩が俺を苦しめる。結局なにもしてやれないのか?
お前の親父替わりのビルが愛したこのモーテルを俺は出来るだけそのままにお前に手渡したかった。だからお前の心が戻るまで俺は代わりを務めたいと思った。
大丈夫さ。お前が動けないなら、俺が代わりにやってやる。でもな。このままじゃだめなんだ。お前がだめになっちまう。だからさ……笑えよ。お前の笑顔は太陽なんだからさ。ビルにも、俺にも太陽だったんだ。
だから俺はしばらく狩りを休むことにした。学校、行けよ。掴めるものがあるなら掴んで来いよ。なんならずぅっと、やってたっていいんだ。お前のためなら何だって捨てられる気がする。
デュークだ。 それだけを教えた。それしか言わなかったし、あいつも聞かなかった。俺がモーテルを手伝うという申し出はあいつに余計な負担をかけたのかもしれない。唐突過ぎたことを俺は後悔した。
「気にすんなよ。言ってみただけさ。俺、結構図々しいからな」
「うん。そうだね」
そう来るとは思わなかったよ。俺はつい笑っちまった。なかなかやるじゃないかってな。
お前は笑った。気が触れたように、哭くように、哀しみで心が捻じれるように笑った。そして、泣いた。止めどなく涙を流した。俺は心が引き千切れそうだったよ。俺に出来ることは、ただただ背中を撫でてやることだけだった……
俺を受け入れてくれて3日間。二人で仕事を確認しあった。人様のモーテルだ。「失敗しました」は通らない。ましてやお前のモーテルだ。きちんとお前に返すからな。
幸せな3日だった。初めてだ。こんなに幸せを感じたのは。弟の傍にいる。弟を助けてやれる。守るものがあるってこんなに幸せなんだとお前は俺に教えてくれた。
お前の落としたパン。固かったけど、美味かったよ。なんだかちょっと塩っぱかったけどな。なんだか目から雨が降ってさ。
お前が学校に行って2か月の間、俺はまともに働いた。目的があって、そしてそれがお前の役に立つ。もし、もし、お前が進む道を他に見つけても俺はここでたまに帰るお前を待ってればいいじゃないか。そう思うようになっていた。お前に役立つ俺になりたかったんだ。
帰る。そう電話で聞いた時、(そうか ここを引き継ぐ日が来たか)、そう思った。うん、そうだ。そうしたらビルも喜ぶ。せめて出迎えてやろう。ビルの代りに。俺が箒を持って駐車場に出た時にお前は帰って来た。
「ただいま!」
俺に? 俺に「ただいま」と言ってくれるのか?
ハグ……俺は夢見てたよ。家族からのハグ。愛しい者からのハグ。でもしたことのないそれは酷くぎこちなくて、ハグと「ただいま!」に、俺は景色が滲んで見えた。
帰ると聞いてから、モーテルは完璧にしておいた。お前に手渡すことの出来る、唯一のものだもんな。俺はこれでお役御免なんだ。どうせ俺は流れ者。お前の傍にいていいやつじゃない。きっと俺の不運の中に引きずり込むだけさ。
なのに……なんでお前は俺を止める? なぜ何も聞かない? 本気で言ってるのか、俺がそばにいていいと。
俺は初めて名前を呼んだよ、「ジョシュ」と。初めて言ってくれたと喜ぶお前。しがみつくお前。
いていいんだな? 俺がそばにいて、構わないんだな? 俺は端っから諦めてたんだよ。これからはまた陰から見守って行こうと。しがみつくお前を、俺は抱きしめずにはいられなかった。
「経営者は俺だ」
そうだ。それでいいんだ。やっとお前の本当の笑顔が見れたよ。
ベッドを俺に買ってくれる……何かしてもらうってことに慣れてない俺は、今までの暮らしとあまりにも勝手が違い過ぎて、戸惑っちまった。俺が遠慮するのをあいつは笑い飛ばした。いいもんだなぁ。気にかけてもらえるってのはさ。俺は嘘みたいにお前に甘やかされる毎日に溺れていった。けれどその幸せはあまりにも以前の俺からかけ離れていて……
合間合間の狩りは、その妙な息苦しさから解放してくれた。たまに1人で厳しいかと思うような敵もいたが、俺には帰ってくる目的が出来た。無事にジョシュの所に帰らなくちゃならない。その思いが俺の命を何度か救ってくれた。
休みを取ろうという。きっと気持ちにも余裕が出たんだろうな。良かったよ、そんな風になって。最初の頃のお前はとても脆くて、すぐにも砕けそうなガラスのようなやつだった。
だからすごく俺は嬉しかった。
「かなわないなぁ まったく」
俺はビリヤードで勝った。ポーカーで勝った。
「今日はジョシュの驕りだな」
妙にハイテンションになっていた俺。お前とこうやって飯食って酒飲んで。いつもと違う空間にいるようだった。
お前は少しの酒で酔っぱらって、俺も少しの酒で出来上がっちまった。なんだか口も心も緩んで、らしくもなく喋りたい気分だった。
自分のことなんか話したことも無かったから聞いてもらえるのが嬉しかったんだと思う。俺は要らぬことを喋っちまったよな……
お袋は俺を教会に預ければ助かるだろう そう思ったに違いない。暮らし向きが悪かったんだと思う。きっと止むを得ない事情があったんだ。
いろんな気持ちが駆け巡ったけど、教会での生活はあまりにも苦しかった。
――神さまが罰を与えますよ。
年がら年中、その言葉に追っかけられた。だから、お袋が迎えに来てくれた時には嬉しかった。俺にも母親がいたんだ。夢を見ているような気分だった。
でも、お袋は俺に対する負い目が強過ぎた。実際どうしていいか分からなかったんだろう。
行ってみれば4つ下の弟。亡くなった親友の子どもを引き取ったんだと言う。その子を引き取って俺は教会か……躊躇うことなくお袋に甘ったれてハグし、返されているそいつ。妬ましかった。少しは羨ましかったか。それでも、俺の出来なかったことをしてる男の子がすごく眩しくて。
その子はすぐに俺に慣れて、「デューク」「デューク」と呼んでくれるようになった。家族のいなかった俺に、ぎこちないとはいえ母親が出来、血は繋がらなくても弟が出来た。
酷い空腹に、一時に美味いもんを与えられると、食うことに恐怖が生まれるもんなんだ。長いこと水を飲まなかったら、湖みたいな水を前にしたら圧倒されちまう。
そんなもんだ。
俺は怖かった。またみんな消えてしまわないか?
俺はいつか満たされるのか?不安と、期待と、その中にいる居心地の悪さと。いつの間にか学校の帰りに寄り道することが増えた。
そして、赤 を見たんだ。
明かりの下の赤は、きれいだった。この世のものとも思えないほど。その赤の中に俺は浸されていた。お袋はきれいだった。初めて俺に解放された目を向けていた。生気のない目。まともに俺を見つめてくれたのはそれが最初で、そして最後になった。
ジョシュが部屋の端っこに震えて声も出せずにいた。俺は自分がコイツに食われていいと思ったよ。その、真っ赤な口をした異様な顔の男に。人間じゃなかった。人間じゃない。
俺がこの家に来たことで、この家に災いをもたらしたんじゃないだろうか。俺の不幸が、俺に引っ付いて追っかけてきたんだろうか。
今出来ることは、あの端っこの弟を助けることだけだった。だから俺は動かなかった。
俺に気を取られたそいつはまっすぐ俺の目の前に来た。構わない。もし……もし弟に何かあるとしても、見ないで済む。
そんな身勝手な思いもあったのさ。俺はその時に、お袋みたいに弟を手放しちまったのかもしれないな。『守りたいから』そう自分に言い聞かせて。
表から聞こえた人の声でそいつは逃げていった。玄関が開けっ放しだったせいで、そして弟の悲鳴で人が集まって来た。俺は弟の傍にも行けず、周りの成すがままになっていた。
『そうか。寄り道して君は助かったね。本当に良かった』
なんの冗談だ? 死んだのは俺のお袋だ。不器用に俺に接してくれたお袋だ。寄り道して良かった? 俺は素直に帰れなかったのに。傍で守ることも出来ず、最期を看取ることも出来ず、手も握れず。元々きれいだったお袋は、赤い衣装を身にまとってすごく綺麗だった。
俺はキスしたかった。ハグしたかった。これが最後のお袋との触れあいかもしれない……けど体が動かなかい。それで、サヨナラだ。
『デューク! デューク!』
弟は叫んでいた。見知らぬ人に抱っこされて。俺に手を伸ばして。そんなに必要とされたのにやっぱり俺は体が動かず、そして弟は俺の前から消えていった……
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