ミック-2

 レドモンドは昼間倒した奇妙な魔物の血を洗い流していた。ゆらゆら近づいてきてはナイフの前に倒れていく。戦うというほどのものじゃない。4体あっという間に倒した。新手が現れるかと思ったがそれきりだった。

(ミックに伝えておかないと。見たことの無い魔物だ、こいつは)

 1体を残して裏に埋めた。目で確認させないといけない、倒し方も。

 家に入って昼飯の用意を始める。もうすぐミックが帰ってくるはずだ。野菜を切りながら何かを感じた。すぐにナイフを取る。

(なんだ?)

 それはハンター特有の勘だった。自分の身は自分で守るしかない。守れなければただ死ぬだけだ。

 急いでミックにテーブルの上のノートに書き記す。

『すぐに行動に移るな 敵をまず知るんだ』

 これは自分が万一死んだ時のためのミックへのメモだ。ミックにしてやれることはこれだけ。どうせこれをミックが読む時には自分はいないのだから。今までも数々の戦いの中でこんなメモをミックに残した。しかし無事帰ってきてメモを破り捨てることが出来た。


 レドモンドは、今回もそうであるようにとは祈らなかった。ハンターの自分に祈りなど必要が無い。死ぬ時には死ぬ。それがハンターだ。

 腰に銃を差して、両手にナイフを掴んで外に出た。さっきの感じたものが勘違いなどということはあり得ない。それではハンターとは言えない。

 微かに音が聞こえてきた。

(さっきの魔物の仲間か?)

 あの魔物の様子には、仲間と助け合うという行動は無かった。群れてはいても知恵は無いということだろう。それでも迷わずここに向かってくるということは、何か根拠があるはずなのだ。

 今のレドモンドは46歳。ハンターとしては熟練者だ。壁にかけてある梯子から屋根に上った。そこからなら遠くが見える。

 見えてきたのは9体の球体だった。さっき殺したものと形状が違う。それがまるで統率が取れているように転がってきている。真っ直ぐ目指しているのはこの家だ。屋根に身を潜めて魔物の行動を見守った。


 一斉に家の前で止まり球体が身を解いていく。緑に赤と黒の縞模様が入った、見るからに毒々しいトカゲのような姿だ。それがまるで人間のように立ち上がっている。身長は約3メートル。

(これは、さっきの魔物だ)

 裏に埋めたものと同じだった。しばらく家の周りでゆらゆらと立っていたが、1体が球体になると残りもすぐ球体となった。直径で1メートルくらいか。

 球体は一度後ろに下がり、一斉に家目がけて転がってきた。最初の一撃で壁が崩れ始めた。次の攻撃で反対側の壁から突き抜けていく。崩れるのも目前の屋根からレドモンドは飛び降りた。

 腰の銃を引き抜いて近づいてくる球体に何発か撃ち込んだが、スピードの変化すらない。両手に持ち直したナイフが煌めく。それも手が痺れるほどに跳ね返されるだけだった。

(こいつら、皮膚が硬い。簡単に殺せたのは球体じゃなかったからか)

 その内、右から左から転がってき始め四方を取り囲まれた。何体かが球体を解いたのを見てすかさずそれを倒したが、他は形状を保ったまま。

(ミック、こいつらは手強いぞ)

 レドモンドがまともにものを考えたのはそこまでだった。躱しながらナイフを突き立てようとしたが無駄な足掻きだ。

 ふと近くの木の上にミックの視線を感じた。ガッチリとレドモンドと目を合わせたミックが木から飛び降りようとする。レドモンドは首を横に振った。今来ればただの犬死にだ。

 初めてミックに向ける微笑んだ顔が、レドモンドの最期だった。


 球体が去った後、ミックは下に降りた。ずたずたに引き裂かれたレドモンドの胸に頬をつける。何もそこから感じるものが無い。

 立ち上がると倒壊寸前の家の中に入った。慌てることなく、食料、着替え、武器を持ち出す。足元に落ちているメモを拾った。

『すぐに行動に移るな 敵をまず知るんだ』

頷くとメモを捨てる。必要なものを古い大きめのバッグに入れると外に出た。

 レドモンドの体を担ぎ、裏に行く。しっかりと深く穴を掘り遺体を中に落とす。土をかけ、埋め終わるとそこに手のひらを置いてほんの少し目を閉じた。

 バッグを担ぎ歩き始める。もう後ろは振り向かなかった。


 世間知らずと言えば世間知らずだ。そこはレドモンドが責められるべきかもしれない。ミックが社会というものと交わるような機会を作らなかった。レドモンド自身が人嫌いだったせいだ。

 ミックはあまり感情を表さないからレドモンドにとって一緒にいるのが楽な相手だった。だからミックはレドモンドを通してしか世間のことを知らない。関わる必要が生まれる場面も無かった。レドモンドと狩りをすればただそれで良かった。命のやり取りには高揚するミックは、ナイフがあれば他に欲しい物も無かった。 

 そのレドモンドが死んでしまった今、さし当ってすることが無い。さっきの丸いものを追おうかと思ったが、地面に手をつけてもあの振動は全く感じなかった。


 よくレドモンドに連れて行かれた酒場に行ってみた。座って途方に暮れる。普段はレドモンドがこういう場所ではなんでもやってくれた。じっとしていると女性が寄って来た。

「あなた、レドモンドがよく連れてきてた子ね? 私はキャシーよ。今日は一人?」

 自分に話しかけている。いつも話しているのはレドモンドとだった。初めて自分が話しかけられた。唇を読むことはできる。けれどそれだけだ。

「あなた、聞こえないの?」

口を見て頷く。

「まぁ! 喋るのは?」

首を振った。キャシーが前に座り込んだ。

「何か欲しい? 言うことは分かるのね」

 いくつもの質問を一度にされると困る。喉は乾いている。コップを煽る真似をしてみた。

「何が飲めるのかしら…… レドモンドは何を注文してたかな」

 ほとんど独り言だが、ミックは熱心にその口を読んだ。これから先、必要なことだ。もう頼む相手はいない。

「いろいろ持ってくるわ。待ってて」

それには頷いた。

 目の前にビール、ウィスキーが2種類、炭酸の瓶が並んだ。迷わずウィスキーを選んだ。

「ジャック・ダニエルが好きなの?」

 首を傾げた。選んだのはレドモンドがいつもそれを飲んでいたからだ。ミックは一度も飲んだことが無い。いつも目の前に置かれるのは炭酸だった。 

 キャシーが「1杯目は奢りよ」と言った。金銭感覚はある。持ち出したものの中に入れた小さな缶。そこには『万一のために』とレドモンドがある程度の金を入れてくれていた。

『いいか、俺に何かがあればこれを使え。これだけあればしばらく困らない。その間に金を手に入れるんだ。方法は分かるな?』 

 レドモンドはポーカーの才もいかさまの方法もビリヤードも仕込んでくれていた。手っ取り早く行く先々で金を稼ぐにはこれが一番いい。


 1杯目を飲み終わるとふわっとして、ミックはその感覚が気に入った。金をテーブルに置いてもう1杯を頼む。

(ジャック・ダニエル)

名前を繰り返して、覚える。これからは全部一人でやって行くのだ。

 ふわっとしただけで酔わなかった。いや、酔ったのだろうが、酒には強いらしい。感覚が損なわれることもなく、ただグラスを次々と空けた。酒とはそういうものだと体が覚えた。

「驚いたわ! お酒、強いのね! ねぇ、2階に行かない? 楽しいことしましょうよ」

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