誕生日-2
「さっきの続き。何分の1って言い方したのはな、死にかけてたお母さんをちょっと齧っただけだからさ。たまたま通りかかった町ん中で俺は同類の気配を感じたんだ。分かるんだよ、そういうことって。俺たちリピドーってのは誰かと組んだりしないんだ。縄張り意識みたいなのがあって互いに避けて行動してる。だから気配を感じたら普通は離れるのさ。けど生憎俺は普通じゃないんだ、人間の血が混じってるから」
すごく難しい話をされてるような気がする…… だって、ついさっきお母さんがお母さんを食べたって聞かされて、包丁持ったらおじさんの腹に突き刺さってて、それを捏ねて消すのを見て…… なのにややこしい話を理解しろって言われても。
「たまにあるらしい、旦那を食ってその旦那になりすます。で奥さんと…… ああ、ここは言わない方がいいよな、お前子どもだし。それで俺みたいなのが生まれるってわけだ」
「いいよ、セックスしたってことでしょ? おじさんのリピドーのお父さんと人間のお母さんが」
「こら! 子どもがそんな言葉口にするんだじゃないっ!」
「ホントのことなのに」
「言葉には境目があるんだ、使っていいかどうかって言う」
「……僕のお母さんを食べたって言ったくせに」
「そうだけど…… 続き、聞けよ」
じゃ、すごく人間っぽいって時々感じたのは間違いじゃなかったんだ。半分は人間。それだけでもだいぶ違う。だっていい気持ちじゃない、自分を育てたのはお母さんを食べたただの魔物だっていう話なんて。
続きを聞きたいのかどうか。迷ってる僕の気持ちにお構いなしにおじさんは続きを話してる。
「俺がなんでそんな好奇心を持ったかって言うとな、明らかにそいつは枠を超えてたからさ。食い過ぎってヤツ」
「食い過ぎ…… 人を?」
「いろんなもんを食うがな、猫だの犬だの狐だの。もちろん人も。ただ大概加減する。その地区の死亡率が目立って上がるような食い方はしない。だって生きてくのにそれほど食う必要はないんだ。俺はお前と食事をするよな」
「うん。でもほとんど食べてないでしょ? 食べてる振りしてるだけで」
「一人ぽっちで食事するよりいいだろ! えっとな、今言いたいのはそんなことじゃない。俺たちリピドーは生きてるもんしか食わねぇんだよ。けどな、食う必要はあるがそれは人じゃなくたっていいんだ。だが俺が感じたそいつの…… 匂いって言うかな、なんつったらいいか、気配はだだ洩れになるくらいに人を食らった感じだった」
「何食べたかって分かるの?」
「普通分かんねぇよ。そんな極端な食い方はしないから。第一俺はそういう食い方は嫌いなんだ、品が無くて」
「ちょっと待って」
今多分、『リピドー』って言う魔物の生態っていうのを聞かされてるんだと思う。なんでそんなこと話すのか知らないけど。
「おじさんが言ってるのは、1人食べるのはいいけど3人食べるのは良くないっていうこと?」
「……お前って時々いやぁな突っ込み方するよな。ああ、その通りだ。人間だって食う必要ない量の鹿を撃っちゃならないって分かってるだろ?」
「食べもしないものを娯楽で殺しちゃいけないっていうことだよね」
「偉いぞ、よく勉強してる」
「お母さんが教育ママだからね」
「とにかく何が問題かって、そいつは生きるのに必要なことをしてるんじゃないってことだ。あれこれ化けて人の生活に踏み込んでそして家族を食い散らかして次に移動してる」
「だってそれが習性なんでしょ? 魔物だもん」
「間違って覚えるな。最初に言った通りだ。俺たちはバカじゃない。目立つ動きはしないんだ。ハンターの対象にならないように極力気をつけて生きている。そういう派手なことをやるのがいると俺たちまで巻き添えで狩られるんだ。だからそいつを探した」
「殺人を止めるためじゃないんだよね? 自分たちを守るためでしょ?」
「結果としちゃ同じにならねぇか?」
それには返事しなかった。どこが同じなら許せるんだろう。どこが違えば憎めるんだろう。僕にはそんなこと分からないよ。
「2度失敗した。もうちょっとってとこで捕まえ損ねた。でその次がお前んとこだった」
「お母さん……」
「そうだ。お前のお母さんだ。家に入った時には血の匂いが充満してた。だが声も聞こえた。お前の名前を呼んで」
「やめて! そこ、聞きたくない!」
「……ごめん。そうだよな、悪かった」
おじさんは本当に悪いことを言ったっていう顔をしていた。多分そう思ってると思う。魔物のクセにこういうところはすごくはっきりしてるんだ。
「……それで…… 捕まえに来たのに一緒にお母さんを食べたの?」
「一つだけ先に言わせてくれ。俺は人を食い殺したことはねぇよ」
「だって食べなきゃ化けられないって」
「俺のやり方は他のヤツと違う。人間の血が混じってるせいかもしれねぇけど。俺は犬なんかに化けるんだ。そして噛みつく。ちょっとの肉と血を頂戴する。後は野生の動物なんかだな。鼠は御免だが」
「それでも生きていけるの?」
「俺は死んでるように見えるか?」
「じゃ人を食べなきゃいいでしょ?」
「どう言ったらいいんだ? お前、豚肉食いたい時と、牛肉食いたい時、鶏肉、野菜。果物ってあれこれあるだろ? それと同じ」
「なんか…… 吐きそう」
「おい! リピドーも人間もたいして変わんないってこと言ってるんだよ。吐くならトイレ行け、この床今日頑張って磨いたんだぞ」
人を食べる話ばっかり。それを僕たちの食事と同じに考えろって、気持ちも悪くなるよ。でもそれこそ『人間本位』ってことなのかな……
「じゃ、お母さんを食べたって」
「言ったろ? ちょっと齧っただけだって。そいつは逃げたんだ。それでその女に…… 女性に化けて誰を襲う気か知りたかったんだよ。お前だってすぐに分かった」
「僕を助けるためにそばにいたってこと?」
「ちょっと違う。あいつが来るのを見張ってた。いわば、お前は囮だ」
「……ひどいよ。面と向かって言うなんて」
「俺はお前に対して誠実だと思うがな」
「でも僕は施設に入れられたよ」
「そいつの気配が消えたから俺もこの町を出るつもりだったんだ。けど最後に出来心でお前を犬の姿で見に行った。それで…… ま、情が湧いちまったってことだ」
「それで僕を育ててくれた?」
「まあな。それともう一つ。これは俺には無いリピドーの特徴ってやつだ。食った相手の家族はほとんど食う」
「ほとんど?」
「中には食えない相手だっている。遠くに引っ越してたり先に死なれちまったり。だからあいつは戻って来る、食い残したお前を食いに」
実感なんか湧かない。いきなりそんなこと言われたって。それって死亡予告でしょ? 車に轢かれるとかならしょうがないけど食べられちゃう?
「さっき言ってたよね、お母さんが食べられてる時悲鳴が聞こえたって」
「その話、お前が嫌がったじゃねぇか」
「それって生きたまま食べられるってこと? 食べられてることが自分で分かってるってこと?」
「生きてるもんしか食わないって言ったはずだが?」
「……ホントに、吐く」
「しょうがねぇな! 待て、我慢しろ!」
おじさんは僕を抱き上げてトイレに急いだ。お蔭で床はきれいなまま。僕を心配してじゃない、磨いたのが台無しになるからだって、捻くれてそう思った。
そういうことを寂しいとか悲しいとか思う気持ちって僕にはあんまり無い。そう育てられたし。だからって愛情も何も無いかって言うとそうじゃない。お母さんは僕を大事にしてくれてるし、僕はお母さんを喜ばせるのが好きだ。こういう関係って…… 普通じゃないよね、やっぱり。
「落ち着いたか? 口
「はい」
言われた通りにしてソファに戻るとおじさんはまた話し始めた。
「なんでこんな話するんだって聞いたよな。先々週だ、俺はヤツの気配を感じた。舞い戻ってきたんだ。当然この町に俺っていうリピドーがいることに気づいているはずだ。だが戻ってきた。目的は一つしかない、お前を食うことだ」
「……どうしたらいいの? 遠くに引っ越すの? そしたら逃げられるんでしょ?」
「それでもいいが確実じゃない。そうなるとずっと表に出られなくなる。生き物が全部信じられなくなるからな。今日はお前に選んでもらおうと思ったんだ。誕生日だし、自分の人生を選ぶ権利がお前にはある」
いいことを言ってくれてるんだろうけど。でもそれって僕が決めなくちゃならない? お母さんは僕を守ることをやめるってこと?
「こら、黙るな。質問でも何でもいいからしろ。全部答えてやる」
「……今日決めなきゃだめ?」
「ならいつならいいんだ?」
「……どうするのがいいって思う?」
「お前が決めることだ」
「今まで通りって」
「だめだ、それって死んでもいいってことか? そう決めるなら構わねぇけど」
「お母さんは僕にどうしてほしいの!? いきなりこんな話聞かされて、さあ、これからのこと決めろって…… 無理だよ、そんなの!」
おじさんの目は冷たかった。
「ずいぶん悠長なこと言ってるな。俺が今買い物に出たとする。あいつはお前のお母さんを食ってる。つまりお母さんになって帰ってきたらお前はどうするんだ? 1人で何とかできんのか?」
「……僕、子どもなのに自分でどうにかなんか」
「舐めた口利くんじゃねぇ。都合のいい時に子どもになったって相手は構わずお前を食うぞ。それにな、さっきお前に選ぶ権利があるって言ったよな? 同じように、お前には自分を守る義務があるんだ」
「何と何から選べって言ってるの? それも聞いちゃダメなの?」
「そうだな…… 分かった。いくつか言う。それを参考にしろ」
「はい」
「一つ目、逃げる。最初にお前が言ったやつだ。その代わり『安心』ってやつは無くなる。二つ目、来るのを待ってガチで戦う。お前は刺すとか殺すってことに普通のガキ…… 子どもより躊躇しないはずだ。俺がいるとは限らねぇ、だから自分で殺るってことを考えるんだ。その2つかな」
どっちもイヤだけどそう言ったら今度はきっと本気でぶっ飛ばされる。それに相手はぶっ飛ばしに来るんじゃなくて僕を食べに来るんだ。もう『もう少し考えたい』っていう逃げ道が無くなった…… おじさんは僕の答えを待ってる。
「安心するには殺すしかないないんだよね?」
「そうだ」
「無理だよ! そんな相手と戦うなんて!」
「これをやる」
おじさんがテーブルの上に置いたのはナイフだ。剥き出しじゃなくって木の鞘に入ってる。あまり目立たないダークブラウン。
「それ、
「どこを刺せばいいの?」
「口の中。一番奥だ。相手の口が開いたら真っ直ぐ突き通せ。拳を突っ込む勢いで奥に突くんだ」
途端に僕は体が固まった…… つまり…… つまり、僕は、自分を食べに来たそいつが口開けるのをしっかり見て、その口の中にすっぽり手を突っ込んで、そしてナイフで刺す、ってこと?
「できない、ようなきが、する」
「おいおい、それは無しだ。いいか、食われるか殺すかだ。ヤツが溶け始めたらもう殺せない。俺たちリピドーってのは溶けたらほぼ無敵だ。だから今言った方法しかない。それは犬になってても毒蛇になってても同じだ」
そんなこと言われたって…… 僕は5年生で、今日11歳になったばかりで、確かに同じ年の子よりも頭はいいしスポーツも出来るけどただそれだけだよ。魔物と戦う? 誰の話?
「今日から俺で訓練だ。何度か俺の口にナイフを入れる……練習をする、ナイフ無しで。俺はまだ死にたくないんだ」
床を見た。お母さんが今日磨いた床。その色は赤みがかったブラウンで、なぜそうかって言うと血の跡が目立たないようにするためだ。防犯訓練は誰もいない時に身を守るためで、ナイフの使い方をすごく厳しく教えてくれたのもそのためで。
(お母さん…… お母さん…… お母さん……)
僕が心で呟いてたのは、いつの間にか声に出ておじさんに聞こえてたみたい。抱き締められてビクッとしたけど、それはおじさんじゃなくてお母さんだった。
「アンリ。不安なの、分かるわ。私はあなたを守るつもりだけど、万能じゃないの。例えば学校の中なんかじゃそばにいられない。わかるわね? 自分で何とかしなくちゃならない時があるってこと」
お母さんはほっぺにキスをしてくれた。
「可愛いアンリ。いい? これは本当のことよ。私はあなたが可愛いの。困るほどにね。だからアイツを殺すまで生き延びてちょうだい。大丈夫、あなたならま必ずできるから」
「お母さん、お母さん…… 怖い、怖いよ」
「大丈夫。きっと大丈夫だから」
お母さんはずっと僕を抱きしめてくれた。
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