Lata-Echne


 我が神、あるいは懐かしき人へ


 Atih-Lato(註一)、戯れ濡れた色(註二)の、深きに震える淡き音(註三)よ。狂える貪欲の体現(註四)よ。暗がりに沈む赤子の声が、貴女には聞こえるか。鼓動の絶えた真白い胸を、潮風に乾いた指先の、罅割れた爪で撫ぜたことは。滲む血潮の温もりを、憎しみのままに拭ったことは?

 Atih-Lato、悍ましき簒奪(註五)、麗しの女(註六)よ。貴女の胎の強欲は、果ても終わりも知らぬという。私たちがWyuv-Ishk(註七)に種子を灯し(註八)その遥か昔から、貴女は世界の母であったのに、どうして波は幼子の足を攫うのか。貴女が産んだ生命のすべてがその御前に傅いてなお、内なる暗闇は満たされぬのか。祈りとは、もはや空虚な戯曲に過ぎないのか?

 Fhruz-Lete(註九)の伴侶にしてYivq-Lete(註十)の母なる貴き方よ。風が伝える貴女の(註十一)を、正しく知る人がどこにいよう。Yivq-Leteの秘めたる黄昏が黎明を殺し、その滴る鮮血で空を染めた(註十二)から、いったい幾人の子が貴女の元に帰っただろう。どれだけの母が、引き裂かれる苦悶と痛みに涙しただろう。もしこの波打つ潮が母の悲しみであるならば、貴女はいかほどの慈悲を私たちに与えてくださっただろう。

 ただ一人の愛し子を、凍える潮汐は奪い去った。何度も、何年も、私の母とその母もまた、その年の贄が定まれば、どれほど強く握った手も放す他に道はなかった。貴女は昏い漣と潮風にのせて呪いを歌い、死の病を運び続けた。(註十三)そして必ず、幼子を一人、己が元に抱き寄せるではありませんか!

 私はRquitva(註十四)と出会うずっと前から、この大地に生を受けたその時から貴女を愛しておりました。この身も心も貴女への捧げものであるに違いないと、ただ一つの愛さえ捨ててきたのです。なのに貴女は、どのような愛も私に与えてはくださらなかった! 私の、私の身体のこの深き場所から生まれた生命の温もりを貴女は奪い去り、祈りを形作る両手は、今や空の冷気を掻くことしかできません。私の血は貴女の血です。岸壁に打ち寄せる冷徹は飛沫を上げて体内を巡り、あらゆる過去を殺すでしょう。

 そして、貴女は私たちの口を塞ぎ、その醜悪な神体を暗闇のうちに隠すに違いありません。それゆえ、私はここに告発します。貴女の罪を、暴力を、怠慢を、死の抱擁を、怒りを込めて書き記すのです。

 Rquitva、この怒りを貴女に託します。どうか、あの深き神の罪悪を、白日の元に。


 私は貴女が憎い。貴女を愛している。一度でいいから、真実の言葉で語りたかった。でももう、それは叶わないことなのね。(註十五)



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(註一)アティハ・ラト。〝深き母〟の意。〝Latoラト〟は「母」=「娘」=「女神」を指す。「父」=「息子」=「男神」は〝Leteレテ〟。生命と死の両面を司り、輪廻や回帰といった概念の根源とされている。はじめは豊穣の神としての側面が主であったが、次第に死の象徴としての側面が強調されるようになった。

(註二)Wyunihiskウュニヒスクの海は黒にも似た独特の深い青色をしていることで知られている。

(註三)(註十一)当初はWyunihisk特有の地形による海鳴の一種であると想定されたが、現在ではその発生源が海中であるという事実によって否定されている。笛の音に似る。

(註四)(註五)書き手の主観に依るが、当時すでにAtih-Latoを悪魔とする動きが見られていたのは注目すべき事柄である。

(註六)Atih-Latoはたいてい、濃紺のドレスを纏い、顔にヴェールを下ろした女性の姿で描かれる。しばしば妊婦として扱われる点で多少の揺れはあるものの、すべてに共通して、美を示す言葉が添えられている。悪魔とされながらも姿形を変えない神は稀である。

(註七)ウューヴ・イシュク。〝黄昏の(=昏き)岸〟の意。現在のWyunihiskに相当する。独自の自然信仰をもっていたとされ、〝Ishka-Villeイシュカ・ヴィレ(岸の徒)〟などの小規模な集団が今もその痕跡を残している。

(註八)十七世紀初頭。宗教弾圧から逃れた人々がWyuv-Ishkに渡った。

(註九)フュルツ・レテ。「広き父」の意。深度を想起させる海に対し、Wyuv-Ishkの人々は果てなき地平を大地に思い描いた。

(註十)ィヴク・レテ。「いと高き子」の意。AtihとFhruzの子。両性具有。原初、空に天蓋はなく、無窮にして孤独な暗黒の宙が広がるのみだったが、Yivqの誕生によって覆いがかけられ、安定を得たという。

(註十二)世界各地で散発的に観測されている異常現象、〝母神顕現〟の一種と思われる。空の色の急激な変化とその持続は〝パルヴィネンの聖母〟に類似する。

(註十三)〝Atihoth-phrogアティホス・プログ(海の息吹)〟または 〝Lata-Echneラタ・エフネ(母の呪い)〟。数年に一度発生したとされる子殺しの呪。その実態については何らかの遺伝子疾患や感染症であるとの見方が強いが、近年の研究では、定期的な人身御供を目的とした殺人とする説もある。

(註十四)ルキトヴァ。筆者の祖母。彼女は私が物心つく前に病で亡くなったが、母は祖母からWyunihiskに根付く自然信仰の栄光と破滅の物語を聞かされていた。母は私に幾度となくその話を語って聞かせ、それが今のWyunihiskへの興味に繋がっている。

(註十五)この手紙には「Urウル areaアレア jeイェ Atihothアティホス Yhozュオツ.(海よ私を受け容れたまえ)」と書かれた紙片が添えられていた。これは“岸の徒”の聖典にも登場する古い言葉であり、裏切りに対する贖罪の祈りであるとされている。筆跡から祖母のものであると考えられる。


 拙著「〝Ishka-Ville(岸の徒)〟の聖典に見る母性への畏怖と怒り」より一部抜粋。

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BFC3戦闘記録 伊島糸雨 @shiu_itoh

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