第28話 ハッピーエクスタシーチャート3

 坂上神社で里村さんと合流し、健ちゃんたちを待った。

 時間が刻一刻と過ぎていくがやってくる気配はない。

 彼らは過去の行方不明者たちの遺体を掘り起こして、それを楠井廉太郎の悪事の証拠にしようとしている。

 大雑把な場所しか分からなかったから掘り起こすのに時間がかかっているのかもしれない。


「これ以上は待てないよ?」

「そう……だな」


 もうすぐ23時になる。

 3人組が死体を運びだす場面に間に合わなくなる。


「仕方ない」


 行くしかない。

 俺たちは楠井製薬の本社へと向かった。

 そして3人組が黒い袋をかついでコソコソと楠井製薬の建物から出てくる。


「由香里!」


 止める間もなく里村さんが彼らの元に突っ込んでいく。


「くそッ!」


 慌てて後を追う。

 里村さんは動揺している男たちにタックルをかます。

 フラれて自殺するような人物だったのに驚くべき行動力だ。これが愛の力か。

 黒い袋が地面に落ちる。

 その拍子に中身が露になった。


「あ、あぁ!」


 由香里さんの遺体を里村さんが抱きしめる。

 頭を切り取られて無残な姿になっていることも気にせず、彼はその遺体を抱きしめた。


「由香里……由香里!」


 慟哭する彼の姿に目出し帽を被った男たちも戸惑っている。


「楠井廉太郎の違法な研究で人を殺して、その遺体を埋めようとしていることは分かっている。観念しろ」

「どうして君たちがそれを……?」


 3人組の中でもリーダーと思しき男が困惑している。

 俺たちのことを知っている風な反応だ。


「あなたはもしかして……」


 男が目出し帽を脱いだ。


「武夫叔父さん! どうして叔父さんが……」


 まさか武夫叔父さんが楠井廉太郎の悪行に関わっていたなんて。

 彼の家に匿ってもらったとき、夜に仕事があると出て行った。

 その仕事とは真っ当なものではなく、遺体を運ぶというものだったようだ。


「この町は楠井製薬のお陰で成り立っている」


 楠井製薬がなければこの町は成り立たない。

 それは事実だ。

 町民全員が楠井の恩恵に預かっている。


「楠井製薬が今もなお利益を出し続けているのは社長のお陰なんだ」


 やくり町はかつて薬の町だった。

 医薬品関係の会社がこの町には多く存在していた。

 でもそのほとんどが潰れてしまい、今まともに残っているのは楠井製薬だけだ。


「あの人は天才だ。社長のお陰でやくり町のみんなが生きていける。だから社長の指示に逆らうことはできない」

「それが犯罪行為であってもですか!?」


 武夫叔父さんは苦々しい顔で、それでもしっかりと頷いた。


「そんなこと――」

「許せないかい? だったらどうするつもり?」

「決まってますよ。全部明らかにして裁いてもらいます」

「幸男くんは東京に住んでいるから無関係でいられるかもしれない。でもそんなことをすればミキさんはどうなる?」

「それは……」

「社長令嬢として贅沢をしてきただろう。その生活は一瞬にして消え去って、ミキさんを養ってくれるはずの父親は刑務所行きだ。彼女は裕福な暮らしから一転して、身寄りのない一人の女の子になってしまう」


 俺は可能な限り彼女を支援したいと思う。

 でも大学生に過ぎない俺には限界がある。

 彼女の生活の水準は大きく落ちてしまうことだろう。


「幸男くんもこっち側に来なさい」

「は?」

「そうすれば全てが丸く収まる。ミキさんはもちろん、ミキさんと結婚すれば幸男くんだって楠井製薬が生み出す莫大な利益を享受することができる」


 彼の言う通りにすればきっと良い暮らしができることだろう。

 あくせく働かなくても贅沢三昧ができるかもしれない。

 でも、そんなものは要らない。


 ミキが俺の手を握る。

 彼女も同じ気持ちのようだ。


「貧しくたって辛くたって真っすぐに前を向ける人生を選びたい。俺は武夫叔父さんの誘いにはのれない」

「……叔父さんは悲しいよ」


 彼はやれやれと首を振りながら再び目出し帽を被った。

 今からは叔父としてではなく、楠井製薬の人間として接するという宣言だ。


「ミキさんは捕らえて、あとの2人は殺せ」


 いきなり全力の殺意だ。

 見られたら困るものを見られた以上は殺すしかないのだろう。

 里村さんは由香里さんの遺体につきっきりで戦える状態じゃない。

 2対3だ。こっちは片方が女性であること、そして手錠で繋がれていることを考慮するとかなり不利だ。

 しかも状況は更に悪くなる。


「逃げられると思うなよ」


 いつのまにか周囲を囲まれていた。

 増援が来ていたらしい。

 気がつけば総勢で10人の男に囲まれている。

 彼らは大きなスコップを構えてジリジリと近づいてくる。


「このままじゃマズい……」


 彼らは楠井廉太郎に忠誠を誓っている。そして何度も人をさらったり、遺体を棄てたりしてきた。

 今さら人を殺すことに躊躇はないだろう。

 逃げ場がない。

 このままだと殺されてしまう。

 また次のループに突入してしまう。ミキと過ごした大切な記憶がなくなってしまう。


「サチくん……」


 ミキが怯えている。

 彼女を安心させる余裕もない。

 背後にいる男が俺に向かって大きなスコップで殴りかかってきた。

 気付くのが遅れてしまった。

 もうダメだ。

 そう思って目を閉じる。


「……?」


 しばらく待っても衝撃はこない。

 恐る恐る目を開く。


「健ちゃん!」


 健ちゃんが男の腕を掴んでいた。

 館山さんも一緒に来ており、近くにいる男を投げ飛ばしていた。


「助けに来たぜ」

「……2人増えたぐらいで勝てると思っているのかい?」


 彼らが助けに来たところで劣勢である状況には変わりない。

 でも健ちゃんは焦る様子がなく自信満々だ。


「館山さん」


 健ちゃんがニヤリと笑いながら館山さんの名を呼んだ。

 すると彼女は懐から何かを取り出して、武夫叔父さんたちに見せつける。


「私はこういうものです」


 彼女が警察手帳を突きつける。


「警察か!」


 男たちがざわつく。

 だが所詮は女の刑事一人。複数でかかれば造作もない。

 そう思っただろう矢先にサイレンの音が聞こえてくる。

 しかも一つではない。複数の音が鳴り響ている。

 そしてすぐに何台ものパトカーが男たちを囲んだ。

 形勢逆転だ。

 彼らにはもう逃げ場がない。


「ここにいる桧山由香里さん。そして森の中で埋められた複数の遺体。既に証拠はあがっています。観念してください」


 武夫叔父さんたちは観念したのか項垂れている。

 とりあえずここは一件落着のようだ。

 そう思った矢先に――はちみつの香りがした。


「まだ終わってない!」


 ミキと周囲を警戒する。


「この感じはなんだ?」

「不気味ですね」


 健ちゃんや館山さんもその気配を感じ取っているようだ。

 警官や目出し帽の男たちも怯えた様子で周囲を見回していた。


「ッ!」


 それはほとんど一瞬だった。

 顔のない女が出現して、武夫叔父さんに襲い掛かる。

 女は叔父さんの頭を潰そうと手を伸ばして――すんでのところで叔父さんが吹き飛んだ。

 館山さんが蹴飛ばしたのだ。


「ナイス判断!」


 さすがは刑事だ。判断が早い。

 顔のない女の狙いは武夫叔父さんたちのようだ。

 さらわれた恨みだろう。

 彼らは犯罪者だ。でも殺させる訳にはいかない。正当に裁きを受けるべきだ。


 俺たちと顔のない女が互いににらみ合い、不思議な膠着状態になった。

 そんなときに一人の男が動いた。


「由香里!」


 里村さんが走る。

 顔のない女は里村さんを殺そうと腕を伸ばして――その腕が止まる。

 彼は女の元までたどり着き、彼女を抱きしめた。


「ごめんよ由香里」


 顔のない女は呻いている。


「昨日僕と一緒にいた女性は僕の妹なんだ。君が思うようなことは何一つない」


 不幸な誤解だった。

 由香里さんは浮気現場と思わしき場面を見たときにすぐに確認するべきだったのだろう。

 黙って会いに来たから聞きにくかったのかもしれないが、すぐに確認すればただの誤解だと気づけたはずなのだ。


「でも誤解させてしまったのはごめん」


 その誤解も本来ならば時間と共に解けるはずだった。

 彼女はやけ酒をした後に坂上神社に行ったその先で、違法な研究の犠牲になってしまう。


「だから僕も一緒に連れて行ってくれ! 由香里のいない世界なんて生きている意味がない」


 それはきっと里村さんの本心なのだろう。

 彼は本気で由香里さんを愛している。だから彼女にフラれたと思って自殺しようとしたし、今もこうして彼女の後を追おうとしている。


 彼の考えは間違っている。

 愛しているからこそ、失った側は生きなきゃならない。

 残された側は明日に向かって進む必要がある。

 そう思って声をかけようとして、ミキに止められる。


「私たちに里村さんを止める権利はないよ」


 里村さんは彼女の後を追って死ぬことを選んだ。それだけの愛があるということを示した。

 顔のない女にも――いや、由香里さんの無念の塊にも、その愛が届いたのだろう。

 幽霊の顔から負の感情が消えていく。その身体も徐々に薄くなっていく。


「由香里!? やめろ、僕を置いていかないでくれ!」


 幽霊は――いや、由香里さんは優しい笑みを浮かべている。

 綺麗な人だと思った。

 写真で見たものよりもずっと綺麗だ。それはきっと里村さんが傍にいるからで、きっと2人は素敵なカップルだったのだろうと思った。


「私の分まで生きて」


 消え行く由香里さんの魂が最期に残した言葉は里村さんの心に刻まれたことだろう。

 それは里村さんを祝う言葉でもあり、呪う言葉でもあると思った。

 彼は由香里さんの分まで生きるしかなくなった。後を追って楽になるという選択肢を奪われてしまった。


「由香里……」

「里村さん、見てください」


 呆然とする彼に由香里さんの遺体を示す。

 苦しみに歪んていたはずなのに安らかな顔になっていた。


「里村さんが由香里さんの無念をはらしたから、彼女は安らかに眠ることができるんです」


 里村さんは遺体の傍でしゃがみ、由香里さんの頬を愛おしそうに撫でる。


「僕が身の丈に合わない香水をプレゼントしたからこんなことになったのかなぁ」


 確かに彼がはちみつの香りがする香水をプレゼントしていなければ、そのお礼に妹にスイーツをご馳走することもなかった。由香里さんが誤解することもなかっただろう。

 でも彼の行動が間違いだったとは思わない。


「ねぇ里村さん。遺体からはちみつの香りはしないよ。昨日つけていた香水の匂いはとっくにとんでるから」


 ミキの言う通り、本来ならはちみつの香りがするはずもない。


「でも彼女の霊が現れたとき、はちみつの香りがしたよ」

「彼女が僕のことを恨んでいた……ということ?」

「違う」


 ミキが首を振って否定する。


「幽霊になってしまうほどの強い恨みがあっても、それを上回るほど、里村さんのプレゼントが嬉しかったんだよ」


 同じ女性だから分かるのだろうか。

 ミキは間違いないと断言していた。


「そっか……そうだよね。あのとき由香里は本当に喜んでくれて……だから僕は彼女と一生を添い遂げると誓ったんだ」


 里村さんは穏やかに笑いながら涙をこぼした。

 多分もう里村さんは大丈夫だろう。

 武夫叔父さんたちは館山さんが指揮をとって捕まえている。

 この場は解決した。

 俺は地面に転がっていたスコップを手に取ってミキに告げる。


「ミキには悪いが……俺は廉太郎さんを許せない」

「私も同意見だから大丈夫」


 残された問題は後一つ。

 地下の研究室にいる楠井廉太郎だ。


「この場は任せた、健ちゃん!」

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