第27話 ハッピーエクスタシーチャート2

 喫茶店で館山さんと健ちゃんに全ての事情を話した。

 彼らに頼み事をした後、俺たちは居酒屋に入る。ミキや健ちゃんと飲み会をする予定だった居酒屋だ。


 店内の状況を確認して、慌ててミキの名を呼ぶ。

 俺の意図が通じたのか彼女は頷いてみせる。


 居酒屋の女性店員、松田先輩がビールのグラスを4つ運ぼうとしている。

 だがテーブルの手前で靴紐にひっかかってグラスを放り投げて転倒してしまう。

 その瞬間――俺たちが追いついた。


「……えっ?」


 松田先輩が素っ頓狂な声をあげる。

 きっと彼女は転倒してビールを客にぶちまけてしまったと思ったことだろう。

 でも俺たちは空中に放り投げられた4つのグラスを全てキャッチした。


「ギリギリセーフだな」

「転ぶ前に助けるって言ってたのに」


 本当は事前に靴紐を結びなおしてもらう予定だったのだが、微妙に遅れてしまった。

 手錠で繋がれた状態でもなんとかグラス全てを掴めるような位置関係で助かったと思う。


「手錠がなければもっと早くついてたんだけど」

「ぐっ……」


 鍵も用意しないまま手錠を使ってしまった負い目があるのか押し黙った。


「そんなことより次に行こうよ」


 俺たちは再び自転車に乗ってやくり駅へと向かった。




    ◆




 やくり駅にたどり着く。

 スマートフォンで時刻を確認すると、里村さんが自殺するまでにはまだ時間の余裕があった。


「少し待ってくれ」


 構内に入ろうとするミキを引き止めた。

 入り口の傍に看板を持って立っている駅員カカシの元へ行く。


「このカカシがどうしたの?」

「駅から出てきた酔っ払いがフラついて腕を当てちゃって顔が取れる」

「あー、そんなこともあったね」


 回避するのは簡単だ。

 少し場所を動かしてやればいい。

 道行く人々に不審な目で見られながらも駅員カカシの位置を変えた。


「これで大丈夫だな」


 ミキと一緒に満足して頷く。

 改札を通って駅の構内に入る。

 ホームに行けば、辛気臭い顔をした男が立っている。


「里村さん!」


 困惑している彼に由香里さんのことを話した。

 目の前を急行電車が猛スピードで通り過ぎる。

 里村さんは自殺をしなかった。

 今の彼の顔には生気が宿っている。

 由香里さんの無念をはらすという目的があるからだ。


 時間が来たら由香里さんの元まで案内すると約束して、坂上神社で待つように伝える。

 そして俺たちは慌てて駅を出る。

 ここからは坂道の移動が多くなる。手錠で繋がった状態で自転車を使ったら余計に手間がかかってしまうかもしれない。

 元の場所にママチャリを戻す。


「ありがとう」


 大活躍してくれた自転車に礼を言いながら、俺たちは走り出した。




    ◆




 たくさんのミカンが入ったビニール袋を持ちながら坂道を下る。


「持ってもらって悪いねぇ」


 一緒に歩いていたお婆ちゃんが礼をする。

 ミキがお婆ちゃんを支えながら優しく言う。


「足元に気をつけてね」


 ゆっくりと3人でお婆ちゃんの家へと向かう。

 ミカンは坂を転げ落ちない。

 坂道の下ではランニングをしている男性が横断歩道を渡り始めた。

 自転車に乗った女性も何ごともなくすれ違う。

 車道を走る車も普通に走っている。


「ピタゴラスイッチの阻止成功だな」


 お婆ちゃんとミカンを家まで送り届けた。

 途中でコンビニによってポカリを買いながら町役場に向かう。

 俺たちは休日や夜間に職員が出入りする扉の近くに隠れて、一人の職員が帰った隙にその扉から中へと忍び込む。


「助けに来たよ伊藤さん!」

「楠井さん!?」


 過労死寸前な職員の伊藤さんがミキを見て驚いている。

 ポカリを伊藤さんに渡す。


「今のあなたは倒れる寸前です。これを飲んでください」


 困惑しながらも伊藤さんはポカリを受け取って口にした。

 自らの体調が優れないことを自覚していたのだろう。

 パワハラ課長がやってくる。


「君たちは誰だね。不法侵入だぞ」

「あなたこそパワハラだよ!」


 ミキが右手の人差し指でビシッと突きつける。

 手錠で繋がった俺の左手も一緒に突きつけることになってしまう。

 俺の左手を巻き込むな。

 やれやれと思いながらミキを補足する。


「あなたのパワハラのせいで伊藤さんが倒れそうだというタレコミがありました」

「言いがかりはよしてくれ。伊藤にパワハラなんてしていないし、そもそも伊藤は倒れたりしない。そうだよなぁ?」


 伊藤さんがパワハラ課長の意を汲んで頷こうとする。


「伊藤さん、これは何本に見える?」


 ミキが右手でスリーピースを作って伊藤さんに見せた。


「2本……3本、いや4本だ」

「ほら、伊藤さんはもうダメだよ」

「ぐっ!」


 目のクマも酷いし、顔もやつれている。

 いつ倒れてもおかしくない。

 パワハラ課長も伊藤さんの反応を見て何も言い返せないようだ。


「安心して。もう救急車は呼んでおいたから」

「はっ!? 何を勝手なことを――」


 救急車が来れば大ごとになる。

 課長は責任を問われてしまうだろう。

 俺とミキはそれを狙って事前に救急車を手配している。


「これで伊藤さんを追い込んだことは隠し通せない。あんたも上司から怒られるこったな」

「パワハラ課長にはいい薬だね」


 ミキがグッと親指を突き立て笑う。

 救急車のサイレンが聞こえてくる。

 後のことは救急隊員や病院の先生に任せよう。


「じゃあね!」




    ◆




 健ちゃんの家の傍にあるマンション。

 もうすぐこのマンションで火災が発生する。それを食い止めないといけない。

 問題の401号室のインターフォンを押す。

 玄関扉が開いて女性が顔を出す。

 綺麗な女性だ。火災によって亡くなってしまう奥さんだろう。

 俺たちは彼女の死を食い止めるのだ。

 彼女を説得するための材料は少ない。ここは強引に突破するしかない。


「大事な話があります」

「えっと、どちら様ですか……?」

「今日は”寝タバコ”撲滅キャンペーンの日です」

「勧誘は結構です」


 女性が扉をしめようとする。

 俺たちは扉を掴んでしまるのを防いだ。


「待ってください」

「なんですかあなたたちは。警察呼びますよ」

「あなたの旦那さんはタバコを吸いますね?」

「えっ? は、はい」

「今日はよく乾燥しています。こんな日に寝タバコなんかした日には、あっという間に布団に燃え移って、あなたも旦那さんもお子さんも焼死してしまいます」


 その光景を実際に見てきた。


「事が起きてから後悔してももう遅いのです」

「いったいなんなの……?」

「あなたの旦那さんはベッドに横になりながらタバコを吸ってしまい、火事を起こしてしまいます」

「前に注意したことがありますし、寝タバコなんてしませんよ」

「ですが旦那さんは今も吸っていますよ」

「えっ?」


 別のループで今の時間に吸っていることを確認済みだ。


「あなたが平和な日常を愛するのであれば、今すぐ旦那さんの状態を確認して寝タバコを止めてください」


 女性は真剣な顔で頷いた。

 どうやら俺の想いが通じたらしい。

 マンションを出ながらミキがやれやれと肩をすくめる。


「”寝タバコ”撲滅キャンペーンは無理があったと思うなぁ」

「上手くいったんだからいいだろ?」

「サチくんのチャートは行き当たりばったりで不安だよ」


 マンションを出ると401号室のベランダに、哀愁を漂わせながら煙草を吸う男がいた。

 彼と目が合う。俺とミキは親指を立ててグッとサムズアップする。

 男はタバコを吸いながら首を傾げていた。

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