第26話 ハッピーエクスタシーチャート1

「どこに行くの?」

「後で話すから走って!」


 説明している時間も惜しい。

 今ならまだ間に合うはずだ。

 駅から出て、目的の場所へと向かって走る。


「見えた!」


 車道に一匹のカラスがいる。

 そのカラスは餌を探しているのかアスファルトの地面を何度も突っついていた。

 向こうから一台の車が迫ってくる。

 このまま何もしなければカラスが逃げ遅れて車に轢かれる未来は確定している。何度も見てきたものだ。


「間に合え!」


 普通に走ってもたどり着く前に車に轢かれてしまう。

 何とかできそうな手段は一つだけ思いついていた。

 俺は右手に持っていたリップクリームをカラス目掛けて投げる。カラスのすぐ近くに落ちた。

 地面に衝突したときの音に驚いてカラスは飛び去る。

 カラスはギリギリで車を回避した。


「ふぅ」


 危なかったが一安心だ。

 半身の潰れたカラスは生まれない。


「急にどうしたの?」


 ミキの質問には答えず、カラスがいた場所へと向かう。

 そこには車に潰されてペシャンコになったリップクリームがあった。

 俺がループするために必要だったアイテムは潰れてしまった。


「ふふふ」


 これで俺はもうループできないことが確定した。

 自分が置かれた状況はお世辞にも良いとは言えないだろう。もうリセットできなくなったのだから。

 でも笑ってしまう。


 ――さっちゃんは追い込まれたときに本領を発揮する。


 昔、健ちゃんにそんなことを言われた記憶がある。

 彼の言う通りなのかもしれないと思った。

 だって今の俺は追い込まれた状況にありながら、不思議と心は踊り、身体には力が湧いていた。


「俺は次のループに記憶を引き継げない」

「……えっ?」

「分かるんだよ。今回でお終いなんだって」


 ミキが面食らっている。

 無理もない。彼女にとっては突然の言葉だ。


「私と一緒に何度も何度もえっちしてきた記憶も……?」

「ミキと過ごした長い『今日』のことは全部忘れてしまう」

「そんな……」


 ミキの身体から力が抜ける。

 崩れ落ちそうになる彼女の身体を抱き寄せて支えた。


「本当なの?」


 嘘だと言ってくれ。

 彼女の目にはそんな願いが込められていた。


「あぁ」


 本当のことだ。

 俺はそんな思いを込めて彼女を見つめ返す。


「そんなの嫌だよ」


 ミキは涙を流しながら、イヤイヤと首を何度も横に振った。

 彼女の求める答えを返すことはできない。

 そのかわりにミキを思いきり抱きしめた。


「私を一人にしないでよ」


 抱き合ったときの柔らかい感触も、触れた部分から伝わる熱も、ループしてしまえば俺は忘れてしまう。

 この感触は有限だ。有限だからこそ、何よりも愛おしい。


「一緒に過ごした記憶のないサチくんなんて、そんなのサチくんじゃないよ!」


 彼女の気持ちは痛いほどに分かる。

 俺たちは長い時間を一緒に共有してきた。それがなくなってしまえば喪失感はとてつもなく大きいはずだ。


「うぅ……」


 返事をしないで抱きしめているとミキが声をあげて泣き始めた。

 もうどうにもならないことなのだと彼女にも分かったのだ。

 泣き顔のミキと見つめ合う。

 どちらからともなく、俺たちはキスをした。


「俺のループはこれでお終いだ。次にループすれば記憶をなくしてしまう」

「うん……」

「でもミキが望んでくれるのなら、一緒にこのループから抜け出したい」

「ループを抜ける……」


 それこそが俺に残された唯一の可能性だ。


「もしもループから抜け出せたなら、俺は俺のまま、ミキと一緒に明日を迎えられる」


 ミキは目を伏せた。

 彼女はただひたすらにセックスをし続けるために、ループから抜け出さないことを選んだ。

 だから今回も答えは変わらないかもしれない。ループすることを選ぶかもしれない。記憶がない俺とセックスをし続けることを望むかもしれない。

 これは賭けだ。もしも彼女がループを抜けることを拒否すれば、その時点で今の俺が消えることは確定する。


「分かった」


 ミキは首を縦に振った。


「今まで一緒にえっちしてきたサチくんがいないなら、ループしても何の価値もないもん」

「ありがとう」


 お礼をするようにギュッと抱きしめた。

 そして――


「そうと決まれば早速行くぞ!」

「えっ? えぇっ!?」


 時間は有限だ。

 うかうかしている暇はない。

 やるべきことはたくさんある。


「手錠の鍵はないのか?」


 駅の方向へと走りながら訪ねた。

 1回しかないチャンスだ。確実なものにするためには手錠が邪魔になる。


「えーっと……えへへ」

「まじか」

「佐藤さんの家に忍び込んだときに発見した手錠なんだけど、鍵はどこにあるか分からなくて。必要ないと思ってたし」


 どうせループすれば手錠は外れるから今までは鍵がなくても困らなかった。

 でも今の状況では困りものだ。

 とはいえ今から鍵を探している余裕はない。

 このまま行くしかないだろう。


 俺たちはやくり駅前の広場についた。

 そして鍵がさしっぱなしになっているママチャリを拝借する。

 この自転車の持ち主が誰かは知らないが、少なくとも24時になるまで置きっぱなしであることは把握済みだ。

 それまでに返せば問題にはならない。


 手錠で繋がれた状態だったから悪戦苦闘しながらも、ミキを後ろに乗せて自転車をこぐ。

 2人乗りでハンドル片手持ちは厳しい。ミキに後ろから腕を前に伸ばしてもらうことで、手錠された状態でもなんとか両手でハンドルを持つことができた。


「重いな」

「酷いよサチくん」


 思わずつぶやいた言葉にミキが抗議する。

 単なる青春の2人乗りなら心地よい重さだろう。

 でも俺たちには目的がある。時間の制限がある。

 2人分の重みで漕ぎにくいけれど、全速力で自転車を走らせた。


「この重さは俺の心を燃やしてくれる重さだ」

「私は重くないよ!」




    ◆




 線路沿いに自転車を走らせて一体のカカシ人形が立っている場所にたどり着く。

 俺たちの目的地はここだ。

 キィと音を立てながら急ブレーキで止まる。


 麦わら帽子をかぶって畑仕事をしているお爺さんのようなカカシはジーっと線路がある方向を見ていた。


「ごめんな、お爺さん」


 謝りながら、ミキと一緒に人形を道路の真ん中に立たせた。

 そして俺たちは脇へと隠れた。


「どうしてわざわざこんなことするの? ループを抜け出せたらそれでいいんじゃないの?」

「どうなればループから抜け出せるのか。まだはっきりした訳じゃない」


 里村さんが鍵を握っている。

 彼によって由香里さんの無念をはらすことができればきっとループは終わる。

 でも、それだけで大丈夫なのかは断言できない。


「だからこそ、ミキが願った『今日を最高にハッピーな一日にする』ことも叶えるべきだ」


 由香里さんの怨念がミキの願いに反応してしまった可能性もある。

 やれることはやっておきたい。


「結構大変だと思うけど」

「大丈夫だ」


 今日のループを繰り返す中で、呪われた町だと思い込むほどに色んな不幸な出来事に遭遇してきた。

 でも嫌になるほどループを繰り替えしてきた俺たちならその全てを解決できるはずだ。


「最高にハッピーな一日にするためのチャートはもうできている」


 問題は時間通りに確実に実行できるかどうかだ。

 まずは一つ一つ目の前のイベントをクリアしていくしかない。


「あっ」


 ミキの視線の先には軽トラがある。

 フロントガラスから運転手の様子を見る。まだ距離があるからはっきりとは分からないがウトウトしているように見えた。

 そしてスピードを落とすことなく走ってきて、運転手がカカシの存在に気づき慌ててブレーキを踏んだ。


「大丈夫かお爺さん!」


 撥ね飛ばされて転がるカカシ人形を追いかける。

 人形を拾って確認すると、多少汚れてはいるが大きな破損は見当たらない。


「これは奇跡だッ!」


 軽トラの運転手に人を轢くところだったと認識させるためには、このカカシを犠牲にするしかなかった。

 だからカカシのことは諦めていたのだが、神様が守ってくれたのか、お爺さんカカシは助かったのだ。


「なんだ、人形じゃないか。焦って損した」


 軽トラの運転手が悪態をつく。

 お爺さんカカシと違ってこっちの運転手はクソ爺のようだ。


「もしもこのカカシが本当の人だったら、今ごろお爺さんは殺人犯だよ?」


 ミキが運転手を責め立てる。

 クソ爺にも思うところがあったのかバツの悪そうな顔をしている。


「もしもここにカカシがなくてウトウトしたまま向こうまで運転していたら、戸成駅の広場に乗り上げて、たくさんの人を殺していたかもしれない」


 戸成駅の方を指し示す。

 彼はその在り得た未来を想像して顔を青くしていた。


「あんたはこのカカシに感謝するべきだ」


 カカシの汚れをはらって落としながら、元の場所へと立たせる。

 運転手はカカシの前に立って頭を下げた。


「すまねぇ。疲れがたまって居眠りしちまってた。あんたは俺の命の恩人だ。恩に着る」


 運転手もしっかりと反省している。

 彼にはいい薬になっただろう。


「はい、オッケー! じゃあ次に行くぞ」

「りょーかい!」


 元気よく言えば、ミキがノリノリで返事をしてくれる。

 唖然とする運転手を置き去りにして自転車を走らせた。

 俺たちは通ってきた場所を急いで戻る。

 次の目的地は喫茶店だ。

 そこに健ちゃんと館山さんがいる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る