第15話 ピタゴラスイッチって言うんでしょ?

「おはよう、サチくん」


 いつもの電車の中で目が覚めたとき、彼女は隣に座っていた。

 俺は今日をループしている。

 何度も同じような時間を繰り返している。俺が関わらない限りは全く同じ展開が待っているはずだった。

 まだ何もしていないのにミキがいることはあり得ない。


 実はいつものスタート時点ではないのかもしれないと思って、スマートフォンの画面で時刻を確認する。

 11月11日の17時10分と表示されていた。

 それは間違いなくいつもの時刻だった。


「とりあえず降りよっか」


 混乱している俺はミキの後をついていく。

 駅前の広場に出て彼女は言う。


「お肉食べない?」


 近くにある焼肉屋に行きたいらしい。


「健ちゃんはどうするんだ」

「今日の会は中止するように話したから大丈夫」


 俺が目を覚ましてからの彼女にそんな素振りはなかった。

 とするならば、その前、ループの開始地点よりも前の段階で連絡していたことになる。

 でも普通のループなら予定通り飲み会は開かれていた。

 あり得ない。ループするよりも前のことが変化している。


「いつの間に――」

「焼肉行きたい? 行きたくない?」


 俺の疑問を遮るように尋ねてきた。

 彼女に聞きたいことはたくさんある。

 でも今この場で話す気はないようだ。であればまずは大人しく焼肉屋に行くべきだろう。

 そこで真相を聞けるかもしれない。


「決まりだね」


 嬉しそうにルンルンと跳ねながら焼肉屋へと向かっている。

 元気な彼女の後姿を見ていると色んなことがどうでもよくなってくる。

 まずは焼肉を楽しみたいと思った。


 駅前にある焼肉屋は食べ放題が有名なチェーン店だ。

 席につくなりミキはコートを脱いだ。

 コートの下はニットのセーターだ。大きな胸のシルエットが強調されていて、どうしても目がいってしまう。


「サチくん」


 彼女に名前を呼ばれて我に返る。

 何度見てもミキのセーター姿はいいものだ。

 よく似合っているし、何よりエロい。


「あはは……」

「今は花より団子だよ!」


 ミキは店員に一番高い食べ放題のコースを頼み、悩む様子もなくタッチパネルでメニューを注文していた。


「よく来るのか?」

「ん~、今日が初めてかな」


 初めてと言う割に迷いが一切ない。

 そのことを問いただそうとしたとき、店員がビールを持ってくる。


「それじゃあかんぱーい!」

「乾杯」


 グラスを軽くぶつけると、ミキはすぐさま口につける。

 するとグビグビと勢いよく一気飲みをした。


「くぅぅ! ビール美味しいね」


 堂々とした飲みっぷりだ。

 とてもじゃないが初めて飲むようには見えない。


「お酒を飲むのは初めてじゃないのか?」

「初めてとも言えるし初めてじゃないとも言える」

「それは――」

「ビールお代わりしなきゃね」


 核心に触れようとすると話題をそらされる。

 今はまだそのときではないらしい。

 その後も牛タンを焼きながら、


「私ねー、このお店の牛タンが好きなんだ」


 ビールを飲みながら、


「焼肉とビールはやっぱり相性最高だね」


 と言ったり、明らかに初めてじゃないことを主張している。

 その後も結局はぐらかされてしまい、気がつけば食べ放題の時間も終了していた。

 店を出て、焼肉の匂いが充満していない外の空気を吸いながらミキが言う。


「たくさん食べちゃったねー」

「さすがに太ったかもな」


 どれだけ食べたところでループするから関係ないのだが。


「どれだけ食べても太らないからね」

「それは――」

「私、サチくんと寝たいな」


 随分と直球だなと思った。

 引っ込み思案のはずなのに緊張した様子もなく、まるで俺とミキがセックスするのが当然のことのように誘ってくる。

 性欲に負けて頷けば、ラブホテルに行くことになった。

 道中でミキが腕を組んでくる。

 その感触に、我慢しきれずに野外でセックスしたときのことを思い出す。

 今日はラブホテルまで我慢できるだろうか。


「外でのえっちは無しだからね」


 釘を刺された。


「外でするのも悪くはなかったけど……私はちゃんとしたところでやる方が好きかな。気兼ねなく気持ちよくなれるから」

「確かにそうだよなぁ」


 ミキとのセックスは最高に気持ちがいい。他の誰と寝るよりも気持ちがいい。

 抜群の相性の相手とのセックスだからこそ、その行為の最中は俺も自然と声が出てしまう。

 野外はスリルがあって、それがいいスパイスとなることは確かだ。でもやっぱり邪魔の入らない場所で快楽を貪る方がより深く味わうことができる。


「私も我慢するからサチくんも我慢してね」

「我慢するから、ちょっとだけ前借りさせてほしい」

「仕方ないなぁ」


 ミキが立ち止って俺と向き合う。


「目を閉じて」


 言われた通りに目を閉じた。

 ――チュッ。

 唇に柔らかな感触が一瞬だけあった。

 目を開けるとすぐ近くに彼女の顔がある。

 もっとしたいと思った。

 舌をからませるような濃厚なキスをしようと顔を近づけたとき、タイミングを見計らったかのように、ミキの人差し指が俺の唇に押し当てられる。


「前借りはおしまい」


 可愛いな畜生。

 そんなことをされて中断できるはずがない。

 本能のままに行動しようとしたときに彼女が言った。


「ねぇ、面白いもの見せてあげよっか」


 彼女が何を見せてくれるのか興味があった。

 もしかしたら真相に近づけるかもしれない。

 だから仕方なく性欲を抑え込んだ。




    ◆




 ミキの後をついて町中を進む。

 目的地点はどこなのだろうか。

 そう思っていると坂道の途中で彼女は止まり、スマートフォンの画面を確認した。


「今は20時17分だから……あと2分後だね」

「一体何を見せたいんだ?」

「見てれば分かるよ」


 ミキの指示に従い、2人で電柱の陰に隠れた。

 すると坂の上から一人の老婆が降りてくる。

 手には何かがぎっしりと入ったビニール袋を持っていた。

 その重たい荷物が原因なのか、足を取られて転倒してしまう。


「触っちゃダメだよ」


 袋に入っていた無数のみかんがあたりに散らばる。

 形が良かったのか、回転の向きが良かったのか。一つのみかんが勢いよく坂道を下ってくる。

 そのみかんを拾おうとしてミキが制止する。

 みかんは俺たちの傍を通り過ぎ、坂の下まで転がり落ちた。


「あっ」


 ランニングしていた男性が、横断歩道を渡る際にみかんを踏んでしまって転んだ。

 反対側から来ていた自転車に乗った女性が転倒した男性を避けようとして失敗した。自転車の制御を失ってしまい、車道側に放り出されてしまう。


 その様子に気づいた車が急ブレーキをかける。だが運転手がハンドルを切ったことで車はスリップした。

 後続車や対向車が慌てて減速する。車は車道に対して斜め方向を向いており、完全に道が塞がってしまう。

 後ろから来た車がクラクションを鳴らしながら列を作った。


「こういうのってピタゴラスイッチって言うんでしょ?」

「ちょっと違う気もするけど」

「そうなの? でも面白いでしょ」


 ミキは愉快そうにめちゃくちゃになった坂の下を眺めている。


「いや面白いっつーか、やばくないか?」


 大惨事だ。

 今日を繰り返して色んな事件を見てきたが、その中でも規模は一番大きいかもしれない。


「あれで負傷者は奇跡的にゼロなんだって。凄いよね」

「まじか」


 とてもじゃないがそうは見えない。

 でもミキが言うなら事実なのだろう。

 なぜなら彼女は坂の下で繰り広げられた大惨事を既に知っているのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る