第14話 ベッドの下
日記帳の11月11日からのページは当然白紙だ。
これから先のページが埋まることはもうないのかもしれない。
明日は来ないのかもしれない。
白紙のページをペラペラとめくっていく。
一番最後のページにたどり着いたとき、一枚の写真が挟んであった。
少女と少年――昔のミキと俺が写った写真だ。
びしょ濡れになりながら2人で笑っている。
「なんのときの写真だっけか」
元気に遊びまわっていたからびしょ濡れになった記憶は色々ある。
田舎には娯楽が少ないから川遊びだってしょっちゅうしていた。
だからこの写真がいつ撮られたものなのかは分からない。何にせよ、このループと直接の関係はないだろう。
「他に手がかりになりそうなものを探さないと……」
日記帳は色んな発見があったけれど目的のものは存在しなかった。
机の引き出しを探っていくけれどそれらしいものはない。
ミキの部屋に行けば何かが分かると思ったけれど、その目論見は外れたかもしれない。
部屋を探して分かるのは彼女が俺のことを想っているということばかりだ。
ループのことは何一つ分からない。
彼女が人殺しでさえなければ心の底から愛することができるのに。
2度もミキに殺されてなお、心も身体も彼女を愛したいと主張している。
何かてがかりが欲しい。あてもなく部屋の中を調べていく。
「おっ」
タンスを開けるとミキの下着が入っていた。
つい手にとってしまう。
黒い下着だ。
彼女とセックスしたときは白い下着を履いていた。そのときの姿もそそるものがあったが、この下着を履いたらまた違う印象があって、きっと俺の心は燃えあがることだろう。
現に大人っぽい下着とミキの姿を組み合わせて想像しただけでも興奮してしまっている。
俺は無意識のうちに彼女の下着の匂いを嗅いでいた。
洗剤の匂いがする。でもその匂いの奥に彼女の存在を感じ取ったような気がした。
「すぅぅぅ」
限界までその匂いを吸い取っていると扉の奥から足音が聞こえた。
慌ててタンスの引き出しを閉めた。
どこかに隠れないといけない。
隠れられそうな場所を探す。限られた時間の中で見つけた場所はベッドの下だ。慌てて滑り込んだ。
その瞬間、扉が開いて人が入ってくる。
足元しか見えないが恐らくミキだろう。
俺のことには気づいていないらしい。
ホッと安心していると、右手に布の感触があることに気づく。
その手にあるのは彼女の下着だった。
女性の部屋に侵入してベッドの下に隠れて、しかもその手には女性の下着がある。
完全に変質者だ。
絶対にバレる訳にはいかないと必死で息をひそめた。
ミキはベッドに腰かけた。
可愛い足が見える。
息を吹きかけて驚かしたい欲望にかられるがなんとか我慢した。
「やっぱりサチくんは……」
俺の名を呟いている。
彼女が言いたいことは何なのか。それを知る前に、扉が誰かにノックされた。
「入るぞ」
男の声がした。
ミキは返事をしない。
「帰ったならちゃんと挨拶しなさい」
ミキの父親の廉太郎さんだ。起きていたらしい。
彼に注意されてもミキは黙ったままだ。
二人の間にある空気は親子のようには思えない。酷く冷たく、妙な緊張感があった。
俺の知るミキは控え目な少女だった。
思うことがあっても中々口にできないこともあった。
けれど今父親に対してとっているような、明確に拒絶を示すような態度は初めて見た。
「花子が生きていればこんな態度許さなかったぞ」
ベッドの下から見える彼女の足が強張っているのが分かる。
日記帳では亡くなったお母さんのことや、お手伝いさんのことには触れていた。でも父親に関する記述は、同じ家に暮らしているのが不自然なほどに見当たらなかった。
飲み会のときに健ちゃんが言っていたように、2人の間にはわだかまりがあるようだ。
互いに歩み寄ることもないまま廉太郎さんは部屋を去っていった。
「はーぁ」
ミキがため息をつきながらベッドの上に寝転がった。
ベッドの上と下でそれぞれ寝そべっている。なんだか不思議な気持ちになった。
「さて、と」
ミキが立ち上がりタンスへと向かう。
衣服を取り出してベッドの上に置いた。
そして彼女は――服を脱ぎ始めた。
どうやら外用の服から家着に着替えるらしい。
上の服から脱ぎ始める。少しずつ彼女は裸に近づいていく。
それは天然のストリップショーだ。
視界が遮られていることが余計に想像をかきたてる。
「汗かいちゃったし下着も履き替えよっと」
まじか。
見えないからはっきりとは分からないが、ブラジャーを外しているらしい。
布団の上に布がぽすっと落とされた音がした。
今の彼女はその柔らかくて大きな胸をさらけ出しているのだ。
そして足を持ち上げて、パンツを脱ぎ始めた。
白いパンツが床に落ちる。
ラブホテルや野外でセックスしたときの下着と同じものだ。その下着を見ていると、最高に気持ちよかったセックスのことを思い出してしまう。
ミキはブラジャーもパンツも脱いで全裸の姿でタンスへと向かった。
少し顔を前に出せばぷりっとしたお尻が見える。
「あれ? お気に入りの下着がない」
やべ……。
右手に彼女の下着を持ったままであることを思い出した。
「確かに入れたはずなのに」
不思議そうに首を傾げている。
バレない……よな?
下着を盗んだせいでバレるとかダサすぎる。
「まぁ、いっか」
水色の下着を取り出してその場で履き替え始める。
大事な場所が見えそうで見えない。
少しでも自分の目にその姿をおさめようと、身体をひねりながら前に動かした。
あと少し。あと少しで彼女のそそられる姿を見ることができる。
「誰かいるの?」
ビクッ。
ミキの着替えシーンをなんとか覗こうといきりたっていた心が一気に固まる。
まずい。
一時の性欲に身を任せたせいでバレてしまう。
バクバクと心臓が脈打っている。
その鼓動音がミキに聞こえてしまわないか心配になった。
「そんなはずないよね」
ミキが着替えを再開する。
ベッドの上に置いていた家着を着ると、彼女は部屋の扉に向かった。
どうやらどこかに行くらしい。
扉が開き、バタンと音を立てて閉まった。
「はぁ~……」
まじで焦った。
大きなため息が自然と口からこぼれる。
バレてしまうかと思った。
何度も俺の居場所を突き止めてきた彼女だ。ベッドの下に隠れていることがバレてもおかしくない。
だが危機は過ぎ去った。
彼女がいつまた部屋に戻ってくるかは分からない。
だから今のうちにやれることはやっておくべきだ。
ベッドの下から出ようとして――
――目が、合った。
「見ぃつけた」
ベッドの上から身を乗り出すようにしてベッドの下を覗いている。
上下がさかさまになったミキの顔がそこにあった。
普段見ている向きとは逆の顔には違和感があり、その違和感が恐怖をかきたてた。
「うわああああ!?」
思わず叫んでしまう。
ベッドの下にいることも忘れて立ち上がって逃げようとして、ベッドの枠に頭を打ち付けた。
「大丈夫?」
後頭部をかかえてうずくまる。
部屋から出たはずではなかったのか。どうしてまだここにいるのか。これからどうすればいいのか。
色んな考えが脳裏をめぐるも答えが出ない。
「出ておいで」
ミキが優しく笑いながら手を伸ばしてくる。
果たして彼女の手を取ってもいいのだろうか。
もしかしたら手を取った瞬間に、また同じように刺されて殺されるかもしれないと思った。
「ん」
彼女の促し方が可愛かったのでつい手を取ってしまう。
俺は本当にバカだ。
脳や心はチ〇コと直結しているらしい。
ベッドの下から出た俺は弁明をする。
「これには事情があるんだ。やましい気持ちがあった訳じゃない」
必死に身振り手振りを交えた。
ミキの目線は俺の右手に向いていた。
正確に言えば、彼女のお気に入りの黒い下着を持っている俺の右手を見ていた。
「ッ!?」
慌てて背中に回して隠すがもう遅いだろう。
がっつり見られた。
「これはその……」
どう誤魔化すべきか分からない。
言葉がでてこない。
「大丈夫だよ」
ミキが俺を抱きしめた。
柔かな感触に包み込まれる。
最低なことをしているのにどうして?
その思惑が掴めずに彼女を見ると、至近距離で目が合った。
俺もミキも無言になってしまう。
そして彼女はゆっくりと目を閉じた。
なぜ彼女が拒絶しないのかは分からない。
でも今やるべきことはミキの行動に頭を悩ませることではない。
俺はぎゅっと彼女を抱き返した。
そして目を閉じて口づけを交わす――その一瞬前に勢いよく扉が開け放たれた。
「ミキ! 何があった!?」
慌てて距離を取ってミキから離れた。
ミキの父親の廉太郎さんだ。
「君は誰だ。ミキに何をしている」
俺の置かれた状況が大きく変化したらしい。
大事な一人娘の部屋にあがりこんで、しかもキスをしようとしている男がいた。
父親として怒らずにいられるはずがない。
最悪なシチュエーションに思わず後ずさる。
――ねぇ。
背後から聞こえた声にゾッとした。
腹の底から怒っているような声だった。
だが彼女の怒りが向けられた先は俺ではないらしい。
「私の邪魔をしないで」
ミキの剣幕に今度は廉太郎さんが後ずさる。
だがすぐに持ち直した。
「親に黙って男を連れ込んだのか?」
「……」
「花子はお前をそんな風に育てていなかったはずだ」
「……」
「返事をしなさい!」
ミキは無視を決め込んでいた。
「お前の母親は素晴らしい女性だったのに……」
ミキは父親のことが見えていないかのように俺に笑いかける。
「ここだと邪魔がいてうるさいから、別の場所で話そっか」
そう言いながらミキはカバンから包丁を取り出した。
あぁ、またかと思った。
俺はきっとまた彼女に殺される。
その理由は分からない。
でも彼女なりにそうする必要があるのだと思う。きっと今回もそうなのだ。
だから俺は目を閉じた。
ミキに殺されることを受け入れた。
でもどれだけ待っても包丁の衝撃は訪れない。
「ミキ!?」
彼女の父親の廉太郎さんが焦っている。
俺はまだ刺されていない。
不思議に思って目を開けると、そこには驚きの光景が広がっていた。
ミキが刺したのは俺ではなかった。
ミキは彼女自身の胸を包丁で突き刺していた。
「嘘だろ……」
それほどまでに父親が嫌だったのだろうか。その行動理由が分からない。
でも確実に分かることは目の前で彼女の命が失われていくということだ。
「ミキ!? ミキ!?」
ミキを抱きかかえて取り乱す廉太郎さんのことを茫然としながら見ていた。
ミキの身体からはだらんと力が抜けている。
「お前まで俺を置いていくのか!」
父親の慟哭にも反応を見せない。
もうその命が消えてしまっているように見えた。
ループして元通りになることが分かっていたけれど、ミキの死は俺の心をかき乱した。
俺自身が殺されたときよりも余程衝撃的だった。
泣き崩れる廉太郎さんの姿を見ていたとき、ふいにはちみつの様な匂いがした。
この匂いは顔のない女が登場する兆しだ。
なぜだ?
24時はまだまだ先だ。
俺はまだ死んでいない。
ミキとセックスもしていない。
幽霊が出現する理由はないはずだ。
「ッ!?」
気がつけば目の前に幽霊が存在していた。
廉太郎さんと重なるようにしてミキの前に立っている。
やはり廉太郎さんにはそれは見えていないらしい。
女はミキの死体に手を伸ばす。まるで本当に死んだかどうかを確認するかのようにゆっくりと。
そしてミキの頭に手を置いて――彼女の頭を握りつぶした。
「ハッ!?」
気がつけば俺はいつもの電車の中にいた。
11月11日の17時10分だ。
見飽きるほどに繰り返してきた場所だ。
だが、いつもと決定的に違うことがある。
――隣にはミキが座っていた。
「おはよう、サチくん」
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