第11話 24時

『火事です! 火事です!』


 火災報知器の音で目が覚めた。

 近くで火災が発生したらしい。

 少し遠くに聞こえるからこの家が原因ではなさそうだが、状況を確認する必要がある。

 健ちゃんの部屋からリビングに向かう。そこはもぬけの殻だった。

 テーブルの上には家の鍵と一緒に手紙が置いてある。

 手紙には楠井製薬の闇を暴きに行くということと、俺を置いて行くことに対する謝罪が書かれていた。


「俺も連れていってほしかった……」


 ループの原因が分かったかもしれないのに。

 健ちゃんたちはどこにいるのだろうか。今から追いかけることは困難だ。

 なら今は健ちゃんたちのことは忘れて意識を切り替えよう。

 今の俺がやるべきことは火災の状況を確認することだ。

 もしも隣の家で火災が発生していて、それが飛び火でもしたらこの家も安全地帯ではなくなってしまう。

 たとえループするとはいえ焼け死にたくはない。


 家を出れば原因の部屋はすぐに分かった。近くにあるマンションの窓から黒煙が猛烈な勢いで飛び出していたからだ。


「誤報じゃなかったか」


 火災警報というのは誤報のパターンも多い。

 でも今回は不幸なことに真実だったようだ。きっと火元の部屋は全焼だろう。

 マンションの前には逃げてきた住人や近隣の人々が騒然と集まっている。

 その人だかりの中心で男性が泣いていた。


「俺のせいだ!」


 男は懺悔する。

 ベッドの上でタバコを吸っていたらウトウトしてしまい、気がついたときには火が広がっていて逃げるしかなかった。

 まだ部屋の奥には彼の妻と子どもが眠っている。

 男は泣き叫びながら膝をついた。


 誰も口には出さないけれど、あの状況では彼の家族は助からないだろう。

 誰の身にだって起こりうる悲劇だ。

 もしかしたら明日は我が身かもしれない。

 周りにいる人々は悲し気に目を伏せている。


 今日はやたら不幸な事故が多い。

 偶然が積み重なっただけなのだろうが、この町が本当に呪われているような気がした。


 そうこうしている内に消防車が到着した。

 後は彼らに任せるしかないだろう。

 いつまでも野次馬根性で残っても仕方がない。

 俺は健ちゃんの家へと戻る。

 そして、あと僅かのところで不意に背後から声がかかった。


「――また会えたね、サチくん」


 突然のことに心臓が飛び跳ねた。

 振り向かずともその声が誰のものかはっきりと分かる。

 きっといつもの可愛い笑顔を浮かべているはずだ。

 でも俺は彼女に背を向けたまま走り出していた。


「待ってよ、サチくん!」


 制止する彼女の言葉を無視して、俺は全力で走った。

 息を切らせながら玄関扉にたどり着く。

 扉には鍵がかかっていた。

 当たり前だ。家を出るときに俺が施錠したのだから。

 早く安全地帯に逃げ込みたい一心でそんなことすら忘れてしまっている。


「くそっ」


 慌てて鍵を取り出す。

 慣れていない扉のせいで開錠に失敗する。

 鍵がむなしくカチャカチャと音を立てた。


 ――早くしろ!


 心の中で自分自身に叱咤する。

 何度もトライしてようやく鍵があいた。

 急いで中に入って内側から施錠する。

 安全地帯を確保できたことで安心して、土間に座り込んだ。

 ようやくひと息つくことができた。


「もう今日は絶対にここから出ないぞ」


 外にはミキがいる。

 きっとどこかから俺を見張っているはずだ。




    ◆




 一人で健ちゃんの家に閉じこもる。

 何もすることがなく、かといって静かな場所にいるのも怖かったから、リビングで深夜のバラエティ番組を見ながら時間を潰していた。

 今の時刻は23時30分だ。あと30分で24時になる。


 24時になったらどうなるのだろうか。

 武夫叔父さんの家で24時を迎えたときは寝ていたせいで何があったか覚えていない。

 今回はしっかりと起きて何があるのかを把握しておきたい。

 そう決意を固めていたとき、突然俺のスマートフォンが鳴った。

 この音は電話の着信音だ。


 いったい誰だ?

 こんな時間に電話をかけてくる相手に心当たりはない。

 もしかしてミキなのか。

 電話の相手がミキだった場合、俺は出るべきか。いや、俺は出られるのだろうか。

 恐る恐るスマートフォンを手に取る。

 画面に表示されている名前は車田健吾。つまり健ちゃんだった。


「しくじった!」


 健ちゃんが息を切らせながら言う。

 どうやら彼は走りながら電話をしているようだ。


「今日あったことは忘れてくれ」

「何があったんだ? 楠井製薬の闇ってなんだ!?」

「それも忘れてくれ。じゃあな、さっちゃん」

「おい、待ってくれ。健ちゃん! 健ちゃん!?」


 電話が切れた音が聞こえる。

 慌ててもう一度電話をかけなおしたけれど繋がらない。

 電源を切ったのか。


「健ちゃん……」


 恐らく彼は刑事の館山さんと一緒に楠井製薬の闇を探ろうとして失敗した。

 その闇がどんなものかは分からない。

 果たしてミキは関わっているのだろうか。

 調べるチャンスはいくらでもある。

 俺はどんな目にあってもループしてしまう。だから逆に危険なことであっても首をを突っ込むことができる。


「でも今はまず24時になったらどうなるかだ」


 今回のループでは今さら何もすることはできない。

 だからこのままジッとして24時を迎えたときにどうなるかを調べてみせる。

 テレビ番組を見ながら時間が過ぎるのを待ち、あと僅かで24時になるというところで、はちみつの様な香りがした。

 リビングにははちみつを出していない。

 はちみつの匂いの発生源となるものは存在しない。


「これは……」


 間違いない。

 頭のない女が出現する予兆だ。

 24時を過ぎれば自動的にループするのだと思っていた。でも違っていたらしい。

 24時になるとあの頭のない女が現れて俺を殺しにくるようだ。

 武夫叔父さんの家で眠っていたときはそれに気づくこともなく殺されていたのだろう。

 なんて呑気なことだ!


「どこだ!」


 周囲を見渡すが幽霊の姿は見えない。

 扉や窓の鍵は全てしまっている。

 でもそんなことはあの女には関係ないはずだ。

 俺はリビングの隅っこに移動した。

 これで背中の死角をなくして部屋中を見渡すことができる。


「かかってこい!」


 全神経を集中する。

 どこだ。

 顔のない女はいったいどこから現れる。

 どんどん気配が濃くなっているのにどこにも見当たらない。

 右にも左にもいない。

 バラエティ番組の笑い声が部屋の中に響く。

 幽霊は一向に出現しない。

 このまま出現しない可能性はないだろうか。


「は、はは」


 いけるかもしれない。

 そう思ったとき――頭に何かが触れた。

 反射的に何の心構えもなく上を向いてしまう。


「あっ」


 そこに、化け物がいた。

 天井の隅にへばりつきながらこっちを見下ろしている。

 女の頭部が見えた。

 額の真ん中あたりで真横に切り取られた頭。その中が見えた。

 脳みそがあるはずの部分はぽっかりと空洞になっている。

 頭を切り取られた上半分だけでなく、切り取られていないはずの下半分にも脳みそが存在しない。頭蓋骨を切って、脳みそを丸ごと抜き取ったみたいな状態だ。


 いかれている。

 どうしてあんな状態で活動ができているのか。

 理解できない。

 まともな生き物ではない。


 化け物と目が合った。


 尻もちをつきながら後ずさる。

 背中が何かにぶつかって止まった。ソファーだ。


 ここには俺と幽霊以外に誰もいない。

 健ちゃんの助けは期待できないだろう。

 逃げるしかない。

 そう思って立ち上がろうとしたとき、頭のない女が頭上から消えた。


 いや違う。

 俺の頭に、青白い手が――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る