第10話 女刑事・館山麗美

「――ハッ!?」


 寒いと感じて目が覚めた。

 目が覚めた瞬間、俺の『今日』が終わっていないことが分かった。


「なんでだよ!」


 叫びながら車両を降りる。

 駅のホームで膝から崩れ落ちた。


 あの部屋で俺は明日を迎えたはずだった。

 外部からの侵入は防いだし、何も起きなかったはずだ。

 でもその結果がこれだ。

 詳しい検証は必要だけど、どうやら俺は明日に行けないらしい。『今日』に囚われているらしい。

 何かをしても死んでしまえば一からやり直しだ。そして何もしなくても今日が終われば一からやり直しだ。


「あぁ……」


 どうしたところですぐにループしてしまう。

 俺は永遠のループに囚われてしまった。

 どうすればいい。どうすればこのループから抜け出せる。

 何も分からない。

 途方に暮れるしかなかった。


「大丈夫ですか?」

「あなたは……」


 同じ電車に乗っていた美人な女性で、戸成駅では妙な聞き込みをしていた人物だ。


「私はこういうものです」


 彼女が取り出したものは警察手帳だ。

 県警の刑事部捜査第一課・館山麗美(たてやま れみ)と書かれている。


「刑事さんですか?」

「はい、何かお困りのようだったので」


 やくり町の外から来た女刑事。

 そして何らかの捜査をしている。

 もしかしたら彼女がループから抜けだす糸口になるのではないかと思った。


「館山さんは穏やかそうな顔をした女性のことを調べに来たんですよね?」

「……なに?」


 館山さんの顔が剣呑なものにかわる。

 鋭い目つきは何の情報も取りこぼさないという意思の表れだ。

 彼女はまさしく刑事なのだと感じた。


「どうしてそれを知っているのですか?」

「事情は話せません。ですが俺も一緒に連れて行ってください」


 突拍子もないお願いだ。

 了承されるはずもないと思っていたが、意外なことに彼女は腕を組んでしばらく考えた後に頷いた。




    ◆




 国道沿いにある全国チェーンの喫茶店に俺と館山さんが行けば、隅の半個室になっているテーブルに彼女が会う予定の人物が座っている。

 それは予想だにしていない人物だった。


「館山さん……とさっちゃん?」


 眼鏡を持ち上げなら驚いている。

 その人物とは俺の幼馴染だった健ちゃんだ。


 過去のループでは武夫叔父さんの家から18時30分頃に居酒屋へ向かったときに健ちゃんと遭遇した。

 俺たちが合流するより前の時間、彼はここで刑事の館山さんと会っていたようだ。


「やはりお知り合いでしたか」

「どうしてさっちゃんがここに?」

「彼は私が桧山さんのことを調べに来たことを知っていました。現時点でそれを知っていたのは私と車田くんだけです」


 館山さんは健ちゃんを厳しい目で睨んでいる。

 そういうことか。

 やけに簡単に俺を連れて行くことを了承するんだなと驚いたが、別の目的があったらしい。


「俺は誰にも話していませんよ」

「そうですか」


 2人が火花をちらして睨みあっている。

 健ちゃんは凄腕っぽい雰囲気の女刑事にも全く引けを取っていない。

 さすがだ。


「嘘はついていないようですね。そうなると話は変わってきます」


 館山さんのターゲットが俺に移った。


「広大さんはなぜ私の目的をご存知なのですか?」

「それは……」

「楠井の関係者ですか?」

「楠井? なんでその名前が出てくるんだ?」

「……そう来ますか」


 館山さんの質問の意図が掴めないでいると、彼女は困惑したような顔で健ちゃんを見た。


「さっちゃんは関係していない。それは俺が断言できます」

「そのようですね」


 俺の頭にはハテナが浮かぶ。

 彼らは何を知っているのだろうか。そして、それはこのループ現象と関わりがあるのだろうか。


「私の目的を知っていた理由を教えてください」

「それは……言えないです」


 別のループで聞き込みをしていたから、なんて正直に話したところでバカにしていると思われるだけだ。

 言えないというより、どう言えばいいか分からないというべきか。


「あなたはこの人のことをご存じなのですか?」


 館山さんがスマートフォンの写真を見せてくる。


「詳しくは知らないです。何があったんですか?」

「昨日、彼女はこの町に来てから消息が不明になっています」

「なるほど」


 相づちをうちながらも少し疑問に感じた。

 彼女は県警の刑事だ。

 そんな人物がわざわざ捜査するにしては早すぎる。まだ俺に話していないことがあるのだろう。

 とはいえそれ以上のことを聞き出すには、俺から提供できる情報が少なすぎる。

 スマートフォンに映る桧山さんという女性はおしとやかな美しい女性だ。きっと実物はもっと綺麗なのだろう。


「どこかで見たことがあるような気がするんだよなぁ」


 どこだろうか。思い出せない。

 こんな美人を見たら忘れるはずがないのに。

 片目をつぶって見たり、画面の向きを変えてみたりするけれどピンと来ない。

 指で口を隠してみたり目を隠してみたりしても違う気がする。


「うーん……あっ!?」


 その指がちょうど女性の頭を隠したときに衝撃が走った。


「あぁ!?」


 この女性は――頭のない女だ。

 顔の雰囲気はまるで違っていたから分からなかった。

 この写真では性格の良さがにじみ出ている優しい顔だ。でも俺が相対したときの顔は憎悪にまみれていた。

 何があって彼女は変貌してしまったのだろうか。

 もしかしたらそこにループの原因があるかもしれない。

 館山さんたちにこの女性のことをもっと尋ねようとしたとき――


「久しぶりだね、サチくん」


 ミキが現れた。

 どうして彼女がここに?

 何も知らない健ちゃんがのんきに館山に紹介している。


「彼女の名前は楠井ミキ。俺たちの幼馴染です」

「楠井……!?」

「あの楠井製薬の社長令嬢です」

「社長令嬢なんて柄じゃないけどねー」


 あははと笑っている。

 俺は彼女の笑顔を素直な気持ちで見ることができなかった。

 刺し殺されたときのことを思い出してしまう。

 彼女は異常な殺人鬼なのだ。


 また俺は彼女に殺されてしまうのだろうか。

 恐怖のあまり頭を抱えてうずくまった。


 ミキに殺されたときの記憶がフラッシュバックする。

 俺は彼女のことが何も理解できない。

 あるループでは心が溶け合うほどに愛し合って、あるループでは包丁を突き刺して殺す。

 そんなことをまともな精神の持ち主ができるのだろうか。


「ミキちゃん、悪いが今日は帰ってくれないか?」


 ミキの登場でパニックに陥った俺の様子を見て健ちゃんが言う。


「折角久しぶりに会えたのに」

「頼む」

「んー、そこまで言われちゃ仕方がないかな」


 早くいなくなってほしい。

 これ以上彼女と同じ空間にいたくない。


「また会おうね、サチくん」


 もう会いたくない。




    ◆




 ミキの登場によって俺は狼狽してしまい、館山さんも俺に事情を聞くどころではなくなってしまう。

 その後館山さんは一人で聞き込みをしたいと言い出し、健ちゃんがそれを了承する。

 また夜に会いましょうということになって別れた。

 以前のループで飲み会をした際に、健ちゃんは会う約束ができたと言ってアルコールをとらなかった。その相手というのは、彼女のことだったのだ。


 健ちゃんは俺を家に招待してくれた。

 彼の家は駅から30分ほど歩いた場所にある一軒家だ。

 両親は旅行に行っていて、今日は彼しかいないらしい。


「お邪魔します」


 昔はよく遊びに来ていた家だ。

 中に入るとすぐにキッチンが目に入った。


「リフォームしたのか」

「ん? あぁ、2年ぐらい前に水回りを全部取り換えた」


 確かにチラッと見えた洗面台も最近のタイプのもので綺麗だった。

 部屋の中がきちんと整理整頓されていて、インテリアも統一感があってお洒落だから、かなりグレードの高い家に感じる。


「良いなぁ。俺なんて狭いボロアパート暮らしだぞ」


 都内の家賃はべらぼうに高いから、俺が住んでいるのは1Kで築30年の部屋だ。水回りも古くて、比較すると悲しくなってしまう。


「東京と違って車がないとまともに生活できないけどな」


 どこに行くにしても車が必要だ。

 やくり町に住んでいたガキの頃は自転車一つで町中を端から端まで駆け巡っていたものだが、こうして成長した今となってはそんな元気もない。


「とりあえずコーヒーでも飲むか?」

「あぁ、悪いな」


 突然の来客にも動じることなく自然に対応している。

 大人だなぁ……。

 昔から健ちゃんはかっこいい男だった。

 同じ年齢のはずなのに俺よりもずっと大人で、いつも劣等感を抱いたものだ。


「俺もそろそろ免許取らないとな」


 東京は電車があれば事足りる。むしろ車は駐車する場所に困って逆に不便になることさえある。

 だから20歳になってもまだ免許をとっていなかった。

 このふざけたループから抜け出せたら、免許を取ってみるのもありかもしれない。


「良いと思うぜ。さっちゃんなら余裕で受かるだろうし」


 5年前もそうだったが、健ちゃんは俺を過大評価しているフシがある。

 純粋な目で「さっちゃんならできるだろ?」と言われてよく困っていたことを思い出した。

 雑談をしている間にコーヒーが完成し、健ちゃんがテーブルに運んだ。ついでに牛乳も一緒に持ってきてもらった。


「健ちゃんはブラック飲めるんだな」

「俺も最初は苦手だったけどな」


 牛乳を混ぜている傍らで、健ちゃんが牛乳も砂糖も使わずそのまま口にする。


「最初はカフェオレしか飲めなかったのに、気づけば今はブラックコーヒーばっかり飲んでる立派なカフェイン中毒さ」


 さすがは国立大学の医学部に一発合格した男だ。

 知的な彼にはコーヒーが似合う。

 何の取柄もない俺にはカフェオレがお似合いだ。

 冷たい牛乳が混ざって少しぬるくなったカフェオレを飲んだ。


「美味しい」


 インスタントコーヒーだ。特殊な豆を使っている訳でもない。

 でも不思議といつもより美味しく感じた。

 頼りになる親友の傍で飲んだからだろうか。心がほっとするような気がした。


「なぁさっちゃん」


 コーヒーカップを受け皿に置き、真剣な顔で俺の目を見ている。

 来たか。


「ミキちゃんと何かあったのか?」

「それは……」


 当然のことだが健ちゃんとしても事情を聞かない訳にはいかないだろう。

 何をどう話すべきか。

 俺は今日を何度もループしていて、しかも何度もミキに殺された……なんて正直に話したところで頭がおかしくなったと思われるだけだ。

 都合のいい言い訳が思い浮かばない。

 俺が東京に行ってから、ミキと交流がなかったことは健ちゃんも知っているはずだ。にもかかわらずミキを頑なに拒んでいる理由など本来であれば存在しない。

 だから何も言えない。黙秘するしかない。


「ミキちゃんのことをさっちゃんに頼もうと思っていたけど無理そうだな」

「頼むって何を?」

「もしかしたら俺たちは彼女が傷つくことをしてしまうかもしれない。だからさっちゃんに傍にいてほしかったんだ」

「なんで俺なんだ?」

「なんでって……ミキちゃんがさっちゃんのことを好きだからに決まっているだろ?」

「俺は5年も会っていなかったし、ミキは健ちゃんのことが好きだと思っていたけど」

「そんな訳ないだろ」


 健ちゃんが怒ったように言う。


「ミキちゃんはさっちゃんと再会したときに恥ずかしくないようにっていつも努力してた。今日だって上手くいくように坂上神社にお祈りしてから来るって言ってたし、本気でさっちゃんのことを大事に思っているんだ」


 健ちゃんとしては俺とミキの仲を修復したいのだろう。

 でも俺には無理だ。


 どれだけ酷い目に合わされても、やっぱり俺の心の中にはミキがいる。

 彼女ともう一度セックスをしたいという欲が心の隅から隅まで根っこをはって存在している。

 それでも今の俺には彼女と向き合うことができない。


「ごめんな健ちゃん」

「さっちゃんが謝る必要はないさ」


 説得は難しいと感じたのだろう。

 彼は話題を変えた。

 重くなるような話題は止めて、昔に一緒にバカをやったことを話して笑い合う。


「少し仮眠でもとったらどうだ?」


 しばらく話していると健ちゃんが提案してくる。

 何でも見るからに憔悴しているらしい。

 色々ありすぎて精神的な疲労がたまっていて、それが身体に出ているのかもしれない。

 健ちゃんの家なら安心して眠れる気がするし、寝られる内に寝ておきたい。


「館山さんと会うときには俺も連れていってくれよ?」

「もちろんだ」


 そして俺は健ちゃんのベッドを借りて、安心できる場所で眠りについた。

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