第8話 背徳感
「――ハッ!?」
寒いと感じて目が覚めた。
自分がいつもの電車にいることを確認した上で呟く。
「まじか……」
まだ状況を理解できない。
何が起きたんだ?
俺はミキに刺された。ミキに殺された。
死の間際に見た彼女の笑顔を思い返す。
悪びれる様子が一切ない笑顔だった。
「サイコパスだったのか?」
運命の相手だと思ってからはミキの笑顔一つで心はトキめいた。
でも今の俺には彼女と会ってまともでいられる自信がない。ミキの笑顔を恐れてしまうだろう。
「もう訳が分からない」
ミキはループに関係していないと思ったのに、ここに来てまた彼女が怪しくなってきた。
もっと情報が欲しい。この異常事態に関する手がかりが欲しい。
その最善手はミキと正面から向き合うことなのかもしれない。
でも……ミキが恐ろしかった。今は彼女と会いたくない。
どうするべきか分からず、頭をくしゃくしゃと掻きむしりながら走り出す。
道路に一匹のカラスがいた。
虫か何かがいるのかアスファルトを突っついている。
そこに一台の自動車が迫る。
カラスは逃げ遅れて轢かれた。
「あのカラスか……」
身体の半分を失ったカラスが恨めしそうにこっちを見ている。
でも俺にはどうすることもできない。
理不尽な状況を打破することができない。
カラスの死体が道端に落ちていたらどうするのか。
飲み会のときに健ちゃんに聞いてみたら、近くに住む人が自分で埋めるなり役場に報告するなりするから放っておいていいと話していたことを思い出す。
「役場……そうか!」
ハッと顔をあげて走った。
町役場と道路を挟んで反対側に2階建ての建物がある。やくり町唯一の図書館だ。
2階建てで田舎町にしては結構大きい図書館だと思う。
隣の町の住民がわざわざこっちの図書館に来ることもあると聞く。
あの図書館で調べれば、このイカれた状況のことも何か分かるかもしれない。
全力で走って図書館にたどり着く。
扉の鍵は閉まっていた。
営業時間を確認すると17時までとなっている。
館内は真っ暗だ。職員も定時ダッシュをしたようだ。
「どれだけ繰り返しても間に合わないじゃないか」
俺が目を覚ますのは17時10分だ。最短距離で最速で来たとしても間に合わない。
どうするべきか。
腕を組んで悩んだとき、ふと足元におあつらえ向きの石が落ちていることに気がついた。
「やるしかない」
犯罪者になろうとも死んでやり直せばリセットされる。
悪いことをするのだという不思議な高揚感に包まれながら、図書館の窓に石を投げつけた。
破片で怪我をしないように注意しながら、窓の鍵を開けて中へと侵入する。
中は真っ暗だ。
本棚が並んでいることは分かるが、どこにどんな本があるかは全く分からない。
スマートフォンのライトをつけて前を照らす。
カウンターの裏に照明スイッチを見つけた。
たくさんのスイッチがあり、それぞれのスイッチの上には場所を示すテープが貼られている。ここで館内全体の灯りを操作できるということだ。
スイッチに手を伸ばし――途中で止めた。
「ダメだな」
図書館の窓のカーテンは上部から引っ張るスクリーンタイプだ。外から中の様子を確認することはできないが、わずかに隙間がある。
照明を点けてしまえばその隙間から光が漏れ出てしまうだろう。
図書館に職員の姿はなかったが、向かい側の役場ではまだ働いている人がいる。もしも光が漏れていれば不審に思われるかもしれない。そうなれば調査の邪魔をされてしまう。もっと最悪なのは、あの楠井ミキに気づかれてしまうことだ。
今は彼女に気づかれるリスクを冒したくない。
暗いままの図書館を利用するという選択肢を選ぶしかなかった。
「いかにも何か出てきそうだ」
人の気配がなく静寂につつまれた暗闇の図書館は不気味だ。
身体が小刻みに震えるのは寒さのせいだけではないだろう。叶うならここから立ち去って自宅に戻って暖かいベッドで眠りたい。
「今はこの現象について知るべきだ」
最初は物理学のジャンルを漁ってみた。でも本棚に並ぶ本の背表紙を見て回って目ぼしいものはなかった。
俺の状況は非科学的なものだ。物理学ではまともな説明ができないのだろう。
そこでSF本を調べてみることにした。
いくつかの本を選び取り、2階にある勉強用の机に運んだ。
机には小さな照明がついている。
手元を照らすだけだから外部に漏れる心配は薄いはずだ。
「タイムループ……か」
意識だけが時間跳躍することをタイムリープというそうだ。
その中でも特定の時間を繰り返している俺の状況はタイムループと定義されていた。
曖昧だった言葉もSFの世界ではしっかりと区別されているらしい。
単なる読み物としてなら面白いと思った。
でも俺の状況が好転する材料には成り得なかった。
「ん?」
遠くからサイレンの音が聞こえた。
この音は救急車だ。徐々に近づいてくるようだ。
近くの民家の住人が餅でも詰まらせたのだろうか。
今の時刻を確認すると既に22時を過ぎている。集中して調べていたせいかあっという間に時間が過ぎていたらしい。
田舎は老人が多い。地方には少子高齢化の波が押し寄せている。やくり町も例外ではない。高齢者が肺炎になって容体が急変した、なんてことはどこにでもあり得ることだ。
サイレンの音を無視しながら本を読み続けていると、その音はどんどん大きくなっていく。
好奇心を抑えられず、2階の窓から外を覗いた。
救急車がランプを点滅させながらこっちに近づいてくる。
心当たりはない。
図書館に不法侵入しているから、パトカーが来る心当たりはある。
でも館内にけが人はいない。救急車とは無縁のはずだ。
救急車は図書館の前で減速して――向かい側の役場の駐車場に入った。
「そっちかよ」
また何か不可思議なできごとが起きるのかと焦った。
救急隊員は役場の中へと入っていく。
そしてすぐにスーツ姿の男性が運びだされた。
遠いからはっきりとは分からないが、比較的若そうな男性だ。
救急隊員たちと一緒に年配の男性がついてくる。彼の上司だろうか。
すぐに彼らは救急車に乗って出発した。
過労で倒れたのだろうか。遠くから見た感じでは外傷があるようには見えない。
町役場の職員というのは楽をしているように思われがちだ。
でも普通の会社と同じように部署や時期によって忙しさは異なる。
彼はたまたま激務な状態にあり、その疲労が重なって倒れてしまったのかもしれない。
大変そうだなと他人事の様に思った。
倒れた彼自身もそうだし、一緒に救急車に乗っていった管理職と思わしき男性もそうだ。
状況次第では管理責任を問われて処罰を受けるかもしれない。
俺がとんでもない事態に巻き込まれている裏で、『まれによくある悲劇』が発生しているようだ。
「ごめんな見知らぬ社畜公務員」
走り去る救急車に手を合わせて謝罪する。
俺にはどうすることもできない。自分のことで精いっぱいだ。
一人の人間の手が届く範囲は限られている。
健ちゃんのような行動力のある陽キャならその範囲は広いかもしれないけれど、俺の場合は酷く狭いものだ。
「さて、続きに戻るか」
続きの調査をしようと思ったとき、ぶるぶると身体が震えた。
これは恐怖によるものでも寒さによるものでもない。
尿意だ。
おしっこを我慢しながら書籍を読み込んでも結果は伴わない。
立ち上がってトイレへと向かった。
「何も出ないよな……?」
暗闇でトイレに行くというのはどうしてこうも不安になるのだろう。
小さい頃、夜中に一人でトイレに行けなかったことを思い出す。
この図書館は2階建てだがトイレがあるのは1階だけだ。
ライトを振り回して周囲を照らしながら、手すりに手を添えてゆっくりと階段を降りる。こうも暗いと油断したら踏み外してしまいそうだ。
無事1階のトイレにたどり着き――
「うわっ!」
突然、トイレの照明が点灯した。
暗い状態に目が慣れていたから、その眩しさにくらんでしまう。
「人感センサーか……」
人の存在を感知して点灯するようだ。
便利な機能ではあるのだが今に限っては心臓に悪かった。
トイレには換気用の小窓がついている。
そこから光が漏れて周囲にバレるかもしれない。急いで用を足してトイレを後にした。
おしっこをした後は解放感があってスッキリする。不思議と恐怖も和らいでいた。
尿意は恐怖と直結しているのだろうか。
バカなことを考えながら階段を上がる。
本棚の間を抜けて勉強机の元へと歩いた。
「――えっ?」
目を疑った。
俺はついに幻覚を見るようになったのかと思った。
さっきまで俺が座っていた場所に楠井ミキが座っていたからだ。
タイムループについて書かかれた本を読んでいる。
「なっ、おま……」
動揺して上手く言葉にならない。
「サチくんってこういう本に興味あるんだ」
本を見ていてこっちを向いていないのに、近づいてきた人物が俺だと分かっているらしい。
「それは知らなかったなぁ。何か心変わりするようなできごとでもあったのかな?」
彼女はゆっくりとこっちを向いた。
「夜の図書館に侵入するのって興奮するね」
いつものように可愛い笑みを浮かべながら、しかし彼女の目は笑っていなかった。
俺のことを探っている。そう思った。
ミキの視線が怖くて、女の子みたいな悲鳴をあげながら全力で逃亡した。
「あっ、サチくん――」
走って一階に降りようとして足を滑らせてしまう。
そのまま勢いよく階段を転げ落ちた。
「ぁ、ぁぁ」
全身が痛む。
電車に撥ねられたときの感覚に近い。
はちみつの様な甘ったるい香りと共に、また頭のない女が現れた。
それは不気味にジッと俺を見つめている。
まるで俺が死ぬのを待っているかのようだと思った。
相変わらず殺してくれはしないらしい。まさに生殺しだ。
ミキの足音が近づいてくる。
ゆっくりと階段を降りてくることが分かった。
その場に浮かぶように佇んでいる幽霊の傍を通り過ぎて、彼女は俺の顔を上から覗きこむ。
聞き分けのない子どもを優しく諭すように言った。
「ちゃんと死なないとダメだよ?」
そして彼女は、包丁を、俺の胸に突き刺した。
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