第7話 いっそ殺してくれ

「――ハッ!?」


 寒いと感じて目が覚めた。

 もうわざわざ周囲を見渡す必要もない。

 電車から降りて、俺は叫んだ。


「ふざけんな!」


 居眠り運転していたクソ爺に怒りをぶつける。

 とはいえあれは単なる偶然だと思う。

 幽霊や電車での出来事には不可解なことが多いけれど、軽トラに関しては不可解なところはない。

 クソ爺の過失はあれど悪意はない不運な事故。どこにでもあり得る悲劇だ。

 軽トラのことはいったん隅に置いて、引き続き電車で起きたことを調べるべきだろう。

 軽トラが来る場所もタイミングも分かっている。避けることは用意だ。


「徒歩じゃ間に合わない」


 駅のホームを走る。

 途中で綺麗な女性とすれ違った。

 年齢は20代後半ぐらいだろうか。背筋がのびていて凛とした姿が美しい女性だ。

 でも彼女のことを気にしている暇はない。


 駅から出て駅前の広場を見渡す。

 幸運にも鍵がささったままのママチャリを発見した。

 駅員カカシに見られているような気がしてきまりが悪かったが、不用心な自転車を拝借する。

 最悪死ねばやり直せる。今はまず何が起きているのかを知ることが最優先事項だ。

 ママチャリに乗って線路沿いを走る。

 畑お爺さんのカカシの傍を通り過ぎ、戸成駅の駅前広場も通り過ぎた。

 もう少しで町の境界だ。

 そこには何もなかった。

 普通に道や線路があっておかしなところは何もない。


「俺の取り越し苦労か?」


 そのまま自転車を走らせて――


「ぁダッ!?」


 手に衝撃があった。

 少し遅れて足と頭にも衝撃が訪れる。

 そして地面のアスファルトに尻をついた。


 突然のことに頭が追いつかず、少し経ってから脳が痛みを認識する。高い場所から落下して着地に失敗したような痛みだ。

 痛みで目に涙が浮かぶ。

 しばらく地面に倒れていたが、ずっとこのままでいる訳にもいかないと立ち上がった。

 何が起きたのか知る必要がある。

 がっつりと頭を打ってしまったせいで足元をフラつかせながらも立ち上がる。

 そして、手を伸ばした。


「壁……?」


 そこには見えない壁があった。

 足で蹴ってみても、そこには壁がある。

 思いっきり蹴ってもタックルしてもビクともしない。


「どういうことだ」


 壁の向こう側に俺が乗っていた自転車が倒れている。

 あの自転車は壁に邪魔されなかったのだ。

 傍に落ちていた石を拾う。壁に向かって投げる。石は見えない壁を素通りした。


「通った……」


 唖然としていると電車が走ってくる。

 俺がこの町から逃げ出すために乗った電車だ。

 線路の窓から見える車両の中の様子を覗く。

 誰一人として見えない壁に潰されることなく去っていった。

 この見えない壁は俺だけに反応しているらしい。


「まじかよ」


 フラフラとその場に座り込んだ。

 俺だけがこの壁を通れない。


 ――俺はこの呪われた町に閉じ込められた。


 その事実に打ちのめされて動くことができなかった。




    ◆




 お腹が鳴る。

 こんな状況でもお腹は空くらしい。

 ようやく動き出そうと奮い立ったときには、あたりはすっかり暗くなっていた。時刻を確認すると既に19時33分だ。

 とりあえずやくり駅に戻って晩ごはんを食べよう。

 この状況から抜け出すために何をすればいいのかも分からぬままふらふらと歩き出す。


 戸成駅では駅前に2台のパトカーが止まっており、お爺さんが警官たちに何やら尋問されていた。

 近くにいた野次馬に事情を尋ねると、居眠り運転で人身事故を起こしたらしい。被害者は意識不明の重体なのだとか。

 ハッとしてもう一度現場を確認する。

 お爺さんはあのとき居眠り運転していた人だったし、近くには潰れた軽トラもあった。

 俺がいなかったから結果が変わったようだ。


「いや逆か」


 前回は俺がいたから結果が変わっただけで、本来はこうして事故を起こす運命だったのだ。


「少しいいですか?」


 事故現場を見ていると背後から声をかけられる。

 振り返ると気の強そうな美人が立っていた。

 凛とした佇まいがかっこいい。

 俺がこの町に来るときに乗っていた電車の、違う車両に乗っていた女性だ。


「昨日、この人を見かけませんでしたか?」


 女性がスマートフォンの画面を見せてくる。

 おしとやかな美人の顔が映っていた。

 どこかで見たような気がするけど思い出せない。


「俺は昨日は東京にいたので」

「そうですか……」


 女性は残念そうな顔で去っていった。

 その後も戸成駅前の事故現場を眺めていると、今日発生するはずのもう一つの事件ことを思い出した。

 もうすぐやくり駅で飛び込み自殺が発生する。

 そしてふと思った。


「防いでみるか」


 やくり駅で自殺による運休のことを知ったのは21時20分頃だ。

 自殺したのはそれより極端に前ではないはずだ。今から行けば十分に間に合うだろう。

 自殺を防いだところで俺の状況は変化しない可能性が高いと思いつつ、それでも何かを目的にしないと落ち着かなかった。




    ◆




 ようやくやくり駅についた。

 見えない壁にそれなりのスピードでぶつかったせいで身体が痛くて走ることができず、結局着いたのは20時12分だ。

 駅の構内に入ろうとすると、ちょうど中から酔っ払いのおっさんが降りてきた。

 千鳥足の男はふらついた勢いで駅員カカシの顔に腕を当ててしまう。


「あっ」


 カカシの顔が取れて地面に転がった。

 アルコールのせいで判断能力が落ちているのか、男にカカシを気にする様子はない。

 顔が取れたカカシのことを不気味に思っていたが、こうして原因が分かると滑稽だ。


「いや、今は自殺を止めないと」


 酔っ払いの行動に気を取られていたが、今の目的は自殺を食い止めることだ。

 慌てて駅の改札を通ると、明らかに不自然な様子でホームのギリギリに立っている男を発見した。


「やばい!」


 ここで彼を止められなければ俺はずっとこのまま死に戻り続けるような気がした。

 根拠のない強迫観念に突き動かされ、身体の痛みも無視してダッシュする。

 だが間の悪いことに急行電車がやってきた。

 急行電車はやくり駅に停まらない。スピードを出して通過する急行電車は自殺するのに絶好の電車だ。

 男がホームから線路に降りた。


「くそっ!」


 運転手が気づいたのかブレーキをかけている。だが間に合わないだろう。

 俺は覚悟を決めて、走りながらホームから飛び降りた。

 そして線路の上で人生を諦めたような顔で立つ男を突き飛ばして――俺は電車と衝突した。




    ◆




 はちみつの様な香りがした。


「ぅぁ……ぁ……」


 全身が痛い。

 ゆっくりと重たい瞼を開く。

 足が見えた。その人物はなぜか靴を履いておらず、線路の砂利の上なのに裸足で立っている。その肌は妙に青白い。

 痛みに呻きながら見上げる。

 やはり、そこにいたのは黒い長髪に白い服を着た、頭のない女だった。


 異形の彼女は襲ってこない。少し離れた場所でジッと俺を観察している。

 いっそ早く殺してくれと思った。

 そうすれば次に行ける。傷も痛みもない状態から再開できる。


「ぁ、ぁぁ……」


 すがるように手を伸ばす。

 幽霊に対する恐怖よりも痛みから解放されたいという願いの方が強かった。

 でも彼女は応えない。

 本当に憎たらしいやつだ。来てほしくないときに襲いかかり、来てほしいときには何もしない。


「だ、大丈夫ですか!?」


 男の声が聞こえる。こっちに近づいてくるようだ。

 気がつけば幽霊は消えていた。


「どうして僕なんかのために……」


 声をかけてきたのは自殺男だった。

 様子を見る限り、無事のようだ。


「もうすぐ救急車が来ますからね!」


 全身が痛む。

 でも残念なことにすぐには死ねないらしい。

 少しでも痛みを紛らわそうと自殺男に尋ねた。


「何で自殺しようとしたんですか?」

「それは……」


 自殺男は言い淀んでいる。


「俺には聞く権利があるはずです」


 そう言えば観念したのか訳を話し始めた。


「僕には結婚を誓った女性がいました。でも昨日いきなり別れましょうってメッセージが送らてきて、着信拒否されているのか電話は繋がらないしメッセージを送っても返事をしてくれないんです」

「だから死のうとした……のか?」


 そんな理由かよと思ってしまった。

 自殺を選ぶくらいだから何かのっぴきならない事情があるのかと思ったが、ただの痴情のもつれだったらしい。


「本気で愛していたんです。僕にとって由香里は運命の人なんです! 彼女以外の女性なんて考えられません」

「原因に心当たりはあるんですか?」

「それが全くないんですよ。浮気なんてしたことありませんし、彼女を傷つけるようなことは何もしていません」


 本人が気づいてないだけで何かやらかしていたということはあり得る。

 気の弱そうな男だから浮気という線はないと思うが。

 遠くから救急車のサイレンが聞こえた。


「もうすぐですよ!」


 誰かが近づいてくる足音が聞こえた。


「サチくん、大丈夫?」


 その声を聞いた瞬間、誰だかすぐに分かった。

 俺の幼馴染で5年ぶりに再会した楠井ミキだ。

 彼女がループや幽霊の原因かもしれないと最初は思った。

 でも電車で町を出ようとして身体が潰れたときも軽トラに轢かれたときも、ミキと関わることなくループした。今回もミキが来るより先に頭のない女が出現していた。

 ミキは関係ないと考えていいだろう。

 問題があるのは彼女ではなく、このやくり町にあると考えるべきだ。


「ミ、キ……」


 こんな痛みはもうこりごりだ。

 次の周では全力でミキとセックスしよう。

 原因を突き止めることも後回しだ。

 今はただあの素晴らしい快楽に溺れたい。


「どうしてこんなことになったのかなぁ?」


 不思議そうに言いながら彼女がバッグから何かを取り出した。

 一瞬、それが何か分からなかった。

 だがすぐに理解する。


「じゃあね」


 ミキは惚れ惚れするほどの笑顔で、包丁を、俺の胸に突き刺した。

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