1話:病気が治ったと思ったら病気にかかっていた(?)




 朝の日差しがカーテンの隙間から差し込んで、俺は眠気まなこに薄目を開けた。

 良い朝だ。

 それも、頭がすっきりする朝だ。


 頭痛はない。気だるさもない。少々の疲れは感じるが、それだけだ。


 手だけを動かして、そこにあった体温計を手に取り、徐に体温を計る。


 少しして、ピピピと音が鳴る。


 体温は36.5度。

 平熱だった。


「治ってる……」


 某ウイルスのワクチンを接種した俺は、この3日間、時には39.6度の熱を出して、この世の地獄を延々に味わっていた。

 それがようやく、今朝になって、死ぬほど辛かった体調も、綺麗さっぱり回復したのだ。


 スマホの時計を見ると、時刻にして6時ちょうど。かなり早く起きてしまったらしい。


 何件か、学校の友人から通知が来ている―――体調はどうだとか、あるいはクラスのグループチャットでの盛り上がりもあった。


 その中でも、何度も読み返したくなるのは、やっぱりこれだ。


さいかわ『熱、大丈夫? 無理しないよーに!』


 そのメッセージを見て、俺は自然と頬をにやけさせた。

 丁度一週間前から付き合うことになった彼女、斎川智恵さんからである。

 勇気を振り絞って、告白したのが功を奏したのだ……斎川さんが人気があるのは知っていたし、当たって砕けろの精神だったのだが、本当に告白してよかった。


「もう大丈夫、今日は学校いける、っと」


 返信をしながら、俺は3日間の地獄を思い返す。

 控えめに言って、もう二度と味わいたくない苦しみだった……。


「でも、ワクチンは後一回あるんだよなぁ……」


 今回で1回目のワクチン接種だ。

 だが、2回目を打つ必要があるとかで、それは一ヶ月後に迫っている。


 俺は、もしかしたら死ぬんじゃないだろうか。


 2回目のワクチンは、1回目よりも副作用が強いと聞くし。


「……打つ前の俺、本当に能天気だったな」


 過去に戻れるなら、一発、頭を殴ってやりたい。

 なんで、俺は大丈夫だとか思っていたのか、3日間の地獄をた今からしてみると、理解に苦しむ。


 ……過去に、か。


 俺はふと思い至って、机の引き出しを開けて、二重底の蓋を外した。

 そこにあるのは、油性ペンで真っ黒に塗りつぶされたされた大学ノート。

 そこには白の修正液で、『封印されし我が記憶』と書かれている。


「ぐおおおおおお……」


 俺は言いようのない羞恥に、頭を抱えてその場で悶えた。


 中二病。


 それは、自分は特別、自分は周りの人間とは違うのだ……そう思い込み、まるでそれが現実であるかのように振る舞ってしまう精神疾患である。

 あるいは精神異常者と言ってもいい。


 思春期特有の思い込みは、未来の自分、つまり自分へと精神的ダメージを合わせる力を持つ。

 なんて恐ろしい力なんだ……!


 それこそ、過去に戻って……いや、あの時の俺なら、むしろやっぱり俺は特別だとかいって、喜びそうだ。


 そう。


 3年前、中学2年生の頃、俺は中二病を患っていた。


 両親の仕事の関係で、東京の学校へと転校してきたはいいが、このノートだけは捨てられなかった。

 捨てたくなかったからとかじゃない。

 捨てるところを誰かに見られるリスクすら冒したくなかったのだ。


 それくらい、どうにか普通の高校生として過ごしてきた俺にとって、トップシークレットの黒歴史。

 ほんと、地元の高校に進学しなくてよかった……。


「そろそろ捨てないとな……」


 何気なく、つーっと、黒塗りの大学ノートへと指を滑らせる。


 その瞬間だった。


「へ?」


 突如として、黒歴史ノートが紫色の光を放ち始めたのだ。


「な、なんだぁ!?」


 こんな仕掛けを施した記憶はない。

 自称新世界の神じゃあるまいし、普通に開けたら発火するみたいな、危険極まりない細工だってしていない。


 その光は、もはや目すら開けられないほど強くなっていき、俺は目を庇うように腕を顔の前に置く。

 ほら、紫外線は目に悪いって言うじゃん? それだよそれ。


 それから数秒して、ようやく光が収まりはじめる。


 ついには、何事もなかったかのように綺麗さっぱり消えていた。


「……ワクチンの後遺症か?」


 もしかしたら、副作用のひとつかもしれない。幻覚が見えるとか。


 とはいえ、流石に学校を既に3日も休んでしまっているから、これ以上休むのは不味い。

 勉強に追いつけなくなるというのもあるが、熱がないのでは休む理由もないだろう。

 俺は少しだけ気だるさを覚えながらも、部屋を出て一階へと降りる。


「ふふふ、我が下僕よ! 地獄から舞い戻ったか……!」


 洗面所で軽く口をゆすいでからリビングに行くと、第一声にそんなことを言われた。

 俺の妹、黒ヶ原十六夜である。

 どうせ制服に着替えるというのに、朝からお気に入りのアニメ『十六夜のヴァンパイア姫』のヒロインの吸血鬼コスをしている、もの好きな妹である。


「あーはいはい、おはよー」


 俺はぼーっとする頭で適当に流して、コップを取り出す。


にい、ノリ悪い!」


 膨れっ面でを睨んでくる十六夜。

 我が妹ながら、なかなかにあざと可愛い……きっと、クラスでも人気者だったんだろうなぁ、この変な性格さえなければ。


「そういうのは中二で辞めたんだよ……3日間、世話焼かせて悪かったな。ちょっとシャワー浴びてくるから、朝食はもうちょっと待っててくれ」

「むー」


 十六夜は不貞腐れたように頬を膨らませる。

 ……言い訳をさせてもらうと、十六夜の中二病は俺のが移ったわけではない。

 なにせ、十六夜とは俺が中二病に目覚める前の、中学1年までは両親の喧嘩のせいで別居していたのだが、その頃には既にこんなだった。

 兄妹だなぁ、と今なら思える……似た者同士というやつである。


「あれ、兄、なにかいいことでもあった?」

「ん? ふふふ、わかるかー? わかっちゃうかぁ」


 斎川さんに心配されて、嬉しくないわけがない。

 それに、なにより、今日は斎川さんに会えるのだ。

 先週の木曜日に告白して、今日は火曜日。

 付き合えたはいいが、告白した日以降、ろくに話せていない……金曜日は、ワクチン打ったら即下校しちゃったしな。


「だって、見るからに気分よさそうだもん。そんな恰好してるし」

「そっか、そっかぁ……恰好?」

「え、うん。その目と左手、昔みたいだし」

「目と左手?」


 言われて、俺は左手を見る。

 そこには、いつの間にか包帯が巻かれていた。

 ははーん、なるほど。


「十六夜、悪戯はやめろよ。中二病仲間が欲しいからって、仮にも俺は熱を出して倒れていたんだぞ?」

「え?」

「……え?」


 素っ頓狂な声をあげる十六夜と俺。

 え?


「お前じゃないの?」

「流石に、私は寝てる人にカラコンはできないよ?」

「カラコン………?」


 俺は徐にスマホを取り出して、カメラを起動した。


「………なにこれ?」


 俺の右の瞳が、なんか紫色してるんですけど。

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