その日、俺はあいつを追放した
三条ツバメ
本編
「ルイン! お前みたいな役立たずは追放だ!」
酒場に入った途端、怒鳴り声が耳に飛び込んできた。
なんだ、パーティ追放か。なにもこんな人の多いところでやらなくてもいいだろうに……。
見せしめのようなやり方にため息をつきながら、俺は声のした方、店の奥のテーブルを見た。他の客もみなそちらを見ているので、俺だけ目立つということはない。
リーダーらしき大男が正面に座る若い男に怒鳴り散らしている。
「温情で俺のパーティに入れてやったのに」だの「お前、絶対に役に立ちますって言ったよな」だのといったお定まりのセリフが聞こえてきた。
リーダーと、ルインという名らしい若い男以外にも仲間らしき二人の男が同じテーブルに座っているが、どちらもニヤニヤ笑いながら成り行きを見ていた。
「ジャック」
パーティメンバーのレドが声をかけてきた。
「ああ。ありゃわざとだな」
俺はうなずいて言った。
「美しくありませんねえ……」
同じくパーティメンバーのクルツが首を振る。
同感だ。聞こえてきた話の内容から察するに、あの怒鳴り散らしているリーダーはどうしても仲間に入れて欲しい、と懇願してきたルインを仕方なく入れてやったそうだが、それはこうしていびってやるために違いない。
あの調子じゃクエストの時もルインがどんな扱いをされたか分かったもんじゃないな。
一通り怒鳴り終えたリーダーは、最後にくどくどと説教をして、取り巻き二人と一緒に席を立った。ルインはうなだれたまま動かない。
そのまま酒場を出て行くかに見えた一行だが、入り口の扉のところで振り返って、「お前なんか冒険者として通用しないんだよ!」と言い捨ててから去っていった。
しんと静まりかえったが、少しすると酒場はいつものにぎやかな雰囲気に戻った。ただし、うつむいたままのルインは別だが。
ルインはのろのろと立ち上がり、帰ろうとした。そのとき、俺は入り口の方を向いたルインと目が合った。
まだ若いな、と思った。俺より四つか五つ下だろう。十六くらいか。金髪で細身の、少し頼りなさそうな少年は、捨てられた子犬のようという表現がぴったりの目をしていた。
放っておくことも出来た。こういう現場に出くわしたことは何度かあったし、別にその都度追放された奴に関わってきたわけじゃない。
でも今日は、なんとなく、放っておいたら後悔するだろうなと思った。ただそれだけの、ちょっとした気まぐれだった。
レドとクルツを見やると、二人ともうなずいてくれた。
じゃあ、いいか。
というわけで、俺はルインに声をかけた。
後に、俺がこの手でパーティから追放することになる、天才としか言いようのない、補助魔法の使い手に。
はじめのうちは口が重かったルインだが、酒と食事を摂るうちに、少しずつ俺たちと打ち解けていった。
「すみません。お見苦しいところを見せてしまって……」
ルインは改まった様子で頭を下げてくる。俺は笑って首を横に振った。
「気にすんな。あいつらは最初からお前をさらし者にして追放する気で仲間に入れたんだよ」
「えっ! そうだったんですか!」
ルインはえらく驚いていた。
端から見てると一目瞭然なんだが、案外本人は気づかないものなのかもな。
俺だけでなく、レドとクルツも同じことを言うのを見て、ルインもようやく納得したようだった。
「だからまあ、お前は役立たずってわけじゃないし、冒険者として通用しないってわけでもない。……多分だけどな」
冗談めかして付け加えるとルインも笑った。
聞けばルインは山奥にある小さな村の出身で、村では唯一人の魔法の才能を持った人間だったそうだ。村の人々はルインに大層期待していて、いずれは勇者パーティの一員となって魔王を討伐してくれると思っているのだとか。
「俺も、自分にそんな力があるのなら、魔王を倒すことが出来るのなら、やらなくちゃいけないと思って村を出てきたんですけど……ふたを開けてみればこの有様です」
ルインが自嘲する。
だが、俺は笑う気にはなれなかった。
「なんだ、お前も勇者を目指してたのか」
「え? お前もって……」
戸惑うルインに俺たち三人はそろってうなずいた。
「実は俺たち全員、一度は勇者を目指したことがあるんだよ」
「そ、そうだったんですか……」
ルインはぽかんとしていた。
「そんなに珍しい話でもないぞ」
「まあ、パーティ全員が元勇者志望というのはまれだと思うがな」
「フフッ、僕たちは夢破れた冒険者パーティなのですよ」
俺に続いてレドとクルツが言う。俺もレドもクルツも、小さな町や村の出身で、かつては神童だのなんだのと言われていたのだ。
あいにくと俺たちには勇者になれるほどの力はなかったので、いまは冒険者として出来ることを出来る範囲でやっているわけだが。
ルインは俺たちの身の上話をぽかんと口を開けてきいていた。
さてと……
俺はレドとクルツを見た。二人とも、俺と同じ意見のようだ。
「なあ、ルイン。俺たちと組まないか?」
「えっ、俺なんかで、いいんですか……?」
ルインは不安そうに言った。
わざととはいえ、あれだけ派手に追放されたばかりなんだから当然か。
俺は安心させようと笑って言った。
「そんなに深刻に考えるなよ。出来ることをやってくれりゃいいだけだ」
「うちには補助魔法の使い手はいないしな」
レドがクルツを見ながら言う。
「僕はこの世で最も美しい、火属性の攻撃魔法にしか興味がありませんので」
クルツは真顔で言った。
本人の言うとおり、この波打つ赤い髪の魔法使いは火属性の攻撃魔法しか使えないのだ。
レドは盾役だから、回復も含めた補助の類いは剣士の俺がやっている。一人でパーティを支えられる万能な勇者を目指して剣も魔法も修めていたのだが、こんな形で役に立つとは思わなかった。
「どうする、ルイン? 仲間になって――」
「よろしくお願いします!」
ルインはテーブルにぶつかりそうになるくらい勢いよく頭を下げてきた。
その様子に俺たちはつい笑ってしまった。ルインも笑った。
「じゃ、新しい仲間も加わったことだし、今回は俺のおごりだな」
「流石はジャック。それでこそ俺たちのリーダーだ」
「今日のあなたは美しいですねえ」
俺が宣言するとレドとクルツが拍手した。
「こんなときだけ持ち上げるんじゃねえよ」
笑ってそう言いながら会計を頼んだのだが、思ったよりも金額が多かった。
「なあ、俺たちこんなに注文してないと思うんだが……」
「先に出てった人たちの分も入ってるからね」
店主はしれっと言った。
あいつらめ……いつか見返してやるからな。
こうしてルインがパーティに加わったわけだが、初めのうちはルインも俺たちに遠慮しているようなところがあった。
なので、加入してから数回のクエストでは俺が直接指示を出して、補助魔法を使わせていた。
なんとなく予想していたことだが、ルインは役立たずなどではなかった。指示を出せば素早く、言われたとおりに動いてくれた。
「案外使えるじゃないか。誰だ、お前を役立たずなんて言った奴は」
オークの討伐クエストをすんなり達成したあと、俺は剣を収めてルインに言った。
「ジャックさんの指示が的確だからですよ。前のパーティの時よりもずっと動きやすかったです」
ルインはそう言った。
まあ、あの食い逃げ野郎よりは俺の方が上手く指示を出せるだろうが……
「言われたことをきちんとこなせるのだって立派なことだぞ」
レドが言う。
「そうですよ。ルイン君のおかげで僕たちの効率は上がっています。いいですね、補助魔法というのは。僕の炎が、より美しく輝くようになる……フフッ、フフフッ……」
クルツはなんか危ない笑い方をしていたが、こいつの言っていることは正しい。俺もルインがパーティに入ってから明らかに戦いやすくなったと感じている。補助魔法の使い手と組むのは俺たち三人とも初めてなんだが、一人いると便利なんだな。
「俺、役に立ててるんですか……?」
ルインは少し不安そうだった。
「おう。お前を拾ってよかったよ。これからもよろしくな」
俺は思ったとおりのことを言った。別に気を遣う必要はなかった。ルインは立派な冒険者で、俺の仲間だ。
「はい! よろしくお願いします!」
ルインはパッと笑顔になって言った。
さてと、それじゃ、帰ってギルドに報告だな。
ルインがパーティに加わってからしばらく経った。
俺たちは調子よくクエストをこなしていき、CランクからBランクへの昇格を果たしていた。
昇格自体も喜ばしいが、なによりよかったのはルインを追放したあの食い逃げ野郎がとても悔しそうにしていたことだ。ざまあ見ろってんだ。
いま俺たちはAランクへの昇格を目指している。手応えは感じていた。俺たち四人ならいけると確信が持てた。
元々俺たちは勇者という夢を諦めた奴の集まりだ。もちろん依頼は責任を持ってこなしていたが、必死になって上を目指したりはしていなかった。
出来ることを出来る範囲でやればいい。
いつの間にか、それが俺たち三人の目標となっていた。
だが……
「ハァッ!」
俺は気合いを込めて剣を振る。
「ヌゥ……!」
それをレドが体全体を守れるほどの大盾で受けた。前日にオーガの討伐を達成したので今日は休みなのだが、俺はレドと森で訓練に励んでいた。
「ジャック、一休みしないか?」
「ああ、そうするか。もう三時間ばかりぶっ通しでやってたからな」
レドの提案に俺はうなずいた。
剣を鞘に収めて革袋から水を飲んだ。冷たくて美味かった。レドも同じように水を飲んで一息ついていた。
「クルツのやつも同じようなことしてるんだろうな」
「あいつの魔法、明らかに前より強力になってるからな」
俺が言うとレドはうなずいた。クルツは「美学に反する」などとアホなことを言って俺たちとの訓練には参加していないが、鍛錬に励んでいるのは間違いない。
だが、この場にルインはいない。あいつには俺たちの訓練は秘密だった。
「俺たちは、Aランクに上がるな」
「ああ、ルインがいるからな」
俺が言うとレドも同意した。
初めのうちは俺の指示に従って動いていたルインだったが、特に問題もなさそうだったので、俺は自分で判断して動いてもらうことにした。
最初は不安そうにしていたルインだったが、次第に自分で状況を見て俺たちをサポートするのに慣れていった。
どのあたりで気づいたんだったか。
俺は最近よくそのことを考える。だが、はっきりここだと示すことは出来ずにいた。まあ、いずれにしても、ルインの奴は紛れもない天才だった。
入ったばかりの頃は思ったよりも筋がいいじゃないか、なんて思っていたが、ルインは筋がいいどころではなかったのだ。
俺たちもしばらくは気づかなかったが、ルインの才能がとてつもなく巨大なものであることは徐々に明らかになっていった。
「ほんと、あの食い逃げ野郎はドマヌケだよな」
「まったくだ。あれほどの天才を追放するマヌケは他にいないだろう」
俺とレドは二人で笑った。
「ルインに任せきりでもいいんだけどな」
「それでも俺たちはAランクに上がれる」
レドは断言した。俺も同感だった。
ルインの才能を持ってすれば、Eランクの冒険者パーティをAランクに引き上げることすら出来るだろう。そのくらい、あいつの補助魔法は強力なものになっていた。
「でも、それじゃダメだ」
俺は言った。
あいつは仲間だ。俺たちの保護者じゃない。俺は仲間として、あいつと対等でいなくちゃいけない。レドもクルツも思いは同じだ。だから俺たちは、こうして頑張っているのだ。
「よし、じゃあ再開するか」
俺は気合いを入れて立ち上がったのだが、なぜかレドはついてこなかった。
「どうした?」
「……なあ、ジャック、ルインは…………いや、なんでもない」
「なんだよ、そんな風に言われたら気になるだろ?」
「なんでもないんだ。さあ、訓練を再開しよう」
レドはかぶりを振って立ち上がった。
「お前がそう言うなら別にいいさ。じゃあ、始めるか」
俺は気にしていないことを示した。
嘘だった。
本当はレドがなにを考えていたのか分かっていた。気づかないふりをすればレドはそれ以上言ってこない。俺はそう考えて、わざとああ言った。
仲間相手にこんなおかしな駆け引きをしたのは初めてかもしれない。
でも、このことを考えたくなかった。
ルインは勇者になれる。だから、俺たちのパーティを抜けた方がいい。
そんなことは、俺だって分かっていた。
俺たちパーティはあっさりAランクに昇格した。
「Aランクか……」
レドがしみじみと言っている。
「Aランクまで来たんですね……」
クルツもだった。
「ここまで来たんだなあ……」
俺もである。
ギルドで昇格の手続きを済ませ、なじみの酒場でのドンチャン騒ぎも終えて、いまは四人で夜風に吹かれながら宿に向かって歩いているところだった。
「感慨に浸ってる場合じゃないですよ。明日からはAランクパーティとしての日々が始まるんですから」
ルインは気合い十分だった。というか、元気がよすぎるようにも感じた。結構飲んでたし、そんなこともあるのかもな。
「そうだな。俺たちは泣く子を黙らせ、飛ぶ鳥落とすAランクパーティだ。明日からはバリバリ高難度のクエストをこなすぞ」
「サポートは任せてください」
俺の言葉に、ルインは心底嬉しそうに言った。レドもクルツも笑っている。俺たちは上機嫌だった。
明日も明後日も、その次の日もそのまた次の日も、こうして四人で楽しく冒険者をやる。
疑うことなく、俺はそう思っていた。
宿に着いた俺を待っていたのは一通の手紙だった。それは見たこともないくらい丁寧で綺麗な字で書かれていた。
差出人はリルム。
知らない奴なんて一人もいやしない。
リルムというのは勇者パーティの一角を担う、最高のヒーラーの名だ。
そのリルムから、俺は呼び出されたのだった。
二日後。夜。俺は指示されたとおり、一人で町の外れの人気のない通りに来ていた。
「来てくれないんじゃないかと思ってたわ」
物陰から若い女の声がした。嫌になるくらい綺麗な声だった。姿を見せたリルムは長い金髪に切れ長の瞳の、ムカつくくらいの美人だった。
「勇者パーティのヒーラー様からの呼び出しじゃ応じないわけにもいかないだろ」
俺は冷ややかに、というか半ば凄むように言ったのだが、美人な上に恐ろしく優秀なこの女は一切動じなかった。
「それもそうね。さて、Aランクパーティのリーダーであるあなたに手間を取らせるのも悪いから、早速用件に入りましょうか。あなたのパーティのルイン、彼を引き抜きたいの」
リルムの言葉は予想通りのものだった。いつかルインが引き抜かれる日が来るような気はしていた。でも、俺はその可能性から目を背け続けた。しかし、こうして目の前に突きつけられてしまってはそんなことも出来ない。
「俺はあいつの保護者じゃない。引き抜きたいなら直接あいつに言ってくれ」
俺はリルムにそう答えた。
「本人にはもう言ったわよ。でも彼は「俺はこのパーティの一員だからどこにも移るつもりはありません」って、もの凄い目つきでにらんできたわ。あなたたちがAランクに昇格する二、三日まえだったかしらね」
ふんと鼻を鳴らしてリルムが言った。
そうか、だからあの日、ルインは妙に明るかったんだな。自分は絶対にパーティを抜けないと固く誓っていたのだろう。
勇者になるのが夢のくせに。自分の力は、Aランクのパーティなんかにはもったいないってわかってるくせに。
「それじゃあ話はここまでだな。本人が嫌って言ってるんじゃ俺にはどうしようもない」
俺は肩をすくめた。が、リルムは動かない。
「あなただって分かっているんでしょう? 彼の力は冒険者の器には収らないものだってこと」
「それは……」
言いかけて、俺は歯がみした。
しくじった。気づいていないふりをすればよかった。
そんな思いが顔に出たのだろう、リルムがまくし立ててきた。
「ルインには世界を救える力があるの! だったら、出来ることをやるべきでしょう!」
出来ることをやればいい。俺がいつも言っていることだ。まさか自分の信条に自分が追い詰められるとは思わなかった。
だが、リルムの言うことを受け入れるわけにはいかなかった。
「だからあいつの意思を無視してパーティから抜けさせろっていうのか? ルインは俺の大切な仲間だ。そんな真似出来るか」
「じゃあ彼をここに縛り付けるのが正しいとでも思うの! 彼はあなたとは違うのよ!」
そう言った途端、リルムははっとなって口に手を当てた。
俺たちが勇者を目指してた奴の集まりだってことも知ってるらしい。
「よく調べてるじゃないか」
「ごめんなさい……無神経な言い方だった」
リルムは丁寧に頭を下げた。本当に申し訳なく思っているようだが、そんなことはどうでもよかった。
「謝らなくていい。俺とあいつが違うのは単なる事実だ。でも、俺はあいつを追い出すことは出来ない。四人で冒険者をやるのは、楽しいんだよ。夢は叶わなかったけど、俺たちは出来ることを出来る範囲でやってるんだ。だから、放っておいてくれ」
「……ジャック、本当に、それでいいの?」
リルムの問いかけに、俺は背を向けた。
Aランクパーティとなってからも俺たちは絶好調だった。国中に名を轟かせた大盗賊団を壊滅させ、一パーティではどうにもならないといわれていたブラックドラゴンを討伐した。
ルインは、本当に楽しそうだった。あの日、捨てられた子犬みたいな目をしてた奴と同一人物とは思えないくらいに。
俺もレドもクルツも楽しんでいたけど、ルインは俺たち三人とは少し違っていた。ここが自分の居場所で、ここにいるのが幸せだと心の底から思っているように見えた。
成り行きで拾ったとはいえ、ルインは大切な仲間だ。そのルインからいまの幸せを取り上げるなんて、俺には出来なかった。
いいじゃないか。俺たちは別に怠けてるわけじゃない。出来ることを出来る範囲で、頑張ってやってるんだ。
文句を言われる筋合いはない。
今日も俺たちは無事にクエストを達成して、酒場で飲んでいた。
ときどき周りの客から見られているのを感じた。他の連中の視線には畏敬の念がこもっている。
俺たちはたぐいまれな強者として認められていたのだ。
「拠点を移す、か……」
レドの提案に俺は考え込んでいた。
「ああ。ここらの高難度クエストはほとんど片付けてしまったからな。都に拠点を移してもいい頃だと思う」
レドが言う。
「フフッ、きらびやかな都では僕の炎もより映えることでしょう」
クルツは乗り気のようだ。
「いいですね。俺も賛成します。俺たちなら向こうでも大活躍出来ますよ」
ルインは明るかった。まるで明日が来るのが楽しみで仕方ないといった感じだ。
反対する理由はなさそうだ。
「そうだな。じゃあ拠点を移して――」
「おい、聞いたか? 勇者パーティ、また敗走したらしいぜ」
俺が言いかけたとき、別の席からそんな声が聞こえた。
「またか。この間も魔王軍の幹部から逃げたんじゃなかったか?」
同じ席に座っているもう一人の男が言った。
「リーダー様は戦略的な判断から撤退したとか言ってるらしいけどよ、もう何回も幹部に挑んじゃ逃げ帰ってるぜ」
「勇者パーティも初めのうちは調子よかったんだけどな。力不足なんかね」
「どうだい、ジャック。お前さん達、ちょっと手伝ってやったら」
「いや、俺たちは……」
不意に話を振られて、俺はまともに答えられなかった。
「バカ、俺たちの英雄を困らせんじゃねえよ。悪いなジャック、連れが妙なこと言っちまった。気にせず飲んでくれ」
男はそう言って詫びると、何事もなかったかのように連れの男との会話に戻った。
「まいったな。俺たちに勇者パーティの手伝いだなんて……」
俺は笑って言った。
「まったくだ」
「いまさらそんなことを言われてもね」
レドもクルツも笑っていた。だが、その表情は硬かった。きっと、俺もこいつらみたいに不自然な笑みを浮かべていたことだろう。
ルインは、なにも言わなかった。
拠点を移すという話は宙ぶらりんになったまま、俺たちはクエストをこなしていった。どれも俺たちには歯応えのないものばかりだ。
それでも、楽しかった。
レドにクルツ、そしてルインと冒険者をやるのは、楽しかった。
勇者パーティが苦戦しているという噂を聞く機会は日に日に増えていった。
俺も調べてみたのだが噂はやはり本当で、このままでは魔王を倒せそうもないということだった。
出来ることを出来る範囲でやる。
勇者になれないと分かったとき、それが俺の信条となった。いままではその信条守ってきたと思っている。努力はしたし、責任は果たしてきたつもりだ。
でもいまは、自分が出来ることをちゃんとやっているのか、自信が持てなくなっていた。
だから俺は決意した。そして手紙を書いた。あのムカつくくらいの美人に宛てて。
その日、俺たちはオーガの集団を討伐するクエストを引き受けていた。Aランクパーティのクエストとしてはやや低難度のものだ。
ルインの力があれば、あっけなく終わる。
ルインの補助魔法を受けたレドの守りは、オーガが百体いたって崩せはしない。
ルインの補助魔法を受けたクルツの火属性魔法は、その気になれば森一つまとめて焼き払えるほどだ。
そして、ルインの補助魔法を受けた俺の剣は、まるで勇者の剣のように敵を苦もなく切り裂く。
オーガは決して弱くない。俺たちが、いや、ルインが強すぎるのだった。
森に住むオーガの集団をすべて倒した俺たちは、一息ついていた。
「このあたりにはもう俺たちが受けるようなクエストは残ってないな」
レドが言った。
「美しい思い出はたくさんありますが、旅立ちの時ですね」
クルツが言った。
「ああ。そろそろ拠点を移すとしよう」
俺はうなずいた。
「今度は都で冒険者ですね。楽しみだなあ」
ルインは嬉しそうだった。そんなルインを、俺は冷ややかに見た。
「いや、お前には関係のない話だよ」
「えっ? どういうこと、ですか?」
ルインはキョトンとしていた。
「都に行くのは俺たち三人だけだ。お前にはパーティを抜けてもらう」
俺はルインにそう言った。
「な、なに言ってるんですか、ジャックさん。冗談、ですよね……」
ルインは大きく目を見開き、青ざめた顔で俺を見ていた。
「冗談でもなんでもない。俺はお前を追放する」
俺は言った。
ルインは助けを求めるようにレドとクルツを見たが、二人には話を通してある。だから、どちらもなにも言わない。
「なんでですか! なんで俺を追放するなんて言うんですか!」
ルインが叫ぶように言った。
お前の居場所はここじゃないからだ。お前にはもっとふさわしい場所があるからだ。
でも、俺はこう言う。
「四人でやるより三人でやった方が取り分が増えるからな。抜けさせるならお前だろう。俺たちはAランクパーティだ。補助魔法なんてなくたってやっていける」
まるでルインの功績などないかのように、俺は傲慢に言った。
「なに言ってるんですか! 俺がパーティを支えてるってことくらいジャックさんだってわかって――」
「ほう、俺たちがお前無しじゃやっていけないと、お前はそう思ってたのか」
「いや、そんなことは……」
「お前、俺たちを見下してたんだな。拾ってもらった恩も忘れて……」
俺は呆れたようにため息をついた。
本当に呆れているのは思ってもいないことをぺらぺらとしゃべれる自分に対してだった。
ジャック、お前あのルイン相手によくこんなことが言えるな。見下げ果てた奴だ。
でも、これはやらないといけないことだった。お前は俺たちにはもったいないくらい優秀な奴なんだから、勇者パーティに移れと言ったところで、ルインは絶対に応じない。それでなんとかなるなら、リルムは苦労しない。
ルインは、勇者になることより、夢を叶えて世界を救うことより、俺たちと一緒に冒険者をやることを望んでいる。
でもな、ルイン、それはダメなんだよ。
お前は自分に出来ることをやらないといけないんだ。
「あの日、ジャックさんに拾ってもらった恩を忘れたことなんて、一度たりともありません!」
ルインは吠えるように言った。
お前が俺に心から感謝してることなんて分かってるさ。でも、お前をここに置いておくわけにはいかない。俺も、出来ることをやらないといけない。
「そうだろうな。拾ってくれた恩義ある俺たちを見下すのは、楽しいだろうしな」
お前の言い分になど聞く耳持たないという態度で言った。
「そんな……どうして……」
ルインは泣いていた。初めて会ったあの追放のときだって、泣いてはいなかった。でもルインはいま、ぽろぽろと涙をこぼしていた。
「名演じゃないか。冒険者よりも役者の方が向いてるんじゃないか?」
俺はパチパチと拍手してやった。
「補助魔法なんてなくても俺たちはやっていけるんだよ。分かったらとっとと失せろ。お前は、追放だ」
俺は言った。
こうして、俺はルインを追放した。
ルインが去っていってから少しして、木の陰から女が姿を現した。何度見てもムカつくくらいの美人だ。
「あとのことは任せるぞ」
俺は勇者パーティのヒーラーに言った。
「悪いようにはしないわ。決して」
リルムは真剣な顔でうなずいていた。とびきり美人の上に恐ろしく優秀で、おまけに誠実な人間がいるとは……うらやましいかぎりだ。
「その、ありがとう、ジャック。あなたは、とても立派よ」
去り際にリルムはそんなことを言った。
俺はなにも言わなかった。
「僕の炎ほどではありませんが、美しい方でしたね」
クルツはいつも通りだった。
「勇者パーティのヒーラー殿に褒めてもらえるとは光栄じゃないか」
レドが苦笑する。
「嬉しくないけどな」
俺はため息をついて言った。
「でも、ルインはもう大丈夫だ。あいつはリルムの誘いに応じる」
「あいつが勇者パーティに入れば魔王軍なんて楽勝だな」
「魔王が気の毒なくらいですよ」
俺が言うとレドもクルツも笑った。
「あいつは本当にすごい奴だったな」
「あれ以上美しく補助魔法を使える人間はいないでしょう」
レドとクルツはルインの去っていった方を見ていた。
「ああ。俺たちにはもったいないくらいの、最高の仲間だったよ」
俺もうなずいた。
「明日からはルイン君の補助無しですか」
「実にキツいな」
クルツとレドが苦笑いする。
「全くだ。でも、なんとかしないと。ルインがいなくちゃなにも出来ないんじゃ、カッコがつかない」
俺たちは戦力の要を失ったわけだが、泣き言なんて言ってられるか。ルインにあれだけつらい思いをさせたんだ、このくらい耐えなくてどうする。
俺は空を見上げた。
がんばれよ、ルイン。お前なら、世界だって救える。それは俺たちが保証してやる。勇者パーティでガンガン活躍してくれ。
拾ったくせして追放しやがった嫌なリーダーのことなんて、とっとと忘れちまえ。
リルムに誘われて勇者パーティの一員となったルインは、この日も大きな戦果を挙げていた。
二度にわたって撤退を余儀なくされた、大山脈に潜む魔王軍の大幹部である邪竜を見事打ち倒したのだ。
「何度同じことを言ったわからないが、君は本当にすごい」
勇者パーティの守りの要である女性の騎士、エイラは改めてルインを称賛した。
「エイラさんの立ち回りだって見事でした。あの邪竜のブレスに臆することなく立ち向かえるのはあなたくらいですよ」
ルインもまたエイラの働きを褒めていた。勇者パーティに入って一月ほどが経ったが、メンバーはみな本当に優秀な人たちだった。
「それはそうかもしれんが、やはりルインの補助魔法があってこそだ」
「そうそう、もっとふんぞり返って威張り散らしてもいいのだよ、ルイン君」
エイラの言葉にうんうんとうなずいているのは攻撃魔法の達人、サーラだった。小柄で、ルインよりも若い少女だが、彼女の攻撃魔法の破壊力は圧巻だった。
「そうはいきませんよ」
ルインは苦笑してかぶりを振った。
「ほほう、それも前のリーダーさんの教えかな?」
サーラはニヤッと笑って言った。
「ジャック殿か。ルインがいつもいつもあれだけ褒めているのだから、さぞ立派な方なのだろうな。一度は会ってみたいものだ」
エイラが腕を組んでそう言うのを聞いて、ルインは慌てた。
「俺、そんなにいつもいつもジャックさんのことばかり話してましたか……?」
「それはもう」
エイラとサーラがそろってうなずく。ルインは顔を赤くした。
「あの人は、俺を拾ってくれた、兄貴みたいな人で、追放されたけど、それは俺のためを思ってのことで……俺はあの人みたいになりたいって思ってるから……」
「ルイン」
「それも散々聞いたから」
エイラとサーラに苦笑されて、ルインは途方に暮れた。
あの日、ジャックに追放されたあと、呆然と町をさまよっていたルインは、リルムに再び声をかけられた。
初めのうち、ルインは反発していた。追放されたからといって簡単に勇者パーティに加わる気にはなれなかった。
すると、リルムは言った。
あなただって本当はどうして追放されたのか分かっているでしょう。それなら、自分のすべきことをしなさい。
ルインは反論出来なかった。
ルインだってわかっていた。自分の力は単なる冒険者で終わるようなものじゃない。勇者パーティの一員となって世界を救うという夢を、本当に叶えられるだけの力が自分にはあるのだ。
しかし、夢よりも世界よりも、ルインは仲間と一緒にいることの方が大切だった。
だから自分の大きすぎる力には気づかないふりをした。それは正しくないと分かっていながら。
でも、ジャックさんはそんなことじゃダメだと思ったんだ。それがあの、「お前は追放だ」という言葉の真意だった。
自分に出来ることをちゃんとやれ。ジャックさんはそう言っているのだ。
「俺に、出来るんでしょうか……」
ルインは言った。
「少なくとも、彼は出来ると思っているわ」
リルムはそう答えた。
ルインは、勇者パーティに入ると決めた。
「はいはい、あまりルインを困らせるんじゃないの」
パンパンと手を叩きながらリルムがやってきた。
「リルムさん……リーダーの治療は終わったんですか?」
ルインは少しほっとしながら言った。パーティのリーダーであるミルドレッドは先ほどの戦いで傷を負っていた。大したケガではなかったのでリルムの手にかかればすぐに治った。
ケガの原因はミルドレッドが前に出過ぎたことだったが、ルインはそれを責めたりしなかった。二度にわたって撤退を余儀なくされた因縁の相手なのだから、多少力が入ってしまうのも無理はないと思っていた。
ミルドレッドは優秀な剣士だが、少し焦りすぎるところがある。とはいえ、深刻な問題ではないし自分の力で十分カバー出来るとルインは考えていた。
「ええ。ミルドレッドはもう大丈夫。それよりも……彼の名前が聞こえたんだけど……またなにか話していたのかしら」
リルムはためらいがちに聞いてきた。
「こっちもこっちでまた始まったよ……」
サーラがやれやれと肩をすくめる。
「あなたが期待しているようなジャック殿に関する新しい話は出ていないぞ」
エイラも笑っていた。
「わ、私は別に……ただ単に、ルインが話し上手だから、興味を惹かれるだけで……」
ふたりの反応にリルムは慌てて言った。
「嘘だ」
「だな」
サーラとエイラに断言されて、リルムは黙り込んだ。その顔は赤くなっている。
ルインは三人のやり取りを苦笑しながら見ていた。最初、リルムは途中からパーティに入ることになったルインを気遣って、よく話を振ってくれた。ルインはもっぱら前のパーティでの出来事を話したのだが、それに一番食いついてきたのは当のリルムだった。
初めのうちは純粋な好奇心だったのだと思うが、リルムはルインが語る前のパーティの話に、特にジャックの話に夢中になった。
二人の間でどういうやり取りがあったのかはルインも知らないが、おそらくリルムはジャックに興味を持っていたのだろう。
いまとなってはあからさまに(本人はさりげなくやっているつもりのようだったが)ジャックの話を聞かせてくれとねだるようになっていた。
このことをジャックが知ったらどう思うのだろう、とルインは考える。
あの素晴らしい仲間たちと分かれることになったのは悲しいけど、自分は出来ることをやらないといけない。ルインはそう決意していた。
そんなルインを、少し離れたところから、憎しみを秘めた目で見つめている男がいた。
勇者パーティのリーダー、剣士ミルドレッドは心底イラついていた。
あのルインとかいう新入りに腹が立って仕方がなかった。
あいつが来るまでは上手くいっていたんだ。サーラもエイラもリルムも、リーダーであるこの俺を敬い、俺の指示に従っていた。
あの女どもの未熟さ故に失敗することだってあったが、物事は何でもかんでもすんなり上手く行くものじゃない。だからミルドレッドは寛大な心であいつらを許してやっていた。
だというのに、なにを勘違いしたのかあいつらは戦力が不足しているなどと言い出しやがった。自分たちが俺の足を引っ張っているくせに……笑ってしまうくらい哀れな連中だ。
ミルドレッドはやんわりと間違いを正してやって、必要ならば優しく慰めてやるつもりでいたが、この心遣いに三人が気づくことはなかった。
それでもミルドレッドは気にしなかった。幼い頃から天才の名をほしいままにした自分には、手に入らないものなどないのだから。
事実、やってきたのはド田舎の出の元冒険者だった。
ミルドレッドは笑顔でルインに接した。こいつなら大丈夫だ。俺の邪魔にはならない。そう思った。
が、彼の予想は大きく外れた。
ルインは勇者パーティでも大活躍したのだった。それだけでも許しがたいが、本当に我慢ならないのはリルムが、ミルドレッドがそばに置いてやってもいいと思っているあの女が、ルインが元いたパーティのリーダーに惹かれていることだった。
ルインのバカがジャックとかいう雑魚冒険者の話をするたび、あの女は目を輝かせやがるのだ。
端から見ていてこれほど面白くない光景はない。
いまだって、パーティのリーダーたるミルドレッドの治療をあっさり終わらせて、ルインのところに行く始末だ。
バカにしやがって。
彼は心の中で何度も何度も、ルインを、リルムを、エイラとサーラを、そしてジャックを罵った。
こんなのは間違っている。魔王を倒し、英雄となる剣士ミルドレッドが、こんなみじめな思いをしていいはずがない。
間違いは、正さねばならない。
もちろん、本気を出せばルインの奴を潰してやるくらいは出来るが、それでは芸がない。人類の至宝たるミルドレッドの思いを踏みにじったのだ。あのバカどもには重い罰を下してやらねばならない。
どうしてやろうかと考えたミルドレッドは、素晴らしい計画を思いついた。
この手でジャックのいるパーティを叩きつぶしてやればいいのだ。
ルインは元のパーティを心の支えにしている。その柱を失えば、あいつは崩れる。見るも無惨に、だ。
ジャックなど、このミルドレッドの足下にも及ばない雑魚に過ぎないということが分かれば、リルムの奴も目が覚めるだろう。
「ルイン、お前の大事な宝物、俺がぐっちゃぐちゃにしてやるよ」
輝かしい未来を思い浮かべて、ミルドレッドはひとりほくそ笑んだ。
「俺たちを指名してのクエストだって?」
ギルドを訪れた俺は、受付係の説明に首をかしげた。
ルインが抜けてからも、俺たちは都に拠点を移して精力的に活動していた。都でのクエストは難度が高く、Aランクとはいえルインを欠いた俺たちには荷が重かった。
それでも、俺たちは耐え抜いていた。ルインがいなくちゃなにも出来ないんじゃ、あいつも安心して魔王を倒していられない。ルインなしでも一流の冒険者として立派にやっていけるってことを証明しないといけなかった。
で、俺もレドもクルツも、死線をくぐり、修羅場を抜けて、都でも一目置かれるパーティとなっていたのだが……
「初めてじゃないか? 指名のクエストなんて」
レドが言った。
「前の町にいた頃の方が僕たちは有名でしたが、そのときですらこんなことはありませんでしたね……」
クルツは考え込むようにしてつぶやいた。
たしかに妙なところはあった。だが、俺たち名前が売れてもいる。指名のクエストなどあり得ない、とは言い切れなかった。
「依頼人は誰なんだ?」
「申し訳ありません。それは現地で直接明かすということでして……」
俺の質問に受付係はすまなそうな顔をした。依頼人が身元を伏せることはそう珍しくもない。俺たちもAランクに上がってからそういうクエストを受けたことは何度かあった。
少し悩んだ。なんとなく、これはいままでのクエストとは違っているような気がした。だが、どこがどう違うのかは自分でも説明出来なかった。
まあ、この仕事に危険はつきものか。
俺は腹を決めて、クエストを引き受けることにした。多少の危険くらい、俺たちなら乗り越えられる。そう思っていた。
しかし、俺たちを待ち受けていたのは、危険ではなくどす黒い悪意だった。
クエストの内容は霊薬の原料となる希少な薬草の採取だった。それは都から西に行ったところにある、大森林の最奥部に生えているとのことだった。
俺たちは森を進んでいった。そしてその奥まで来たところで、勇者ミルドレッドに襲われた。
「レド、クルツ、大丈夫か……」
俺はよろめきながら言った。
「なんとかな……」
「僕もですよ……」
二人とも返事をしてくれた。だが、俺も含めて無事とはいかなかった。
「ハッ、思ったよりもやるじゃないか。雑魚冒険者パーティにしては上出来だ」
ミルドレッドは長く伸びた黒い髪を左手で払いながら言った。右手には青い光を帯びた細い剣を持っている。
森の奥で俺たちを待っていたこの男は、戸惑う俺たちに向かって一方的に自己紹介すると、いきなり剣から光波を飛ばして攻撃してきたのだった。
俺たちはなんとか反応出来たものの、勇者の剣の威力は凄まじく、地面は光波によって大きくえぐれ、太い木々が何本もなぎ倒されていた。
「一体何の冗談なんだ、これは……」
俺は勇者をにらみつけて言った。
「冗談などではないさ。これは、刑罰なんだよ、ジャック」
にいっと笑ってミルドレッドが言う。
「お前のことはよーく知っているよ、ジャック。あのムカつく新入りのルインが、何度も何度も何度も何度も、バカみたいにお前の話をしてくれたからなあ! あの新入りのせいで俺は多大な迷惑と精神的苦痛を被ったんだ……だから、俺は罰を下す。お前たちがボロボロになってくたばっているのを見たら、あの新入りも自分がいかに罪深い行いをしたのかわかるだろうよ」
ミルドレッドは異様な喜びに満ちたギラギラした目で俺を見ていた。
「なるほど、そういうことか。ルインが入ってから勇者パーティはずいぶん調子がいいって聞いて、俺も喜んでいたんだが、まさかこんなクズに逆恨みされてたとは……ルインのやつも大変だな」
勇者の攻撃のせいで体中が痛むが、俺は笑って言ってやった。
「……誰が、クズだって……?」
楽しそうだったミルドレッドの様子が変わった。
「お前に決まってるだろ? この調子だとルインだけじゃなくてリルムやほかの仲間のことも逆恨みしてそうだな。困ったもんだ」
大げさにかぶりを振ってやると、ミルドレッドはわなわなと震えだした。
「ジャック……生まれてきたことを、後悔させてやるよ……」
「お前、勇者なんてやってるくせにそんな安っぽいセリフしか言えないのか」
真顔で言ってやるとミルドレッドはとうとうキレた。メチャクチャに剣を振り回し、青い光波を次から次へと撃ってくる。
クズを言い負かしてやるのは気分がいい。
問題は、このクズの方が俺たちよりも強いってことだ。
俺たちはミルドレッドに刃が立たなかった。
「ハハッ! どうしたんだ、ジャック? ずいぶんとつらそうじゃないか」
ミルドレッドが上機嫌で笑う。はじめのうちは怒りにまかせて俺たちに当たり散らしていたが、実力の差がわかってくると、奴は余裕を取り戻していた。
「そう言うお前はずいぶんとおとなしくなったな。さっきみたいに喚き散らしながら剣を振り回してもいいんだぞ」
「口の減らない男だな。そこだけは褒めてやるよ」
ミルドレッドは笑っていたが、口の端が引きつっていた。はっきり表に出るところまでは行かないが、イラつかせてやることは出来たな。
一点取り戻したってとこか。まあ百点以上負けてるんだが。
クルツが得意の火属性魔法を撃つ。が、うちの魔法使いが放った巨大な火球は勇者の剣によってあっけなく散らされる。
「美しくありませんねえ……」
クルツが舌打ちした。
「もしかして攻撃してくれたのか? ダメだろう、あんなのでは。攻撃というのはな、こうやるんだよ!」
ミルドレッドの剣からまた光波が放たれる。
「クルツ!」
レドが盾を構えてクルツの前に出るが、勇者の攻撃はレドもろともクルツを吹き飛ばした。
二人とも生きてはいる。ミルドレッドが手加減しているからだ。
あのクズは俺たちをいたぶるのを楽しんでいた。あいつは俺たちを舐めきっている。腹は立つが、これは俺たちにとって有利な点だった。もっとも、ほかに有利な点はひとつもないのだが。
「流石は勇者だな。恐れ入るよ」
俺は息を切らせながら言った。
「当然だろう? お前たちみたいな雑魚とは格が違うんだよ」
ミルドレッドは言った。こっちとは違って涼しい顔をしている。
「だが、雑魚とはいえなかなかよく持ちこたえるじゃないか。手加減してやってもあっけなく死んでしまうと思ってたよ」
「褒めてもらえるとはありがたいな」
「褒めてなどいない。俺はイラついているんだ」
「なおありがたい」
俺は笑って言ってやった。
実際、俺たちはよく耐えていた。ルインなしでもやっていけるようにと鍛えてきたおかげだ。元の俺たちのままだったら、とっくに死んでいただろう。
あいつに、助けられたな。
「……そろそろ、終わりでいいか」
ミルドレッドが言った。俺たちにとどめを刺せるのが嬉しくてたまらないんだろう。満面の笑みを浮かべている。
「お前たちを殺せば、あのクソ生意気なルインは潰れる。そうすれば……ククッ、ククク……」
ミルドレッドが近づいてくる。
俺は腹をくくっていた。
こんな形でルインに迷惑をかけるわけにはいかない。あいつは、俺たちの大切な仲間だ。こんなクズに足を引っ張らせてたまるか。
「レド、クルツ、あいつを止めろ。俺がなんとかする」
俺は仲間たちに言った。
「大仕事だな」
「やりがいがありますねえ」
レドもクルツも立ち上がってくれた。
ミルドレッドが笑う。そして、仕掛けてきた。
あの野郎は本物のクズだ。だから、さっきみたいなことを言っておけば、俺の狙いを正面から打ち砕こうとする。
思った通り、やろうと思えばレドの盾もクルツの炎も突破出来たはずなのに、あいつは動きを止めた。
俺と勇者の一対一だ。
俺の剣と、ミルドレッドの剣がぶつかり合う。ミルドレッドは気にしていなかっただろうが、俺は自分の剣の状態を正確に把握していた。
この一撃で、俺の剣は折れる。
そして、予想通りのことが起きた。俺の長剣は根元から三分の一ほどを残して、ぽっきり折れてしまった。
これを予想していたのは俺だけだ。ミルドレッドは突然相手の剣が折れたことに驚いていた。この戦いにおいて初めて、勇者は俺に遅れた。
それでも、勇者は俺よりも強い。焦りながらもなんとか俺の動きについてきた。
このままいけば、俺は負ける。だが、ルインのために、負けるわけにはいかない。
だから俺は、左腕を捨てることにした。
慌てて追いすがってくる勇者の剣の前に、わざと左腕を差し出した。
肘から先がすっぱり切断され、宙を舞った。ミルドレッドは、くるくると回転している俺の左腕を、あっけにとられて見ていた。
勇者はいま、隙だらけだった。
俺は右腕だけで、折れた剣を振り下ろした。折れているとはいえ、クズ野郎の右腕を切りおとすには十分な長さがあった。
「ギャアアアア! 俺の、俺の腕がああああ!」
右腕を切りおとされた勇者は、声の限りに叫んでいた。
「俺の仲間の足を引っ張るんじゃねえよ、クズ野郎」
俺はミルドレッドに言ってやったが聞いちゃいないようだった。俺の左腕も、ミルドレッドの右腕同様、おびただしく出血している。
こんな時のための回復魔法だ。万能剣士を目指しててよかったぜ。
俺はそう思いながら魔法を使おうとしたのだが、そこで限界が来た。体の力が抜ける。レドとクルツがなにか言いながら駆け寄ってきているが、上手く聞き取れなかった。
視界がかすむ。頭がぼんやりしてきた。
最後に、ルインが俺を呼んでいるのが聞こえた気がした。
目が覚めたら左腕がちゃんとあった。俺はぎょっとした。
「う、腕が、生えた……」
「そんなわけないでしょう。私がくっつけてあげたのよ」
ため息に続いてリルムの声がした。
「お前、なんでここに……」
わけがわからなかった。なんで勇者パーティのヒーラーがこんなところにいるんだ。
「ミルドレッドを追いかけてきたのよ。あいつ、急に二、三日休みを取ろうって言いだして、どこかに行っちゃったのよ。それで、エイラ――私の仲間よ――がミルドレッドの様子がおかしかったって言いだして、サーラ――パーティの魔法使いで、実は解錠の魔法が使えるの――が思い切って宿のミルドレッドの部屋を調べたの。そしたら、彼の日記が見つかって……内容は言わなくてもわかるわよね……。で、私たちはあなたたちを助けるためにここまで来たの。ああ、安心して。あいつはエイラとサーラに連行してもらったから。もちろん、右腕はそのままよ」
「そうだったのか……」
日記になにもかもかいていたのというのは、あいつらしいというか、なんというか……
「おお、目が覚めたか」
「腕の調子はどうですか、ジャック」
レドとクルツがやってきた。ふたりともケガは治っているようだ。こっちもリルムがやってくれたんだな。
「今日はここでキャンプだ」
「回復したとはいえ、あまり動かない方がいいと言われてしまいまして」
二人は薪を拾ったり飲み水を確保したりしてくれたようだった。
そして、二人に少し遅れて、ルインが現れた。
「ジャックさん!」
ルインは抱えていた薪を放り出して俺のところまで走ってきた。
「よかった……本当によかった……」
ルインは涙ぐんでいた。
「あいつには一矢報いてやったよ。お前にもリルムにも手間かけさせたな」
俺が言うとルインはブンブンと首を横に振った。
「そんなことないです! みなさんのためなら、俺……」
「ルイン、お前は、お前に出来ることをやれ」
俺はルインに言った。
「……そうですね。俺の役目は、まだ終わってない」
「そういうことだ。居場所は違うけど、お互い頑張ろう」
俺の言葉にルインはうなずいてくれた。
「じゃあ、私たちはそろそろ行くわね」
リルムが言った。
「リルム」
去っていこうとするリルムに俺は声をかけた。
「ルインのことなら任せておきなさい。二度とこんなことは起きないわ」
振り向いたリルムが言った。
「それもあるんだが……助けてくれてありがとう。お前も気をつけてな」
「ど、どういたしましてっ! あなたも、あまり無茶しないでよ!」
それだけ言うとリルムはそそくさと去っていった。
「俺も行きますね」
ルインが言った。
「魔王を倒してこい」
「ルイン君なら出来ますよ」
レドとクルツが言った。ルインは笑ってうなずいた。
「ルイン、追放なんかして、悪かった」
俺は頭を下げてルインに詫びた。
「ああでも言われないと俺はパーティを抜けられませんでしたよ。だって、皆さんは最高の仲間ですから」
ルインは、輝くような笑顔でそう言った。
その後、ルインたちは見事魔王を倒した。
一ヶ月ほどは世界全体がお祭り騒ぎといった感じだったが、それもようやく落ち着いてきていた。
で、俺はというと、いままでと変わらず冒険者をやっている。ただし、三人でではない。七人でだ。
「ルインはともかく、なんでお前らまで仲間に入ってるんだよ」
俺は酒場でリルムたちに言った。魔王討伐の後の祝賀行事やらなんやらを一通り片付けた後、ルインは俺たちのところに帰ってきた。ただし、リルムにエイラ、それにサーラを連れてだ。
「ルインの話を聞いていると」
「楽しそうだったんだよねー」
騎士のエイラと魔法使いのサーラが言う。
「まあ、俺は大歓迎だが」
「三人とも有能ですからね」
レドとクルツが言った。
たしかにその通りで、元勇者パーティの面々の加入によって、俺たちの戦力は劇的に向上していた。もはや世界最高の冒険者パーティといってもいいレベルだった。
「わ、私は、あなたがまた無茶しないように、監視してるだけよ!」
リルムにそう言われて、俺は戸惑った。
「なによ」
「いや、森で会ったときもそうなんだが、こんなあからさまに好意を寄せられるのは俺も初めてなんで……」
ルインと一緒に戻ってきてからというもの、リルムはずっとこの調子だったので、俺も対処に困っていたのだった。
「だ、誰があからさまよ!」
リルムは顔を真っ赤にして抗議してきた。
「まあまあ、いいじゃないですか。ジャックさんだってリルムさんのことを嫌ってはいないでしょ?」
ルインが言った。
「それはまあ、そうなんだが……」
正直なところ嫌っていないどころかどんどん好きになっていっている自覚がある。
「それよりも、次のクエストの話をしましょうよ」
ルインははしゃいでいた。
「お前は本当に楽しそうだよな」
俺はつい苦笑してしまった。ちなみにリルムは「それよりもですって!」などと言っていた。
ルインが言う。
「そりゃ楽しいですよ。だって、最高の仲間と冒険が出来るんですから」
「ああ。本当に、楽しいよな」
俺は笑って、うなずいたのだった。
その日、俺はあいつを追放した 三条ツバメ @sanjotsubame
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