承:皇血のありか

第7話 皇族の娘

 レッセント皇国の主務室に、新皇帝ケステ・マドゥルカと、その派閥を固める重鎮達が集まっていた。


「以上が、報告となります」


 今しがた、担当者が国の情勢についての調査結果を報告したところだった。

 報告内容は、国民の働く意欲の低下と反政府感情の実態。これらの指標はまさに表裏一体であり、どちらか一方が悪く、どちらが良い、ということはほとんどなく、あるのはいずれも良好かそうでないかで、今のレッセント皇国の情勢は間違いなく後者であった。


かんばしくありませんな」


 恰幅かっぷくのいい重鎮じゅうちんの一人が、わかりきったことを言った。それに他の者も続くようにうなずいている。ケステはその様子に、苛立ちを隠すことを思わず忘れそうになった。


 レッセント皇国がケステ率いる派閥によって陥落かんらくして以降、ケステ陣営はその復興に邁進まいしんしてきた。しかしその進捗は良くない。少なくとも当初、それを迅速に成す自負が陣営にはあった。実際、つどっているのは財政・商売・建築・政治各々の分野で名を馳せた者たちであり、先陣営が仕切る中でも有望視されていた真の実力派である。その彼らをもってしても、この現状の打破は容易ではなく、多くの対策は空振りに終わっている。その事実は彼らの自尊心に泥を塗りつけるのに十分であった。


「考察はあるか」

「は。まず働く意欲ですが、特に城内建築の修復・建造に関わる者達が顕著です」

「そりゃあまぁそうでしょうな」


 担当者の報告に、立派な口ひげを蓄えた壮年の男が口を挟んだ。


「城下町の景観や建築美は国民の誇りでしたからな。それが失われたとなれば、抜け殻のようになるのは致し方ない。まして、市民の生活と関係ない内政の都合で一括焼き払ったのだから。前皇帝は人気だけはありましたから、心象は最悪、と言った所でしょう」

「ラビスタ公、貴様、ケステ様になんて無礼な!」


 血の気の多そうな男が声を荒げた。


「私はただ客観的に申し上げただけです。はなから是非など論じておりませんよ、ドトーア中将。もちろん私は賛成でしたが」


 ドトーアは顔の血管が浮き出るほどの圧で睨みを利かせているが、対するラビスタはうんざりと言った様子で紅茶をすすった。こうした二人の姿は、クーデター成立以降、日常茶飯事と化している。直情的で実直、ケステに心酔するドトーアと、俯瞰ふかん的で理論派、作戦参謀役ラビスタでは、物事の捉え方が根本から異なる。こうした光景がケステの頭痛の種となることを当人達は知るよしもない。


「それで、反政府の動きだが」


 ケステは眉間を押さえながら、報告を促した。


「は。それについてですが、目立った動きはありません。国民が我々に向ける視線や態度は依然として良好とは言えないものの、表立って反抗したり衝突したりすることはなく、運営上、大きな問題にはならないとは思います。ただ」

「ただ?」

「これは噂ではあるのですが、果たしてお耳に入れてよいものかどうか」

「良い、申してみよ」

「皇女がまだ生きているのではないかと」


 兵士は息を飲んでから答えた。


「あの日、上空にドラゴンを見たという衛兵がおります。市民の間では、前代ダトゥ皇帝がドラゴンを用い、皇女を亡命させたのではないかと」


 第三皇女の死体が確認できないという事実は本来、ごく限られた者だけが知る極秘事項のはずだった。箝口令かんこうれいも敷かれた秘匿ひとく事項は、いつの間にか噂として独り歩きし、民の心を惑わし続けている。みな口には出さないものの、それこそがレッセント復興を難航させている根本的な原因であると議会は考えていた。


「何を馬鹿げた。小娘一人生きていた所で、なんだというのだ」


 恰幅のいい重鎮は苛立ちを顕にするが、新皇帝ケステの続きを促す視線が担当者に刺さる。


「どうやら噂を信じる者は多い様子で、皇女を見つけ出し、それを旗に国家転覆を目論む輩もいるのではと」


 担当管に複数の眼光が突き刺さる。私が言い出したことではない、という心の声が聞こえてきそうだった。それだけの威力が、国家転覆という言葉にはある。


「今回の調査では特定はできませんでしたが、その噂話を信じた政権交代に納得のいっていない市民らが秘密裏に結託しその日に備えている――そう考えれば、彼らの態度にも納得がいきます」

「なるほど。政権を握っても、民の心まで掌握できる訳ではないということか」


 ケステは視線を落とした。国民が減ったばかりか、さらにその意識すら集約できていない現実は、ケステの肩に重くのしかかっている。


「何をおっしゃいます、今やこの国は間違いなくケステ様の物です。我々含めて、全ての国民はケステ様のために働きます!」


 ドトーアが声高らかに宣言するも、それはケステの心を解すには不十分だった。


「だが現実はそうではない。実際に、工事は遅れているだろう。私の存在は、その原動力足りえないということだ」


 クーデター成立からすでに一年が経過している。遅々として進まない復興、改善の兆しのない財政状況。それを打開するには民が一丸となってことに励むことが必要不可欠であった。しかしそのいとぐちは掴めていない。


「私もそれを望んではおらぬ。皇帝が国を作るものではない、民が国を作るのだ」


 民が望んだ国家を民が作る。それが人の営みとして自然であり至上である。それを皇帝が強要したり、その動機となるのは間違っている、それがケステの持論であった。そんなケステが民の犠牲を承知で国家の首を据えかえようとしたのには、理由がある。


「恐れながらケステ皇帝」


 沈黙を破り、ドトーアが大仰に立ち上がり、言った。


「国民が斯様かような噂に翻弄ほんろうされているというのは、良いことではありません。目下、注力しなければならないのは国の復興。集中して取り組まねば、余分に時間を消費し、民もその分疲弊するでしょう。それは反政府感情を助長する。であれば、その根源を取り除くのが有力な方法かと」


 ドトーアの高説は空虚に議会に響き渡った。わかりきったことを当たり前に口にできるのは、本議会でも若く情熱に溢れたドトーアくらいであろう。そんなドトーアと歳が近いケステは、彼のそういうところが嫌いではない。


「ふむ。ではなんとする」

「皇女の死亡を流布るふします」

「なるほど! はっ、それは妙案だ」


 ドトーアの発言に口を挟んだラビスタは、愉快そうに髭を撫でまわして言った。


「しかしどうですかな。こういうのはなんですが、ダトゥ皇帝の人気は凄まじかった。その嫡子を殺そうものなら、今度こそ我々は外道の烙印を喰らうことになりましょう。それは皇女の身代わりを用意した所で同じ。それが暴動の引き金になるとも限らない。かといって捕縛するのも違う。前皇帝へ想いが強ければ強いほど、皇女への非道な扱いは許せない。むしろ、それを見せ続ける方が愚行というものです」


 それは明らかにドトーアの浅慮せんりょを非難するものだった。ドトーアの怒りがまさに噴火しそうなその時、ケステの言葉がそれを御した。


「ラビスタ公の言い分はもっともに思う。国民が今求めているのは、希望だ」

「し、しかし! 生かすも殺すも駄目なら、一体どうしろと!」


 ドトーアは再びラビスタを睨み返した。沈黙の中、ラビスタは再び紅茶を口にしたのち、髭を整えて言った。


「最善は、懐柔かいじゅうでしょうな」


 ラビルタは立ち上がり、腰の後ろで手を組みながら、わざとらしく会議室を回遊する。


「皇女をケステ様の妻として迎えるのです。それと同時に、前皇帝の悪事を流布し、現皇帝ケステ様の志を声たかだかに謳いましょう。そしてこう続けるのです――皇女は御身の志に痛く共感し、その身を捧げた、と。これならレッセントゥカ家の血も絶えず、子をなせば、それは現皇帝と前皇帝の両方の血を引いた、まさに未来を象徴する存在となりうる。これぞ、美談というものでございましょう」


 打開策の見えない議会において、この高説は実に魅力的に響いた。その余韻を堪能するように、ラビスタは髭を整えている。不協和音を発しているのは、ドトーアただ一人である。


「その娘、名を何と言ったか、ラビスタ公」

「たしか、アルゥエラ、アルゥエラ・レッセントゥカと」


 重鎮が問い、ラビスタは飄々ひょうひょうと答える。


「となれば、あの力も継承しているのか」


 そこにケステが問う。あの力。それは皇族に血脈に色濃く根付く、皇族を皇族足らしめる魔法の力である。


「直系ですからな。しかしとんと耳にしません。姉君二人に比べて露出を控えていたようですからな。まぁその必要はなかったのでしょうが」


 ラビスタはあまり興味がなさそうに言った。 


「では直接会ってみないことにはわからぬか。あの力が我が血族に取り込めるとなれば、悪くない話だ。無論、生きていればの話ではあるが」


 ケステは色のない表情で言った。その真意は測れる者はこの場にはいない。


「皇帝陛下! その娘の捜索の任、ぜひ我ら軍にお任せいただきたい!」


 ドトーアは胸を強く叩いた。


「わかった。では貴殿に一任する。丁重にもてなすように」

「はっ!」

「期待している」

「ありがたきお言葉」


 ドトーアはそういって最敬礼をし、部屋を後にした。


「では、私も」


 ラビスタもそれに続き、他の無能共に何かを言われる前に重い扉を閉めた。振り向けば、勇みゆくその背中に声をかける。


「お言葉ですが、ドトーア中将」


 ドトーアはその場で歩みを止め、振り返らずに背中で聞いた。


「皇女存命の可能性を知るものは、本来我々と軍関係者のみだったはず。それが市民で噂されるに至る現状を、貴殿はどう考える」

「ラビスタ、貴様、何が言いたい」


 振り返るドトーアの表情からは凄まじい圧が放たれている。しかしラビスタはそれに構わずに続けた。


「皇女にもしもののことがあっては、本末転倒。軍も一枚岩でないとわかった以上、軍での捜索はいかがなものかと。なによりその動きを国民が知れば、いよいよ皇女存命は真実と民も活気づく。そうなれば反乱は止められませんぞ」

「そうなる前に我らが捕えるだけだ」

「その信頼が過剰でなければ良いですな」

「ふん。忠告のつもりか」


 ドトーアはゆっくりとラビスタに歩み寄り、相対すると、その胸ぐらを掴みあげて顔を寄せた。


「それよりも己の身を案ずることだ。いざという時求められるのは知略ではない、己が身と武器だ。例えばこんな状況とかな」


 ドトーアの怪力によりラビスタの体が少し持ち上がる。するとラビスタの左腕が不自然に軋んだ。


「ばれていましたか」

「貴様は机上で策でも練っていれば良い。実利を達するは常に我々だ」


 ドトーアはそういうとラビスタをおろし、その胸ぐらに拳を突き立てると、きびすを返し歩き去っていった。


「ふむ。なかなか良い目をしている」


 制服の袖に隠れるその左腕に触れる。血の通わぬ機械仕掛けの腕。その正体を知る者は数少なく、ラビスタもそれを悟らぬようにしてきた。今でこそ作戦参謀としてその実力を如何なき発揮するこの男も、一時は武術に身を投じてきた一人だった。腕を失って以降、その主戦場は作戦司令へと変わったが、ラビスタの中には確かに闘志が息づいている。獣は相手の力量を匂いで感じ取るというが、奴もまたそうだったということか。


「ラビスタ様」

 そのやり取りを少し離れたところで見ていた腹心が、間を見繕みつくろったかのように側に寄ってきた。


「いかがいたしましょう」

「ああは言われたものの、はいそうですかと黙っているほど私は無能ではない。予測できることに対策せぬのは愚か者の証明。それが善であれ悪であれ、だ」


 ラビスタは乱れた服装と髭を直し、ドトーアの背中に一瞥いちべつくれてから踵を返した。


「馬車の支度を。ルンダラ関門に会いたい男がいる」

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