第5話 少女の正体

 村のはずれに、長い上り坂がある。

 その形状は陸地を切り抜いて斜めに突き刺したようだと形容される。坂の終わりは崖であり、崖の下は森と川、岩肌が広がっている。特別な用がなければ登る必要もない場所に見える。それでもこうして道が整備されているのは、特別な理由があるからだ。


 初夏の風が香るそんな道のふもとに、二人はいた。


「これでよし!」


 道には台車が、崖を目指すような方向で置いてある。台車にはよく見ると改造が施され、何より目立つのは、その荷台の上にあの鉄の筒がしっかりと固定されているところであった。ランダはその荷台の前に座り、アルゥエラに合図を出した。


「本当に大丈夫?」


 台車の傍には、イドとアルゥエラの姿と、台車よりも二回りほど大きい木製で組まれた塔のような台座があった。アルゥエラはイドの背中に跨り、胸には頭二つ分ほどの大きな鉄球を抱えている。ちょうど彼女が手を伸ばしたあたりに、台座から伸びた二本の通しがあり、それは傾斜を伴い荷台上にある鉄の筒の蓋部分に繋がっている。


「ああ、今度こそ失敗はないはず!」

「なんだか不安だなぁ」

「いいから、早く!」

「わかったよぉ、もう」


 アルゥエラはため息をつき、ついでに一呼吸した。鉄球を通しに置き、両手をかざす。鉄球はみるみる温度があがり、その表面からは湯気が立ち上り、ついには緋色に輝きだし、焦げた匂いが鼻をついた。


「じゃあいくよ」

「おう!」


 アルゥエラは手にした木片で鉄球を小突いた。鉄球は通しの上を滑走し、そして鉄の筒の中へ吸い込まれ、直後、水蒸気が吹き上がった。


「よし!」


 ランダは素早く蓋をし、仕掛けを回して蓋が吹き飛ばないようにすると、素早く台車の前に座り、もう一つの仕掛けレバーに手をかけた。


「よっしゃ! 蒸気噴射台車! 発進!」


 掛け声とともに、その仕掛けレバーが引かれる。すると、鉄の筒に設けられたもう一つの穴が開き、同時に凄まじい量の水蒸気が噴き出した。


「きゃっ!」

「お、わ!」


 その勢いはとてつもなく、巻き込まれた風が彼女の服をまくりあげ、そしてランダの乗る台車を力強く押し出し、一気に加速させていく。


「わ、わ、わ!」


 台車はぐんぐん坂道を登っていく。その速度はすでに馬の全速力をゆうに超え、想定の何倍もの速度で崖まで到達しようとしていた。


「やべ!」


 想定外の速度にランダは身の危険を感じ、縄を握りしめ台車から飛び降りた。その勢いで地面を転がり再び顔を上げると、ちょうど台座が崖の先端から宙を目掛けて落下していくのが見えた。


「ああ……」


 そして少しの間の後、遠くで何かが大破する音が聞こえた。


「ランダ!」


 項垂れるランダに、アルゥエラが駆け寄る。


「大丈夫!?」

「ああ、大丈夫……って痛てぇ」


 痛みに自分の体を見れば、全身が擦り剝けて血だらけになっていた。それを見て、反対にアルゥエラの血の気は引いていった。アルゥエラには、ランダがものすごい勢いで台車からはじき出されたように見えたのだ。


「すごい怪我! ああ、どうしよう、どうしよう!」

「だ、大丈夫だよ! 少し痛いだけ、全部擦り傷だから!」


 ランダは困惑する彼女を抱きしめながら、また装置を作り直しになるだろうこと、そして村の大人たちにシコタマ怒られることを想像して、大きなため息をついた。



「バカモンが!」

「いで!」


 怪我人に対して村長の拳骨は容赦がなかった。


「何事かと駆け付けてみれば、今度は台車を吹っ飛ばしたじゃと? それもあの崖に向かって!? お前はいったいいつになったら反省するんだ!?」


 村長の家には村の顔役たちが揃っている。ランダとアルゥエラはその中央で正座させられ、今しがた、その頭上に村長の制裁が振り下ろされたというわけだった。


「だ、だから謝っているじゃないか!」

「それが謝る態度か! もしものことがあったらどうしてくれる!? お前ひとりの問題じゃ済まされんのだぞ!」

「で、でももしこれが成功したら! クコ摘みがもっともっと楽になるだろ!?」


 クコ摘み。それが、あの崖の道が整理されている理由だった。


 崖の先から綱を伝って少し下った先に、クコという名の草花が群生している場所がある。クコはこの村にとって最も普遍的でかつ貴重な香辛料のもととなる香草で、冬に備える食料には大抵このクコが使われる。それも大量にだ。この需要を支えるため、村の男達が代わる代わるあの坂道を上るのだ。

 しかしその過酷さは村の誰もが知るところだった。籠を背負って歩いて登り、綱を伝って崖下に降り、クコを積んでまた帰ってくる。それは誰でもできるものじゃない。肉体的にも精神的にも充実している若い時の、それも男でないとならなかった。それにも関わらず、膝を悪くする者もいるほどだ。実際、生前の父も幾度かその役割を買って出ていたが、決まって翌日は膝の痛みを訴えていたのを覚えている。ランダはこの問題をなんとかしたいとずっと思っていた。


 そこで考え付いたのが、この水蒸気推進装置付き台車、蒸気噴射台車である。


 水蒸気がどれほどのエネルギーを持つのかは、工場の息子としてよく理解していたし、現実に工場を幾度となく破壊している。しかしそれほどの威力を生み出すには十分な火力が必要で、しかも燃焼させるための釜を一緒に運んでいたのでは、結局積載量が確保できず、本末転倒だった。


 だが彼女がいれば話は別である。


 まず薪を燃やす釜が必要ないぶんだけ装置は小型化できる。必要なのは高圧力に耐えうる箱と噴出孔、そしてアルゥエラの力だけ。これなら台車に積み込めるし、日々の運用も現実的だ。

 ランダはこの発想の元、水蒸気噴射機に改良を加えていた。鉄球を水に浸けるという手法は、かまどの石を水に浸けてもいつまでも気泡を生み続けるところから着想を得た。これなら投入直後から高い出力を得られる。登りだしの一番力が必要な台車の登板と、力の特性がかみ合う。


「あの方法を使えば崖の先まで一瞬だ! 台車でいけるし、一度にたくさん持って帰って来られる!」


 それは、クコ摘みという苦行を圧倒的に楽にすることが出来る。この上ない改善策で、その貢献は小さくないはずだ。それは同時に、アルゥエラがこの村に居続ける理由となる。ランダはそう考えていた。


「そうすれば一人の負担も減る! みんな楽になるんだ! なのに――」

「そういうことを言っているんじゃない! まだわからんか!」


 あまりの気迫に、ランダは思わず押し黙った。険しい瞳がランダを射抜く。


「お前の身にもしものことがあったら、どうするつもりだ!?」


 その言葉は、ランダにとって、まったく想定外の言葉だった。


「クコ摘みはお前が生まれる前から、それこそお前の父親がここに来るずっと前から、何年も何年も続けてきたことだ。ここに生まれ生きるものなら誰しもが通らねばならぬ道。できる者がおらぬのであれば、別の手段を考えればよいだけのこと。そんなもの、この自然で生きる者として、皆、とうに受け入れておる」


 村長はランダの肩を取り、まっすぐに見つめて、見定めるように言った。


「お前が死んだらどうなる。アルゥエラはどう生きればいい? この子をこの村に縛っているのは、お前なんだ。お前がこの村にいる、それがこの子がこの村で生きる理由なんだ。お前はその理由を奪う気か。取り残された者がどんな想いをするのか、わからんとは言わせんぞ」


 その言葉はランダの心を深くえぐった。父親との死別。気丈なランダだが、立ち直るには時間がかかった。荒れた少年を支えていたのは、村の大人達だった。


「村でのことは我々大人達がなんとかする。そんなことまでお前が背負わなくていいんだ。お前は十分、役に立っている。そんなことより、お前自身と、お前を想う者のことを考えろ。それが男の責任というものだ」

「お、俺はただ、アルゥがもっと、この村で暮らしやすくなるために、って。もっと、もっと、家族になれるようにって……」


 ランダはずっとそればかりを考えていた。アルゥエラを村に招き入れたのは己。自分に何があろうとも、彼女がここで平穏に過ごせる未来を残すことが責務だとすら思っていた。そのためには、湯浴みなどという贅沢に関与するだけではない、村の営みの根幹を揺るがす革命を起こす必要がある。彼女なくては成り立たない環境を作りさえすれば、彼女を追い出すなんてことはなくなるはずだ。――たとえ、彼女が何者であったとしても。


「馬鹿を言え」


 しかし村長は確信をついていた。村が彼女を受け入れる理由がないのと同じように、アルゥエラにもこの村に居座る理由は本来無いのだ。いつだって離れることはできたはずだ。


 でも彼女はそうしなかった。――ランダが居たからだ。彼女自身が、ランダとともに歩む人生を選んだのだった。


「アルゥエラはとっくにこの村の一員だ。みんなの子供だ。もちろん、お前も。村から子供がいなくなることほど寂しいことはない」


 村長の穏やかな目。振り返れば、取り囲む大人達全員が、優しく微笑んでいた。


「無茶をするな。大人を頼れ。そして自分と、家族を大切にしろ」


 ランダはこの時初めて、悲しみとは異なる感情に涙を流した。




「怒られちゃったね」


 夕食後。半裸で俯くその背中に、アルゥエラが言った。


「ああ」

「これだけ無茶しちゃったんだし、仕方ないね」


 傷だらけの背中に、薬を塗っていく。傷は本人が思っているよりも深く、数が多かった。よほど興奮していたのだろう、本人はあまり痛みを感じていなかったようだが、今晩はきっと眠れないだろう。


「染みない?」

「大丈夫」


 ランダはよく強がりを言った。男の子だからだろうか、きっと心配させないためなのだろう。それはかえってアルゥエラを余計に心配させた。いつの日か、怪我では済まないことになるのではないか。私のもとに帰ってこないのではないか。そういう不安で眠れなくなったことは、実は一度や二度ではない。


「次はうまくやるよ」


 でも、それを彼に言うことはしなかった。彼ががむしゃらになるのは、自分を想ってだということも、言葉にする以上にわかっていた。もう辞めて、なんて言葉は、言えるはずもなかった。


「ねぇ」

「ん?」

「今日、添い寝してあげよっか」

「え?」


 突然の提案に、怪訝な顔が向けられる。


「寂しいのか?」


 想定と異なる反応と確信をついた言葉に、アルゥエラは逆に赤面させられた。


「ごめんな」


 そしてあたたかなその腕が回された。包帯だらけで、本当は痛いはずなのに。


「無茶はしないよ」


 結局のところ、ランダの一人相撲だった。勝手に責任を感じ、彼女を失いたくないという感情に突き動かされ、周りが見えていなかった。そんなことをしなくても、彼女がここから出ていくことはない。ならば、焦る必要はない。危険を冒す理由もない。


「ふふ。私、この村の子供だって」

「ああ」

「でも、そう言われちゃったら、出ていけなくなっちゃうね」


 ランダとアルゥエラは本当の家族ではない。そして、互いに触れずに来た過去がある。なし崩し的に始まったこの関係が心地よくて、失いたくなかったのだ。それに触れたらすべてが台無しになってしまうような、そんな想いが二人にも、そして村の人々にもあった。


「行くなよ」


 だが現実は個人の想いなど聞き入れてはくれない。当人達がどれだけ望もうと、その時は必ずやってくる。


「居ていいの? 何者かもわからないのに?」


 彼女は一体何者なのか。彼女はそれを語らず、追求する者もいなかった。


「アルゥエラ。俺の家族だ。家族は、一緒にいなくちゃいけないんだ」


 天涯孤独の少年と、正体不明の少女。仮初の家族は、本当の絆をその手にしようともがいていた。


「いけないんだ?」

「そうだよ。だから」

「うん。ごめん。私も、行きたくない。ずっとここにいたい」


 もう大丈夫。何も心配することはない。予感めいた不安を胸の奥底にしまい込み、平凡な幸せを送る日々をただ願った。


 しかし、世界は、村の少年一人が想像及ぶほど、狭くも優しくもなかった。

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