第4話 仮初の家族
あの夜以来、ランダとアルゥエラは家族として共に暮らしている。
「お疲れ様、悪かったなぁ、頼んじゃって」
「大丈夫だよ。ねぇ、それより見て見て」
アルゥエラはそう言って、ぱぁと顔を明るくした。普段は大人びた立ち居振る舞いの彼女だが、喜びが顔にでる時は年相応の少女になる。彼女の手には村人から持たされたであろう季節の葉野菜があった。
「いつものお礼だって」
「良かったな」
アルゥエラはうまく村に馴染んでいる。特に村の女性達は彼女のことを良く気にかけてくれている。共同生活の相手がランダ少年であることを杞憂している節も多分にあろうが、それ以前に彼女の人柄や器量がそうさせるところが大きい。それに加え、ランダと同じく、彼女は彼女にしかできない方法で村人達に貢献しているのが決定的だろう。
「イドもお疲れさま」
そう言って、アルゥエラはドラゴンに額をそっと合わせる。イドというのはこのドラゴンの名前で、それは彼女が名付けたものだが、そう呼ぶのもまた彼女だけだった。
「そいつ、アルゥの言う事はちゃんと聞くよな」
イドは利口で大人しく、時折、人の言葉を理解しているのではないかと思わせるような行動を見せる。
「お利口だもの」
当然だ、とでも言いたそうな顔である。
「まぁ、そりゃあそうなんだろうけどさ」
「なに?」
水汲みという重労働は男であるランダが本来行くべきではあるのだが、イドがいれば事情は異なる。個人が持てる量を何往復もしなければならないのに比べ、イドならその数倍は運搬可能だった。効率は段違い、当人が何個持つかではなくイドに何個吊るせるかが重要であり、同伴する者の能力性別はもはや些末な問題である。
とはいえランダもそれは男として心地よいものでもないので、行くには行こうとした。ところが、肝心のイドがてこでも動こうとしないのである。あの夜、確かに意思疎通できたように感じたそれが錯覚だったかのように。
「俺の言う事はさっぱりだぜ? さっきなんか、聞こえない振りしやがった」
「それはきっと頼み方が悪かったのよ」
「そうかなぁ」
アルゥエラはそういうものの、ランダはいまいち腑に落ちなかった。
「そうだよ。だって私には着いてきてくれるもの」
しかし、ランダは言い合いでアルゥエラに勝てた試しがない。もやもやは早々に飲み込むことにしている。ランダは疑問の解消を諦め、イドに積載された桶を外し、改良された水蒸気噴射機に注いで行く。
「お鍋用の水もちゃんと残しておいてね」
わくわくを抑えられないランダの様子を見かねたのか、アルゥエラが釘を差す。
「わかってるよ。それで飯がなくなったら大変だもん。そんなバカしないよ」
「どうだろうね? ランダ、ご飯より大切だー、とか言い出しそうだし」
「うーん、まぁある意味では違いないんだけど」
「ほどほどにしてよ?」
「わかってるって」
最近のランダはますますこの鉄の筒に夢中だった。ほどほどに、というのも話半分だ。かわるがわる桶をひっくり返し、この筒が水で満たされるたび、叫びだしたいほどの衝動に駆られる。それをやらないのは、アルゥエラが怒るからだ。
「あ、そう言えば」
部屋の隅を見れば、アルゥエラが鍋に向かって両手をかざしていた。鍋からはどんどん湯気が立ち上り、ついには沸騰した。そこに、先ほど貰った野菜を切って入れていく。
「ラナさんがまた頼めないかって」
「あー、
ランダは眉を吊り上げて面白くなさそうにした。
湯浴びとは、土を掘って石と木材で固めた大きな桶にお湯を注いで浸かる、この村伝統の洗身方法だ。お湯を沸かすのには大量の木材が必要となるため、普段は病人を治療する時など特別な時にしか用いられない。だが、アルゥエラがいれば話は別だ。
「人を便利な道具みたいに言いやがって」
アルゥエラには不思議な力があった。彼女が意識をもって両手を向けると、その物体が熱を持つのである。とりわけ、金属はよく感応した。現に今、彼女の目の前で沸騰している鍋に火はくべられていないにも関わらず、加熱されている。
「いいじゃない、誰かの役に立つならそれで」
彼女なら、鉄球を放り込んで手をかざすだけでお湯が出来上がる。木材も減らないし、何より早い。ならばということで、村の年より達がこぞって恩恵を受けたがるのだ。湯浴みという贅沢が日常になり得るのは、他ならぬアルゥエラあってのことだった。それこそが彼女の貢献であり、ランダが面白くないところである。
「薪の減りを気にするんなら、そもそもやらなきゃいいんだよ。贅沢だってわかってんだろ」
冬場が明けたとはいえ朝晩冷え込むことが未だあり、さらに薪も不足しているこの時期において、触媒不要で物体を加熱できる彼女の力は何よりも重宝された。有難がられる背景も、理屈もわかる。だが彼女を大切に思う少年にとっては、まるで道具のように扱われているようで不快であった。それが彼女の身を案じる想いだということに気づくには、ランダは幼すぎた。
「だめだよ、そんな風に言っちゃ。私を受けて入れてくれているんだもの。感謝しなきゃ」
実際この便利な力は、彼女がこの村に溶け込むのに一役も二役も買った。ランダが文句を口にできるのも、この平穏な日々があるからに違いない。
「それに」
アルゥエラは鍋を掻きまわしていたお玉をランダに向けて言った。
「ランダも迷惑かけてるんだから」
「う」
ランダは思わず苦汁を飲んだような顔になった。
「もう一昨日みたいなことは嫌だからね」
この作業場が文字通りボロボロなのは、ランダの研究の被害を受けているからだった。その中心にあるのはもちろん、先の鉄の筒である。ランダの探求心の結晶は、時に壁に穴をあけたり、家中を水浸しにしたりした。先日はとうとう寝屋の屋根まで吹き飛ばしてしまい、雨風を防ぐために村長宅に間借りすることになった。アルゥエラの言っている迷惑とは、これが日常茶飯事なことである。
「でも、これはアルゥの為でもあるんだよ! あれが完成すれば――」
「ありがとう、ランダ。でもね。私のためにしてくれていることで、ランダがみんなから怒られているのを見るのは、つらいから」
この小さな村で、子供二人がこうして暮らしていけるのも、周囲の大人たちの手助けがあってのことである。特に、ランダとアルゥエラの二人にとっては。
「……ごめん」
己に突っ走る傾向があることは理解している。それは何事も一歩引いて俯瞰的に捉えるアルゥエラと過ごすことで、日々見せつけられる所だった。
「ううん。ランダはいつも私のことを考えてくれている。味方でいてくれる。だから安心できるんだよ」
「あたり前じゃないか」
「ランダが居てくれてよかった」
その言葉に、「いなくならないで」と聞こえるのは、きっと気のせいではないだろう。
「ああ、そうだ。イドもね」
寄り添うドラゴンと一人の少女。今やこの村にとって日常となった光景。しかし世界から見れば、これほど異質なことも無いだろう。
元来、ドラゴンは人に懐かないものだ。地方によってはドラゴンを移動の道具として扱う部族や、航空偵察に使う軍もあると聞くが、共通しているのは、いずれも生まれた時から人の手によって育てられた個体に限るということだった。野生のドラゴンにとって、主食は肉であり、それには人間も含まれた。ドラゴンを見つけたら逃げろ。それは多くの地方で親が子供に教える最初の事柄の一つだった。
だがこのイドというドラゴンは、実に従順で穏やかだった。人を襲わず、人の営みを理解し、こうして水を運ぶ手伝いをしたりする。とりわけ、アルゥエラに対する忠誠心は揺るぎない。この話を村の外の人間に聞かせても、実際に目にするまで誰も信じないだろう。
「じゃあ、食べよっか」
アルゥエラは食卓に朝食を並べていく。彼女が朝食を作ってくれるのは日課だ。
「「いただきます」」
ランダはこの日常に満足している。感謝もしている。
だが、焦燥感もある。
食事を口に運びながら、ランダは鉄の筒を見た。
――完成を急がなければならない。
ランダは今の幸せを食事とともに噛みしめながら、決意の言葉を飲み込んだ。
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