起:翼竜の落つる日
第1話 ルンドの便利屋
ルンド丘陵地帯。レッセント領外は北東に位置するこの地は、険しい山々と豊な自然が織りなす穏やかな地域である。そこに住む者達は単一の民族で、ごく小規模な村を形成し、質素な生活を送っている。
そんなのどかなこの地で、似つかわしくない物騒な音が鳴り響いた。
発生源は、村のはずれにある
吹き飛ばされた木片に交じって、何か硬質なものが地面に叩きつけられた。それは金属の円盤であり、くるくると回転したのち、やがてぱたりと倒れた。そして、それを手に取る少年の姿があった。
少年の年の頃は十二、三。年齢の割に小柄な体躯に焦げた肌と筋肉質な腕、この地方には珍しい黒髪を有し、そして身丈に合わない厚手の作業着を身にまとっている。少年は厚手のゴーグルを片手で押し上げ、手にした円盤を三軸から眺めたのち、頭を掻きむしった。
「あっちゃー、ぐにゃぐにゃ」
円盤は三センチほどの厚みがあるが、ひん曲がったコインのようにいびつになっている。その強度を察するに、とても少年の力で曲げられたとは思えない。
「こりゃまたやり直しだ」
この円盤こそ、物騒な物音の発生源である。天高く吹き飛んだこれが、その過程で天井を突き破ったのである。木造建築に開いた穴は、もはやこれを箱と形容することすら難しい形相へと変えていた。
しかし少年はそれを気にも留めていないかのように、再び箱の中へ入っていく。
箱はいわば、
そんな壁を突き破るほどの威力を円盤に持たせる元凶が、ここにはあった。
部屋の中央に位置するそれ。頑丈に組まれた金属の台座の上に鎮座する、鈍色の筒。少年の二回りは大きいそれは、撃ち抜かれた天井から注ぐ陽光に怪しく煌めいていた。
「やっぱ、出力の問題かなぁ」
少年は台座に上ると、筒に空いた穴の部分に、円盤をかざした。本来この円盤は、この筒に設けられた二つある穴のうち一つを塞ぐ蓋の役目を担っていたが、何かの力によりはじけ飛び、ひしゃげた今ではその役目は果たせそうにない。少年はその歪みを目測で取ると、円盤を作業台の上に置いて、外にでた。
少年が散らばった屋根材をかき集めていると、老人がその光景を呆れたまなざしで見見つめていた。
「お前、またやったのか」
「じっちゃん」
少年にじっちゃんと呼ばれた老人は、ルンドの村を取り仕切る村長である。この地方民族特有の薄灰色の髪がわずかに残る頭を、重そうにもたげている。
「そうなんだよ! ちょっと圧力の調整に失敗しちまってさ、だけど見てくれよ、この威力! ある意味実験は成功だぜ!」
少年が興奮し鼻高々になるにつれて、村長の頭はどんどん重たくなっていった。
この少年、今回のような騒動を起こしたのは今日が初めてではない。立派な工場が箱としか形容できぬ惨状に至ったのも、全てこの実験という所業による被害である。
「これで、俺の名が世界にとどろく日も近いってもんだ!」
少年は拳を握り、天を仰いだ。
――ランダ・トメコット。それがこの少年の名であった。
「ランダや」
興奮冷めやらぬランダ少年の名を呼ぶも、反応はない。村長はそんなランダに拳骨を振り下ろした。
「痛ってぇ!」
「ばかもん! なぁにが、実験は成功だぜ、じゃ。壁の次はいよいよ天井までぶち抜きおって。そういうのは失敗って言うんじゃ!」
「ちげぇよ! 途中までは上手く行ってたんだよ! 半分成功なんだから成功だろ!」
「結果で物事を判断せんか、このクソガキが!」
「んだとこのクソじじい!」
次の瞬間、再び村長の拳骨が飛び、ランダはうめき声を上げた。
「そんなことより仕事をせんか、仕事を!」
仕事、とはこの村の掟の一つである。物流の少ないこの村では、仕事は金という対価を受け取るものではなく、相互援助の一貫であり、生存戦略である。村に住むものは己の技能を持って貢献することが義務付けられている。力のあるものは力仕事を、知恵のあるものは知恵をもって、この村の生活を支えるのだ。この村の衣食住は、そういった仕事という決まり事において連携、保証されていた。
「昨日の鍬はどうした? それに鎌も!」
そしてランダは、この村唯一の便利屋だった。あの工場は、それを生業とするのに必要なもので、父親から引き継いだものだ。
「それならもう終わってるよ、さっき、持って行った」
彼が父親から引き継いだのは、工場だけではない。工作技術に優れた彼は、農具の修理から家の補修、草むしりから狩りまでこなす。さらに、仕事が凄まじく早い。例えば彼が修繕した農具は購入時よりも具合が良く、新しいものを買いに行くだけの時間も費用も馬鹿馬鹿しく思わせるほどである。村人にとってランダは頼れる存在である一方、しかし悩みの種でもある。
「――それに、これはそんなことじゃねぇよ」
酔狂。村人がそう揶揄する実験にランダが熱を入れるようになったのは、一年ほど前のことだった。最初はボヤ騒ぎ程度だったそれも、今ではこうして家を破壊するまでに至っている。その騒音は当然離れた村にも届いており、当時はその度に村人総出で駆け付け、心配し、説教をしたものだった。
しかし今では、その様子を見に来るものもほとんどいなくなった。慣れた、と言い切ってしまうには、事情があまりにも異なる。
身の危険を感じる者もいる。また、真意が計り知れず、どう接していいのかわからぬ者もいる。取りつかれたように打ち込む彼を見て、精神を病んでしまったのだと嘯くものすらもいる。
「約束したんだ。俺が代わりに、って」
彼にどれほどの思いが在ろうと、どれほどの決意があろうと、彼の崇高な行いが理解される日は来そうにない。村長はそんな彼の境遇を憂い身を案ずる数少ない人間だった。
「ランダよ、よく聞け。わしはお前を信じとる。だが、お前の身に何かあったらどうする?」
「分かってるよ。俺が仕事しなくなったら、村の連中は困るもんな」
しかし、その想いは少年に届かない。ランダは伸ばされた手を振り払い、背を向けた。
「ちゃんと仕事はやるよ。でも実験は辞めない。止めても無駄だ」
その背中に、言葉をかけることが出来るものは誰もいなかっただろう。
適当な板を数枚張り付けただけの天井からは、月明りが差し込んでいる。ランダはそれを頼りに、鉄の筒に向かっていた。
鉄の筒の形状は独特である。俯瞰してみるなら、それはただの筒だと形容できようが、しかし傍でみるとそれはなかなか無理な表現だと首を傾げることになる。
筒はまず水平に寝かされており、さらに二つの穴がある。一つは、上側に向いた比較的大きなもので、先ほど吹き飛んだ円盤はここを閉じる蓋として作られたものだ。そしてもう一つは、筒の先端であり、数段小さな筒が取り付けられ、それが少し伸びた所でまた蓋が閉じられている。
彼はこれを、水蒸気噴射機と呼んでいた。
筒の中には大量の水を備蓄できるようになっている。これに蓋をしたのち筒を外部から熱して内部の圧力を高め、それを先端の小さな穴から噴き出させることで推進力を得ようとするものであった。
しかし完成というには程遠い。例えばこの装置には生み出した推進力を調整する機構が備わっていない。それがどういう結末を生むのかと言えば、先ほどのような事になる。高まった圧力を解放する瞬間を違えば、ただ温かい湯気を吐き出すか、あるいはその蓋をひん曲げ家を破壊するか否かである。致命的なのは、その判断をする手段がこの装置には全くないという事である。そもそも、この大きさでどの程度の力を生み出すのが最適なのかもわからぬまま、その内側を
とはいえ、ランダはそれを失敗だとは考えていない。現に、今日は小さい蓋は壊れなかった。その成果に興奮した結果、その限界を見てみたくなり、ついつい余分に温めてしまっただけなのだ。
水蒸気噴射装置はこうした数ある失敗を踏み台にしながら、着実に進歩している。これを成功と言わずしてなんと言うのか。
「よし、整備はこんなもんだな」
ランダは台座を降り、腰に手をあてその全容を眺めた。
この装置を残したのは、ダーゼルという名の便利屋であった。ランダは彼から引き継いだこの夢の装置を完成させようと、日々実験を繰り返していた。この装置がこの村に、ひいてはこの世界に及ぼす影響を、誰も理解していない。それはもしかしたらランダ自身もそうかも知れない。
「待っていてくれよ。――親父」
だがランダは、父との約束である、この装置の完成を自らの使命としていた。それがランダという少年が生きる理由でもあった。
工場には併設されるように小さな小屋がある。ランダと父が寝泊まりしていた家屋で、一階の台所は工場に繋がっており、小さな二階には寝床がある。ランダは寝床に入って、天井を眺めた。そして昼間、村長に放った言葉を後悔した。
村長が自分を心配してくれていることは分かっている。もし仮に怪我でもしたら誰がこの装置を完成に導くのか。父親との約束を大切にしたいなら、己の身をまずは大切にしろ。それが村長の言いたいことなのだろう。自分はなんと幼いのか、愚かなのかと反省もする。
しかしランダは焦っていた。このままではいつ完成するのかわからない。さらにこの装置を役立てる手立ても、皆目見当がつかなかった。仮に目的の物が作れても、役に立たないのであれば、それはゴミくずと同じである。父が目指したものが酔狂と呼ばれないためにも、ランダは何としてもその有効性を証明する必要があった。それは十二歳の少年にはあまりにも酷であった。
「父さん」
ランダは小さく言った。まどろみの中で、決して人前では口にしない、父の呼び方であった。夢で逢う父はいつも優しく、ランダが寝付くまで、星の数を数えてくれた。
そうしてランダの意識が夢の中で吸い込まれたころ、それは起こった。
突然の轟音と振動が、ランダを襲った。
「なんだ!?」
最初は星が落ちてきたのかと錯覚した。まるで何かが炸裂したかのような音と振動に、嫌な予感がする。水蒸気噴射機が蓋を弾き飛ばす時のそれと、酷似していたのである。
ランダは跳ねるように寝床から起き、一階に飛び降りた。そして工場を見て、唖然とした。
工場の天井に、大きな穴が開いていた。だがランダが言葉を失ったのは、そのせいではない。――見たこともない物体が、そこにあったからだ。
巻き上がる
「なんだ、よ、これ」
それは巨大だった。それは動いていた。そして、まるで闇夜の月のように光り輝く眼を持っていた。
ランダはそれが生物であることをすぐに理解した。そしてそれが、ある生物であるという事にすぐに思い当たる。
――そいつと出会ったら、散り散りになって逃げなさい。そのうちの誰かひとりでも助けるために――
幼少の頃より大人達から聞かされていた、生き物。
「――
地を這うような唸り声が、闇夜に響き渡っていた。
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