第十話 穢溜まり


「とにかく、ご令嬢達を探しましょう。何かあってはいけませんから」


 コトリ達の犯したであろう悪行には、確たる証拠など無い。だが、昨夜のミモリを挑発するようなコトリの言い草もあって、モミジがコトリ達に抱く感情は不審感しかなかった。しかし、だからと言って、獣がいる森の中で令嬢二人を放っておく訳にもいかない。高潔なミモリも、「そうですね」とすぐモミジに同意した。


「でも、気を付けて下さい。渡守家の私兵達も、お嬢様方を探しに森に入っているんで」


 ヨシノリは慎重に言った。それは、コトリ達が私兵を使って何か企てているかもしれないと、言い含められていた。


「分かりました。探しましょう……」


 奇妙な事だが、モミジ達は令嬢達に彼女達を探した。


 モミジ達は、令嬢達が茂みに足を踏み入れないだろうと考え、辺りを見回しながら獣道に沿って歩いた。奥へ進むごとに、土と木の香りが濃くなり、木の葉の間から射し込む陽の光が弱まっていった。


「……? あそこにあるのは……」


 ふと、モミジは足を止めた。モミジの視線の先には、木々の中に紛れて棒状の物が何本か地面に突き刺さっていた。モミジは思わず、そこへ近付いて行った。


「あぁ、これは——」


 そこには、注連縄で繋げられた五本の錫杖が、輪になるように地面に突き立てられていた。そして、その五本の錫杖の中には、黒く染まった小さな水溜まりのような物があった。


「はい。穢溜えだまりです」


 小さな黒い水溜まりを前に、モミジの隣に来たミモリは暗い面持ちで言った。


 穢溜まりとは、不浄な気が雨のように地に落ち蓄積した、邪気の吹き溜まりだ。穢溜まりが発生してしまうと、その周辺は、そこから溢れる濃い邪気に当てられ朽ちていき、人は気狂いを起こし、死に至らしめた。更に、邪気で穢れた地はそのまま穢溜まりとなって範囲が拡大し、徐々に徐々に生命を蝕んでいく恐ろしい災害であった。その上、穢溜まりは妖魔の発生源となって、浄化または結界を張らなければ、無限に妖魔が生み出されてしまうのであった。妖魔の大発生——百鬼夜行は、これが原因だ。


「昨年、寺院から神徒代みとしろ様の御一行がお越しになって、私達は初めて穢溜まりが発生した事を知りました」


 神徒代とは、穢溜まりを浄化し滅する事が出来る唯一の存在——神子の候補者の事だ。高い霊力と浄化の力を有するが、穢溜まりを滅する程の力が備わっていない神徒代は、代わりに穢溜まりから邪気や妖魔が溢れないように結界を張る役目を担っている。しかし、その結界も永久的ではない為、定期的に結界を張り直す必要があった。


「外国にも、神子様と同じような存在の聖女様や聖人様という方々が存在するらしいですが、交流のない遠い国では救援を要請する事は出来ません。この国に、神子様が現れるのを待つばかりです」


 切実に願うミモリの姿に、モミジの胸の奥がずきりと痛んだ。


「……私も、神子様が現れるが待ち遠しく思います」


 モミジも願った。だが、ミモリの村と村民の事を思い願う気持ちと、モミジのそれとは違った。


 ——自己中心的で、何と醜い事か……。


 モミジは、面具の奥で自嘲的な笑みを溢した。


「ん? 何だ、あの鳥」


 ふと、ヨシノリが怪訝な表情を浮かべて目線を上げた。モミジとミモリも、ヨシノリに倣って見上げた。モミジ達の視線の先に、小さな白い鳥がひらひらと飛んでいた。しかし、鳥にしては羽ばたく姿がいびつで、動きがおかしかった。


「あれは、紙?」


 ミモリが怪訝そうに言った。


 ミモリの言う通り、それは紙で出来た鳥であった。それは、ひらひらとモミジの元へ舞い降りてきた。


「師からの伝霊紙でんれいしです」


「伝霊紙?」


「はい。伝霊紙は霊具の一種で、手紙のような物です。霊力を込めて伝言をしたためて、受取人へと飛ばします」


 モミジは、両の掌で紙の鳥を受け止めると、そっと額に当てた。すると、トウシロウの言葉がモミジの頭の中に響いてきた。


「……師の方にも、令嬢方の現状が知れたようです。もし、令嬢方が見つからなくても、陽が沈む前に森の外へ出て一旦合流——との事です」


 モミジはそう言うと、紙の鳥に霊力を込めてフッと息を吹き掛けた。すると、紙の鳥は再び羽ばたき、モミジの手から離れて飛んで行った。これで、了承の返事が出来た。


「では、引き続き捜索を続けましょう」


 そうして、モミジ達は穢溜まりに少しの憂虞ゆうぐを残して、その場を後にした。






「嫌だわ。トウシロウ様かと思ったのに、泥女達だったわ」


 モミジ達が探している令嬢達——コトリとカヨは、穢溜まりから遠ざかっていくモミジ達を、離れた木陰から覗いていた。


「全く、見ているだけでも忌々しいわ。あの男も、あんな泥女の何が良いのかしらっ」


 己に靡かず、ミモリにだけ優しい眼差しを向ける男の姿を思い出し、コトリは苛々と歯噛みした。


 ――気に食わない、気に食わない。血筋も立場も財力も、あの女より格上だと言うのに、女の隣には素敵な男がいた。望んだ物は全て手に入った。男も手に入ると思った。あの男に袖にされ、凄く腹が立った。思い通りにいかない男と、格下の癖にいい気になっている女に報復した。それの何が悪いと言うのか?


 悪言を吐くコトリに、カヨは「コトリ様の言う通りですわ」と、同意した。


「殿方達に混ざって狩りに出掛けたりして、淑やさも何もありませんわ。もしかしたら、女の身だからと気を遣われているだけですのに、殿方に持てはやされていると勘違いして、いい気になっているのやもしれませんわね」


「そうよ。きっとそうだわ!」


 カヨのいい加減な言う分に、コトリは不愉快に思いながらも、どこか満足そうに頷いた。


「まぁ、あんな泥女に夢中になるような男なんて、もうどうでもいいわ。わたくしの運命は、トウシロウ様に出会う事だったのよ!」


 ――英雄が領地にやって来た。噂では、二つ名の通り獅子のような赤毛で、上背があり雄々しく見目の良い男だと聞いた。実際に会って目にすると、一目で気に入った。平民上がりのようだが、皇帝から英雄の称号を賜った特別な人間。彼こそ、自分に相応しい男だ。それなのに……っ。


「あの傷物の女……。トウシロウ様の弟子だからと言って、べたべたと馴れ馴れしいっ。親に見捨てられて平民に落ちぶれた醜女の分際で、腹立たしいったらないわ!」


「昨夜の事は冗談であっても、あんな傷物が赤獅子様の隣に立つべきではありませんわ。美しくいらっしゃるコトリ様こそが、赤獅子様に相応しいです」


「えぇ、えぇ! カヨさん、その通りよ! きっと、トウシロウ様を振り向かせて見せるわ!」


 ——英雄の花嫁になる。今まで出会ったどの男達よりも優良だ。今は氏名うじなを名乗っていないらしいが、惚れた女の頼みで氏名を持たせよう。そうしたら、国から潤沢な領土を貰い、更に皇都に別宅を建てよう。きっと地方の領地生活より、素晴らしい暮らしを送れるだろう。そうすれば、自分はもっと美しくなり、高められる。隣には、素敵な夫がいる。あぁ、なんて輝かしい未来だろう。


「英雄であるトウシロウ様の隣には、わたくしのような美しい女が相応しいの。……あんな醜い傷物ではないわ」


 コトリは木陰から抜け、つかつかとモミジ達が佇んでいた場所まで足を向けた。五本の錫杖に囲まれた穢溜まりの前に立ち、コトリはまじまじとそれを見下ろした。


「これは、もしかして穢溜まりですか?」


 コトリの後ろを付いて来たカヨが、その黒く禍々しい水溜まりを見て恐れ戦いた。


「えぇ、きっとそうだわ。お父様から話を聞いていたし……」


 ふと、コトリは口舌を止め思案に耽ると、間もなく、にやっと妖しく笑んだ。


「この錫杖……、一本ぐらい引き抜いても平気よね?」


「コトリ様!?」


 カヨはぎょっとした。


「こんな柄杓の水を溢した程の小さな穢溜まりなら、穢れの被害も出現する妖魔も大して問題にはならないわよ」


 何も確証が無いのに、コトリは自信満々に言った。


「妖魔が現れたら、トウシロウ様は暫く滞在せざるを得ないわ。その間に、わたくしが身の回りのお世話をして、どんなに魅力的な淑女か気付いて頂かなくてはね。……それに上手くいけば、まだこの辺りにいる泥女達を痛い目に合わせる事が出来るわ」


 コトリはほくそ笑んで、五本の内の一本の錫杖を手に掴んだ。


「ほら、カヨさん! 手を貸しなさい!」


 ぐぐ……っと、力を込めて錫杖を引き抜こうとするがまるで歯が立たず、コトリはカヨに協力を促した。だが、さすがに穢溜まりの結界を解く真似を行う事を、カヨは渋った。


「でも……」


「あの泥女の悲壮な顔を見たくないの? 好きでしょ? 他人の惨めな姿が」


 コトリがそう言うと、カヨはぶるりと肩を震えさせ、歪んだ笑みを見せた。カヨも、コトリに負けず劣らずの悪徳であった。


「お嬢様方、探しましたよ!」


 そこへ、武装した男が下草を踏み分けて現れた。渡守家に雇われている私兵の一人だ。


「領主代理様から、赤獅子様の邪魔になるような真似はしないよう言い付けられていたでしょうに……」


「わたくしがトウシロウ様の邪魔をする訳が無いでしょ!」


 コトリが金切り声を上げて否定するが、私兵の男は呆れたように溜息を吐いた。


「そうだ、丁度いいわ。あなた、この錫杖を抜いて頂戴。そうしたら、屋敷に戻るわ」


 コトリは、錫杖を指差して男に言った。


「何ですか、これ?」


「罠のような物よ。一本引き抜くだけでいいから」


「罠?」


 私兵の男は、結界の事を知らないようだ。一瞬でも錫杖を抜く事を渋ったカヨであったが、黙っていた。だが、黒い水溜まりを囲む五本の錫杖は異様な光景で、男は訝しんだ。そこで、コトリは男に言った。


「あの泥女……ミモリに報復出来るかもしれないわよ?」


 すると、私兵の男は思わず右手の甲に残る傷痕を、もう片方の手で摩った。そこは、暴行に及ぼうとした際に、ミモリから反撃を喰らって矢で刺された痕であった。


 男は当時の事を思い出して頭がかっとなり、コトリの命令に従って錫杖に手を掛けた。その際、令嬢達は念の為にその場を離れた。男は、ぐっと踏ん張り、固く突き刺さった錫杖を徐々に徐々に引き抜いていった。そして——。


「おっと――!」


 ズルッと、とうとう錫杖が地面から引き抜かた。その際に、男は体幹を崩して尻餅をついた。


「……何よ。何も起きないじゃない」


「やっぱり小さいと、大した事は起こらないのでしょうね」


 離れた場所から見ていたコトリ達は、事が起こる事を僅かながら期待して興奮を覚えていたので、何も変化が起きなかった事に落胆した。取り合えず、結界を崩したのでその内に何か事が起こるだろう——と、コトリは考え、森を出る事にした。


 ――愛しい人を探しに森を歩き回ったので、足は疲弊し、汗もかいて気持ちが悪い。領都の屋敷に戻って、先日購入した西洋の香油を使って湯船につかり、使用人に足の筋肉を解させ、よく冷えた林檎酒で喉を潤そう……。


「ちょっと、そこのお前! いつまでも尻餅ついてないで、わたくし達を護衛してこの森から——」


 いつまでも立ち上がらない私兵の男に、コトリは体の倦怠感もあって苛々と怒鳴り散らした。……それでも、男は起き上がらない。何なのだと、コトリは煩わしそうに男を凝視し、——絶句した。


 それから間も無くして、令嬢達の悲鳴が森の中に轟いた。

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