第九話 悪徳


 翌日、モミジとトウシロウは、再び村外れの森へ赴いていた。妖魔の出現場所が人里に近い為、昨日さくじつに討伐した妖魔以外にも生息していないか、念入りに調査する事となった。


 そして今日も、弓を携えたミモリがモミジ達に同行した。父親の鹿養は、今回は同行せずに屋敷に留まる事になった。その理由は、イナノホリ領主代理の渡守とその娘のコトリ、友人のカホが、領都に帰らずに鹿養家の屋敷に泊まったからであった。


 これで粛々と礼儀を弁えた貴人達であれば、鹿養の妻であるトモエが屋敷の女主人として客人達を任せる事が出来る。しかし、渡守は女癖が悪く、令嬢達も下の者達に威圧する態度を取るのは、昨日の事でよく分かった事だ。そんな客人達なので、トモエだけでなく屋敷で働く女衆や男衆に危害が及ぶ恐れがあった。そんな訳で鹿養は、渡守やコトリ達の歯止めとして屋敷に留まる事となった。


「鹿養殿も大変だな」


 森の中、トウシロウは哀れむように呟くと、ミモリが苦笑した。


「あんなのが次代の領主だと、この先のイナノホリ領が不安だな。村は大丈夫か?」


「あくまでカシヤミ村は鹿養家の領地なので、領主代理様の言うままにはなりません。ただ、イナノホリ領が直轄で運営する町などは、命令されるまま徴税されているようです。でも、ミヨコ様がいらっしゃるので、最悪の事態にはならないかと思います」


「領主代理様の奥様ですね?」


 昨夜の宴の中で、モミジはその名前を耳にしていた。そう尋ねると、ミモリは頷いた。


「ミヨコ様が、領主代理様の手綱を上手く握っているようで、安心できます。……お亡くなりになった前妻の奥様は、渡守様達と同じく贅沢がお好きな方で──それが祟って体を壊されたのですが……──、その時は現領主様がご健在で、領地の収税など、まともに運営されておりました。こう言っては何ですが、領主様が臥せっている今、先の奥様がご存命だったらと思うと、恐ろしく思います……」


 随分と苛烈に物を言うミモリを、モミジは意外に思った。モミジの様子に気付いたミモリは、沈んだ面持ちで言った。


「コトリ様と先の奥様は、よく似ていらっしゃったので……」


 それはどういう事なのだろうと、モミジは思い見た。確かにコトリは、権威主義で人をこき下ろす態度を取る人間ではあるが、実害をもたらす程でもない。しかし、昨日知り合ったばかりの人間で、まだ彼女達の全てを見た訳では無い。何か根深い確執でもあったのだろうか……。


「それじゃ、俺は他にも妖魔が潜んでいないか、探ってくる」


 程なくして、昨日に討伐した妖魔が生息していた場所まで辿り着くと、トウシロウはモミジに振り返った。


「お前は、ミモリ嬢をまで案内な」


 モミジは「はい」と答えて、細い獣道に沿って小さくなっていく師の背中を見送った。


「ミモリさん、あっちの方向です」


 モミジが指差した方向は、獣道もない鬱蒼とした茂みの奥の方であった。その方向は、昨日モミジが皆と離れ、何処かへと姿を消した方向だ。少々尻込みするミモリを連れ、モミジは茂みを搔き分け、奥へとずんずん進んで行った。


 やがて開けた場所に出ると、モミジの後から付いて来ていたミモリは「わぁ……!」と、感嘆の声を上げた。そにには、きらきらと輝きを放つ、幻清水の泉があった。


「これが幻清水の泉なんですね。初めて見ました」


 そこまで大きくはないが、青い蛍石が溶けたような泉は宝石のように輝き、水面から立ち上る水煙が光の粒子を帯びて、実に幻想的な光景であった。ミモリは初めて見る幻清水の泉に、感銘を受けていた。


「不思議な泉ですね。突然現れるなんて」


「そして突然消えてしまいますので、手に入りづらく、幻清水の価値は高いです。退魔組合集会所などに泉を発見した報告をするだけでも、報酬を頂けます」


 モミジは、泉が消える前に村民達と幻清水を汲んで確保すると良いだろうと、ミモリに提案した。そして、あの強欲な領主代理には知られないように……、とも伝えた。


「ありがとうございます、モミジさん。今回、妖魔から受けた損害の補填になります」


 ミモリは眉尻を下げ、ぺこっと頭を下げた。これから手に入るであろう報酬金を、己の欲よりも村の為に当てようと躊躇いも無く口にするミモリに、モミジは立派な人だとしみじみと感心した。


「それにしても、よく幻清水を見つける事が出来ましたね」


 ミモリは興味深そうにモミジに視線を遣った。


「そうですね。私は、邪気や清気を感知する能力が高いようで、そのお陰か、よく幻清水の泉を発見する事があります」


「昔からですか?」


「……いえ、師の元で鍛錬を積むようになってからですね」


 モミジはそう言うと、ミモリに気付かれないように溜息を漏らした。


 昔は、只々己を殺した。静かに息をした。愛されないのなら、せめて厭われないように……——。


 ふと過去を振り返ったモミジは、パンッと、己を律するように両手を打ち鳴らした。——昨夜、師から説教されたばかりなのに、また心を乱す所であった……。


「——さて、他に妖魔がいないか調べに戻りましょう」


 気を持ち直したモミジはそう言うと、ミモリを連れてその場を後にした。


 それからモミジ達は、森の中で妖魔の残存がいないか調査に戻った。別行動を取ったトウシロウとは逆側の方向へ進み、モミジ達は辺りを見回ったが、妖魔の気配や痕跡は見付からなかった。


「どうやら、妖魔はもういないようですね」


 妖魔が纏う邪悪な妖気を、モミジは感じ取れなかった。この森に生息していたのは、昨日の妖獣だけだったようだ。


「一度、師と合流しましょう。おそらく、向こうも安全——」


「あ、ミモリさん! モミジさん!」


 モミジがトウシロウと合流しようと提案した所に、突如、男の呼び声が二人に届いた。ザッザッと下草を踏み鳴らしてに走り寄って来たのは、ヨシノリであった。


「ヨシノリ? どうしたのです?」


 突如として現れたヨシノリに、ミモリはきょとんとした。


「それが……、コトリ嬢とカヨ嬢が護衛も連れずに、この森の中に入って行ったみたいで……」


「え!? 護衛も連れずに、ですか?」


 耳を疑ったモミジがおうむ返しに尋ねると、ヨシノリはこくりと頷いた。


「何故そんな危険な事を……っ。最悪、妖魔がいなくても獣がいますのにっ。何も備えの無い令嬢が、無謀なっ」


 危機管理が乏しい無知な令嬢達に、モミジは頭を抱えたくなった。


「……あの女達に何かあったとしても、自業自得ですよ」


「え?」


 吐き捨てるように言ったヨシノリの冷たい声に、モミジは目を丸くした。


「ヨシノリ……」


「あんな女っ、居なくなった方が世の為ですよっ!」


「止しなさい!」


 ミモリが声を上げてヨシノリを諌めた。


「でも、ミモリさん! あの女——あの女達のせいで、あいつは……っ」


「口を慎みなさいっ。コトリ様達の仕業だと言う証拠は無いのです。……憶測で物を言うと、今度は貴方に危険が及ぶかもしれません」


 ミモリに窘められたヨシノリは、グッ……と声を詰まらせて俯いてしまった。途端に、木の葉が擦れ合う音が、妙に大きく聞こえた。何とも言えない空気にモミジが呆然としていると、ミモリが振り返って謝罪した。


「騒がしくしてしまい、申し訳ありません」


 袴をぎゅっと握りしめるミモリは、どこか痛々しく見えた。


「……何があったのか、お聞きしても?」


 堪らず、モミジは聞いた。


 きっと踏み込んだ事を聞いているだろうと、モミジは思った。しかし、ここで何も聞かないのも、却ってお互いに気まずく感じるだろうとも思った。


「……あのお嬢様は、とにかく強欲で、卑劣な女なんです」


 すると、ヨシノリが話しだした。


「カシヤミ村に、マサオミと言う男がいます。マサオミは俺の従兄で、ミモリさんの婚約者です」


 モミジがミモリを見ると、彼女はこくっと頷いた。


「マサオミは、親類の俺から見ても男前で良い奴なんです。……そんなアイツの事を、コトリ嬢は気に入ってしまったんです」


 マサオミは、精悍な面立ちで思慮深く、村でも評判の良い若者だ。ミモリとは幼馴染であり、大人になるにつれ二人は惹かれ合って、やがて恋仲となった。鹿養夫妻は二人の仲を快く思い、婚約を認めていた。


 ところが、好青年のマサオミの評判を耳にしたコトリが、彼に会うと一目で気に入ってしまい、二人の仲に横槍を入れた。だが、マサオミは全く動じず、コトリになびく事も無かった。それをコトリは激怒した。


「ある日、マサオミとミモリさん、俺との三人で、この森に狩猟に出掛けました」


 そこで、事件は起きた。


 森の中、三人の耳に女の悲鳴が響いてきた。悲鳴は二人分、方角は別々であった。獣に襲われたのかと、三人は助けに向かった。一番力量のあったはマサオミは一人で、ミモリとヨシノリは二人で、それぞれ悲鳴のした方角へと探しに向かった。


「でも、助けに向かおうとした時、突然、木の影から覆面をした男達が現れたんです。俺は背後から殴られ、気絶してしまいました。それで……」


 そこで、ヨシノリはちらっとミモリを見て、言い淀んでしまった。代わりに、ミモリが話した。


「私は、覆面の男達に捕らわれ、森の奥へと攫われてしまいました。そして、その男達に……、乱暴されそうになりました」


「何て事をっ!」


 モミジは思わず声を荒げた。


「すみません、ミモリさんっ。そんなお話をさせてしまって……っ」


「いいえ。私も、昨夜はモミジさんの過去を聞いてしまったのですから。それに、駆け付けてくれたマサオミに私は救われ、何事も無く未遂に終わりました」


 ミモリは毅然として言った。


「気絶していた俺をマサオミが見つけて介抱してくれました。目が覚めた俺は、ミモリさんの身に起こった事をマサオミに話すと、一人で助けに向かったんです。その際、マサオミは一緒にいた令嬢を俺に預け、森を出ろと言いました」


「令嬢……」


「コトリ嬢です」


 ヨシノリは忌々しそうに言った。


 悲鳴の主の一人はコトリであった。そして、もう一人の悲鳴の主はカヨであった。ヨシノリはコトリを連れて森を抜けると、護衛と共にカヨがそこにいた。森を散策した所、獣に遭遇して混乱し、離れ離れになったとの事だった。


「私も、マサオミに助けられると、一人で森から出るように言われまれた。暴漢達の数が多く、二人で逃げ切るのは難しいと彼は判断して……——私は彼を置いて行ってしまいました……」


 ミモリは両目を伏せ、苦し気に俯いた。


「森を出て、すぐに村の者達に助けを求めました。それで森の中へ戻ると、酷い怪我を負ったマサオミが、倒れていました……」


 急いで、村の者達でマサオミを森から運び出し、村の薬師の元へと向かった。しかし、村の薬師では重症を負ったマサオミを完全には治療出来ず、応急処置を施して、隣町の病院へ運ぶ事となった。


「それでその時、俺は見たんです」


 ヨシノリが言った。


「大怪我で運び出されるマサオミを尻目に、お互いの無事を確認して抱き締めあう令嬢達が……、虫の息のマサオミと狼狽するミモリさんを見てっ、笑っている顔を……っ!」


 ヨシノリはその時の光景を思い出したのか、顔が怒りに満ちていた。


「あの女達は嵌めたんですよ! マサオミから見向きもされなかった腹いせに! マサオミとミモリさんのどっちが傷ついても、お互い悲観する事になるのを見越してっ!」


 ヨシノリは歯を食いしばり、握り締める拳は怒りでぶるぶると震えていた。


「令嬢が、そんな非道な事を?」


 モミジは信じられない気持ちでいた。横恋慕をして思い通りにいかなかったからと言って、そんな悪辣な真似をする事が考えられなかった。


「私も、ヨシノリからその話を聞いた時は、まさかと思ったのですが——」


 ミモリが硬い面持ちで言った。


「——私は暴漢達に連れ攫われる際に、抵抗してその内の一人の手の甲に、装備品の矢で突いたのです。……そうしたら後日、コトリ様を護衛する私兵の中に、手の甲に傷を負った者を見掛けました……」


「そんな……」


 モミジは絶句した。


「あの女は生粋の悪女です。だからモミジさん、気を付けて下さい」


 唐突にヨシノリから忠告を受け、モミジは「え?」と口にした。


「あの悪女は、明らかに赤獅子様に目を付けています。だから、恋仲であるモミジさんを逆恨みしているはずです。何かしでかすかもしれませんので、早くこの地を去った方が身の為です」


「ちょ、ちょっと待って下さいっ」


 モミジは聞き捨てならない単語に慌てた。


「誤解されているようなので改めますが、昨夜は、師が思わせぶりな事を言って、からかっていただけですっ。私と師は、そのような関係ではありませんっ」


 モミジがそう言うと、「そうなんですか?」とミモリとヨシノリは首を傾げた。


「……それでもあの女は、きっとあなたに、何らかの危害を加えると思います」


 ヨシノリは慎重に言った。


「あの女は、少しでも気に食わない人間がいれば、平気で傷付けます。——そんな、悪徳令嬢です」

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