第八話 冷めた宴(二)
カシヤミ村に訪れてから一度も素顔を晒さなかったモミジは、室内にいた殆んど人間から自然と注目を集めた。そして、その場にいた者達は、モミジの素顔を見てぎょっとした。
顔の形状のみを述べるのであれば、モミジは可愛らしい面立ちをしていた。直線に描かれた眉の下にある赤みがかった栗皮色の目は大きく、頬は丸みを帯びており、元々露出していた小さく厚みのある唇と印象的なほくろで、どことなく艶っぽさもあった。
けれども、モミジがそう言った顔立ちである事を、この場にいる者達は、一瞬で気付く事が出来なかったであろう。モミジの素顔を見たミモリや鹿養達は、戸惑った様子で気まずい顔をした。
「まぁ、酷い傷」
コトリはモミジの顔をまじまじと見て、眉をひそめた。
モミジの顔には、左目蓋から右頬に掛けて、大きな傷痕があった。傷痕は、赤く盛り上がって周りの皮膚が引きつっており、見るからに痛々しく見える物であった。無情な人間から見られると「醜い」と詰られる程で、そうではない人間からしても気を遣わせてしまう為、モミジは師であるトウシロウ以外の前では、滅多に面具を外す事は無かった。
「……見苦しい物をお見せしてしまい、申し訳ありません」
「い、いえっ。こちらこそ、無遠慮に見詰めてしまって、すみませんっ」
気を取り戻したミモリは、じっと傷跡を見てしまった事に慌ててモミジに謝罪した。
「いいえ。気にしておりませんし、ミモリさんが謝る事はありません」
むしろ謝罪するべきは、面具を外すように強要したコトリと、本人の許可も無く面具の紐を解いたカヨの方であるが、当の二人は謝罪をする様子も無く、にやにやと意地の悪い顔をしてモミジを見ていた。
「そのお顔の傷は、妖魔に?」
コトリがまたしても臆面無く聞いてきた。
「えぇ……」
「そう。女性の退魔士さんも大変ですわね。そんな傷を負っては、女性としては色々と……ねぇ?」
コトリは意味深長な物言いをしてモミジを煽ろうとするが、モミジは反応せずに曖昧に微笑んで見せた。
「あら?」
ふと、カヨが何か思い出したように首を傾げて、モミジを注意深く見詰めてきた。
「もしかして貴女……、鐘ノ守家のご息女ではなくって?」
カヨがそう口にすると、モミジの肩がぴくっと揺れた。
鐘ノ守……──その氏名を、モミジは久しぶりに耳にした。
「確か、四年前に起きた百鬼夜行に巻き込まれ、妖魔に襲われた鐘ノ守家のご令嬢が心身を病んで僻地で療養していると聞いた事があります。そして、そのご息女のお名前が『モミジ』だったと、記憶しておりますが?」
カヨの話に、モミジの周囲にいる人間は皆聞き耳を立てていた。トウシロウは黙って酒を呑み、弟子の様子を窺っていた。
「確かに、私は鐘ノ守家の一女でした。ですが、もうずっと前に縁が切れた赤の他人でございます」
「縁が切れた?」
モミジは、元は貴人の出であった事をすんなりと認めて話を終わらせようとしたが、コトリが食いついてきた。
「貴女、見捨てられたの?」
「コトリ様!」
「もしかして、その傷はその時に負った物かしら? それが原因で縁切れに?」
ミモリがコトリの口を止めようと声を上げるが、コトリはお構いなしに尋ねてきた。
ずしりと重い石が腹の中に落ちる感覚を覚えたモミジだが、努めて冷静に一言——「はい」と短く答えた。
「悲しい事ですわね。淑女がそのような傷を負っては、婚約を結ぶのは難しかったでしょうね……。今の時代、庶民の方とも自由に婚姻を結ぶ事が出来ますが、貴人の中には娘を政略結婚の道具としか扱わない親も少なくありません。貴女のご両親もそうだったのかしら? お可哀想に……愛されていなかったのね」
愛されていなかった……――その言葉はモミジの内側を突き刺し、じわりとそれが腹の内に滲み出した。
——あぁ、まずい……。
モミジは、コトリの隣にいるトウシロウを盗み見た。すると、トウシロウが険しい顔をしてこちらを見ており、モミジはさっと目を逸らした。
「でも、きっと大丈夫ですわ」
そんなモミジの様子に気付かずに、コトリは憐れむような微笑を見せた。
「ご家族に愛されなかったお辛い過去があったとしても、いつかきっと貴女を愛する方が現れますわ。まぁ……、ちょっと難しい事かもしれませんけれども?」
コトリは、モミジの顔の傷痕にちらっと視線を遣って言った。
「女の独り身は侘しいものですわ。そうならないよう、貴女の未来をお祈りしま――」
「余計な心配だ」
それまで、黙って事の成り行きを見ていたトウシロウが声を発した。立ち上がって移動し、トウシロウはモミジの隣に腰を下ろした。
「こいつは人好きする質らしく、周りは何かと賑やかだ。万が一、独り身になったとしても、構う人間が多くて侘しい思いはしないで済むだろう」
そう言ってトウシロウは、モミジの頭をぐりぐりと雑に撫でた。
「お師匠様っ、痛いです」
「それに――」
そうして、モミジの頭頂部に置いていた手を横にずらしたトウシロウは、その頭を己の方へと引いて抱き寄せた。
「——こいつの面倒は、俺が一生見るつもりだからな」
その英雄の発言は、周りの者達を驚かせた。コトリなどは口をぽかんと開け、信じられないと言った様子であった。
「……お師匠様、その言い方だと色々と誤解が生じます」
「あ? 言葉の通りだろ。お前だって、そのつもりで俺の所にいるんだし」
「お願いですから、これ以上余計な事を話さないように、口を閉じて貰ってもよろしいでしょうか……っ」
「そもそも俺とお前は、もう離れるに離れられない関係で——」
「~もうっ! 黙って下さいっ! このゲジ眉師匠っ!」
意味深長な言葉を連ねる師に、モミジは我慢ならずに声を上げて叫んだ。すると、明らかにおちょくるように喋っていたトウシロウが、ぴたっと止まり、ぐるりと首を回して弟子と顔を合わせた。
「……誰がゲジ眉だぁ? この、蛸口がっ!」
トウシロウは胡乱な目で睨み付けると、ガシッと、モミジの顔の輪郭を覆うように片手で掴み上げ、口の両端を挟み込んだ。むぎゅっと潰れた頬と突き出た唇は、何とも間抜けな顔で、ミモリ達はその様子を呆然と見ていた。
「やめへくらはいっ。ほれに、まゆへがゲジゲジのむひのようなのは、じじつれふぅっ!」
潰れた顔をあられもなく晒されるモミジは、トウシロウの毛長い眉毛を指先で摘まんで、手加減も無く引っ張った。
「誰が虫のような眉毛だっ、気色悪い! 立派で雄々しいと言え! この蛸っぱちが!」
トウシロウは、掴んでいる手に更に力を籠めるとモミジの頬骨辺りから、ミシッ……と危うい音が鳴った。
「あ、赤獅子様! 落ち着いて下さいませ! 今『ミシッ』て、『ミシッ』て聞こえました! モミジさんも、そんなに赤獅子様のゲ……眉毛を引っ張ったら抜けてしまいます!」
ミモリは何とか「ゲジ眉」と言う言葉を飲み込み、師弟の稚拙な争いを止めようとした。外で見守っていた村民達は、英雄とその弟子の子供のような喧嘩に、酒も入ってか笑い声を上げた。
そんな中、コトリは、モミジとトウシロウの姿を酷く冷めた目で見詰めていた。
宴も終わり、モミジとトウシロウは鹿養家の屋敷を後にした。当初は、泊り部屋も屋敷で用意してくれる話があったが、モミジ達が村に訪れた際に真っ先に旅籠で部屋を確保していたので、有難い事ではあったが断った。
旅籠で確保した客室は二部屋。二階にあるその客室の一室の前にモミジは立ち、扉の取手に手を掛けた。
「モミジ」
だが、部屋に扉を開ける直前に、隣の客室に入ろうとしているトウシロウに呼び止められた。
「はい、お師匠様」
「穢れは?」
「……問題ないです」
モミジが思わず間を置いて答えると、トウシロウは溜息を吐いた。
「ちょっとこっち来い」
そう言ってトウシロウは、自分に宛がわれた客室に入って行った。
モミジは、心臓がじくりとうねり、背筋に汗が伝うのを感じた。部屋の中から「早く来い」と促され、モミジも扉を潜った。薄闇の中、寝台に腰かけているトウシロウの姿が、窓から差し込む月明りで良く見えた。
「扉を閉めて、こっちに来い」
モミジは言われた通りに扉を閉め、歩を進めてトウシロウの前に立った。
「手を出せ」
トウシロウは己の両手を差し出して、言った。
モミジは少し躊躇いを見せたが、観念して両の手をトウシロウの手に重ねた。間もなく、二人の手の温度が交じり合うと、トウシロウはチッと舌打ちをした。
「馬鹿弟子がっ。少し箍が外れかかってる」
「申し訳、ありません……」
モミジが頭を下げると、トウシロウは重ねていたモミジの手を掴んで引っ張った。モミジは体幹を崩し、寝台に膝を着いてトウシロウの体に乗り上げた。その際、再び付け直していた退魔の面を、トウシロウが乱暴に外して寝台に放った。
「お師匠様っ――」
「口を開けろ」
トウシロウはモミジの顎を捕らえ、そう命じた。
トウシロウの苛立った目が間近にあった。モミジは一瞬怯むが、その金色を帯びた鳶色の目に軽蔑の色が滲んでいない事を知り、少しだけ安心した。
モミジは師の命令に従って、その小さい口を薄く開いた。そこへ、トウシロウの唇がそっと重なった。モミジの肩が小さく震える。トウシロウは、モミジの顎を捕らえていた手を後頭部へ回し、更に深く重ね……――彼女の内へと流し込んでいった。
「……モミジ」
重なった唇が離れ、モミジがハァっと短く息を吐くと、トウシロウはその両頬に手を添えた。
「心を静めろ」
赤い獅子が言う。
「悪意に呑まれるな」
静かに、そして真摯に言い聞かせる師の手に、モミジはそっと触れた。
「はい、お師匠様」
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