第七話 冷めた宴(一)


 モミジ達が行商人達が開いてる市まで行くと、商人の中に錬金加工師がおり、その者に妖魔から採取した素材を売った。妖魔討伐の証明にもなる魔晶石も売ったが、依頼主である鹿養の署名の紙を報告書と共に集会所に提出すれば受理されるので問題は無い。


 日が沈んだ頃、モミジ達は再び鹿養家の屋敷へ戻っていた。有難い事に、トウシロウとモミジの為に屋敷の敷地内で宴を催してくれるようだ。料理は鹿養の妻であるトモエと女衆が拵え、更にはモミジ達が泊まる旅籠の亭主や近所に住む村民が料理を持ち寄って来てくれた。


 宴に集まった村民達は、もう妖魔に脅かされる事が無い事に喜び、更に、赤獅子と言う英雄が村に訪れている事に心は躍って、今宵の宴はとても賑やかなもになると誰もが思った。


 しかし——。


「庶民の方々は賑やかですこと」


 邸宅の外で宴に盛り上がる村民達に、コトリはちらりと目を遣った。


「大きな声で騒いで、少々品に欠けますわ。わたくし達のような貴人や赤獅子様の前だと言うのに、如何なもなのかしら」


「全く、コトリ様の言う通りですわ。もう少し雅に振舞えないのでしょうか」


「これこれ、コトリにカヨ嬢。あまり悪辣に言うものではないよ」


 どういう訳か、イナノホリ領主代理の渡守と娘のコトリにカヨが、無理矢理に宴へと参加したのだった。参加しておきながら令嬢達は、やれ料理の味付けが良くない、やれ調度品が良くないと、事あるごとに宴に難癖を付けた。それを、渡守はやんわりと注意するだけで、楽しくなるはずの宴はすっかり白けていた。


 本当であれば、気安く堅苦しい事を望まない英雄達の希望もあって、屋外で何枚かの敷物の上で誰かれ構わずに自由に腰を下ろし、赤獅子自らの英雄譚を拝聴しながら酒と料理を楽しめるように催されるはずであった。しかし、渡守達が「庶民と入り混じるなんて……」と横槍があった為、急遽、縁側続きとなる室内にお膳と座布団を用意し、そこに渡守父娘とカヨ、鹿養一家、トウシロウとモミジが席に着く事となり、村民達とは空間を切り離して宴を開く事となった。


「ところで、お父様? 今日は復旧作業中の橋を視察に行くはずだったのでは?」


「ミヨコに任せてきたよ」


「あぁ、あの後妻の方に」


 コトリは煩わしそうに目を細めた。


「ねぇ、お父様。あの方がお父様の元に嫁がれてから、お買い物も満足出来ませんのよ。この間だって、今身に付けてるお飾りしか購入出来なかったのよ? 何とか黙らせて下さいな」


「まぁまぁ。ミヨコは頭は固いが、仕事が良く出来る。機嫌を損ねて仕事を放棄されても困るのだよ。今度また、ミヨコが視察で出掛ける隙に、こっそり宝石商を呼んであげるからな」


 モミジは、うっかりと渡守父娘の会話に聞き耳立ててしまい、嫌な気分になってしまった。氏名を持つ貴人が、領主代理としての責任を全うせず、娘を甘やかし、金遣いが荒いときた。娘もそれを当然の権利のように主張している。慎ましく責任感の強い鹿養家父娘とは、えらい違いだ。


「でも確かに、アレは見目はまずまずなんだが、少々口うるさい。やはり女は、トモエ殿のような気立ての良い女が良いなぁ?」


 そう言って渡守は、酌をしに来た鹿養の妻であるトモエの肩に手を回した。にやにやとする渡守に、トモエは苦笑してやんわりと肩に置かれた肉厚の手をどかした。


「渡守殿、戯れも程々にして頂きたい」


 トモエの夫である鹿養は、当然ながら眉を潜めて渡守を窘めた。先程からも、酒を運ぶ女衆の手を握ったりと、渡守は女にだらしがなかった。


「鹿養殿、そう目くじら立てんでくれ。どうにも花を愛でずにはいられない性分でな。それとも……支援金を渋った事を、根に持っているのかね?」


 凄む鹿養に、渡守は困ったように首を傾げて見せた。


「だが、支援金が無くても、こうして赤獅子殿がお越し下さったんだ。妖魔被害が治まって、何よりではないか」


「支援金どころか、援兵の要請にも応じてくれず、霊剋薬れいこくやくすらもそちらで買い占められたであろう」


「妖魔が現れたんだ。自衛を強化して何が悪いのかね? イナノホリ領の中心部である領都を堅固にするのは当然の事。それに『守』の位を持つ者として、何かと金が掛かるのだよ。分かってくれないかね?」


「また馬車が一新されて随分と豪華になったようですが、それは必要な事ですかな……」


「鹿養殿……、そう意地の悪い事を言わんでくれ。貴殿のような庶民に近しい身分の者には分からんだろうが、『守』ぐらいの身分にもなると、面子というものがあるのだよ。貧相な成りをする訳にはいかん。領主代理としての必要経費だよ」


 渡守は困った顔をして、宥めるように言った。そんな渡守の態度に、鹿養はひどく疲れた顔を見せた。


 苦言を呈しても暖簾に腕押し状態で、まるで話が通じず、本人は悪気も悪意もないようだ。渡守と言う男は、欲深い悪徳領主と言うより、欲深い能無し領主であった。


「赤獅子様、お注ぎ致しますわ」


「結構だ。手酌の方が好みなんでな」


 銚子を手に持ったコトリが、酌をしようとトウシロウへとにじり寄って行ったが、さくっと断られていた。自分で酒を注ぐトウシロウに、コトリは「んもぅ、つれませんわ」と頬を膨らませた。冷たくあしらわれているのにも関わらず、それでもコトリは、トウシロウの元から離れようとしなかった。


「モミジさん、お酒は苦手ですか?」


 あまり酒が進んでいないモミジに気付いたミモリが、そっと声を掛けてきた。


「苦手ではないのですけど、今日はあまり進まなくて」


「では、果実水はいかがですか? 濃厚な物と爽やかな物が有りますが、どちらにします?」


「ありがとうございます。では、爽やかな方で」


 モミジがそう言うと、ミモリは縁側の外に向かって声を掛けた。そうすると、ヨシノリが果実水の入った水差しを持って縁側に寄ってきた。


「どうぞ、ミモリさん」


「ありがとう」


 ミモリが、ヨシノリから水差しを受け取ろうとした所に、「そう言えば、ミモリさん――」と、コトリから声を掛けられた。


「——貴女の婚約者様は、お元気?」


 チャプッ――と、ミモリが手にした水差しから果実水が跳ね、縁側にポタポタと零れ落ちた。一瞬、ミモリは眉間に深い皺を刻んだ。それでも何とか平静を取り戻したのか、ミモリは澄ました顔をしてコトリに向き合った。


「……えぇ。もうじき退院して、村に戻って来きます」


「そう。それは良かったわ。確か、隣町にある病院に入院しているのよね? わたくし、心配しておりましたのよ?」


 にこっと、コトリは微笑んだ。しかし、その笑みはどこか白々しく見えた。


 すると、ガタンッと、ヨシノリが乗り込む勢いで縁側に片足を引っ掻けた。


「よくもそんな事を……っ!」


 ヨシノリの顔には、はっきりと怒りが込められており、その感情はコトリに向けられていた。


 突然と荒ぶるヨシノリに、周りの人間は息を飲んだ。


「ヨシノリ! 止めなさいっ、下がって!」


 ミモリがヨシノリの肩を押さえ、屋外の宴席に戻るように促した。屋外にいる他の村民達もヨシノリの体を押さえに掛かり、外へ引き摺っていった。


 モミジは、ヨシノリが昼間に見せた溌剌とした笑みが印象に残っていた。それ故に、彼の荒れた姿にモミジは驚いた。


「村の者が、申し訳ありません」


「いやいや構わんよ。宴には、一人や二人ぐらいの粗忽者が紛れているものだよ」


 鹿養が、トウシロウとモミジ、渡守達に謝罪した。それを渡守は気にせず、宴には付き物と言う風にあっけらかんとしていた。


「先程の庶民の方、何かあって?」


 コトリは何故か面白げな顔をして、苦々しい表情を浮かべるミモリに尋ねた。


「あの者は、彼の従兄弟なのもので……」


「あらあら、それはさぞかし心配だったでしょうに」


 コトリはそう言って、わざとらしく眉尻を下げた。


「でも心配するのなら、彼を隣町の病院ではなく、領都の設備が整った大きな病院で入院させた方が宜しかったのではなくて? そうしたら、わたくしも毎日お見舞いに参れましたのに」


 コトリは、くすくすと挑発するような笑みをミモリに向けた。だが、ミモリは冷静な態度でいた。


「重傷でしたので、一刻も早く、近くの病院で治療してもらいたかったのです。とても領都までは運べませんでした」


「そうなの。なら、仕方ないですわね」


 挑発に乗ってこないミモリに、コトリは興味を失せたように、すんとした。ミモリもコトリから目線を外し、モミジに果実水の入った水差しを持って来た。


「どうぞ、モミジさん」


「ありがとうございます」


 モミジは、水呑に注がれた果実水を一口飲んだ。甘酸っぱい柑橘系の果実水は、確かに爽やかで美味しい物であったが、どこか喉に引っ掛かっかる思いをした。


「ねぇ、そこの貴女?」


 声を掛けられたのが自分だと感じたモミジは、手元の水呑から目線を上げた。そうすると、トウシロウの隣に座るコトリが、モミジに目を向けていた。


「貴女、ずっとその仮面を付けたままですけど、せっかくの宴の席よ? そんな恐ろし気な仮面なんて外してはどうかしら?」


 確かにモミジが装着している退魔の面具は、コトリが口に出す程には目を引く代物であった。しかし、退魔士であれば、面妖な装飾具を身に付けるのは珍しい事ではない。モミジは面具を外すのを渋った。


「ご気分を害されたのなら、申し訳ございません。しかし──」


 拒否して向こうが渋れば宴の席を辞去しようと、モミジは考慮した。だが、モミジが言い切る前に、邪魔が入った。もう一人の令嬢であるカヨが、モミジの後ろに回り込んでいた。


「そのままでは、お料理も食べ辛いでしょう? 私が外して差し上げあげますわ」


 カヨがモミジの断りも無く、面具の紐に手を掛けた。カヨの突拍子もない行動に、モミジは驚いて止めようとしたが、水呑を手にしたままだったので叶わなかった。


 紐は解かれてしまい、面具がモミジの膝の上に落ちていった。

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