第六話 氏名を持つ者(二)
獣型の妖魔が潜んでいた森を抜けると、カシヤミ村ののどかな田園風景が広がった。青々と美しい光景の中、端にある農地が二面分、そこだけ剥げたかのように茶色い土がぽつぽつと目立っていた。そこを妖獣が荒らしていたようで、囲いとなっていた土嚢が崩れており、村の者達がせっせと新しく土嚢を積み直していた。
「領主代理のご令嬢ですか……」
カシヤミ村へ戻る間、モミジは自分がいない間に何があったのかを尋ねていた。
「そして、隣を歩いているご令嬢が、隆成カホ様です」
ミモリが言った。
モミジは、前を歩く師の背中とその集団に目を遣った。トウシロウの声は微かに聞こえるが、令嬢達のはしゃぐ声はよく聞こえた。
「赤獅子様は、三度目の百鬼夜行の防衛に尽力された功績で、英雄の称号とその証たる
「まぁ……」
「氏名を名乗りませんの? 貴人として振舞えますし、何より『護』は『衛』と同等の位ですわ。領地もきっと潤沢な土地を授けて下さるはずですわよ?」
「粗野な自分に務まるとは思わん……」
「まぁ、慎ましい方なのね! わたくし、直に赤獅子様に合うまでは、失礼ながら無骨な殿方を想像しておりましの。でも実際は、美丈夫で素敵な殿方だったので、コトリは驚きましたわ! ねぇ、カホさん?」
「はい、コトリ様!」
興奮を隠せない令嬢達に対し、淡々と受け答えをするトウシロウの背中を見て、モミジは苦笑した。
「あのお二人はご友人だと聞きましたが、カホ様はコトリ様に対して、何と言うか……低姿勢ですね」
モミジは前方に気を遣りつつ小声で言うと、ミモリは気まずそうにした。
「それは……カホ様のご実家が経営する事業に、コトリ様のお父上様から資金援助があったようで……」
「そうですか……」
要は、コトリの父親が金主なので、カヨはへりくだっていると言う事であろう。そこでふと、モミジは疑問に思った。
「しかし、お金を融通出来ると言う事は、イナノホリ領の資金は潤沢と言う事ですよね? 今回の妖魔被害に関しての支援金は……?」
モミジは怪訝に思って尋ねると、ミモリが苦々しい表情を浮かべた。
「現領主――渡守ショウゾウ殿なら、快く支援して下さったでしょうな」
モミジ達の前を歩く鹿養が言った。
「領主代理を任された現領主の子息――渡守コウジ殿は、領主の在り方や領地を運営するという事を、少々誠意的ではい無いようで……」
後ろを歩いているモミジには見えないが、隣を歩くミモリと同様に、鹿養も苦い顔をしているであろう事が分かった。
「今代の領主様は?」
「お体を壊されて、療養中です」
「お労しいですね」
「全くです」
「ところで、お嬢様方の馬車はどちらにあるのでしょう? 我が師から不穏な気配を立ち上っていて、気が気でないのですが……」
高揚していく令嬢達に対して、段々と冷めていくトウシロウの背からは、明らかに不機嫌なものが放たれつつあるのを、モミジは肌で感じていた。
「きっと鹿養様の屋敷の前に、留めてあると思いますよ」
鹿養の横を歩く若者が言った。コトリ達を、トウシロウ達の元へと案内した人物だ。
「あの方々の馬車はとても立派で、村の中を通り抜く事が出来ませんので」
若者の「とても立派」と言う言葉には、皮肉っぽさが紛れていた。
「全く……、妖魔が現れて村が大変だって時に……っ」
「すみません、ヨシノリさん。お忙しいところを、師の荷物まで運んで頂きまして……」
「え!? あ、いえいえ! お気遣いなく!」
モミジが申し訳なく言うと、ヨシノリと言う若者は慌てて振り返った。ヨシノリは、トウシロウの背嚢と妖魔から採取した素材も運んで貰っているが、彼は何て事も無いと言う風に、ブンブンと手を横に振った。
「領主代理のご令嬢らを案内するより、英雄である赤獅子様の荷物を運ぶ方がよっぽど有意義ですよ!」
ヨシノリは、にっと笑って見せた。ヨシノリは日に焼けているので、笑んだ口から見えた歯がとても輝いて見えた。
鹿養父娘やヨシノリの様子からして、領主代理と令嬢達の評判は悪いようで、モミジは嘆息を漏らしそうになった。
そう話しているうちに、田園を抜けて行商人達の荷台や民家を通って行くと、鹿養家の屋敷が見えてきた。横に広がる黒い大屋根が特徴的で、昔ながらの設計だが古臭くは無く近代的で落ち着いた雰囲気のある外観だ。その清閑な屋敷の前に、不似合いな豪華な馬車が停まっていた。ヨシノリが言っていた通り、大きく小回りが利かなそうな馬車だ。しかし、大きく派手な馬車は一台では無く二台もあり、馬に乗ったままの兵士もいた。今しがた、誰かが馬車に乗ってやって来たようだ。
「どなたか、馬車から出てきましたね」
兵士を引き連れた馬車の扉が開くと、腹がでっぷりと肥えた中年の男が、偉そうにふんぞり返って出てきた。
帽子を被り、外套には宝石があしらわれ、太い指にも大きな宝石が付いた指輪を嵌めており、仕立ての良い洋装を着用して、革靴はぴかぴかと光っている。男は、この場にいる誰よりも豪華だが、品性がいやしくもあった。
「あら、お父様。何故こちらに?」
すると、コトリがきょとんとして言った。
コトリに「お父様」と呼ばれた男は、トウシロウに横抱きされたコトリを見て、ぎょっとした。
「なっ!? 一体どうしたんだい、コトリ!」
男は大きな腹を揺らして、コトリの元へ駆け寄り、コトリを横抱きしているトウシロウを不審な目で見た。
「……何だね、君は」
男は高圧的に物を言うが、トウシロウは全く意に介さずにいた。
「お父様、こちらは英雄たる赤獅子様です。わたくしが足を痛めてしまった所に、こうして赤獅子様にお助け下さいましたの」
コトリはトウシロウの顔をじっと眺め、うっとりと頬を赤く染めた。
「何と! 貴殿が赤獅子殿でありますか!」
コトリの父親は「赤獅子」と名を聞くと、攻撃的な態度を一瞬にして崩した。
「私は、イナノホリ領主代理を務めております、渡守コウジと申します。この辺鄙な村に、英雄たる赤獅子殿がいらっしゃると聞いて、こうしてご挨拶に参りました――が、いやはや、娘がご迷惑をお掛けしてしまったようで、申し訳ないっ」
先程の高圧的な態度は何処へやら……、渡守はへこへことトウシロウにへりくだった。そんな渡守を見て、トウシロウは内心で呆れているようだ。
「謝罪は結構だ、渡守殿。それよりも、ご息女を引き取ってくれまいか? 怪我をしているらしいから、さっさと病院にでも連れて行ってやれ」
早くこの茶番から解放されたいトウシロウは、面倒そうに言った。
「はい! 後はこちらに——」
「嫌よ!」
コトリは叫び、トウシロウの首に腕を巻き付けた。
「赤獅子様、このままお別れするのは悲しいです。どうかこのまま、渡守家の屋敷まで連れて行って下さいな」
「コトリ! 赤獅子殿にそこまでご迷惑をかけては……っ」
「ねぇ赤獅子、宜しいでしょ?」
何が宜しいのか、コトリは父親を無視して我が儘を言いだした。トウシロウの毛長い眉がぴくぴくと痙攣する。トウシロウの機嫌が急降下していくのを感じたのか、あわあわとする父親に対して、娘の方は全く空気が読めていないようであった。
そんな混沌とした温度差の中、モミジはトウシロウ達の元へ行き、コトリを見据えた。
「……何ですの?」
コトリは、面具の奥から己を無遠慮に見詰めてくるモミジに、嫌悪の目を向けた。
「いえ、先程お嬢様のスカートの中に、何かが飛んで入ったように見えて……蜂、でしょうか?」
モミジは、こてんっと首を傾げながら言った。すると、コトリがガバッと、トウシロウの腕から慌てて体を起こし、地面に足を着けた。
「何処っ!? 何処よ、蜂っ! まだいるのっ!? 刺されてないっ!?」
コトリはスカートの裾を掴むと、バサバサと狂ったようにスカートをはためかせた。
「あ、すみません。どうやら、私の勘違いのようです」
モミジは大騒ぎするコトリをしばらく静観した後、事も無げに言った。
それを耳にしたコトリはぴたっと止まり、帽子から覗く額に青筋を浮かべてモミジをぎらっと睨んだ。
「あなた……っ、ふざけた事言ってんじゃないわよ!」
「申し訳御座いませんでした。ところで……、足は大丈夫なのですか?」
「へ?」
足を痛めていたはずのコトリは、しっかりと大地に足をつけていた。周りの人間は、足に怪我をしたはずのコトリが、スカートの裾を持って狂暴化した様を見て、呆気に取られていた。
「どうやら怪我もなく、痛みも引いたようですね。大事無くて良かったです」
モミジが無感情に言うと、コトリは顔を赤く沸騰させてぷるぷると体を震えさせた。
「さて、採取した素材はどうしましょうか。この村に、素材を買い取って頂けるお店はありますか?」
そんなコトリを無視し、モミジはミモリに向かって尋ねた。
「それなら、行商の方に行けば買い取ってもらえますよ」
「では、参りましょうか。お師匠様も、荷物を持ってくれませんか? ヨシノリさんが、お師匠様の背嚢を背負ってくれていたのですよ」
トウシロウは、解放された腕をぷらぷらと振るって、ヨシノリから自分の背嚢を受け取った。
「悪かったな、ヨシノリ殿」
「いえいえいえいえっ! 俺は只の一般庶民でっ! 『殿』なんて敬称はいらんのですますよっ!? 赤獅子様も、お疲れ様でした!」
英雄に声を掛けられて、ヨシノリは顔を真っ赤にして慌てふためいた。
ここでヨシノリと別れるかと思いきや、鹿養が自分で運んでいた素材の荷物をヨシノリに預けた。鹿養は村の長として、さすがに領主代理を放ったらかしにする訳にはいかず、渡守とコトリ達をもてなすようだ。
そうして、モミジ達は、コトリや渡守達を鹿養に任せ、行商人達が店を開いている広場まで引き返しに行った。
「蜂、か……」
トウシロウは「くっくっくっ……」と、小さく笑っていた。
「どうしました?」
「いやなに、良い意趣返しだったぞ。さすが、俺の愛弟子」
「何の事でしょうか?」
モミジは、スカートをはためかすご令嬢の姿を思い出しつつも、面具の奥で、何食わぬ顔をしてとぼけていた。
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