第二話 退魔組合集会所(一)


 ミナノモリの街——。


 山と海に囲まれたその街は、漁業と交易が盛んであり、山々から流れる山水で水が豊かだ。またその街は、漁業組合、商業組合などの、それぞれの組合の代表者が共同で街の運営を担う国の直轄領地であった。


 集落がぽつぽつと見える平原の田舎道から大きな街道に突き当って進んで行くと、山から流れる川とその上に架かる橋が見える。そこを渡れば、外郭と門が待ち構えており、門番が行商人や旅人の検問をしていた。


「お帰りさない! トウシロウ様、モミジさん!」


 槍を持った門番が、モミジと彼女の師——トウシロウに向かって、気さくに出迎えの挨拶をした。


「妖魔討伐の方は首尾よく?」


「当然」


 トウシロウは、得意げに門番に答えた。


「流石! 赤獅子と謳われる英雄に、そのお弟子さんだ!」


 門番は、きらきらと熱を込めた目をトウシロウとモミジに向けた。


 ——英雄の弟子……。


 門番の賛辞の言葉に対し、モミジは面具の下でばつの悪い顔をした。


「これから集会所ですよね? 今日の獅子のたてがみ亭の定食、アジフライでしたよ! どうぞ、ゆっくり休んで下さい!」


 元気の良い門番と別れて、モミジとトウシロウは門を潜って街へ入った。一度ひとたび街に足を踏み入れると、行き通う人々の騒音が空気中にこだましていた。交易が盛んな街なので、人の波が多い。異国の服を纏った人間もいれば、頭頂部に獣の耳を生やした種族もちらほらといた。中心街では、商店や市場があるので、もっと人の波が激しい事だろう。


 モミジとトウシロウは、中心街よりも南側に逸れて街を進んだ。瓦屋根の家屋、長屋、商店などを抜けて、水路を渡れば、旅籠屋のような大きな建造物が見えてきた。


 一階部分に掛けられた屋根看板には、「獅子の鬣亭」と「退魔組合集会所」と記されている。退魔士や傭兵などが集う集会所だ。


 一階は組合集会所で、二階は食事処、三階部分が宿泊部屋となっている。退魔組合集会所には、遠方から派遣される退魔師や渡り者などが訪れる為、殆んどの集会所で旅亭が併設されていた。


 一階の目立つ大きな観音開きの扉は開きっぱなしで、中から聞こえる声の数々は喧しく、武具を身に纏った人間が出入りする度に、暖簾がはためいていた。


 二階には広い露台があり、景色を眺めながら食事を楽しめるように椅子と食卓が並んでおり、開かれた窓から食欲を唆る匂いが漂って、道行く人の腹を鳴らした。直接、食事処へ足を運べるよう外階段もあり、そこが食事処だと分かりやすいように「獅子の鬣亭」とだけ記した袖看板も備え付けられていた。


「お帰り! トウシロウ君! モミジちゃん!」


 そこへ、前掛けを掛けた気っ風が良い女性が、露台からモミジ達に声を掛けてきた。獅子の鬣亭の女将だ。


「ただいま、オミツさん」


「ただいま戻りました」


 トウシロウが笑顔で答え、モミジも会釈をした。


「報告が済んだら、うちに寄っていくかい?」


「あぁ。今日の定食は鯵フライだろ? 二人分頼むよ。そこから漂ってくる匂いを嗅いだら、余計に腹減ってきた」


 オミツは、「ははっ」と笑うと大きく頷いた。


「大きい鯵、取っといてやるよ!」


 そう言って、女将は露台から引っ込んで店内に戻った。


「とっとと済ませて、飯にしよう」


 腹を手で摩るトウシロウは、早く食事にありつけるように集会所の中へ入って行き、モミジもその後に続いた。


 集会所の中は、記載台、待ち合い椅子、奥には通路を挟んだ受付台とあって、銀行や郵便局と似ている。違いがあるとすれば、獅子の鬣亭へ続く階段と、壁に掛けられた掲示板に難易度によって割り振られた依頼書、そして行き来する人々の物々しい雰囲気だ。


「お、トウシロウだ」


「こんにちは、赤獅子殿」


「お疲れ様です、トウシロウ様!」


 集会所に入ると、依頼書を見比べて検討する者や記載台で報告書にペンを走らせる者、集会所の職員など、次々とトウシロウに声を掛けていった。


「あの……もしかして、トウシロウ様ですか⁉ 赤獅子の通り名で有名の! 特級退魔士の!」


 今度は装備からして駆け出しの女傭兵が、トウシロウに話し掛けた。その彼女の後ろにも女が二人おり、そわそわとトウシロウを見詰めていた。トウシロウが「あぁ」と頷くと、「キャー!」と女傭兵は黄色い声を上げ、後ろにいた二人と共にトウシロウを囲んだ。


「トウシロウ様の数々の武勇伝、耳にしていますぅ!」


「過去三度も百鬼夜行の防衛に御尽力し、英雄の称号を得られたと!」


「特に、四年前の百鬼夜行での御活躍が明るく――」


 トウシロウを囲む女達は、うっとりと興奮気味に捲し立てた。


 このように、女傭兵達が騒ぎ立てる程に、トウシロウは英雄として有名人であった。


 よく目にする光景に、モミジは女達に囲まれた師を放って記載台に移動した。備え付けられた報告書の用紙とペンを取り、モミジは今回討伐した妖魔の詳細を記していった。それが終わると、次に受付台に向かった。


 受付台には、調査・採取・討伐依頼などを申請する一番と二番の窓口、依頼の受注・報告の受付をする三番から五番の窓口、採取した素材の鑑定をする六番から九番の窓口、昇格の申請や身分証を登録する十番の窓口がある。


 モミジは、人の列が空いている五番の窓口に向かった。そこで待ち札を取ろうとしたら、すぐ横で男の凄む声が聞こえた。


「何が問題だって⁉」


 仕切りがある事をいい事に、ガラの悪い退魔士らしき男が受付の女性職員を睨み付けていた。


「一級退魔士である俺様が持ってきた魔晶石に、何の不備があるってんだ!」


 男は殴り掛かる勢いで、女性職員に腕に嵌めてある腕輪を見せた。鈍く虹色の光を反射する赤銅色の腕輪は、その者の等級を示す認識票だ。男の嵌めた腕輪には一級を示す橙色の石が付いていた。


 女性職員は、男の腕が勢いよく顔面に突き付けられたせいで、びくっと肩を震わせた。青い顔をして震える女性職員の腕には、研修中の腕章が付いていた。


「も、申し訳ありません。しかし、貴方が提出された報告書と討伐対象の妖魔から生成された魔晶石の波動が、その、一致しなくてですね、念の為に上の者に再鑑定を——」


「ごちゃごちゃ言ってねぇで、とっとと報酬を寄越せ!」


 新人職員の聞く耳を持たない男は、尚も凄んだ。そこへ――。


「失礼します」


 モミジが男と新人職員の間に入った。


「何だ、お前? まだこっちは取り込み中だ! 割り込んでんじゃねぇよ!」


 男は椅子から立ち上がってモミジに怒鳴るが、モミジは御構い無しに男の提出した報告書と魔晶石を手に取り、見比べた。


「……そちらの方、谷に出現した妖鳥類の妖魔の討伐を?」


「あぁ? それが何だってんだ?」


 モミジの問いに、男はふんぞり返って肯定した。


「なら不思議ですね。貴方が提出された魔晶石の波動から、草と土の気——草原が見えます」


 モミジは魔晶石を掌で転がしながら言うと、男は「はぁ?」と間抜けな声を出した。


「それに、この魔晶石は妖鳥から生成された物では無いです。妖蟲です」


 更にモミジが毅然とした態度で言うと、男の目がきょろきょろと泳ぎだした。


「しかもこの魔晶石、全く浄化処理がされていません。一級の退魔士なら、こんな雑な仕事はしません。……貴方、本当に一級ですか?」


 モミジがそう詰め寄ると、男はだらだらと脂汗を流していた。


「腕輪の裏側には、所持者の名前などが記されています。外して見せてもら――」


「で、出鱈目言ってんじゃねぇぞ! この仮面野郎が!」


 男はモミジに目掛けて拳を掲げ、殴り掛かった。しかし、その拳が振り下ろされる前に、男の腕が何者かに掴まれた。


「うちの弟子に何の用だ?」


 トウシロウだ。


「お師匠様。この人、詐欺師です」


 モミジはすかさず、トウシロウに男が不届き者である事を告げた。


 それを聞いたトウシロウは、掴んでいた男の腕を遠慮無く捻り上げた。


「いてでででっ! て、てめぇ、何しやがる!」


「先に手を出そうとしたのはお前だろうが。それに、詐欺師なら見逃す訳にはいかないしな」


「そ、それは、あの仮面野郎がいい加減な事を言っているだけだ!」


「あと、盗みの疑いもあります」


 モミジがしれっと言った。


「てめぇぇっ!」


「何の騒ぎだ」


 そこへ、バァンッと乱暴に扉が開く音と共に、男の胴間声が集会所に響き渡った。

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