第四話 海の見える露台


 退魔組合集会所は高台の位置にあり、その二階に構える獅子の鬣亭は、海が良く見えた。


 西側の露台から見える海は、青々としており、傾き始めた太陽の光を反射してきらきらと輝いていた。露台からの眺めは良く、風も気持ちが良い。心地の良い午後であった。


「すみません、お師匠様」


 しかし、良い天気とは裏腹に、モミジは少々沈んだ声音を漏らした。


「どうした? 藪から棒に」


 モミジの向かい側に座るトウシロウは、怪訝な顔をした。


 二人は、獅子の鬣亭の露台にある食卓の席に着いていた。座った位置は、隅の方で間仕切りもあり、周りを気にせずに食事が出来る席だ。


「私の事で、タツシゲ様から苦言を呈されていましたよね?」


「聞こえてたのか?」


「いえ、何となくといった感じで……」


 モミジは受付台から離れた後、トウシロウとタツシゲが、ちらちらと自分に目を遣って話している事に気付いていた。


「私が不甲斐無いばかりに、師であり、英雄である貴方様に泥を塗るばかりで、申し訳御座いません」


 英雄と敬われるトウシロウの弟子である自分は、三級止まりの力量しかない——。


 先程、トウシロウに纏わり付いていた女傭兵達が、モミジの三級を表す緑色の石が付いた腕輪を見て、納得のいかないような顔をしていた。それに対してモミジは、悔しいという気持ちよりも、己を卑下した。


 モミジは、師であるトウシロウに頭を下げた。すると、向かい側から盛大な溜め息がモミジの耳に聞こえてきた。


「別に俺は、お前に一級以上の力量は求めていない。出来ることをやればいい」


 トウシロウは「それに——」と、声を落として言った。


「——お前が俺の弟子として、退魔士でいる方が好都合だという事を、お前自身、理解しているな?」


 トウシロウは、じっとモミジを見詰めた。その眼差しは、とても鋭いものであり、モミジはぎくりとした。


 それは四年前、トウシロウの弟子となった日にモミジが決断した事だった。どんなに浅ましく惨めでも、トウシロウの元で退魔士になる事——それがモミジにとって、唯一の選択であった。


「……はい」


 モミジは頷き、小さく言葉を返した。


「はいよ、お待ちどうさん!」


 そこへ、料理を乗せた盆を二人分、両手に掲げた女将のオミツが現れた。


「うちの旦那、また何か余計な事を言ったのかい?」


 オミツの「旦那」というのは、タツシゲの事を指していた。


「いつものお節介だよ」


 トウシロウがそう言うと、オミツは「全く……」と、自分の夫であるタツシゲに対して肩を竦めた。


「ごめんねぇ、モミジちゃん。あれで一応、悪気無いんだよ」


 オミツは盆を食卓に置くと、モミジに向かって弓なりの眉を下げて見せた。


「はい。タツシゲ様が、私と師の事を心配して下さっている事は、承知しております」


「いらねぇ心配だ」


 気遣うモミジに対して、トウシロウはぶっきらぼうに言った。それを、今度はモミジが咎め始めた。


「お師匠様は、皇帝陛下から英雄の称号である『護』を賜れたのです。私が言うのも何ですが、不甲斐ない弟子を持った事で、不名誉な言い掛かりをつけられる可能性も有り得るのですよ。お師匠様はもう少し、周りの目を気にされた方がいいです」


「お節介がここにもいたか」


 トウシロウは、モミジに向かって呆れた顔をした。


「地位やら名誉やら興味ねぇよ。英雄なんて称号は、俺の分もタツシゲ団長殿にでも背負ってもらえばいい」


「うちの旦那は、トウシロウ君に押し付けたがっていたわ」


「組合の団長が何言ってんだが」


 トウシロウがそう言うと、オミツはくすくすと笑った。


「二人のそういうところ、兄弟弟子って感じだわ」


「止してくれよ、オミツさん。あんなゴリラと一緒にしないでくれ」


「お師匠様っ」


 トウシロウとタツシゲは、同じ師の元で修行した仲であった。とは言え、タツシゲの妻であるオミツを目の前にして何て事を言うのかと、モミジは慌てた。けれど、オミツは全く気にせずに、「ハハハッ!」と声を上げて笑っていた。


「とにかく、余計な口出しをしないよう、後で私がキツく言っとくよ!」


 そう言って、オミツは屋内へ引っ込んで行った。


「タツシゲ様、大丈夫でしょうか。前にもオミツさんに窘められて、かなりへこんでいましたよね」


 モミジは以前、オミツに説教されて憔悴しきったタツシゲの事を思い出し、彼の心身を心配をした。


「あのゴリラ団長も、そろそろ懲りるんじゃないか?」


「またそんな事を……」


「お、旨そう」


 師の毒のある言動を咎めようとしたモミジを無視し、トウシロウは運ばれてきた料理に目を落とした。


 モミジは溜息を吐くが、トウシロウにつられて、盆の中に並べられた料理に目を遣った。


 一番目を引く主菜皿には、揚げたての大きな鯵のフライに、付け合わせの瑞々しく新鮮な千切りキャベツと赤茄子。二皿ある小鉢には、沢庵としば漬けの漬物と、豆と人参、蓮根などが加えられた彩りの良いひじきの煮物。湯気の立つ椀物は、豆腐とわかめの味噌汁。茶碗の中は、つやつやと米の粒が立った銀シャリだ。


「いただきます」


 トウシロウが両手を合わせた後、箸を持って食事に取り掛かった。


 モミジも手を合わせて、食事を始める。温かい味噌汁を一口飲んで体を温めると、まずはタレをかけずに熱々の鯵フライにかぶり付いた。ザクッと小気味良い音が鳴り、食感がとても良い。衣に覆われた鯵は肉厚でふっくらとしていて、魚独特の臭みは全くなかった。次にタレを掛けて食せば、甘辛いタレが鯵フライの旨味を更に引き立てた。少し口が油っぽくなると、シャキシャキとしたキャベツで口の中をさっぱりとさせた。いつもながら、オミツの作る料理は美味しいと感じながら、モミジは粒が立った米を嚙みしめた。


「それで、あとは何だ?」


 空腹が少し治まったのか、トウシロウは一旦箸を止めて、モミジをじっと見て言った。


「他にも気掛かりな事があるんだろう? 顔を見れば分かる」


「面はまだ、着けたままですが?」


 モミジは行儀よく箸を置いて言った。


「目と、蛸みたい口は見えてんぞ。あと、艶っぽいほくろも」


 トウシロウは、モミジのふっくらとした口の右下にあるほくろを指差した。


「止めて下さい、その言い方……」


「あ? 褒めてんだろうが」


「言い方が、その、……助平、です。あと、蛸は褒め言葉ではないです」


「よく特徴を捉えているだろうが」


 モミジはムッとした。


「そうでしょうか? ゲジ眉お師匠様」


「何だと、こら」


 トウシロウの毛長い眉が、ぴくぴくっと痙攣した。


 弟子と師の間に火花が散った――……が、不毛な争いはすぐに鎮火し、話を戻した。


「で、何だよ」


 トウシロウは、改めてモミジに尋ねた。


「実は、この依頼書が気になって……」


 モミジは、懐から依頼書を取り出した。先程、集会所の掲示板から剥がした依頼書で、それをトウシロウに渡した。


「イナノホリ領カシヤミ村……農村のからの妖魔討伐の依頼か」


 トウシロウは、依頼内容に目を走らせた。


「猪型の妖獣が数頭……の割には、報償額が低いな。割に合わない。農地に被害が起きたのなら、その土地の領主からの支援金があるはずだろ?」


「もしくは、支援されてその報酬額かもしれませんね」


 モミジがそう言うと、トウシロウは難しい顔をした。


 説教される、もしくは呆れられるだろうか……と思いつつも、モミジは口を開いた。


「多くの退魔師や傭兵から見れば、割に合わない仕事として受注されないでしょうね。……けれど、依頼された方にとっては深刻な問題です。しかも、支援金も儘ならないとなると、その村は困窮しているはずです」


 退魔士や傭兵にだって生活がある。しかも命懸けの仕事だ。甘い事などは言っていられない。けれど──。


「……分かったよ」


 モミジが頭を下げかけたところに、トウシロウは静かに言った。


「この依頼、引き受けよう」


「あ、有難う御座います、お師匠様」


「何でお前が礼を言うんだよ」


 思わず頭を下げて礼を言ったモミジに、トウシロウは苦笑した。


「次の仕事が決まったんだ。いい加減、飯に集中しよう」


 そう言うと、トウシロウは箸を持ち直した。


「その面も、今は外したらどうだ。只でさえ、蛸口で小さいんだ。食べづらいだろ」


「はい」


 蛸口は余計だと言いたいところだが、師の言う通り、モミジは美味しい食事に集中する事にした。


 モミジは後頭部に手を回し、面具の紐の結び目を、そっと解いた。

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