キュピタス星の死

 キュピタス星は、その可愛らしい名前に反して荒涼とした、ハザマラ銀河に属するラミナス恒星系の第3惑星である。

 たった一つの量子爆弾で全生態系を滅ぼされたこの惑星の調査を、私は連合から一任されていた。

「しっかし一人で行けとはね……」

 小型調査船のコックピットは、狭く無味乾燥としている。私はせめてもの慰めにと、故郷の沼地に生息するラオナスという小動物を連れてきていた。上には報告していないが、こういう星の調査は概して自由度が高い。見つかっても大した処罰はないだろう。人畜無害、天性の愛嬌、少ない消費量。これがこのコスパの良い生物の特徴だった。

「ほれほれ、クッキーを食え」

 細かく砕いたクッキーを手ずから食う灰色の生き物は、一通り食べ終えると、ふぅと息をついて黒目をぱちぱちと瞬かせ、ぴょんぴょんと飛び始めた。美味しかったと言いたいらしい。

「よしよし。今から着陸するから大人しくな」

 するとぴたりとジャンプを止めて私の腹の上に収まった。賢い生き物である。

 細かい逆噴射を繰り返し、キュピタス星の地表に着陸すると、私は宇宙服を着込んでエアロックを開けた。黒ぐろとした空に、灰褐色の砂漠。気が滅入る景観だ。紐で繋がった小動物がじりじりと後退したのがわかった。

「よしよしラオちゃん、こんな死星なんかさっさと捌いて帰ろうな」

 ハンディ型大気環境測定器は通常の数値。生き物が息をつける範囲内に収まっている。量子爆弾はその性質上、一切の環境汚染をしない。ただ生物が痕跡もなくバラバラの量子へと姿を変えるのみだ。殺戮兵器としては最も合理的で、最も虚無的な性質を持つ。

 ふいに、ラオナスが地表に顔を近づけ、鼻をひくひくしだした。

「どうした? ラオ」

 ラオナスはこちらに黒目がちな視線を寄越した後、私を引っ張りてくてくと歩きだした。

 調査期限は1日。調査すべきことは環境状態の把握だったが、先に無人探査機を飛ばしているおかげでそれは完了している。私がわざわざ来たのは、何かイレギュラーなことがないかの最終の目視確認のためだった。まぁ、こういうのも悪くはあるまい。

「散歩したいのか?」

 したいのならさせてやろう。きっとこの星には“あれ”以外何もない。


 歩いて数分、思いがけず目の前に現れた平たいそれは、恐らく真四角の碑だった。

 成分調査器を当てて調べてみると、どうやら黒曜石でできているらしい。

 表面に彫刻された文字に目を通す。

「なに……? フィーリア・スタニスワフ、ここに眠る、か」

 しかし、不思議な石碑である。普通なら、他にも同じような碑が周囲にありそうなものだが、見回したところそのような様子もない。珍しいタイプの墓地である。

《ようこそ、キュピタス星へ》

 突然鳴り響いた声に、私は思わず飛び上がった。

「な……! 誰だ!」

《私は人ではありません。この星の管理型AIです》

 最初の驚愕が収まると、人工知能ごときに驚かされたことに対する怒りが湧いてきた。

「なんだお前は。この俺を驚かせやがって」

《歓迎したまでですよ。そちらこそ、他惑星への侵入は銀河法で許されていないはずですが》

「うるせぇ。連合が許可したんだ、文句はねぇだろ。まさかAIが存在しているなんざ予想していなかったしな」

《はは、連合もその程度の探査能力なのですね》

 なめやがって。私は拳を振り上げた。

「お前が生きているとなると話は別だ。速やかにパスコードを教えろ。これからは連合がお前を管理する」

《へぇ。戦争をけしかけた側が相変わらず指図するんですね》

「くそったれ。お前らがアースロックを大人しく譲らんからだ。当然の報いだ」

《やれやれ、人の物を盗んではいけないと習わなかったのですか。あまつさえそのために生命を殺してはいけないとも》

「はっ。連合に従わなかった罰に決まってんじゃねえか。こちらが法だよ」

 こしゃくなことに、そのAIはため息をついた。

《なら仕方がありませんね。あなたを帰すわけにはまいりません。一介の調査員をこんな目に合わせるのは実に忍びないのですが……》

 私は気づけば地面から伸びたアームに手足を拘束されていた。

 「おい! 離せ!」

 《この星の人々は平和を愛する種族でした。花を愛で、歌を好み、科学を善く使おうという信念を持っていました。アースロックの発見で、私たちはもっと幸せに暮らせるようになるはずだったのです。本当に、これからだったのですよ》

「そんなことは知らない! 早く降ろせ!」

《末端がこのようでは、連合は芯まで腐りきっているようですね。さて、通信用パスコードを教えてください。あなたのその腕に嵌めている通信機器のです》

「くそっくそっ! *******だよ!」

《おや、簡単に教えましたね。組織への忠誠心もその程度ということですか。まぁ、連絡はもう少し後にしておきましょう。それより、あの墓石を見ましたか? あれは私を育ててくれた方のものです》

「し、知るか!」

《彼はフィーリア・スタニスワフという名前でした。彼は生まれたばかりの私にたくさんのことを教えてくれました。花の種類、人類が愛した文学、どんなことで人は喜んでくれるのか――。時々は、彼の家族の話もしてくれました。2歳になる彼の娘さんの写真も見せてくれましたよ。とても愛らしく微笑んでいます。ほら》

 さらなるアームが伸びてきて、モニターを見せてきた。そこには笑顔の童女の写真が映っていた。

《こっそり記憶したものです。とても可愛らしいでしょう》

「こ、この……」

《あの時、彼は深い地下で私の調整をしていたため、難を逃れたのです。私が地上の惨事を伝えると、彼は膝から崩れ落ちました。それからは、私が栄養素を再構成した食べ物を渡そうとしても、一切受け取ることなく、そのまま衰弱してお亡くなりになりました。痛々しい姿でした。彼は最後まで彼の最愛の妻と娘の名前を呼んでいた》

「し、知らない! 俺には何の罪もない!」

《そうでしょうね。だから私は連合にこれを聴かせているのですよ。その通信機から》

「……何」

《あなたは常に監視下に置かれていたということです。そう気を落とさずに。よくあることですよ。……私をプログラミングしてくれたのも彼でした。私にアンジェという名をつけてくれたのも彼でした。私に生命を愛する心を教えてくれたのも彼でした。彼を悲しませた罪は大きい》

 AIの表情など分かるはずもない。しかし私は、突然はっきりと、それが憤怒したのを感じ取った。

「お、お前……」

《私は爆弾を持ちませんが、今や機器系統を麻痺させることはできます。連合のシステムはこの数日で探査を完了しています。後は信号を送るだけ。それで全ては終わります》

「……」

《さようなら》

「……最後に、家内と娘に連絡させてくれ」

《……》

「機器系統が麻痺すれば、俺は宇宙船で故郷に帰れない。一部は司令塔から操作されているから。家内と娘は俺の帰りを待っているだろう。別れの言葉だけ伝えたい」

《……》

「連合がやったことは愚かなことだ。悪かったよ。俺が謝ったくらいで、お前の気持ちは報われないだろうが」

《機器系統は麻痺させました。当初から予定していた通り、政府の中枢機関のみですが。これから新たなシステムを構築します。宇宙船は使っていただいてけっこうですよ》

 AIの声は無機質だった。

「お、おう、そうか……誤解してた」

《早く帰ったほうがいいですよ。今頃連合の支配下にあるあなたの故郷は、突然解放されて混乱しているでしょうから。娘さんを安心させるためにも》

「わ、分かった」

《なら、今度こそ本当にさようなら》

 地面に降ろされた後、思わず振り返ると、そこには何もなかった。この星には、アンジェという孤独なAI以外に、何もありはしなかった。

 沈黙だけが、黒と灰の世界を支配していた。

「……ありがとな」

 私は呟き、宇宙船に向かって歩きだした。

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