桃色のリボン

 ガードリッチ寮は、学校の裏手に広がる森を抜けたところにあった。森の泉から流れ出した川は、そのまま学校のある丘を下り、眼下の街まで続いていた。

 フィーリア・スタニスワフは建物の中から窓の外の野原を見下ろしながら、彼の幼い妹のことを思い出していた。あの子は元気だろうか。あまり裕福とはいえない中でも、いつも輝かんばかりの笑顔で家の中を明るくしてくれていた。桃色のリボンが大好きで、いつもこれで結ってくれと母にせがんでいたっけ。そうだ、傷んでは可愛そうだから、今度アルバイト代で似たような新しいのを洗い替えで買ってやろう。喜んでくれたらいいのだけれど――。

 フィーリアの物思いは、窓の外のある動きに目を引かれて途切れた。

 近づいてくる人物がある。あれは恐らく、同じクラスのアンジェ・ベルナルテだ。

 フィーリアは手を振った。

 アンジェは窓辺に歩み寄り、「やぁ」と腕を縁にもたせかけた。

「調子はどう?」

「ふふ、なんだよそれ。見ての通り、元気だよ。今度バイト代が入ったら、ニコルにリボンをあげようと思ってたとこさ。アンジェこそ、勉学のほうはどうなんだい? 今度は補講行きにならないだろうね? お父さんは心配だよ」

 茶化されたアンジェは、静かに微笑んだ。

「今度は大丈夫さ。フィーリア、リボンと言ったね? ちょうど、女の子が髪を結ぶのに丁度いい長さのを手に入れたんだ。どうだい、これは?」

 アンジェはポケットをまさぐり、美しくまとめられたリボンを一巻き取り出した。

「へえ! 綺麗じゃないか。絹のリボンだね。色もニコルの好きな桃色だ。貰っていいのかい?」

「もちろん。彼女、喜ぶといいね」

「ありがとう。アンジェからだって聞けば余計喜ぶだろうな」

「いやいや、お兄さんからだって十分嬉しいさ。ところでフィーリア、少し散歩をしないかい? 外はいい天気だよ」

 フィーリアは慎重な手つきでリボンを懐にしまいながら頷いた。

「いいよ。僕も丁度散歩しようとしていたところさ」

「決まり。待ってて、そちらに迎えに行くから」

 フィーリアとアンジェは連れ立って寮を出た。フィーリアは習慣でアンジェの腕に右手を委ねた。森は豊かに色づき、時折黄金色の涙を零した。

「銀杏だよ、フィーリア。綺麗だね」

「本当に。……あと何度、君とこの景色を見られるだろう」

 アンジェは驚いてフィーリアを見た。

「フィーリア。……僕が分かるかい?」

「ん? 何を言ってるんだ、アンジェ? あ、分かったぞ、君の名前はアンジェ・ベルナルテ。今年で21歳の前途有望な僕の恋人」

 くすくす笑いながらフィーリアはアンジェをつついた。

「こう言ってほしかったんだろう?」

 アンジェは笑んだ。

「そうだよ、フィーリア」

 たくさんの銀杏の葉が二人を押し包んだ。

 圧倒的な黄色の世界の中で、アンジェはフィーリアを、壊れ物を守るように抱きしめた。



「あら、またいらっしゃったんですね、ベルナルテさん。お待ちしておりましたわ」

「こんにちは、マリアンヌさん。例のものは入荷しているかね?」

「もちろんですわ。こちらになります」

「ああ、美しい桃色だ。縁の白がいいね。こちらをもらっていくよ。いくらだい?」

「120シグニになりますわ。パートナーさんの調子はどうです?」

「とびきりいいさ。今日は散歩に行けたよ」

「それはよかったですわ!」

 アンジェは黙って微笑むと、店を出た。

 彼は杖をつき、想い人の待つ丘の家へ、ゆっくりと銀杏色の舗道を進んでいった。

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