第38話 魔王

「お前たちなら、必ずたどり着くと思っていたぞ」

「青騎士……!」

 なるほど、ここに控えていたってわけか。魔王を守る最後の騎士ってところか。

「その面構え。どうやら、本物の勇者になったようだな」

 ぼくを構えるリティーナに向けて青騎士は言う。

「魔王には、あなたを倒せば会えるの?」

「魔王なら、お前たちの目の前にいるさ」

「――え?」

「私が魔王だよ」

 言って、青騎士はゆっくりと兜を脱ぐ。


「そ……んな……」

 リティーナは思わずといったように構えを崩し、呆けたようによろめく。

 ぼくも驚いたが、リティーナが受けた衝撃の大きさは並大抵のものじゃなかったはずだ。

 

 見間違えるはずもない。青騎士は、カリュプスさんの顔をしていた。

 

 リティーナだけじゃない、ケントニスさんとアシオーさんも愕然としていた。

「兄上、どうして……」

「え、兄上って、魔王がカリュプスさんなの? どういうこと?」

 一人、カリュプスさんの顔を知らないルルディさんだけが戸惑っている。

「違う、兄上が魔王のはずがない」

 ルルディさんにというより、自分に言い聞かせるようにリティーナは言う。

 青騎士は、唇の端を持ち上げた。

 確かにカリュプスさんの顔だけど、彼はこんなに冷たい笑みを浮かべたりしない。声だって、リティーナの記憶のカリュプスさんと違っていた。

「そうだな。厳密に言えば、お前の兄、カリュプスは死んだよ。精神的にな。この者の精神を乗っ取るのには苦労したぞ。最初にお前たちと会った時は、まだ融合がうまくいってなかった」

 そうか。最初に戦った時、妙に動きがぎこちなかったのはそのためか。

 あれは、カリュプスさんがこいつに抵抗していたのだ。リティーナに助言めいたことを言ったのも納得できる。

「乗っ取る?」

「ああ、私はこの者に敗れたのだ。さすがは神託によって選ばれた勇者だな。魔界から呼び寄せた魔族のみならず、私まで打ち倒すとは。――だが、私は最後の力を振り絞り、魔法で自分の精神をこの者に飛ばした。一か八かだったが、勝利の女神は私に微笑んだようだ。今やこの身体は、私の意のままに動く」

 八つ裂きにされたのはカリュプスさんの身体ではなく、精神だったということか。候補と青騎士は口にしていた。あれは司魔将候補ではなく、魔王候補だったという意味だ。

 カリュプスさんの身体を乗っ取った元魔王は、再び魔王となった。

 そこで、ぼくはふとある可能性を思いつく。精神を飛ばすって、もしかして、ぼくもそうなのか。


「バカな。そんな魔法、聞いたこともない」とケントニスさんがうめく。

「見つけたんだよ、ここで。原初の魔王の遺物、魔王の威光と共にな」

 魔法を使って、あの女神様はぼくの精神を剣に移したのか。十分にあり得ると思う。そしてもしその通りだとすれば、真の魔法は神の御業に他ならない。

 もしも神が人に魔法をもたらしたのならば、人が使う魔法は神の奇跡の代行なのだろうか。だとしたら、神は何のために――。気まぐれか、それとも意図的なものなのか。

「あなたは、何者なの?」

 ぼくの思考は、リティーナの鋭い声によって断ち切られた。顔色こそ蒼白だが、リティーナの戦意は決して衰えていない。その証拠に、深緑色の瞳が燃えるように輝いていた。

「忘れ去られた深緑の民とでも言おうか。長の息子であり、ティエラの弟でもある」

「ティエラ様の……。解放前に亡くなったはずでは」とケントニスさんが言う。

「姉と父は甘い。私が本当に死んでいるか、確認すべきだった」

「どういうことですか」

「私は姉と父に斬られたのだ。解放前夜にな」

「斬られた……?」

「ウェリスへの復讐を隠すこともなく語っていた私は深緑の民の中でも異端だったんだよ。ウェリスから解放令がもたらされた時も、私は一人でも戦い続けると言ってやった。私には魔物使いの才があったからな。大陸に戻ったら、魔物を使ってウェリス人を殺してやると宣言した私を、二人は斬ったのだ。そしてそのまま生死を確認せずに立ち去った。あるいは、息があるのに気づいているにも関わらず、見逃したのかもしれんな」

 青騎士は、自嘲するように笑う。

「私が未熟だったのだ。父も姉も、仲間たちも、きっとわかってくれると心のどこかで信じていた。だが違った。深緑の民は、過去の仕打ちと屈辱を忘れ、ウェリスに帰順することを選んだのだ。――皆が去り、一人残された私は自分に治癒魔法を施し、かねてから目をつけていた地下遺跡へと足を踏み入れた」

「地下? もしやこの場所は……」

「ああ、アグネーシャによって封印されていたのだ。ここは原初の魔王の城だったのさ。浮上したのは、魔王出現と同時――」

「つまり、あなたが魔王となった時」

「そうだ。長い時間をかけて、私はこの遺跡に収められていた古代の魔道書を読み漁った。失われたいくつもの魔法を習得し、魔界の門を開いて魔族を呼び出す魔法にも成功した。そうして魔王の威光を量産し、司魔将に持たせて大陸に送り出した。――あとはお前たちも知っての通りだ」

 

 仲間を、両親すら否定して、こいつはたった一人で、ずっとこの遺跡にいたのか。ただひたすら、復讐のためだけに。その執念には薄ら寒いものを感じる。

「残念ながら、勇者とかいう化け物のせいで敗北寸前だがな。ウェリスの司魔将は全滅、強力な魔物もことごとく討たれた。女神も意地が悪いことだ。――いや、親切なのかもしれんな。新しい勇者にお前を選んでくれたのだから」

 青騎士は、聖剣グラムに切っ先をリティーナに向けた。

「どういう意味?」

「どうだリティーナ、この玉座に座る気はないか。新たな深緑の民の女王として、共に戦ってはくれないか。お前が王として立てば、蜂起する民がいるかもしれない」

 言って、青騎士は空いている方の手を玉座の背もたれに乗せる。

「バカにしてるの? リティーナがそんな誘いに乗るわけないでしょ」

 ルルディさんが呆れたように言う。

「そうかな? 私と共に生きるということはつまり、カリュプスと生きるということに他ならない。この者の精神を乗っ取った際に、記憶も全部共有しているからな。お前が望みさえすれば、愛する兄と永遠に一緒にいられるのだ。なんなら、カリュプスらしく振る舞ってやってもいい」

 愛する兄――カリュプスさんの記憶を持つ魔王がそれを口にするってつまり、カリュプスさんもリティーナの気持ちに気づいていたっていうことか……。

「ふざけないで。あなたは兄上じゃない」

 肩を震わせて、リティーナは怒りを絞り出すように言う。

「――リティーナ、そんなことを言わないでくれ」

 その声は、紛れもなくカリュプスさんのものだった。

「俺と一緒に、人間どもを滅ぼそうじゃないか」

 何の前触れもなく、リティーナが動いた。白刃が煌めき、激しい音と共に火花が散る。青騎士――魔王は真っ向から聖剣でぼくを受け止めていた。リティーナが吠えた。

「滅びるのはお前だ、魔王!」

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