第五章
第36話 背中に乗って
「――姫様、私がわかりますか」
気づけば、眼前にケントニスさんの心配そうな顔があった。寝起きに見ると結構なドッキリだが、リティーナは安心したような微笑みを浮かべる。
「ケントニスに決まってるよ」
「よかった。無事に帰って来られたようですね」
「わたしは、気を失っていたの?」
見れば、リティーナの身体の下には毛布が敷かれていた。リティーナの胸に意識を向けるが、程よいふくらみに傷なんてついていなかった。さっきのは、リティーナの精神世界みたいなものだったのかな。
「というより、寝てた。時々うなされていたから、心配したよ」
傍らにいたルルディさんが言う。
「いきなりぶっ倒れるんだものな。グリフォンのやつは大丈夫って言っていたけど、気が気じゃなかったぜ」とアシオーさんが笑う。
「ごめん、心配かけたね」
リティーナは身を起こすと、側に置かれていたぼくを手に取る。
「そうだ。あなた、まさか喋れるの?」
『実はそうなんだ。気味悪がって捨てないでね』
リティーナは首をかしげる。
「おかしいな。気のせいじゃなかったと思うけど」
「どうしたのですか、姫様」
「剣に話しかけるなんて、倒れた時に頭でも打った?」
ルルディさんが直球で失礼なことを言う。
『そりゃあんまりだよ、ルルディさん。ぼくは喋れるんだってば』
「――ん、なんでもない」
そうか。どうやら、ぼくの言葉はもう届かなくなったらしい。イードルムさんの試練の中限定だったのかな。でもいいや、言いたいことは言えたし。
「ところで、イードルム様は?」
「お腹が減ったからご飯食べてくるって。呑気なものだよね」
ルルディさん、きみがそれを言うか。
「あいつの住家、この山中のどこにあるんだろうな。ねぐらにはお宝がたんまりありそうだが」
「アシオー、まだお宝を狙っているの?」と呆れたようにルルディさんが言った。それより食べ物でしょとか言い出さないよね。
「まあな。エーリス島に行くのに、頑丈な船を調達した方がいいと思ってな。ナナン海底洞窟を行くのはきついだろうし」
そっか。アシオーさん、色々考えてたんだ。エーリス島って、名前の通り島だものね。かつて深緑の民たちが送られた時は、ナナン海底洞窟を通らされたってオニクマさんが言っていた。危険な場所なのだろう。魔王のせいで魔物が活性化している今ならばなおさらだ。船で行けるのならば、それに越したことはない。
「あー、船の資金か。よく知らないけど、高いんでしょ」
「借りるにせよ、買うにせよ、安くはないな。どっちにしても今の手持ちじゃ絶対足が出る」
勇者一行は清貧だった。国家権力で徴発とかできないのかな。といっても、仮にできたとしてもリティーナはそれを望まないか。
「いっそ前人未到の迷宮に潜って、一攫千金を狙ってみる?」
あ、ルルディさん、目的と手段がごっちゃになってる。楽しそうな顔だ。
「博打すぎますね。下手したらガーディアンにのされますよ。殺戮兵器みたいなのもいるらしいですから。分の悪い賭けは避けるべきです」
ケントニスさんはどこまでも現実的だった。
「そういや、カリュプスと潜った迷宮の主もとんでもなく強かったな。カリュプスの強さが桁外れだったおかげで助かったが」
といった会話を一行がしていると、頭上に暗い影が差した。見上げれば、イードルムさんが舞い降りてくるところだった。
「よう。どうやら試練はうまくいったみたいだな」
一行の眼前に降り立ったイードルムさんはリティーナを、そして次にぼくを見つめて目を細める。
やだ、見られてる?
「はい。なんとか、ですが」
「どうだ。変わったっていう実感はあるかい?」
「正直に言うと、あまりないです。ただ……」
「ただ?」
「以前よりは、自分を受け入れられるようになったかなとは、思います」
変わったっていう実感は、ぼくにもない。ただ、リティーナとの距離が近くなったとは感じる。昔のリティーナを知ったおかげだろうか。
「それでいいのさ。さて、試練を突破したってことはお嬢ちゃ……リティーナには王の資格があるってことだ。どうだ、国を治めてみたくはないか?」
イードルムさんのいきなりな提案だった。ケントニスさんとアシオーさんが息を呑む。
一気に緊迫感が増した空気の中で微笑んで、リティーナは首を横に振った。
「せっかくですが、わたしにはやることがありますから」
「もちろん、魔王を倒した後の話だよ」
魔王を討伐した勇者が玉座につく。
おとぎ話では珍しくはない結末だ。
おとぎ話と違うのはこれが現実で、リティーナの身体には深緑の民の血が流れているってところだ。
皆に祝福される戴冠になるとは、どうしても考えられなかった。めでたしめでたしでは終わらないだろう。
「その後もです。政は弟のアルジェンに任せます。今はまだ幼いですが、アルジェンは兄に勝るとも劣らない器だと思いますよ。彼は、きっといい王になる」
リティーナは、きっぱりと言い切った。
弟のことを語るリティーナの瞳はやさしげで、ああ、リティーナはお姉ちゃんでもあるんだなと思う。
アルジェンさんは第二王子って言ってたっけ。たぶん、お母さんはカリュプスさんと一緒なんだろう。だとしたら、その子が次の王になるのが一番後腐れがないと思う。
「へえ、だったらそいつにもこの山を登らせてくれよ。俺が直々に見定めたい」
「そうですね。その時は、ケントニスたちに護衛を頼みます」
「なんだ。リティーナはついてこないのか?」
イードルムさんのこの問いに、リティーナはただ曖昧に笑うだけで答えなかった。
「イードルムさん、お願いがあるんだけど」
会話の隙間を狙っていたのか、ルルディさんが口を開いた。
「なんだい、エルフのお嬢ちゃん」
「あたしたちはエーリス島に行かなきゃいけないんだけど、そのために船が必要なのよ。でも、あたしたちにはお金がない」
まさか、この流れは。
「ちょ、ちょっとルルディ?」
ぼくと同じ危惧を抱いたらしいケントニスさんが慌てて止めようとするが、遅かった。
「だから、とっておきのお宝があったら、少し分けてほしいの」
あーあ、言っちゃったよ。イードルムさんが怒りだしたらどうするのさ。ノリが軽いせいで忘れそうになるけど、イードルムさんは守護聖獣なんだよ。
きょとんとしていたイードルムさんだったが、やがて心底おかしそうに笑いだした。
「今までいろんなヤツを見てきたけど、俺にお宝をせがんだのはきみが初めてだよ」
「言っておきますが、これは私たちの総意ではありませんからね。お金がないのは事実ですが」
ケントニスさんがフォローになっているようでなっていないフォローを入れる。あわよくば、とか思ってるなこれは。
「勇者一行の寂しい懐事情はよくわかった」とイードルムさんは重々しくうなずく。
「だったら……!」
「すまん。悪いがお宝はやれない。そもそも、持ってないんでね。ない袖は振れないってやつだ。余計なものは極力持たない主義なのさ」
ミニマリストなのかもしれない。物をなかなか捨てられないぼくとは正反対だ。
「なんだあ、残念」
ルルディさんは露骨にがっかりした顔になる。どこまでも正直な子だった。
「がっかりすることはない。エーリス島に行きたいんだろ。だったら、とっておきの方法がある」
言って、イードルムさんは翼を広げた。日の光を浴びて輝く、見事な鷲の翼だ。
「俺の背中に乗っていくといい。乗り心地は保証しないが、馬車や船よりは絶対速いぜ」
なんとも魅力的な提案だったが、ケントニスさんが難色を示した。
「な……そ、そんな。グリフォンの背に乗るなど、前代未聞です。歴代の王でも経験がないというのに」
それは確かにとんでもないな。ケントニスさんがすんなり賛同できないのもわかる。ばれたら後々問題になりそうだ。しかしイードルムさんは気楽なもので、
「よかったじゃないか。お前たちが一番最初だ。グリフォン記念日だぞ」とか言う。
「ですが、リティーナ様はともかく、王家の血を持たない私たちは……」
「気にするなよ。お前たちは勇者一行だ。俺の背に乗る資格は十分にある」
「だってさ。せっかくだから乗せてもらおうよ」
リティーナはケントニスさんの肩を叩く。その顔は期待で輝いていた。楽しそうだもんね。
「ひ、姫様」
「いいじゃないのケントニス。他ならぬグリフォン本人がいいって言ってるんだから。あたし、いっぺん空を飛んでみたかったんだ」
「だな。こんな機会、滅多にないぜ」
「決まりだ。さあさあ、乗った乗った。鞍はついてないから、適当に掴まってくれ」
イードルムさんが大きな背中を向ける。
「わたし、一番ね」
真っ先に駆け出したリティーナが、イードルムさんの背中に飛び乗った。続いてルルディさん、アシオーさんが乗り込む。
「何もたもたしてんだよ。ほら、お前も乗れ」
なおもしり込みしているケントニスさんに、アシオーさんが手招きした。
「うう、わかりましたよ。では、失礼します」
いかにも渋々といった様子で、ケントニスさんはイードルムさんの背中にしがみついた。へっぴり腰だった。
「もしかしてケントニス、空を飛ぶのが怖いの?」とルルディさんが無邪気に尋ねる。
「な、ななな。そんなわけ、ありませんよ」
恐ろしくわかりやすい表情の変化だった。意外だけど、誰にだって怖いものはあるよね。
「よぉし、出発するぜ。空気抵抗はある程度魔法で軽減するが、振り落とされるなよ!」
翼をはためかせ、イードルムさんは浮き上がった。地上が段々遠ざかっていく。おお、これは新鮮な体験だ。家族旅行で一回だけ乗ったことがある飛行機ともまた違う。
翼があるっていいな。自分の意志で空を飛べて、どこにでも行けるんだものね。
風を切ってイードルムさんは空を行く。こりゃすごい。剣の身だけど、空を突き進む爽快感がある。リティーナとルルディさんが歓声を上げ、ケントニスさんは悲鳴を上げた。その悲鳴を聞いて一行は笑う。
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