第35話 勇者の資質

 にじんだ光景が再び像を結ぶ。

 

 大きな教会の中だった。女神と英雄アグネーシャと思われる人物が描かれた立派なステンドグラスが飾られている。

 祭壇の前で、リティーナがひざまずいていた。

「――神託は以上です。それではいきなさい、勇者リティーナよ」

 祭壇の奥に立つ、サンタクロースみたいな白い髭を生やしたおじいさんが、いかめしく言った。教会の偉い人かな。

「――はい」

 立ち上がり、夢の中を歩くみたいにどこかおぼつかない足取りで、リティーナは教会を出る。


「リティーナ。急な呼び出しだったけど、なんだったの?」

 外で待っていたのだろう、ルルディさんが駆け寄ってきた。

「わたしは、神託の勇者なんだって」

 他人事のようにリティーナは言った。無表情で、言葉にはまるで実感がこもっていない。

「勇者って……」

「剣を見つけて、魔王を討ち滅ぼす勇者。新しい神託が下されたんだって」

 リティーナは再び他人事のように言う。勇者であるリティーナ自身が、事実を受け入れられていないようだった。

 無理もない。突然すぎるもの。

「……それじゃ、カリュプスさんはどうなったの?」

 カリュプスさんの名を聞いたとき、一瞬だけリティーナは痛みをこらえるように顔をしかめた。

「わからない。でも、とにかく、わたしは行かないと」

「行くって、ちょっと待ってよ。お父さんやお母さんに言わなくていいの?」

「父上と母上はもう知ってるって聞いた」

「だったら、支援とか受けられるんじゃない?」

 リティーナは首を振る。

「それはできない。わたしの勇者としての旅立ちは、できるだけ人に知られてはいけないの」

「なんでそんな」

「兄上は、勇者カリュプスは、負けてはいけないから」

「あ……」

 それで意味を察したのだろう。ルルディさんは言葉を無くした。

 歩き出したリティーナのあとに、慌ててルルディさんが続く。

「あたしは、ついていってもいいんだよね?」

 リティーナは、答えなかった。唇を噛んだルルディさんはリティーナの肩を掴み、無理矢理振り返らせる。リティーナの瞳からは、生気が抜け落ちていた。

「わたしは一人で行くよ、ルルディ。兄上だってそうだったもの」

「……っ! このバカ!」

 ぱん、と乾いた音が響いた。

「なんで全部自分一人で抱え込もうとするのよ。あたしたちは戦友でしょ。もっと頼ってよ!」

 ルルディさんに叩かれた頬を押さえて、リティーナは目を逸らす。

「今までとはわけが違うの。本当の本当に命がけの旅になる。だから、兄上もひとりを選んだ」

 自暴自棄になっているわけではない。リティーナは、ルルディさんや周りの人が傷つくのを恐れているのだ。そしてそれはカリュプスさんも同じだった。

「命がけでもいい。あたしはあんたに助けられたの。だから今度はあたしが助ける番よ」

「ルルディ……」

「エルフのお嬢さんの言う通りですよ、姫様。一人で抱え込まないでください」

「そうだぜ、姫さん。お前たち兄妹は揃って融通が利かないな」

 教会の外、門のところから声が聞こえてきた。聞き覚えのある声だ。見れば案の定、ケントニスさんとアシオーさんが立っている。

「ケントニス、それにアシオーも。どうして?」

「ティエラ様に頼まれましてね」

「母上が……」

「そういうこった。いやだって言っても、俺たちはついていくぜ」

「ふーん。そういう魔物、いそうだね。どこまでもついてくるの」とルルディさんが言う。

「いきなり魔物扱いかよ。って知ってるか。文献によっちゃエルフも魔物扱いされてるんだぜ」

「なにそれ失礼ね。人のこと魔物って言うなんて」

「先に言い出したのはお前だろうが」

「先に魔物って言った方が魔物なのよ」

「やっぱりお前じゃないか」

 小学生の喧嘩かな? 

 二人のやり取りを見ていたリティーナが、こらえきれないというように吹き出した。

「お、やっと笑ってくれたか」

「計算通りね」

「あなたたち、絶対嘘でしょう」とケントニスさんがすかさず突っ込む。

 ルルディさんとアシオーさん、出会った時からこんな感じだったのか。相性がいいのか悪いのか。

「――三人とも、本当にいいの?」

 リティーナの問いかけに、三人は揃って力強くうなずいた。

「ええ、もちろん」

「決まってるでしょ」

「カリュプスの時は無理だったからな」

「――ありがとう」

 そうして笑うリティーナの瞳には、いつしか輝きが戻っていた。


「それからわたしたちは神託に従って旅をして、惑いの森であなたを見つけた」

 リティーナは、手の中のぼくに語りかけるように言った。

『勇者がきみみたいな女の子で、びっくりしたよ。でも、あの時は嬉しかった。寂しすぎて死にそうだったんだ。生まれ変わったばっかりだっていうのにね』

「不思議だね。そんなことあるはずないんだけど、なんだか、あなたには意志があるように思えるよ。この妙な空間のせいかな」

『かもね。イードルムさんが何かしたのかも』

 今までとは明らかに違う。言葉こそ通じていないけど、リティーナは『ぼく』を認識してくれているように感じる。


「――それにしても、試練って、なんなんだろう。わたしの過去を振り返るのが、まさか試練じゃないよね」

 そういえばそうだった。ぼくたちは試練の真っ最中だった。

「その通り。今までのは前座。本番はこれからよ」

 突然、辺りに声が響いた。リティーナの後ろから光が差す。

 光によってできたリティーナの影が、手に持っているぼくの影を使って自身をリティーナから切り離した。切り取られた影が蠢き、やがて立体的な形を取って立ち上がる。

「え……わたし?」

 完全な人型となった黒い影は、リティーナと同じ顔をしていた。魔物、なのか?  ドッペルゲンガーとか聞いたことがあるけど。

「そう、わたしはあなた。あなたの影。押し込めていた、無意識の表れ」

「――何を言っているの?」

 リティーナの影は喉の奥で笑うと、手にしたぼくの影の切っ先をリティーナに突きつけた。

「あなたが押し殺していた負の感情ってことよ」

「負の、感情……?」

「口できれいごとを言う一方で、心に膿は溜まっていく。自分では気づいていないかもしれないけど、あなた、相当澱んでいるのよ」

 影が笑いながら言う。

「わたしは、そんな」

「目の色が緑ってだけで、どうしてわたしは差別されるの? 母上と父上は、どうしてわたしに冷たいの? どうしてわたしは王族なの? ――どうして、わたしが勇者なの? どうして、どうして、どうして」

 影がまくしたてる。リティーナの顔に、はっきりと恐怖の表情が浮かんだ。もしかして、全部本当に思っていたことなのか。

「あなたが冒険者になったのは、手っ取り早く力で鬱憤を晴らしたかったから。剣で魔物を斬るのは気持ちがいいでしょう。力で屈服させるのは、充足感があったでしょう」

「ちがう! わたしは、魔物を斬って満足なんてしていない!」

 リティーナが、影に斬りかかった。影はこともなげにリティーナの斬撃を受け止める。

「兄上のためなんて、もっともらしい理由を用意したけど、何のことはない、あなたはただ魔物を殺したかっただけ。殺戮者にはならない? 笑わせないで。自身の不遇の恨みを暴力という手段で魔物にぶつけているくせに」

「わたしは誰も恨んでないし、自分のために戦っているわけでもない!」

 つばぜり合いが続く。リティーナの影はせせら笑う。

「実にらしい言葉ね」

「らしい……?」

「場面ごとに相応しい言葉を並べ立て、あなたは勇者らしく振る舞おうとした。人々が求める立派な勇者。自分を犠牲にしてでも、世のため人のため戦う。けなげよね。でも残念、あなたの本質は勇者じゃない」

 舞うように身を翻すと、リティーナの影は鋭い斬撃を放ってきた。リティーナはかろうじて強烈な一撃を捌く。受けた瞬間、ぼくの心が軋んだ。リティーナの影が持つ剣も、どうやら魔法の剣のようだ。

「っく……」

 リティーナは、怯んだように一歩後ずさる。

「自分が勇者未満だっていうのは謙遜じゃなくて、本心でしょう。あなた自身が一番よくわかっている。自分は勇者に相応しくない。血を求め、血の匂いに酔いしれる狂戦士。それがあなたの本質よ」

「わたしは……狂戦士なんかじゃ」

 否定の言葉は明らかにそれとわかるほど弱々しかった。柄を持つ手の力が緩くなる。

 ぼくはイードルムさんの言葉を思い出す。自分じゃ知らない、無意識に目を逸らしている部分――。

「深緑の民の血が入った王女として生まれて苦しんで、勇者として選ばれて苦しんで、生きていることに嫌気がささない?」

 ああそうか。ぼくたちの目の前で薄ら笑いを浮かべているリティーナの影は、魔物なんかじゃない。リティーナの心を反映した存在なのだ。ならば影が口にした言葉は、リティーナ自身が思っていたことだ。

「苦しいことばっかりで、いいことなんて何もなかった。兄上みたいな勇者に、自分はきっとなれない。ずっとそう思っていたんでしょ」

 ただ、それはあくまで思っていただけであって、事実じゃない。そうなのではないかと、リティーナが恐れているだけだ。影はそれを口にしているだけに過ぎない。不安を、恐怖を暴き立てているだけだ。

 リティーナの気持ちは理解できる。生い立ちや境遇を考えれば無理もないと思う。

 だけどリティーナ、ぼくは知っているんだ。

『リティーナ、安心して。きみは狂戦士じゃない』

 長い付き合いとは言えないけど、ここまで見守ってきたから。きみの努力を、苦しみを、一番近くで見てきた。感じてきた。

『戦う時、魔物を斬る時、きみは一度だって喜んでなんていなかった。できるならば避けたいと、いつもそう思っていた。それでも、きみは剣を取ることをやめなかったね』

 

 なぜなら――。


「リティーナ、きみは、勇者だから」

「今の声……?」

 うつむいていたリティーナが顔を上げた。まさか、届いたのか?

 いや、届いてなくても構わない。ぼくは、伝えなくちゃいけないんだ。

「勇者だって人間だ。まっさらできれいな部分だけでできているわけじゃない。目を背けたい、汚い部分だってある。リティーナ、それを恐れないで。目の前の影も、君自身なんだ」

「わたし、自身……」

 この世界に来てからずっと、ぼくは傍観者だと思っていた。ただ振るわれるだけで、それ以外は何もできないと思っていた。

 でも違った。ぼくは、ぼくの想いをリティーナに伝えるんだ。

 さきほど見た数々の光景は、きっとぼくに見せるためにあった。この言葉を、リティーナに伝えるために。

「リティーナ、自分を嫌いにならないで」

 リティーナは、大きく目を見開く。

 ぼくも、自分を好きとは決して言えなかった。平凡で、取り柄もなくて、面白みのない自分。

 けど、自分はずっと一緒に付き合っていく戦友なんだ。だったら、嫌いでいるより好きでいる方が、ずっといい。いやな所があったら、直していけばいい。だって戦友なんだから。

 できればあっちにいるときに気づきたかったとは思うけど、構わない。ぼくはこっちで剣になって、リティーナと一緒にいられて、よかったと思うから。


「あなたの苦しみ、終わらせてあげる」

 言って、リティーナの影が剣の切っ先をこちらに向けて構える。

 リティーナは息を吐くと、影に向き直った。

「――いいよ、来て」

 影が突進してくる。リティーナは、ぼくを構えなかった。剣の影の切っ先が、無防備なリティーナの胸に吸い込まれるように突き刺さった。たちまちリティーナの口から血がこぼれ出る。

「つらいことも、かなしいことも、いっぱいあったね。なんでわたしだけがって、数えきれないほど思ったよ」

 かすれた声で言って、リティーナは震える腕を伸ばす。影が剣を引き抜いた。胸から血が流れ出し、リティーナは身を震わせるが動きは止めない。

「……不運だってみんなが言う。たしかにわたしは生まれからして不運かもしれない。でもね、わたしは不運であっても、不幸ではない」

 そして、リティーナは影を包み込むように抱きしめる。影は、抵抗しなかった。

「一人じゃないから。みんながいるから。つらいときはつらいって、言ってもいいんだ。支えてもらっても、いいんだ。助けてくれる仲間がいるって、すごく幸せなことでしょう? ねえ――わたし」

 リティーナの言葉を聞いた影は、満足そうに笑った。これまでの冷笑めいた笑みとは違う、リティーナ本人の、自然な笑顔だった。

「そうだね、わたし」

 リティーナに溶け込むように、影は消えていく。

 意識が、薄れていく。

 

 ――これからは、一緒だから。

 

 最後に、そんな声を聞いた気がした。

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