第17話 鍛冶師

 ドアが開く。顔をのぞかせたのは、お腹の大きい女性だった。ケントニスさんは、気の弱い人や子どもが見たら失神しそうな笑みを浮かべた。

「やあ、久しぶりですね。私を覚えているかな、メリサ。しばらく見ないうちに大きくなった。お腹もね」

 女性はケントニスさんの頭のてっぺんからつま先まで、視線を走らせる。

「――うそ、まさかケントニス? なにその格好、胡散臭い魔法使いみたい!」

 メリサさんは弾けるように笑う。どうやら二人は知り合いのようだ。

「似合いませんか?」

 ケントニスさんはローブの裾を掴んでみせる。

「それはそれでありかもね。鎧姿のが格好良く見えたけど。剣はどうしたの?」

「ちょっとね。事情がありまして」

「そうなんだ。――そちらの方々は?」

「旅の仲間です」

 ケントニスさんが言って、リティーナたちは会釈する。

 メリサさんは順繰りにリティーナたちを見つめる。リティーナの瞳の色を見て一瞬視線が止まったが、何も言わなかった。


「オリクトはいますか? 工房にいるのならそちらに出向きますが」

「もう隠居したからね。一日家にいるよ。さ、皆さん入って。ケントニスの仲間なら、父さんもきっと喜ぶ」

 メリサさんに促されて、リティーナたちは入り口の敷物で靴の泥を落として家の中に入る。

 通されたリビングは、品のいい家具が揃えられていた。椅子一つとっても座り心地がよさそうだ。温かみのある家だと思う。

「座って待ってて。父さんを呼んでくるから。お茶も淹れるね」

「お構いなく。あまり動いたらお腹の子に障るのでは?」

「平気。ちょっとくらい運動した方がいいのよ」

 にかっと笑い、メリサさんは足音も軽く奥に消える。

 リティーナとルルディさんは武器を外し、壁に立てかけた。


「――お腹、大きかったね」

 椅子に座った後、ぽつりとリティーナが呟く。

「ええ、あのメリサが母親になるとは。月日が経つのは早いものです」

「ケントニス、急におじいちゃんみたいな顔になってるよ」

 リティーナはからかうように言う。ぼくにはいつもと同じ顔に見えるが、付き合いの長い彼女にはわかるのだろう。

「なんの、気持ちは若者に負けませんよ」

「そういえばケントニスって年齢不詳よね。いくつなの?」

 ルルディさんが首をかしげる。

「俺も知らんな。会った時からずっと変わらんように見えるが」

 ケントニスさんは微笑して言う。

「魔法使いに歳を訊ねるのは無意味ですよ」

 まあ、一理あるかも。魔法使いって神秘的で、年齢がはっきりしない人が多いイメージだ。


「おお、久しぶりだな。しみったれたトカゲ野郎、生きてたのか」

 野太い声が響いた。奥からのっそりと姿を現したのは、二メートルくらいありそうな大柄な男性だ。髪の毛は真っ白で顔も皺だらけだけど、全身から生気がみなぎっている。

「それはお互い様です。しばらく見ないうちに老いぼれましたね、オリクト。くたばってなくてよかったですよ」

「もうすぐ孫も生まれるしな。まだまだ今生にしがみついてやるよ」

 オリクトさんは豪快に笑う。当分お迎えは来なさそうだ。にしても、今生にしがみつく、か。ぼくはあっさり手放してしまったな。不可抗力だったっていうのもあるけど……。


「――っと、そっちの連中は」

 リティーナたちに目を向けたオリクトさんは、リティーナの顔を見て言葉を無くす。

「おいケントニス、もしかして」

「もしかしなくても、ティネラ様のご息女です」

「初めまして。リティーナと申します」

 リティーナは立ち上がると、一礼する。何気ない動作だけど、気品があるのがさすがだ。

 アシオーさんとルルディさんも立ち上がって挨拶するけど、オリクトさんの目には入っていないみたい。三人は着席する。


「――目元の辺りがそっくりだ。ああ、聞いているかもしれんが、俺はオリクトだ。あなたの母君と父君には世話になった」

「父と母は、あなたの剣を絶賛していました。わたしも拝見しましたが、アロンダイトとガラティンは素晴らしい剣だと思います」

「そりゃ当然だ。俺が鍛えた剣だからな」

 オリクトさんは胸を張って言う。自分の仕事に自信と責任を持っている人の格好良さがあった。

「――あの、実は、剣についてお願いがあって伺ったのですが」

「なんだ? 悪いが新しい剣なら打てねえよ。隠居の身だからな。鍛冶仕事なら婿に任せてるから、そっちに頼んでくれ。腕は俺が保証する」

 言って、オリクトさんはどっかと椅子に腰かける。

「どういう心境の変化ですか、オリクト。お約束のように娘は誰にもやらんぞと言っていたあなたが」

 ケントニスさんが例の怖い笑みを浮かべて言った。オリクトさんは肩をすくめて苦笑する。

「仕方ねえだろ。惚れた腫れたばっかりは、金槌じゃどうにもならん。あいつの頑固さ、一体誰に似たんだか」

「奥さんの方でしょう」

「やっぱりそう思うか」


「お待たせ」

 そこに、お盆にお茶(色的に紅茶っぽい)と焼き菓子を乗せてメリサさんがやってきた。手早くテーブルの上に並べていく。

「メリサ、あなたの旦那さんは、どのような人なのですか」

「ん? そうね。こちらのお嬢さんと同じ色の瞳をした人よ」

 メリサさんはリティーナの前に陶製のカップを置いて言う。それって、つまり――。

「深緑の民……?」

 ルルディさんとアシオーさんの声が重なった。二人は顔を見合わせて複雑な表情を浮かべる。

「そう。だから生まれてくるこの子の目も、きっときれいな深緑色ね」

 メリサさんは愛おしそうにお腹を撫でた。ケントニスさんは思わずといった感じでオリクトさんに目を向ける。オリクトさんは笑って言う。

「あいつはちょっとひょろっちいが、芯は通ってる。俺の目に狂いはねえよ」

「――驚きましたね。まさかあなたが自分の娘と深緑の民との結婚を許すとは」

 紅茶を一口飲み、ケントニスさんは言った。

「深緑の民全員が悪人じゃねえってことくらい、わかってるさ。俺だけじゃない。大抵の人間はわかってるはずなんだ。ただ、感情で納得ができねえだけだろう」

「父さん、フォルスが打った剣を見てようやく結婚を許してくれたんだよね。弟子入りも」

「剣は嘘をつかねえからな。あんなの見せられたら、許すしかねえさ」

 生粋の鍛冶職人らしい認め方だなと思う。武具はやはり作り手の想いを反映するのだろうか。だとしたら、ぼくもそうなのか。ぼくを作ったのってたぶん女神様だよね。女神様はどんな思いでぼくを作ったのだろう。考えたこともなかった。


「ところでオリクト、先ほど姫様が言いかけたお願いなのですが」

 逸れていた話題を、ケントニスさんが修正した。

「何度言われても無理なものは無理だ」とオリクトさんは突っぱねる。

「そうではありません。まず話を聞いてください」

 そこでケントニスさんは、ちらとメリサさんを見た。

「あたしは席を外した方がいい?」

 それだけで、メリサさんは何かを察したようだ。

「すみませんメリサ。なるべくなら聞かせたくない話なのです」

 申し訳なさそうにケントニスさんは言う。

「わかった。夕飯の買い物に行ってくるね」

 さばさばした口調で言って、メリサさんはリビングから出ていく。

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